umityanの日記
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2002年03月29日(金) 最近、ダイエットがブームなんですか?

最近、ダイエットがブームなんですか?
at 2002 03/29 15:37 編集

最近、ダイエットがブームのようだ。どの広告媒体をみても、ダイエットに関することが必ず紹介されている。美しくなりたいと願う女性にとっては、ダイエットは深刻なテーマに違いない。ちょっと過食し、運動不足が続けば肥満は効果覿面。「おおお、いやだ」と言っても、眠っている間に体形が見事に変身。「昔はスマートだったのに、何たることよ」と、自分自身に腹が立つが、もう後の祭りである。やせようと、食事を抜いたり、走ったりで、涙ぐましい努力が始まるが、どうも、三日坊主で元の木阿弥。客観的なことばかり言っているけど、「あなたはどうなのお?」という冷たい視線を感じるので、話を僕に戻そう。実は、僕も、ダイエットらしきものに、最近興味をもっている。僕の場合は「たばこ」という嗜好食品を吸うのを止めてから、一年四ヶ月になるが、なんと、腰の周りが6−7センチは伸びたみたいだ。なけなしの金で買った上等のスーツが着れない。リフォームセンターで、ズボンの腰周りを拡張依頼することの屈辱。「うんんん、情けない」ということになる。ただ、以前、ばあやが、「男たるもの、少々、お腹がでていたほうが、恰幅がいいですわよ。お坊ちゃま?」と言っていたような気がする。まああ、それも一理ある。ただ、ちょっと下ねたになるが、男たるもの、まっすぐ立って、目を下に向けたとき、我が立派な一物が目に入らなくなったら、恰幅もなにもあったものではない。これこそ完全に肥満ということになる。思い当たる人にはちょっと失礼だったかもしれない。しからば、我はどうなんだろう?。「わおーーーーっつ。良かった、良かった」。見事に一望できる。まだまだ捨てたものではない。し・・・・か・・・・し・・・・、長生きして楽しい人生を送るには、余分な脂肪は邪魔であろう。適切な食生活と、適当な運動という生活スタイルに戻せば、かなりの減量はできるはずだ。何事も実践とその継続である。
はからずも、ある人から、ダイエットに効果のあるという無料サンプルを送ってもらった。まだ、試していないが、心がそちらに向かったとき、口のなかにほおばってみたいと思う。まずは夜の社交を少し減らし、休みには野良仕事に精出すことから、実践してみたい。半年後には「見事に成功した」と、にっこり笑っている僕の顔が見えれば幸いだ。


2002年03月27日(水) 光ファイバーの線って、女性の髪の毛より細い

光ファイバーの線って、女性の髪の毛より細い
at 2002 03/27 12:31 編集

インターネットの接続をBフレッツにかえることにした。どのタイプでいくか、かなり迷った。ビジネスタイプ(100Mbps)はプロバイダ料金が高いし、到底手が出せるものではない。ファミリー、マンションタイプ(10Mbps)では、将来的見地からいけば、物足りなさを感じるかもしれない。又、名前がどうも好きになれない。ただ、プロバイダ料金やNTTに払う定額料金が安いのが魅力的。すったもんだしたあげく、最終的には、ベーシックタイプ(100Mbps)で落ち着いた。9000円の出費に、プロバイダ料金が加算される。かなり痛い。僕のところみたいな超ウルトラ零細SOHOにとっては、ベーシックタイプは不向きかもしれないが、どうも、僕は見栄っ張りのようで、何でも最先端を行かないと嫌なタイプである。冗談だが、ある人から、「あなたは女性にたいしても最先端をお求め?」と問われたことがあった。僕の答えもまたしゃれているではないか。「そうですね。末端から最先端まで、なんでもござれですよ」と。もう一つだったか?。先行きかまわず、見切り発車で注文してしまった。いやああ、それにしても、光ファイバーはすごそう。配線を見せてもらったが、女性の髪の毛をさらに細くしたようなもので、「ひゃああ、美しい」と言えは大げさだが、びっくり仰天。それはそうと、僕の安易な考えが、大きな反動となってかえってきた。もうすでに、工事も終わり、「さあ、後はプロバイダだ」と思っていた矢先、なんと、まだ、契約先のプロバイダが、Bフレッツに対応していなかった。対応は一ヶ月か、それ以上先になるらしい。なんたること。大失態だ。「しからば、対応のプロバイダは何処に?」と、探したが、こんな田舎では、数えるほどしか、対応プロバイダがいない。また契約料も高いところが多い。と言うわけで、今、ない頭を絞って、次のステップへの道しるべを探して暗中模索している。まだ、フレッツISDNを解約していなかったので、よかった、よかった。さああ、何とかこの窮地を脱しなければ。


2002年03月25日(月) 田舎から都会へ、新たなる旅立ち

田舎から都会へ、新たなる旅立ち
at 2002 03/25 10:45 編集

友人の再就職が決まった。今日から出勤だ。田舎は仕事が少なく、給料も安いので、都会で面接を受けていた。見事、合格。ただ、受かったは良いが、引越しの準備で大変だったようだ。おまけに、中国人の女房は里帰り中ときている。何とかアパートを探して、必要最低限の荷物を運び込んだ。今までは、両親との同居で、甘えていられたが、これからは、二人で、肩を寄せ合って生きていかねばならない。その細君は今月末に帰ってくるそうだ。きっと、目を白黒させて、「わおーーーー、すてき」と叫ぶだろうか?。それは疑問であるが、都会育ちの彼女には、こういう賑やかな場所が良いのかもしれない。まだ、子どももいないので、共働きをすれば、十分やっていけるだろう。それにしても、都会は家賃が高いうえに、月ぎめ駐車料金も結構するようだ。幸い、会社まで歩いて10分程度のところにアパートが見つかった。ということで、車は持っていかなかったようだ。駅も近くにある。さして、車の必要はなさそうだ。ねがわくは、順調に仕事ができて、中国人の細君を幸せにして欲しいものである。


2002年03月24日(日) 可憐なピンクで桜が僕を呼ぶ。

可憐なピンクで桜が僕を呼ぶ。
at 2002 03/24 22:38 編集

弟が所属している団体の花見があった。会場は、なんと、僕が庭と称している公園である。そういう理由もあってか、僕にも声がかかった。断る理由もなかったので、参加することにした。幸いなことに、もらい物のビールがたくさんあったので、冷蔵庫で冷やして持って行った。緊迫予算のなかでの差し入れは、それはそれは喜ばれた。
桜は今、五分咲きだろうか。可憐なピンクで、「早く飲んで、私をめでて」と、誘いをかけているようだ。「きりっ」とした梅は好きだが、「だらっ」とした桜は嫌いだ。まあ今日は仕方がないか。めでてあげましょう。客の一人が業務用の鉄板を持ち込んでいた。なんでも、昔、たこ焼きやをやった経験があるそうな。それは見事な手さばきである。メン類、目玉焼き、そうせいじ、ピーマン、キャベツ、肉などを、ダイナミックに鉄板に投げ入れ、スコップみたいなはけで、器用に、ひっくり返していく。「さすが」と僕は感心してしまった。いやああ、それにしても、六畳敷きのマットにぐるりと円を描いたように面々すわり、紙コップ、紙のお皿で、だべりながら飲み食いするって、楽しいものだ。こんなとき思うのだが、人生がいつも、こんなに楽しければいいのにと。いやいや、この考えは間違いかもしれない。いつも楽しければ、本当の楽しさが、ぼやけてわからなくなる。やはり、つかの間の楽しさだからこそ、貴重であり、その時間が大切なのかもしれない。花見の席だ。くどくどした話は止めよう。たらふく食べた。弟が差し入れた、酒もおいしかった。
さあ、明日からまた、仕事だ。きりりっと頑張らなくちゃ。


2002年03月23日(土) 本当の豊かさとは何か?


本当の豊かさとは何か?
at 2002 03/23 08:34 編集

桜が満開だ。例年より数日早いらしい。また、本来なら南から桜前線が北へ上がっていくのに、今年は、ばらばらと言うか、めちゃめちゃと言うか変だ。北から南へ下がってきているみたいなのだ。どうも温暖化の影響と言われている。南極や北極の分厚い氷山が溶けだしているし、一部が本体から分断し漂流しているそうだ。いやはや、温暖化がもっと進行すれば由々しいことになる。海面の水位が上昇し、水面下になる国や都市が出てくるだろう。こういう異常気象は豊かさを追い求め、やまない人間の、あくなき欲求がもたらしたものかもしれない。豊かさはいいことには違いないが、自然環境破戒という犠牲を払っての豊かさは、本当の豊かさなんだろうか?。家から10分歩くと、川のふちが河川敷になっているところがある。一部に未開発の湿地帯と言うか、葦の草原が広がっている。車で、土手を走ると、川面に無数の鴨が泳いでいる。いや、その数の多いこと。最初、あの黒い塊はなんだろうと思っていたが、鴨の大群だった。「へええ、あんなにたくさんいて、えさがあるのだろうか?」といつも、疑問に思いつつ通過していたが、恐らく、湿原みたいなところが、えさの宝庫になっているのかもしれない。自然は共存共栄の見事な環境を提供してくれる芸術家みたいに思えてくる。この場所は、開発されずに残って欲しいと、思っているが、どうなることやら。
世界中に自然環境を守ろうという団体の活動はたくさんあるが、豊かさを追い求める人間の欲望の前で、まだその影は薄いようだ。なんだか、地球の行く末が怖いように思えてならない。子孫に大きな試練というか、つけを残しそうだ。



2002年03月21日(木) 旅立ち

旅立ち
at 2002 03/21 09:43 編集

彼岸の中日。雨だ。桜もまだ満開ではないので、近々、花見ができそうだ。いけない。いけない。すぐ、そこへ話が行ってしまう。あたりは本当に静かだ。誰も外を歩いていない。田舎の風景ってこんなものだろう。「あれっ、一体、人はどこにいるのだろう」ってね。物音一つ聞こえない。ただ、僕がたたいているキーボードの音だけが、コトコトと響く。キータッチが早ければ音も心地良いが、それは今ひとつのようだ。ところで、「秋深し、隣は何をする人ぞ」ではないが、「春、真っ盛り、皆、何をしているの?」と言いたくなる。そうそう、今の時期は卒業、入学、就職と、若い人たちが新たな旅立ちをする季節だった。何故か旅立ちと言う言葉は、響きが良くて好きである。人生が旅にたとえられることが多いから、そう思うのだろうか?。街中で、三々五々と闊歩している若い人達とすれ違う。皆一様に笑顔が素敵である。中には母親と一緒に買い物に来ている人もいる。男の子はテレくさそうにしているのは、昔も、今も同じか。旅立ちの準備だろう。親子の絆を感じる。日本的平和な風景。若い人たちから純情さや笑顔が消えないうちはまだ、日本も大丈夫な気がする。僕の旅立ちの頃はどうだったのだろう?。母親に連れられてデパートに行ったことがあったが、やはり、顔を赤らめて、後ろをついていったことを覚えている。そうこうしながら、いくつかの旅立ちを経験した。そして、今は死への旅立ちを準備しているのかもしれない。お迎えが来たときは、できればお彼岸の中日の太陽のように、真東から真西へと旅立ちたいものだ。


2002年03月18日(月) ぼた餅とおはぎ。どう違うの?

ぼた餅とおはぎ。どう違うの?
at 2002 03/18 09:10 編集

今日は春のお彼岸いりだ。小さかった頃、母や兄弟たちと、山のてっぺん近くにある先祖の墓によく参りに行った。途中、急な斜面があり、竹の棒を杖代わりに、よいこら、よいこらと登り、墓に到着する頃には、汗びっしょりだった。心地よい春風がほほにあたる。何もわからないまま、母の言うとおりに、草むしりやら、葉っぱをはき寄せたりして清掃した。ろうそくをともし、線香を数本ずつ、先祖の墓にあげた。なにやら、経のようなものを母が唱えたので、僕たちもむにゃむにゃ言いながら、手を合わせて、目を閉じた。いつも感じたことだが、何故か心がすーーーっとして、気持ちよかった。「僕たちが今、こうやって生きているのは、先祖様のおかげ。先祖様はいつも見守ってくれているから、こうやって感謝の気持ちを捧げているんだよ」と、母がよく言っていた。霊魂とか魂とかいう存在を信じてはいなかったが、確かに先祖様あっての、今である。感謝の気持ちを持つのは当たり前かもしれない。帰ってきてから、母の手つくりの「ぼたもち」に舌鼓みを打っのが楽しみだった。口の周りは兄も弟もあんこだらけ。そう言う僕だって例外ではない。「おはぎと、ぼたもちはどう違うの?」と、いつも疑問に思っていた。母も明確には、教えてくれなかった。調べてみてようやくその違いが分かった。なんでも、ごはんをつぶして餅状にして、その上にあんこをかぶせたものが、「ぼたもち」で、ごはんのまま、その上に、あんこをかぶせたものが「おはぎ」らしい。おもしろいと思った。また、萩の季節に近い秋を「おはぎ」、牡丹の季節に近い春を「ぼた餅」と言うそうである。なるほど。よくできているものである。ただただ、感心するばかり。
いずれにしても、こういう心の伝統はこれからも、長く続いて欲しいと思う。


2002年03月15日(金) 春の海に心で乾杯

春の海に心で乾杯
at 2002 03/15 20:24 編集

車で海に沿った道路を走った。太陽の光を浴びて波がキラキラ光っている。のどかな風景だ。田舎にいると、ちょっと走ればこんな海が見れる。漁港があって、潮の香りがぷんぷんする。小さい頃、海の近くに住んでいた。港へ行くと、漁師の人たちが、大事な投げ網を器用な手で補修したり、長い竿に干したりしている。その網のにおいは、なんと言ったら良いのだろう。潮の香りと同時に、網が腐らないように何か塗ってあるのだろう。独特のにおいがするのだ。当時は、嫌なにおいと思っていたが、いま、何故か懐かしく心地良く感じるのは何故だろう?。(そこにいないせいかな?)
山や海、都会や田舎。どこであれ、住めば都。それなりにいいものだが、今日は海が僕の故郷のような気がする。そう言えば、今日のようなのどかな春をうたった俳句があったっけ。「春の海、ひねもすのたり、のたりかな」。こういう気持ちになった一つの原因は、仕事がうまく行ったからかもしれない。もし、仕事がうまくいっていなければ、「春の海?、僕は夏の海が好きだ。夏よ、早く来い来い」とか、「春の海、それが一体どうしたの」とか、全くナンセンスなことしか考えないかもしれない。人間の思考って、本当に現金なものである。
それはそうと、今日は二重、三重についていた。前倒しの報酬はいただくし、海の幸、「海苔」はもらうし、おまけに、名物の「まんじゅう」までいただいた。うんんん、お土産たくさんだ。懐もあったかいし、きれいどころで一杯やるかと思えど、貧乏性の僕は、それが出来ない。(いつもなら立ち寄ること100パーセント)。k今日の僕は立派。自分でほめてやりたい。これはちょっとオーバーか。とりあえず、春の海に心で乾杯だ。


2002年03月14日(木) 我が家と庭

我が家と庭
at 2002 03/14 10:43 編集

家の近くに大きな森林公園がある。人に我が家のことを紹介するときは、とても便利だ。「家の前が大きな庭だからすぐ分かるよ」。人は最初「へえええっつ」と驚いた顔をするが、いざ来てみると、「なんだあーー」と言うことになる。その庭、いや、公園で今、植樹祭があっている。日ごろはあまりに近くて、ほとんど、そこへ足を運ぶこともなかったが、我が家の「花桃」が、どういう原因かわからないまま、枯れてしまった。除草剤がかかったのか、はたまた、病気になっていたのか、自然に任せていたので、きずかないでいた。僕の愛情が足りなかったかと、何故か心残りがして、ふらりと公園に足が向かってしまった。いやあああ、久しぶりというか、初めて見る植樹祭は見事。どこから運んできたのか、大小無数の苗やら、木々が所狭しと並んでいる。虹の七色ではないが、色とりどりできれいだ。木々の名前を書いた札がぶら下がり、値段が書いてある。知らない木々の名前がたくさんあった。ああ、これが歌に歌われているアカシアか。なるほどね。と無知の僕は感心するばかり。さすがにカルテルがあるみたいで、同じ太さや高さの木々はどこも値段が一緒だ。おもしろい。これをいかに値切るかが僕の腕の見せ所。8000円の物を「5000円でどうかな」と言ったところ、門前払いされてしまった。まあ、そうこうしながら、木々を四本買った。車の中に何とか収めて遠回りして我が家へ帰還だ。僕は早速、スコップで穴を掘り、水を入れてかき回し、木々を植えた。久しぶりの肉体労働は疲れたぜ。腰ががくがくだ。それでも、毎年、可憐な花を咲かせてくれるかと思うと、嬉しくなる。まあ、僕にとっては、梅を最高の花とし、その周りに、とりどりの花があるのも、趣があっていいのじゃないかと思う。
「生きとし生けるもの、いかでか花をめでん」なんだか、そんな気持ちになった。
さああ、今日も猛進あるのみだ。


2002年03月13日(水) たまのドライブもいいもんだ。

たまのドライブもいいもんだ。
at 2002 03/13 15:44 編集

昨日は暖かく良い天気だった。母に頼まれていた書類が出来上がったので、故郷まで持って行くことにした。高速を通って、約三時間のドライブである。金と時間さえあれば旅は最高。最近の僕はその両方とも持ち合わせていないが。まあ、何とかなるだろうと、いつもの楽観論が心をよぎり、出発することにした。車は意外と混んでいた。春休みなのか、受験シーズンなのか、団体さんの親睦旅行なのか知らないが、人は結構動くものだなあーーと変に感心。日ごろ見慣れない風景は目を楽しませてくれた。小一時間走って、パーキングエリアで休憩だ。無糖の缶コーヒーを飲んで、買い物をした。例によって、一袋500円のサツマイモを三袋と金柑二袋だ。更に、一個五百円の果物を五個買い入れた。ザボンの一種で、馬鹿でかい。僕の故郷の名物だ。「何故、そんなものを買うの?」と質問する人がいるかもしれない。その理由はあ・・・・と・・・・で・・・・。トランクに入れて、さあああ再出発だ。走行車線へ出るときには十分スピードを上げて、ミラーで後続車を確認して、見事に合流。当たり前のことであるが、このときはいつも緊張する。と、同時に快感を感じる。「わおーーーっつ」と、心で叫んだ。雲を追っかけながら無事に到着だ。老いた母を見るのは忍びないが、もてなしの寿司を食べて、しばらくだべった。仏壇には最近なくなった叔母の写真が飾ってあった。叔母の後始末は、兄がやり、長男としての面子を保ったが、実はそのことで、兄と少しやりあった。僕にいわせれば、「おいしい汁」を吸うのは長男だから許されるのか?と言うことだ。まあ、この話はくだらないので止めておこう。今は春の雪解けのように、仲直りしている。これだから、兄弟って不思議だ。時が瞬く間に流れた。母に別れを告げて、一路帰還だ。帰り着く頃は夜の八時前後。腹も空くだろう。かくて、一人で小料理屋を切り盛りしている、ママさんのところで、食事でもして帰ろう。これが僕の計画。行くときからそう決めていたので、サツマイモと金柑と果物の一部はママさんへのお土産ってわけでさる。きっと涙を流して喜ぶだろう。「まああ、これ大好物よ」とか何とか言って。「いいわ、今日の料理はロハよ」なんてならないところが不思議。さすがにしっかり者。あったり前か。てなわけで、昨日はドライブと小料理に舌鼓みをうった楽しい一日でした。


2002年03月11日(月) 永作博美さんとポッカポッカの春。

永作博美さんとポッカポッカの春。
at 2002 03/11 11:04 編集

心地よい天気が続いている。まさに春たけなわ、ほーーーホトトギスだ。昔は、冬が好きだったが、今は春や秋のほうが好くなった。若い頃は厳しさに立ち向かう自分の姿が男らしく思え、軟弱な春や秋を敬遠したものだ。それがいまや、軟弱で穏やかな季節を愛するようになった。豆腐の角が取れたように性格が丸くなったせいか、はたまた歳をとったせいなのかもしれない。
それにしても、春の日差しは柔らかくて、体のみならず、心の中まで、ぽっか、ぽっかしてくる。別の言葉でこの、気持ちをめでると、ぼくの好きな「永作博美」さんという女優さんの笑顔って感じだ。彼女の微笑みに接すると、心の中がポッカポッカしてしまいそう。彼女ほどの美しく、穏やかな笑顔を持った女優さんは少ない。最近、何というドラマだったかわすれたが、ブラウン管の中で、その笑顔を見た。「わおーーーっつ」と叫びたくなったが、人目もあるし、じっとこらえながら、画面に釘付け。あなたは、「メーテルから、永作さんに乗り換えたのか?」と問われれば、僕はこたえるだろう。「メーテルはアニメの世界、永作博美さんは実在の現実の世界。現実の世界が好いに決まっているじゃああありませんか」とね。僕は百まで、永作さんが九十九まで、変わらない笑顔で頑張って生きたいものだ。ますますの活躍を祈りたい。


2002年03月08日(金) 関西弁から英会話まで。

日の新聞に、面白いことが書いてあった。東京の若い人たちの会話に、関西弁が浸透しているそうだ。「なんでやん」、「あほか」、「しんどい」、「うちら」、「めっちゃ」とかである。理由は、言葉が和らぐ、親しみやすい。打ち解けた雰囲気になる、ということらしい。確かにそんな感じがする。ただ、方言と、なまった標準語使いの僕にとっては、気恥ずかしくて、どうも関西弁は使えそうにない。とかなんとか言いながら、実は僕も知らず知らずのうちに、「めっちゃ忙しい」とか、「しんどいぜ」とか言っているから、ちゃんちゃらおかしくなる。無意識とは怖いものだ。いずれにせよ、関西弁は話す分においては難しいが、聞く分においては楽しそうだから、どんどん使われていいと思う。叔母が関西にいたので、時々、電話や法事の時、しゃべったことがあったが、、独特のしゃべり方とアクセントに興味をそそられたと同時に、なんと答えていいやら、たじろいだことがあった。要は、何弁であれ、正確に意思の伝達ができればいいこと。言葉に一喜一憂することもないのだろうが。
ところで、言葉で、最近、気になったことがある。「日本人は英語をしゃべる人が少ないから、国際社会の中で立ち遅れているし、景気の低迷にも影響しているのではないか」と、ある外国人が言っていた。最近、低学年から英語教育が取り入れられているが、まだまだ、不十分のようだ。確かに、中小企業が国際社会のなかで、英語をもっと駆使して、活躍すれば商域も広がり、経済が潤い、不景気を払拭できるかもしれない。今はまだ、商取引における英語は大企業や一部の人に限られている。門戸をもっと開いて、外国を入れなければ、日本はアジアの中のリーダーにはなれないだろう。香港やシンガポールに遅れをとってしまうだろう。関西弁から英語へ話しが飛躍してしまった。僕ももっと英語を勉強しなくちゃ。


2002年03月06日(水) 春一番と桜の開花とハップル宇宙望遠鏡

春一番と桜の開花とハップル宇宙望遠鏡
at 2002 03/06 07:55 編集

鹿児島、宮崎県の両県で春一番が吹いた。何でも当県での春一番は二年ぶりとのこと。最大瞬間風速18.5メートル、気温も4月中旬並みの暖かさを記録したそうだ。また、桜の開花予想も出た。九州では3月の20日前後ごろで、満開に至るまで約8日間。今月中に花見ができると言うわけだ。すぐ、飲むほうに話が行ってしまうが、昨今の不景気。花でもめでて、不景気をふっ飛ばさなくちゃ、やってられませんね。面白い都都逸があった。
「お酒飲む人花なら蕾 、今日も咲け咲け明日も酒」
それはそうと、明るい話題といえば、今日の新聞の一面に、ハップル宇宙望遠鏡の整備作業をやっている宇宙飛行士の写真が掲載されていた。今までより、もっと高性能の観測用カメラに交換するらしい。いやああすごいことだ。ハップルが捉える宇宙の映像は鮮明で、神秘的で、美しく、「宇宙って一体なんだろう?」と、いつも無限の夢を抱かせてくれる。今後、どんな新しい宇宙の姿を見せてくれるか、今から楽しみである。ところで、「春一番と桜の開花とハップル宇宙望遠鏡」とかけて、なんと説く?。「僕の心」と説く。その心は「今から楽しみ」。
うんんん、もうひとつか。


2002年03月05日(火) 今日も元気でスタートだ。

今、世の中は税金の深刻で大童。役場や、税務署に行くと、椅子に腰掛けて、自分の番を静かに待っている人たちでいっぱいだ。案内係りの人も一生懸命に応対している。こういう風景を見ると、日本って、本当に平和な国だなあと思ってしまう。「社会の中で自分のことには自分で責任を持とう」。まさに、それが基本であり、コンプライアンスの実践である。今年から確定申告の様式がオーアルシートに変わって、カラフルになった。様式がきれいだ。手書きでは見劣りがするみたいな気がする。僕も今回は、申告書作成用のソフトを用いて、作成してみることにした。いやああああ、失敗したのなんのって。プリンターで打ち出すとき、升目の中に数字がきちんと入らないのだ。縦ずれ、横ずれ、斜めずれ。「わおーーーっつ、悲しい」と言いたくなる。コピーであらかじめ、原稿を印刷しても、コピーと原稿がぴたっと一致しないから、印刷にかけても、ずれてしまう。「コピー機も印刷機も安い、ちゃちな物じゃないの?」と言われそう。確かに安い奴なんですよ。それでも、僕にとっては大枚をはたいて購入したかわいい奴なんですよ。大量に失敗したあげく、ようやく調整のコツをつかんだ。上下に何ミリ、縦横に何ミリで調整すると、見事。升目におさまった。
それにしても毎回、調整しなくてはならないなんて面倒だ。ただ、出来上がった書類をみると、うんんんさすが、きれいだ。満足。さっそく、印鑑を押して、税理士の先生に目を通してもらった。先生いわく。「うちの印字よりきれいじゃないか」。「そうですか?」ととぼけたが、内心は嬉しかった。この時期をすぎると、春を迎え、梅雨がきて、夏だ。又、冬が来てクリスマス、正月。行事が目白押しだ。頑張らなくちゃ!!!。そう思う今日のスタートでした。


2002年03月04日(月) 季節は春へまっしぐら

ひな祭りも終わり、季節は春へまっしぐらだ。新しい生命の息吹を日増しに強く感じるようになった。春は肌が若返ったみたいに、みずみずしくなり、好きである。そういえば、お酒も美肌に効果があるそうだ。焼酎からお酒に切り替えようかしら。イージー・ライダーの僕はすぐそう考えてしまう。いけない、いけない、話が脱線だ。
生命体はこの循環サイクルを繰り返しながら、進化していくのだろう。そうそう、進化で思い出した。最近、クローン人間が登場する、近未来を描いた映画を見た。シュワチャンが主役の映画だ。自分と瓜二つのクローン人間が造られ、最初は彼を抹殺することを考えるが、やがて、親しみを感じるようになり、協力して悪と戦うというストーリーだ。自分が善人であり、クローンも又善人であれば、自分で自分の分身を処分することなんて、やはりできないんだなあ。自分が善人でクローンがもし、悪人ならば別だろう。悪人同士なら、何の不思議もなく悪人として許せるだろう。遺伝子構造が同じで、同じ過去の経験をクローンに植えつけると、思考パターンは同じになるのだろうか?。映画ではそうだった。もちろん、現実には、クローン人間を誕生させられても、自分と瓜二つにはならないし、過去の経験を共有することもできないだろう。たとえ、遺伝子構造が同じでも、考え方や経験が違っていれば、それは僕ではないし、他人である。他人が生まれてきたって僕には何の関係もいない。そう言いながら、あの映画のように、経験も考え方もまったく同じクローン人間なら、存在して欲しいと思うのは、人間の永遠の願望、「死にたくない」という感情がなせる業なのか?。
いずれにしても、クローン人間を誕生させることは、自然の摂理、道理、法則に反するものかもしれない。生と死を繰り返しながら、一歩、一歩進化していくことを宇宙は望んでいるように思える。今は、僕にもそれが一番よいように思える。さあ、せっせと頑張って、春の息吹を精一杯、甘受しよう。


2002年03月01日(金) 世の中のギスギス

最近、世の中がギスギスしていている。娑婆世界の風当たりが強いのだ。不況下の社会不安の中では、ギスギスは当然と言えば当然かもしれないが、なんとなく釈然とせず、何故だろうといつも思っていた。その答えらしきものが見つかった。「コンプライアンス経営・・・・法令や自主行基準の遵守及びそのための企業内における体制の整備」と、「自主行動基準・・・・企業または団体が自主的に行動すべきルール」が、世の中に浸透してきたということである。
国の規制緩和が進むなかで、それを補うものがなくてはならない。それが、コンプライアンス(compliance)とコード・オブ・コンダクト(code of conduct)ということだろう。要するに、規制を緩和して、健全な競争社会を構築するためには、企業は法令は言うまでもなく、社内規則、社是、経営理念等、さまざまな規則を遵守し、企業経営の透明化をはかり、自主管理できる体質を強化しなさい、と言う事だろう。
これは企業のみならず、われわれ消費者にも同じことが言える。企業を選択したり、契約を結ぶには我々、個々人が当然、自己責任をもってやらねばならない。これから先は、相手におんぶ抱っこではいけないのである。
しかし、最近、役所や金融機関へ行って、不愉快な思いをさせられた。必要以上に書類の提出を求められ、二重、三重にチェックされるのである。ひとつの書類で証明できるのに、蛇足ともいえる追加書類を要請され、思わず切れたことがある。
今、考えてみると、これがコンプライアンスの実践だったのか、と言うことになるが、これじゃ、規制緩和どころか、規制強化である。おまけに、サービスだって低下するだろう。確かに企業が法令を遵守し、規則や基本に忠実なのはよいことであるが、もう少し勉強して蛇足をなくしてもらいたいものだ。蛇足のために動く時間は双方にとって、大きな損失だからである。蛇足のないコンプライアンスなら、大いに歓迎である。


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