まだ泣ける 今はどこにいるのかな。
楽しい場所や行った事のない土地に、ふらっと遊びに行ってるのかな それとも、近くでいつもハラハラドキドキさせてるのかな
なるべく思い出したくないのも事実 でも、1年過ぎてもまだ涙が出てくるよ
もし今ここに母が元気で居てくれたなら、思いっきり好きな物を食べさせて 思いっきり行きたい場所に連れていって、のんびりさせてあげるのに。
それが出来なくなってから、そんな事を考える俺
バカだ ホントにバカだ
やっぱり呆れてるかな…
安心していいよ。俺なりにしっかり歩いてくから。
書かずにいた。 昨年の今頃は、苦しんでたなぁ。
あまり思い出さないようにしてる。
先日、一回忌にふるさとへ帰った。 今回ばかりは、驚き反面、悲しさ反面…
菩提寺のお上人さんが引退されるらしい。 ご子息が跡を継がなかったのだ。
京都の大覚寺から、新しい人が来て、今の住職は、俺の幼馴染(娘さん)一家とともに、他の地で暮らすという。
ふるさとに住む家もなくなっていた俺にとって、小さな頃から遊び場としてもすごしたこのお寺に、知らない人が住むとは考えにくいのだが、これもしょうがないね。 母も父も祖父祖母も寂しい思いをしているだろうか…
しかし、もしかしたらこれが最後かも知れないというこの日、おくりさんから 聞いた話で、思わず目頭がまた熱くなった。
このお寺の縁側には、母の好きだったドウダンつつじの木が植えてある。 その傍らに… 母が名古屋に引越し来る際に、自宅の庭に咲いていたゆりの根を、ここに植えたらしい。このまま置いていくには可哀想で、このお寺に持ち込んだのだと言う。
そして、12年経った今でも、毎年そのゆりは赤い花を元気に咲かせていると言う。 「このお寺を一番知ってもらってた人やったよ。」 おくりさんがそういって、教えて下さった。
そっか。母が亡くなってから、聞いておけば良かったなぁって思うことがしょっちゅうある。「あれなんでやったん?」 思い出話の覚えを聞きたくなる事もたくさんある。 直接言葉というもので会話する事はもうできないけれど、 おふくろ、ここでも生きていた証を俺に残していってくれたんだね。 ありがとう。顔や姿には触れれないけれど、こうして、心に触れていてくれるんだね。
命を大切にして生きていきます。
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