管理人トシの日記

2004年09月30日(木) 台風災難

きのうはひどい一日だった。前回の台風による被害が収まらないうちにまたしてもやってきた。各地で災害が続いている。
我が家でも引き続きの雨漏り、それに前回までなんとか踏ん張ってくれた田んぼの稲も力尽きたか倒壊しかかっている。

これらとは別に、きのうは台風による災難を受けた。
車で出張していたのだが、帰りは山陽自動車道、国道2号線とも通行止めになったため、足止めをくわされたのだ。
竜野西インターから西が通行止めになったのだが、出口手前2Kmあたりから渋滞になってしまった。おそらく出口の料金所が手間取っているのだろうと思って、ゆったりとかまえていたのだが、それにしてもほとんど前に進まないのだ。結局出口に達するまでに3時間ほどを要した。
やれやれと料金を支払ったのだが、しかし前に進まない。2号線まで500mほどだろうか、1時間ほどかかってしまった。案の定、2号線もまったく動いていない。これにはまいった。まわりを長距離トラックにはさまれてまったく身動きが取れなくなってしまったのだ。その場に2時間ほどじっとしていただろうか。

わずか動き出した。ちょうどその時、左側に抜け道が見えた。すかさずトラックの脇をすり抜け、やっとの思いで側道に入ることができた。
おそらく相生を南に下れば海岸線の国道があるはずだと車を走らせたが、道が全然わからない。たまたま警察があったので聞いてみると、がけ崩れで通行止めとのこと。
もう夜中になってきたので、あきらめ車中泊と相成ったわけである。4時間ほど仮眠を取った後、ふたたび2号線に戻ると・・・全然動いていない。
山陽自動車道にふたたび舞い戻ってやっと帰ることができた。

いやもうくたくたである。
けっきょく、1時間30分の道中を、14時間車に乗っていたのだ。



2004年09月28日(火) 頭痛

三日三晩、頭痛に悩まされていた。
当然日記どころではなかった。いや、今も夕方時分から「痛み止め」が切れてきたようで、刺すような激痛が襲ってくる。そろそろ「痛み止め」を飲まねば大変だ。しかし早くから飲んでしまうと朝までもたなくなる。いやもうがまんできない・・・。

最初はかかりつけの内科医に診てもらった。女性の先生だ。「肩が凝ってますねえ。ちょっと風邪気味?あーんして。あらら、のどがやられてますよ。風邪ですね。」リンパ節を押さえても痛かった。

次の日は、日曜なので「指圧治療院」に行って揉んでもらった。その時はよかったのだが、かえって凝りがひどくなったようだ。

次の日は仕事に行くこともできなかった。
脳専門のK病院で診てもらった。問診票に「CT/MRIの画像診断を希望しますか(はい・いいえ)」とあったので、はいと共にCTにもぐりぐりとまるをつけた。頭痛ごときでMRIなどの高価なもので診てもらうわけにはいかない。安いCTで十分と思ったからだ。
診察室に入ると、ちょこちょこっと診察されて、「まあ、神経痛でしょう。歯が痛くなるのと同じですよ。出血なんかがないかどうか一応CTは撮っておきましょう。」とのこと。

CT画像室・・・ああ、もうだめだ、明日にします・・・。〜つづく〜



2004年09月24日(金) 沖縄調味料

またまた沖縄の話題で恐縮だが、今、沖縄調味料にはまっている。
泡盛に島とうがらしを漬けたものだが、とにかく辛いのだ。名前を「コーレーグース」という。これはMみさんの沖縄みやげとしていただいたものだが、聞くとMみさんのものは「そんなに辛くないよ」とのこと。メーカーが違うためか、Mみさんが鈍感なのかは知らないが。

独特の風味があって私は気に入っている。娘はぽたぽたっと垂らしてなめてみたが、あまりの辛さに二度と使わないかと思っていたが、どうもちょこちょこと垂らしているようだ。息子はというと、刺激物に目がないのか、好評である。「身体にいいのか。」と聞いてくるので、「沖縄のものは全部健康にいいぞ、長寿国だ。」とやると、すかさず母が「今は青森に明渡した。」ときた。
どうも最近、沖縄では40、50代がばたばたと倒れているようだ。健康食として昔から食されていた「豚の角煮」などは、最近の人は十分な油抜きをせず料理してしまうため、逆に健康食ではなくなってしまっているとのこと。
なんでもそうだが、昔の人の知恵をバカにしてはいけないのだ。

ところでこの「コーレーグース」だが、いまや何にでも垂らしている。きのうの「おでん」に辛子の替わりに使ってみたところ、泡盛の風味と相まって上等な味になったような気がする。トンカツにも垂らしてみた。まあかけすぎると味がわからなくなるので、いい塩梅がけっこうむずかしい。

沖縄の食材で使ってみたいものはほかにもいろいろあるが、インターネットでも調達することはできる。しばらくは沖縄の話題に事かかない・・・。



2004年09月22日(水) BS日本の歌

先日、NHK−BSで放送された「BS日本の歌」を録画してもらった。じつはBS放送は我が家でも受信できて、今まで録画をしていたのだが、ついに画像不良となり見ることができなくなった。
テレビ自体は、もうかれこれ5、6年以上になると思うが故障したままで、今では部屋の置物と化している。アンテナのケーブルの関係で、BS受信機内蔵のビデオデッキをこのテレビ台に設置しているが、この受信装置がだめになったようで、ここ半年くらい前から映らなくなっている。

私自身はテレビを見る生活はしていないのでどうでもいいのだが、「BS日本の歌」だけは、たまに録画して見ることがある。このためにだけNHKに受信料を払うのももったいないのだが、解約手続きをするにも手間だし、放っているのが現状だ。
しかたなく、親類の姪に頼んで録画してもらっていたが、今や彼女も就職で出て行ってしまった。さらにしかたなく姪のお母さんに頼んでいるわけである。

たまたま番組を見て録画を思い立ったわけであるが、理由は「三沢あけみ」の名前が載っていたからだ。その昔、私が小さい頃、白黒のテレビで、デビュー曲「島のブルース」を歌って活躍しているのが記憶に残っている。ヒュー、ヒューと口笛が入った印象的な曲である。それ以来ずっと歌手活動は続けられていたのだろうが、あまり記憶にはない。それがここ数年、テレビにも登場するようになってきたように思う。

だいたい歌謡曲自体が衰退していっているので、昔のようにテレビにしょっちゅう登場するというわけではないが、NHKの歌謡番組などで歌っている。私が気に入っているのは、その歌唱力である。ワウワウと激しいヴィブラートをかけるのがまたいい。独特の深い声色も魅力的だ。
今回の「BS日本の歌」では、「再会」と、オリジナルだと思うが「天国と地獄」いうリズミックな曲を歌っていた。真っ赤なドレスだったが、お歳のわりには似合っていたと言っておこう。

その後、大御所が登場した。「ばたやん」こと田端義夫である。85歳と聞いてびっくりした。さらに現役でまたびっくり。
ギターを真横に抱えるスタイルは彼のトレードマークだ。いつもなら「オッス」の掛け声とともに登場するのだが、今回は静かに歌い始めた。「帰り船」でのしぼり出すような声も特徴がある。所々で音程が不安定になりそうになるが、それでも高音部になると生き生きと伸びやかな美声を聴かせてくれた。

尊敬に値する人物である。



2004年09月21日(火) 「JAZZ LIFE」誌

昨日、「鷲羽山ハイランド」の帰りに本屋に立ち寄った。どこかに出かけると必ず本屋に寄らないと気がすまない娘なのだ。

私が買ったのは「JAZZ LIFE」。今では年に数回しか買わなくなったのだが、今月号にはCDが付属していて少し豪華に見えたので衝動買いしてしまった。まあこの手の本は高い。1,000円也を娘の分と合わせて妻に支払ってもらった。こういう時は娘に手渡していっしょに勘定をしてもらうというのが私の作戦である。

ところでこのCD、曲の紹介と思ってかけてみると、最初にぱらぱらとギターの音色が入っており、1、2分ですぐ次の曲にうつってしまう。ギタリストの演奏スタイルの紹介のようだ。5曲目に入るといきなりサックスの音が飛び出してきた。それもジャズのフレーズを数小節ソロで吹くだけだ。ここでは「ヤナギサワ」の製品の吹き比べをしているのだ。アルト、テナーで10本くらいか、まったく同じフレーズを吹いて比較しているわけだ。

「ヤナギサワ」といえば、その昔、学生だったころ「プリマ」という商品名で売られていた。それからこの「プリマ」も市場から姿を消したと記憶している。「セルマー」と「ヤマハ」の全盛時代に入っていった。それがここ数年、「プリマ」が「ヤナギサワ」として復活した。元々「プリマ」は、柳沢管楽器が作っていたのだから別に何も変わってはいないのだが、製品自体は別物のように良くなったようだ。実際、行きつけのH楽器店では、毎年「ヤナギワサ管楽器フェアー」が開催され、展示試奏会がある。そこで印象に残ったのは、管体が総銀製のソプラノ・サックスだ。とにかく甘い音色がしたのをよく覚えている。80万円以上するので大蔵省との交渉は断念した。

このCDでは宮崎氏の演奏を録音しているが、以前に氏のホームページでいろいろと勉強したことがある。本の解説を読みながら音を聴くわけだが、どうしても先入観がまとわりついて音だけに集中することができない。百数十万円の定価を見ながらだと、もう耳がその値段になってしまっている。100万円の音がしているはずだと。おそらくワイン・テイストのように目隠しでもして聴けば、おそらくおお外れになるだろう。

アマチュアにとって楽器のよしあしも大事だが、それよりもいかに練習の時間をとる努力をするかだと思う。時間に追われる小生にとって大きな課題である・・・。



2004年09月20日(月) 鷲羽山ハイランド

きょうは20年ぶりに鷲羽山ハイランドにお出かけだった。娘の希望で行ったのだが、予想どおりというかかなりくたびれていた。一度閉鎖されたはずで、その後、絶叫系のアトラクションを取り入れて復活したと聞く。

今日もかなり残暑がきつい一日で、相当の期間、動かすことを忘れた私の身体は悲鳴をあげている。それでも、娘におじさん呼ばわりされるのはしゃくなので、娘といっしょに絶叫マシーンに搭乗した。

「ターボ・ドロップ」と呼ばれる垂直落下するマシーンだ。高さは何十メートルあるだろうか。イスに座ったまままっすぐに落ちてくるのだから、迫力はかなりのものだ。
一気に吊り上げられるとき、Gもそこそこかかってくる。上に行くにしたがって高所恐怖症になってくる。高層ビルの上から見るのと同じなのだから怖さはおわかりだろう。

ブシューッとエアーが大きな音を発して抜けると、一気に落下を始めた。イスからお尻が浮き上がっている。そう、無重力状態で落下しているわけだ。思わず握っている手に力が入る。このまま落ちたらなどと考えている暇はない。腹に力を入れてがんばっていると、急にGがかかって止まり、今度は再び一気に上に吸い上げられた。2,3度上下するとやっと終了した。

老朽化のためか、轟音を発して走る「ジェット・コースター」にも乗った。どうも激しく揺さぶられるのは苦手だが、言われるがままに乗った。もういいと思った。

ステージではリオのカーニバル風の踊りでわいている。おや?知っている人がいるではないか。聞くと仕事ではないようだが、楽しいのでずっと来ているという。もうダンサーの一員になってしまっているではないか・・・。

ローラー・スケートやら、ボーリングをやらされて、くたくたの状態で帰ってきた。今日は早く寝ることにしよう・・・。













2004年09月19日(日) ワンちゃん

やっと普通の日記に戻ることができた。
それにしてもいろいろなテーマパークがあるものだ。きょう滋賀県のMさんから、撮った写真の紹介がメールで来た。

場所は琵琶湖畔にある「わんわん王国」。80種類の犬たちが全部で360頭というから、それはにぎやかだろう。

http://www.imagegateway.net/a?i=pmujNBQ3po

Mさんの目的はあくまで写真である。こんなところに大の大人がひとりで入るには勇気がいるに違いない。しかしマニヤはだいたいそんなことはおかまいなしだ。
写真となると人がいようがいまいが、ベストアングルを求めて前へ前へと突き進む。写真に限らずマニヤというものはそんなもんだ。私を含めて・・・。

我が家の愛犬「セガ」は、先日、軽い皮膚病になったらしく、鼻の上のあたりが少し赤くなった。病院に連れていくと、原因を確かめるために薬を変えながら様子を見ましょうということになった。
「セガ」はやんちゃなので車で連れて行くには娘のお供が必要だ。ウインドウをがりがりしたり、吠えたりと大変なのだ。もう行かないと娘がふてている。
結局、最初の薬を一週間飲ませたら治った。まあ、放っておいても治っていたかもしれないが。





2004年09月18日(土) 沖縄その40完

九州、長崎のあたりの島々だろうか、細かく入り組んでいる。そして中国地方、四国が目に入ってきた。「お!瀬戸大橋だあ〜」思わず娘に言ってしまったが、あとから、うっ!と唸った。そのうち本当の瀬戸大橋が現れることになる。そりゃそうだ、瀬戸大橋がこんなに高空から見えるはずがない。その時はすでに着陸態勢に入っているわけだから。
この橋は、「しまなみ海峡」だ。もうこれ以上しゃべらないことにした。恥をかくだけだ。

ぐんぐん高度を下げると、ほんとうの「瀬戸大橋」と平行するように飛行を続けた。児島の街が手にとるようにはっきりとわかる。児島湾の淡水湖あたりにくると、我が家のあたりも見えてきた。娘に「あそこがトラック・ターミナルだあ〜」と教えている自分が夢中になっているのに気づく。

もうじきだ。山がぐんぐん迫ってくる。岡山空港は、ほんと山のど真ん中にある。おそらくパイロットは風の影響で操縦に苦労しているに違いない。山側はとかく気流の乱れがあるので予断を許さない。墜落事故は着陸時が多いのだが、その中でも気流に関する事故が大半を占めるほど航空機にとって乱気流は命取りになる。こんなことを考えながら外の景色を見やっていると、ガタンと音がして車輪出しが始まった。「ウイーン」とモーターが回転音を発しながらフラップがせり出してきた。いや、この席からは見えないのだがだいたいわかる。パイロットは、着陸態勢に入っているので高度計とにらめっこしながら高度を読み上げているに違いない。

スーッと吸い込まれるように滑走路に車輪がつくと、ゴトゴトと振動が伝わってきた。と同時に一気にエンジンパワーが上がって逆噴射が始まり、急ブレーキがかかる。スピードが落ちてくるとエンジンもアイドリング状態になって、無事着陸完了とあいなった。うっとおしいシートベルトを外していると、妻が言った。「まだランプが消えていないでしょ!」最後の最後まで口うるさい・・・。

こうして無事すべての日程を終了することができた。
長すぎた旅行日記にお付き合いいただき、ありがとうございました。完




2004年09月17日(金) 沖縄その39

「パイナップル・ランド」を出ると、空港の外堀を回って「ジャパレン」に直行だ。もうこのあたりはレンタカー会社がひしめきあっているので、事前に場所を確かめておかないと混乱してしまう。
愛車「ニッサン・キューブ」をするりと止めると、係りの人が走り寄ってきて書類の提示を求められた。確認するともうOKだ。ガソリンも使い放題なので何もしなくてよかった。荷物を降ろすと、待機しているマイクロバスに乗ってすぐに空港まで送ってくれた。このへんはとても手馴れている。

混雑や確認作業の時間を見越して早めに帰ったのだが、空港に着くと余裕たっぷりの時間がある。またしても空港内いっぱいに広がる店々で物色がはじまった。昨日の夕方、ホテル近くの田舎食堂で食した「ソーキそば」とともにあおった地元の「オリオン・ビール」が気に入っていた。おそらく沖縄の「キリン」といったところだろう。
缶の6本入りを取り上げ、妻に渡した。うんうん、何も言わないようだ。他のものに目がいっている。

こうしてすべての行程が終わると、あとは機中の人になるだけだ。切符を座席券にしなければいけないので、さっそく座席を決めるコンピューターにするりと入れてみた。おお、一番前が空いている。ここなら外がよくみえるはずだ。離陸時の景色の移り変わりが飛行機の醍醐味だろう。数年に一度しか乗らないチャンスなので、ここは目に焼き付けておかなければいけない。
じつは出てくるときは、主翼の上だったので外の景色を見ることができなかったのだ。

待合室では発着する飛行機を熱心に見ていたが、子供のようなまなざしに妻たちはあきれていたようだ。ここでも愛用?の妻所有の「キャノン・EOS Kiss5」に望遠300mmを取り付けてパシャパシャと撮り続けた。しかしいまいち躍動感に欠ける写真にしかならない。おそらく滋賀県のMさんのように流し撮りをしなければいけないのだろう。そうなるとシャッター・スピードなどのマニュアル設定が必要になるし、面倒くさいというよりは知らないのでそういう撮影は無理だ。

こうして搭乗前のひと時を楽しく過ごすと、定刻どおり無事離陸して空中に浮かぶことができた。やはり離陸時の景色はなんともいえないくらい美しい。小さくなっていく家々と、さんご礁の海のさざなみがだんだんと薄らいでいく。木々の緑と海の青さのコントラストがこれまた絵になるほどすばらしい。しばらく堪能すると雲を突き抜け巡航飛行に移った。あとは岡山空港の着陸を待つのみだ。〜つづく〜





2004年09月14日(火) 沖縄その38

帰るまでにもう一箇所行くところがある。空港近くに「パイナップル・パーク」の姉妹店らしい「パイナップル・ランド」がある。ここも同じく食べ放題とガイドブックには記載されている。国際通りから海岸線を通って空港を横目に、「ジャパレン」までの道すがらに巨大なパイナップルの目印でお客の目をひきつけている。

店内に入るとき、ここでもクーポンの提示を求められた。これさえあればパイナップル・ジュースを一杯飲むことができるわけだ。愛車「ニッサン・キューブ」に戻って、がさごそと案内ちらしの隅に印刷されていた「パイナップル・ランド」のクーポン券を探し出し、案内の女性に渡すと、一人ずつに紙コップをくれた。これを持ってカウンターに行けばジュースを注いでくれるという仕掛けになっている。どうも配給のようであまりいい感じはしない。もっとスマートにお客を歓迎できないものだろうか。

食べ放題のパイナップルを爪楊枝でつつきながら、またしてもおみやげの物色がはじまった。どうも物を買うという日本人の習性から抜けきれない。まあなんでもいい、買うことに喜びを感じるならそれでもいいか。
「パイン炭」というのが売られていた。パイナップルを丸ごと炭にしただけのものだが、こういうところで売られているとついつい手が出そうになってしまう。「家には竹炭がありますよ。」との妻の一言に手を引っ込めた。

じつは、この5月に開催された里山祭りで「竹炭」を一袋買っていたのだ。水に入れるとミネラル水になりますよとの言葉に購入したのはいいのだが、今では掃除のたびに黒くよごれたナイロン袋に入っている「竹炭」を移動させている。衝動買いはいいことにならない。

さあ、ぼちぼちレンタカーを返さなければいけない。4日間お世話になった愛車「ニッサン・キューブ」ともお別れだ。

〜つづく〜



2004年09月13日(月) 沖縄その37

「国際通り」に到着すると、駐車場を探さなければならない。けっきょく「三越」の裏手にある野外の駐車場に止め、そしてそのまま三越に入っていった。やはり百貨店では郷土色がほとんどない。岡山高島屋はたまた天満屋と何一つ変わらないではないか。最上階のまだ誰一人お客のいないレストランでお茶にした。

三越を後にすると、市場本通りの商店街を歩いてみた。小さな店の寄り集まりだ。何でもあるといった感じで、見て歩くだけで楽しいではないか。それにしても呼び込みならぬ呼び止めが激しい。いちいち対応していたのでは先に進めないくらい、行く店々で声がかかる。
試食を食べさせられて「海ぶどう」1パック千円なりを買ってしまった。それに「ちんすこう」のお菓子が安い。おみやげというとある程度値がはっていないと何か悪いようで、躊躇したが、妻の一声でご購入。

どこからとなく三線の音が聞こえてくる。こんなところにも楽器屋がある。といっても小さな店で、三線だけ売っているようだ。若い女性が交渉している。ここはちゃんとした楽器屋なので安くても数万円はするようだ。
買ってもいいのだが、おそらく弾く間はないだろう。立ち止まると妻の目がこっちに向いたようなので中に入っていくのはやめた。後をついていくだけにしよう・・・。

こうして「国際通り」の偵察もおわり、じわじわと帰路につく時間が気になりはじめた。

〜つづく〜



2004年09月11日(土) 沖縄その36

首里城。14世紀末に創建された琉球独特の城である。残念ながら沖縄戦で焼失してしまった。20年前に妻と行った首里城は石垣ばかりだったような記憶がある。
これが今回行くと立派なお城になっていた。1992年に復元されたようだ。2000年の「沖縄サミット」でここの一部が世界遺産に登録されている。

しかし中には入らなかった。お金がいるからという理由もあろうが、どうも二人はこういう遺産には興味がないようである。それよりも近くの出店でアクセサリーを物色したり、ココナッツ・ジュースを飲んだほうがいいようだ。

適当にぶらぶらすると、もう駐車場に移動している。あー、もっとじっくり見たいのに・・・。

もう愛車「ニッサン・キューブ」は次なる場所、「国際通り」に向かっている。さまざまな店がぐちゃぐちゃにひしめいている繁華街だ。
〜つづく〜



2004年09月09日(木) 沖縄その35

今日のホテルは昨日までと違ってリゾートホテルではないので、これといって見るものはなにもない。部屋でぶらぶらとして後は寝るだけ。プールはあるのだが娘は嫌がるし、妻が入るわけもなし、部屋の中でお互いが勝手に本を読んだりするだけだが、私は例によってあしたの予定を立てなければいけない。

ホテルの場所は首里、といえば首里城となる。車で数分の場所なので朝一番に行って、後は公設市場がある繁華街を物色することにした。そして空港近くのパイナップル・パーク?だったか、そこでまたまた食べ放題にありつこうという行程をとることにした。

あしたでこの旅行も終わりかと思うと、急に憂鬱になってしまう。そう楽しいことはいつまでも続かない。明日の夜が明けると、またせっせと仕事に精を出さなければいけない。まあ家族との思い出もできたし、リフレッシュもできたということで満足することにしよう。

朝食はバイキングである。やはり昨日までのホテルとは違って和洋両方があるので田舎人としてはうれしい。まあメニュー数は比べるべくもないが、こじんまりとしていて家族的だし、みなれた食べ物ばかりなので安心できる。当然かもしれないが、ボーイが何人もいて都度、お皿の交換をすることなどはない。もうほとんどセルフサービスである。思わず食事が終わった後、食器類を片付けようとしてしまったほどだ。

朝食が終わるともう出発するしかない。そそくさと準備をして愛車「ニッサン・キューブ」の人となった。



2004年09月07日(火) 沖縄その34

ホテルから首里城に向かって歩くとお目当てのそば屋があるはずだ。この沖縄そば、ちょっと麺が太めでしこしことはしているのだが、私の口に合うかというとそうでもない。蕎麦は、やはり蕎麦の太さがいいし、うどんならうどんの太さというものがある。どうも沖縄そばは中途半端なのだ。それでもガイドブックおすすめの店なら味もそれなりだろうと期待して行ったのだが、こともあろうにお休みだ。

くそと思いながら、こんどは反対方向に歩いて三線が鳴っている店というのを目指した。周りは道路をはさんで住宅とビルで密集している。ほんと20年前はこんなのじゃあなかったと思いながら、三人でてくてくと歩いた。時間が早いこともあり、まだ日差しがあるので夕食という感じではないが、ほかに行くところもないのでぶらぶらとしているわけだ。三線の音がしているが、どうもそば屋という雰囲気ではない。よく見ると夜は居酒屋になるようだ。娘は、ここは絶対いやだと言っている。

で、しかたなく、もと来た道をまたてくてくと歩き出した。ホテルに帰るまでの道すがらに田舎のスーパーと食堂が隣接していた。もうなんでもいい、この食堂に入ろうということにした。メニューはそばと丼ものしかないが、「ソーキそば」を三人とも注文した。沖縄そばに豚のスペアリブの煮込みが乗っかっているものだ。生ビールも付けてもらった。このビール、沖縄ではほとんどこれ一本という「オリオン・ビール」だ。本土のようにビール会社が乱立していない。買うのも簡単だろう、迷うことがないのだから。
味のほうはどうかというと、なかなかいけるし、きつさがあまりない。スッと飲める感じだ。じつは帰りの空港ロビーで、この「オリオン・ビール」を6本買った。家で飲むビールは、この「オリオン・ビール」を沖縄から送ってもらおうと思ったほどだ。
壁に貼られているメニューの中に、「島らっきょう」というのがあった。これは事前の調査によると、ちょっと細めのらっきょうだが、生で食するのである。ちょっと悩んだが、やっぱりやめにした。おそらく強烈な匂いが抜けないに違いないからだ。ほどなく「ソーキそば」はやってきた。泡盛に島とうがらしを漬け込んだ調味料を垂らしてつるつるっとかきこんだ。こういう田舎の食堂が本来のそばの味かもしれないと変に理由をつけて満足したものだ。それにしても沖縄そばと「オリオン・ビール」はよく合う。とろけるような豚のソーキが一段と全体の味を引き上げているようだ。

食べ終わると、となりの田舎スーパーに入っていった。どこにでもある田舎の店である。かえってこういう場所のほうが土地独特の品揃えになっていて見ていてもおもしろい。沖縄そばのカップ麺があったので種類を変えて3個買い物かごに入れた。調味料も沖縄にしかないものがいっぱいだ。Mみさんからリクエストがあった黒糖は、ここでは一袋100円から高くても300円である。見てくれはよくないが、食べるだけならこれで十分だと思った。これもひとつふたつ放り込んだ。妻と娘は、なにやら夜こそこそと食べるものを買っているようだ。パイナップルは特産だけあって新鮮でとっても甘そうだが、今日買うにはちょっと早いので匂いだけでがまんすることにした。

こうして夜食も調達して、とことことホテルまで歩いて帰っていったわけである。



2004年09月06日(月) 沖縄その33

「パイナップル・パーク」は本部半島にあるが、ここから那覇方面まではかなりの距離がある。高速道路を利用しても2時間近くかかるだろう。ということはこれから回るポイントは1、2箇所に絞られる。
今回行こうと決めていた場所は「東南植物園」。思い出の場所だ。これもカーナビにインプットすると難なく到着することができた。

やはりここも人は少ない。園内には電気自動車が走っているが、歩いていくことにした。日陰を選びながら、そして適当に休めがいいのだから。大型サイズの「ハイビスカス」もこの暑さでは元気がない。暇をもてあましているファーストフード店でかき氷を食べながら、今日、この後の予定を相談した。
妻は他にもたくさん行きたいところがあるようだが、どうも時間が中途半端なので今から移動するとなるとほんとうに中途半端になってしまう。結局、この後はホテルに直行することにした。

ホテルがある場所は首里。その昔、琉球王朝が栄えていたころのお城があるところだ。そしてその昔、妻といっしょに泊まったのがここ「ホテル日航那覇」である。しかし、どうも雰囲気が違うのだ。もっと小高い丘にそびえ立っていた様子が脳裏に焼き付いている。高速道路を降りて街中を愛車「ニッサン・キューブ」で駆けてきたわけだが、周りの景色が一変しているようでやはり違うホテルだったのかなと思ってしまった。こんなに家々がつんではいなかった。今はほんの近くまでいかないとホテルのありかがわからない。それぐらい周りに高いビルや家が立ち込んできているのだ。20年の歳月に驚きながらも妻と思い出話にひたった。

たしか部屋からプールが見えたはずだと思いながら、到着した早々、外を眺めてみた。たしかに窓の外には野外プールがある。ホテルの庭に当時のままあるにはあるのだが、どうもせせこましい感じがしてならない。おそらくその時はふたりとも浮かれ気分だったので、見えるものすべてがバラ色だったんだろう、とお互い見合ったわけである。

さあて、今日の夕食は何にするか、それが問題だ。三人でああでもないこうでもないとやったが、結論は出ない。ではとガイドブックをたよりに歩いて近くの料理屋に向かうことにした。



2004年09月05日(日) 沖縄その32

パイナップル食べ放題があったあった。一口大に切ってお皿に山盛りにしている。そばにはつまようじ。お、これはスーパーの試食コーナーといっしょだ。たいていの人は2、3口食べると行ってしまうが、ここはしっかり食べないと沖縄に来た意味がない。つまようじでつつきながら親子三人してがつがつとやった。

別にみやげものを買いに来たわけではないのだが、かといって帰ってから何もないではさみしい。結局ほとんどのみやげをここで買い込むことになった。まとめて買ったほうが送料も一回分で間に合うし、これからあれやこれや品定めに悩むのもこりごりだ。
パインのワインかワインのパインかしらないが、2本買った。特においしいとは思わなかったが、めずらしさも手伝ってみやげにはいいかもしれない。
それにパイン・チョコレート。これはホワイト・チョコだ。これもめずらしさだけだが、なんでもいい、沖縄の雰囲気が出ればそれで十分だ。

こうして大きな袋に満載してレジに持っていき、送ってもらうことにした。
なんだか肩の荷が下りた感じだ。どうも旅行に行くとみやげという習慣が抜けきれないので、これを済ませないと何かつっかえているようで気分がすっきりしない。

こうして身軽になると次なる場所に向け出発した。
〜つづく〜



2004年09月04日(土) 沖縄その31

見学が終わると出口の部屋はおみやげ、グッズのコーナーになっている。ここでひとしきり検討した後、やっと外に出ることができた。強烈な日差しは一段と強くなっているが、それにもめげずイルカのコーナーに行くことにした。もうすでにショーは終わりかけていたが、間近で見ることができたのでよしとしよう。
それにしても園内は広大だが、全部を見て回るなど到底できない。そこで駐車場まで回り道をして散策することにした。と歩き出したのだが、やはりこの日差しには身体がついていかない。けっきょく近道を探して一目散に愛車「ニッサン・キューブ」にたどりついた。ほっと一息つくと次なる場所に向けて出発だ。コースはわかっている。来る途中で確認している「パイナップル・パーク」にはどうしても行かなければならない。初日にレンタカー「ジャパレン」で購入したクーポン券が使えるし、パイナップル食べ放題とパンフレットに書いてあったからだ。

「パイナップル・パーク」に到着する手前に○○植物園の看板が見えたが、テーマパーク追っかけの妻の指示で進路をとった。道路を横切って駐車場につけたが車が1台しか止まっていないし、どうも雰囲気がさびれた感じだ。パンフレットの写真とどうも違っている。3人で伺いながら中に入っていくとやはりさびれている。店員さんはいるのだが活気はないし、とりあえずクーポン券を見せて園内に入っていったが、植物の手入れもできていないようだ。ぶつぶついいながらも散策をすすめていった。一通り回って帰ってくると、饅頭製造の部屋が目に入ったが、中を見ると機械類はそのままあるし、袋に入った小麦粉も置かれている。なんだか夜逃げしたような雰囲気がただよってくる。当然みやげ物店では何も買わなかった。外に出るとどういうわけか観光バスが止まっており、少人数だが団体さんが入っていこうとしていた。おそらくコースに入れられているのだろう。無理やり。

早々に出発するとすぐに目的地「パイナップル・パーク」に到着した。またまた例の三角型をした沖縄帽子の誘導おじさんがいるではないか。そしてアロハ・シャツが似合っている。しかしそれにしてもこの帽子だけはまともに郷土色をかもし出している。おそらくここでは、本土に使っている「百姓麦わら帽子」は似合わないだろう。
ここもクーポン券が使えるので大蔵省は大変に助かっているはずだ。買っておいてよかった。ここは無人電気自動車が園内を案内してくれる。これだけは別途費用が必要だったが、けっこう広い園内を歩いてなんか考えられない。乗車時には、記念写真を撮ってくれるのだが、欲しい人は高いお金を払って買うことになる。
なかなかこの電気自動車、快適だ。ガイド放送も付いていて、説明があるのでよくわかる。おそらく歩いていたのではなにもわからないだろうし、また歩いている人もいない。徒歩1時間なんだから。

こうして園内散策が終わるとお決まりのおみやげ店に入ることになる。
〜つづく〜





2004年09月02日(木) 沖縄その30

私は事前にガイドブックの地図を見ていたので、海岸線をずっと走っていればそのまま現地到着になると思っていたのだが、名護市に入るところでカーナビは思っていたのとは違う方向に行くよう指示している。車はそのまま走らせているのでどちらにするか決断をしなければいけない。ああー、と言いながらまっすぐ走らせると後ろからクレームがついた。「機械の言うとおりにしなさいよ。逆らうと、どうせろくなことはないんだから。」「そうだ、そうだ。」

さっそく引き返してカーナビの言うとおりの山側の道をたどった。すると大きな標識がいたるところに海洋公園の方面も示していた。そうか、海岸線は距離的には近いが、こちらの山側のほうも幹線道路になっていてスムーズに流れるのだろう。途中には予定している「パイナップル園」があり、他にも何ヶ所かテーマパークのようなものがある。帰りもここを通ることにしたのはいうまでもない。
市内は道路がいろいろと交差しているので、地図だけではおそらく迷ってしまうだろう。大きな交差点には標識があるのだが、途中、途中でも迷いやすいヶ所は多いので地図などで確認しながら走っていたのでは、ロス時間もばかにならない。

こうしてカーナビに誘導されながらスムーズに海洋公園に到着した。駐車場に愛車「ニッサン・キューブ」を止め、外に出るとすでに強烈な日差しが待っていた。どういうことか今回の旅行で私だけ帽子を持ってこなかった。というか妻が入れ忘れたのだと思うが。耐え切れずハンカチを頭に乗せると即座に声がかかった。「お父さんやめてよ!恥ずかしいわ。」
やはりあの三角形をした沖縄帽を買っておくべきだった。いや、ますます嫌がられるに違いないか。

この海洋公園の水族館は「世界初」が目白押しとかいうことなので期待して入っていった。夏休み最初の日曜日ということもあって家族連れが多い。満員状態ではないが、それでも朝からにしてはたくさんの人だ。どうしても最初のコーナーでは渋滞が起きてしまう。内容的に大したものではないのだが、人間の心理か、見逃してはならぬという意気込みで見てしまうのだ。最後のほうは疲れていいかげんになるのに。

水槽の大きさ、全体のスケール等世界に誇るだけあって見ごたえは十分にある。ダイビング・クラブ「Nagi」のインストラクターが言った言葉はウソではなかった。
人の流れに身をまかせ、ぞろぞろと後をついていくと今どこらあたりにいるのかわからなくなってしまう。別にどこにいようがかまわないのだが、それではおもしろくない。館内のガイドブックで確認しながら、ポイントポイントをチェックして海洋のしくみを勉強してみた。なんでもそうだが、やみくもに並べ立てていることはない。ちゃんとストーリーを考えているはずだ。
それにしても水槽のスケールは世界に誇れるだけあって圧倒される。館内は1階から4階まであるのだが、館内全体を水槽が貫いている。巨大なサメが悠々と泳ぐことができるわけだ。水槽内のメンテナンスはダイバーがサメたちといっしょに泳ぎながらの作業になる。もうこうなると人間も魚もいっしょだ。
〜つづく〜



2004年09月01日(水) 沖縄その29

ふたりはあいかわらず読みふけっているが、とりあえず、温泉「山田SPA」につかってこなければいけない。きのうは打合せ不足で、出たとき入れ違いになり無駄な時間を過ごしてしまった。きょうはそんなことがないよう、待つ場所を決めておいた。
温泉旅館ほどの豪勢なものではないが、それでもサウナはある。沖縄で温泉とはちょっと不釣合いかもしれないが、温泉付きのホテルはめずらしくこういうホテルを探すのがむずかしいくらいだ。
ゆったり気分になって出ると、待合室のソファーにすわって二人を待った。きのうはしびれを切らしていらいらしたのだが、今度は申し合わせておいたのだから大丈夫だろう。しかし待てど暮らせど出てこない。そのうち娘が迎えにきた。どういうことだ。二人はそんな打合せなんかしていないと言う。くそ、やられた、いつもこうだ。まあいいか。

朝、目がさめるとさっそく朝食に行くことにした。やはり一番乗りがいいものだ。例によって朝食もバイキングなのだが、昨日のオムレツのコーナーはスクランブルエッグに変わっていた。きのうは順番に取っていったため種類が多いパンを十分に食することができなかったので、きょうは単純に反対から回っていくことにした。
朝食をここまで時間をかけてたっぷりとってしまうと、昼食は簡単にすませることができるだろう。おそらく身体がそんなに受けつけなくなってしまうようだ。昨日はダイビングということもあったが、店が用意してくれた弁当を半分ほどしか食べることができなかった。こういう食事に慣れてしまうと肥満の道をまっしぐらということになるに違いない。

朝食を堪能すると部屋に戻って出発の確認だ。一応、夜のうちに荷物の準備はしているので忘れ物などの確認をすればOKだ。こういうことは妻が一切を引き受けてくれている。どこに何を入れているかは妻に聞かないとわからないわけだ。
増えた荷物としておみやげは当然だが、JALのお客様用として渡されたタオル、スリッパ、それに手提げ袋がある。けっきょくタオルは持っていこうということになったが、出る間際に「やっぱりあの手提げ袋、役にたつと思う。」とふたたび部屋に戻って取り返してきた。抜かりがないのである。

一同、荷物を持ってホテル玄関に鎮座している白のクラシック・カーを横目で見ながら出口で待っているボーイから車のキーを受け取ると、向かいの駐車場に向かった。そして愛車「ニッサン・キューブ」に荷物を積み込むと一路海洋公園に向け出発だ。
ガイドブックでは国道を走るように書いているが、そんな悠長なことはしていれない。少しの区間ではあるが高速道路を利用することにする。これで時間短縮がはかれる。大きなテーマパークになると道路標識があるので、地図とかカーナビにたよらなくても自然に目的地に行くことができるようになっている。そうはいってもルートはひとつだけではないので、ポイントポイントで判断をしなければいけなくなるが、さっそくそういう事態がおとずれた。
〜つづく〜


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