| 2004年04月30日(金) |
ゴールデン・ウィーク |
ゴールデンウィーク突入だが、日々急がしさに追われていると、どうも気ばかりあせってゆったりと休日をなどとは言っておれない状態だ。
岡山では毎年GWに「世界の蘭展」が開催されるが、今年はどうなんだろう。何回か言ったことがあるが、世界のというだけあって珍しい品種のオンパレードだ。 たしかに見ごたえはある。ただ室内なので、花本来の燦燦とした太陽の光の下での美しさは見られない。逆にいろいろと凝らした照明の中での美しさを楽しむものかもしれない。
そういえば、滋賀県のMさんはこのGW、きっと写真撮影でお出かけの毎日になるのだろう。ホームページが楽しみだ。 じつはちょっとしたファンがいる・・・。Mみさんだ。アップロードした「滋賀県のMさん」のアルバムから気に入った写真をダウンロードして、写真タイプ印画紙にプリントアウトして楽しんでいるという。まあ、こういう人もいるだろう。 PC音痴の恵さんだが、ご主人に頼んで作ってもらっているそうだ。
しかし、今年のGWも人が多いのだろう。近くの土手を散策するのが一番だ。
きょうはハワイアン。
フラダンス教室の発表会なのだが、四国は高松からも参加されての盛大な催しとなった。会場となった西大寺ふれあいセンター大ホールには多くのお客さんが来られた。 参加者イコール観客なのかなと思っていたのだが、いやいや、予想ははずれた。基本的には公民館の教室が主体なのだろうが、若い娘さんといったらよいのか、そういう人たちも多く参加されていたので、フラダンスも定着してきたようだ。

合計3バンドが伴奏を受け持ったのであるが、我がバンドは、いつもながら練習不足がたたっていまいちである。Hさんのバンドは少数ながらベテランの風格で余裕たっぷりの演奏を聴かせた。 Hさんはしゃべりのうまさで進行役も担当されたが、やはり進行の如何でお客さんを飽きさせるかどうかが決まるようでもある。それにはやはり知識と教養がなければいけない。
じつは今回の音響は自前のPA装置でやりくりするつもりだった。しかし、けっきょくTさんに無理をお願いすることにした。Tさんにはいつもおんぶにだっこだが、もし自前のPAだったら大変なことになっていたかもしれない。 バンドのマイク数など予定外のことが本番直前になって立て続けに出てきたのである。そこは余裕の機材で臨機応変に対応してもらったのでほんとうに助かった。 こういう人がいるからこそ、世の中うまくいくのかもしれない。それもボランティアで。
フラのE美子さんから「夏もいそがしいよ」と・・・。
息子が「かなり熱い」といってハイになっている。
デルからパソコンが届いたのであるが、高機能グラフィック・カード、テレビキャプチャ・カードが付いているのでゲームにはいいし、テレビも見ることができる。熱くなるのも当然だろう。

私は中身を見たかったので、嫌がるのを無理やりケースを開けてみた。横に寝かせて両側のデザインされたボタンを押しながら上に引っ張ると、ぱかんと扉をあけるように開く仕組みになっている。昔のように「ねじ」などないのである。 とてもすっきりしている。少し前に作った自作パソコンに比べると、やはりメーカー製というだけあって洗練されている。CPUの冷却ダクトは完全に密閉されていて強制冷却が徹底しているようだ。ケースがヒンジできれいに開くのでメンテナンスはとても楽になっている。 娘のインターネット用パソコンになろうとしている以前のデル・パソコンもその当時は気に入っていたのだが、今となっては陳腐化の姿をさらしてしまっている。
ちょっとくやしいのは、テレビをすぐに見ることができるのだ。チャンネルも最初からセットされているし、アイコンをクリックするだけで映像が出てくる。それに比べ、私の自作パソコンはテレビキャプチャー・カードは挿しているのだが、今だ設定ができていないのである。どうも初心者にはこういう設定は敷居が高すぎる。満足な説明書もないのだから、ちょっと合間にというわけにいかないのだ。
普段ほとんどテレビを見ることはないのだが、スペシャル番組などで永久保存しておきたいものに時々お目にかかることがある。あわてて恵さんに電話してDVD録画を頼むのだが、そういうときに限って「主人がいないんです・・・。」とつれない返事となるのだ。そう、恵さんは誰にも負けない機械音痴?のご様子なのだ。ほんとうの音痴でないのが救いだが・・・。 こういう時、パソコンでちょちょっと録画できればいうことない。例のリモート・コントロールを使えば、外出先からでも録画予約ができるはずだ。たぶん。
ITの恩恵を享受しようと思えば、けっきょくは自分で勉強するしかないのがものの道理というものだろう。
かの携帯端末なる『シグマリオン3』は机の引出しに眠ったままだ。
しかしである。毎月きっちり引き落としされているではないか。それも最初の月は無料のはずだが、引かれていた。クレームをつける間もなく、そして使用することもなく月日が過ぎている。 解約すればいいのだが、じつは『シグマリオン3』を購入したのはわけがある。外から家のパソコンを操ることができるのだが、それがどうしてもやりたくて無駄の極地のようなことをしているのである。
先日もブロードバンド・ルーターなるものをインターネットで購入したのだが、大きな箱がきてびくびくしていたが、妻の寛大な心遣いで気づかないふりをしてもらったようだ。この機器も箱からだしてパソコンのそばに置いただけになっている。設定方法がわからないのだ。
今回やろうとしている仮想LAN接続(VPN)なるもの、かなり敷居が高い。やたら専門用語が出てきて、まずそこから取り組まなければいけない。あれから参考書などをいろいろと買いこんではいるが、いっこうにらちがあかない状態が続いているのだ。 そうこうしているうちに息子のDELLパソコンが到着した。これはこれで部屋まで配線をしなければインターネットにつなぐことができない。配線といっても壁に穴をあけたりとかなり大掛かりな工事になりそうである。それとブロードバンド・ルーターの接続も必要だ。
ここまでくるとあわてても仕方がない。じっくりと腰をすえて勉強していくのがけっきょくは近道になるのだろう。
まだ「筍」三昧が続いている。
というか春野菜で埋め尽くされているといったほうがいいかもしれない。さすがに今日ともなると「筍」はメインではなくなってきたが、味噌汁には先端部のひらひら状の柔らかい部分が入っている。
きのうの夜は「天ぷら」だったが、内容はこうだ。かぼちゃ、さつまいも、えんどう、れんこん、アスパラ(これは最近植えたもので、まだまだ細いが初物だ)、それに「筍」。なんでも天ぷらにできる。そうそう、魚類はないのかと思いきや、最後に「ちくわ」の天ぷらが出てきた。おお、わずかではあるが魚肉が含まれているはずだ。
春であれば、ふきのとう、菜の花なども天ぷらの食材になるが、我が家ではあまり変わったものを賞味しようとしないのである。しかし、ふきのとうは一度食べてみたいもののひとつだ。「ふき」は今食卓に乗っている。ただ醤油で煮ているだけだがこれも春のものである。おそらくふきのとうが大きくなってふきになるのだと思うが、まさかふきのとうを探して採ろうとまでは思わない。
以前に娘と百間川の土手で、「つくし」をたくさん採ったことがある。いちおう佃煮のようにしていたと思うが、それ以来この時期になっても採りには行っていない。特別おいしかったら二度三度と足を運ぶのだろうが、どうもそうではないようだ。
まあこうして少なからず自然が残っているのが幸いである。
きょう、さっそく滋賀県のMさんから花の写真をインターネットにアップした案内が届いた。 きょうは全国的によい天気だったので、滋賀も写真には絶好の日和だったに違いない。なんといっても写真は光が命だろう。太陽の恵みをいっぱいに受けた花は、心を和ませてくれる。別に写真を見る目なんか必要ない。美しいものは誰が見ても美しいのだから。
Mさんのアルバムタイトルは「春爛漫パート2」。そういえば先月は桜がテーマだった。一年の中でほんの短い期間、ほんとうに爛漫と咲く桜は、日本人の心にひと時の和みを与えてくれる。 今回の「花たち」は、花そのものの美しさを見せてくれている。 この時期、チューリップなどがすんでこれといったものがない中で、クローズ・アップを駆使して今ある花をうまく演出している。
場所は大阪鶴見の緑地公園。向こうに見えるはオランダ風車ではないか。しかし、残念ながらチューリップのない風車は冴えない。どこか寂しげでもあるようだ。 『大阪鶴見緑地公園 こっちを見ている』はなんともユーモラスでかわいい。そう言われなければわからないところだった。
それにしても、カウンターがあがり続けているようだ。日記を書いている間に5カウンター上がったぞ。 この日記の効果は何カウンターになるかな?
http://www.imagegateway.net/a?i=L1pjcXV3po
2,3日この日記をアップしなかった。 恵さんからは何のお咎めもなかったのでまあいいかと思っていたのだが、そうは甘くはなかった。 先日、花の写真でこの日記でも紹介もさせていただいた滋賀県のMさんから近況報告がきたが、日記の話題とともに日にちが飛んだのもチェックされていた。まあ逆にこういう人達がいるから続くのかもしれない。
ところで話題を変えて、きのうの日記で載せた「筍」を使って岡山名物『祭りずし』を作った。といって私がするわけではないが。 この『祭りずし』、江戸時代のエピソードがある。 備前岡山の藩主池田光政候は、質素倹約を奨励し、「食膳は一汁一菜とする」というお触れを出したそうな。そこで考え出されたのがこの『祭りずし』というわけだ。「すし」なら上に具をたくさん乗せても一菜なのだから。
我が家の『祭りずし』は自慢ではないがおいしい。写真で恐縮だが、香りだけでも楽しんでほしい・・・。

しかし、それにしてもあの「筍」、特別に大きいだけあって、あれから毎日「筍」ずくしとなっている・・・。
春うららの陽気から、日中は初夏を思わせるような暑さを感じる日々に変化してきた。
この時期独特の食材として「筍」がある。じつは先日この「筍」をもらった。竹林があればそこかしこで採れるらしい。本場は京都のようだが、めちゃくちゃ高いし、採れたてを食べるわけにもいかない。地元のものであれば、種類は何であれ新しいのをいただくことができる。
この「筍」、かなりサイズが大きいので、市場にはあまり出ないだろう。みてくれが悪いのでだれも買わないからだ。ほんとうは違うのだが。 直径は15センチ近くあろうかと思うほど存在感にあふれている。しかし意外なことに食べてみると柔らかいのだ。歯ごたえも適度にあってほんとうにおいしい。旬のものは採れたてを食べるに限る。
家族と話題になったとき、娘がおもしろいことを言う。「筍」に節があると思っていなかったのである。「いも」のように中まで詰まっていると思っていたのだ。そういえば調理された「筍」を買ってくれば中の構造まではわかるまい。ちょっとした社会勉強になったのである。

息子はこの「筍」を食べようとしない。おそらく独特のえぐみがあるからだろう。妻とのやりとりが愉快だ。 「一枚でいいから食べなさい。」「いらん」「そう、じゃあ半分でいいわ。ビデオ・テープあげるから」「・・・」「一口でも食べなさい。もうあげないよ」
娘は何でも食べるようだ。そこで記念に娘と内部構造がわかる「筍」をデジカメでパシャリ。妻はあきれかえっていた・・・。
中林淳眞先生とご子息の中林仲哉先生のコンサートが、「夢二郷土美術館」で開催された。
「夢二郷土美術館」は竹久夢二の作品を展示したこじんまりとした美術館であるが、旭川をはさんで後楽園と向かいあい風光明媚な場所に位置している。 作品はほとんどが掛け軸になったものだが、色紙などに描かれた小品もある。まあ、後楽園を訪れた観光客が足を止めるにはちょうどいい作品の量かもしれない。こういうのは重たすぎても疲れるだけでよくないのだから。
先生のコンサートは毎年開催されているようだが、今回はじめて行った。平日ということもあって、お客はご婦人、ご年配の方が中心であった。NHKをはじめ数社のテレビ局が取材に来ていたが、放映は一瞬なんだろう。 じつは恵さんがテレビを見ていて、電話をくれたのだが・・・。時すでに遅し。
じつはこのコンサート、先生から「ぜひ仲哉の演奏を聴いておいたほうがいいよ。」とすすめられていたのだ。
第一部は淳眞先生のオリジナルを5曲。続いて二重奏として日本の曲を演奏。これには竹久夢二にちなんだ曲も入った。『宵待草』など。 第二部は仲哉先生のステージだ。じつははじめて演奏を聴くので興味深々であった。予想にたがわず高度な演奏を披露してくれた。速いパッセージなんかも正確無比で、聴衆を惹きつける演奏であった。最後に演奏した『アルハンブラの思い出』はトレモロの粒がピタッと揃っていたので、おお、これこれとうなってしまった。
このお二人、とても対照的な演奏スタイルだ。淳眞先生は音が太く、とにかく遠くまで届くし、演奏技術というよりも音楽そのものを前面に打ち出していく感じである。少々ノイズが出ようがおかまいなしで、長年の音楽生活(それもギターだけに限らず多岐にわたる作曲も含めた)からにじみ出る風格で聴くものを圧倒させる雰囲気がある。
それに比べ、仲哉先生はとても繊細である。音がとても柔らかいし、運指、タッチにも神経を使っておられる。チューニングひとつとっても完璧になるまで気を抜かない。 全神経を集中しているのがよくわかる。 こういう演奏を目指したいものである。
今や年一度の開催となってしまった『コパン・ドゥ・サクソ(上田啓二門下生サクソフォン発表会)』であるが、毎年のごとく日程調整で難航している。
といって私がするわけではないのだが、先生の日程確認作業は並大抵ではないだろう。それは各大学、一般と多岐にわたるため各担当者に当たるだけで時間がすぎてしまう。それをみんなの都合と会場の空きとを照らし合わせて最終的に決定するわけだから、こういう段取り調整をやったことのある人だったら容易に大変さが想像できると思う。
まあ、私は日にちが決まったら鴨方の地元のSさんに「よろしく頼むよ。」と電話するだけなのだが。あとはプログラム作りと弁当の注文などの事務的な作業だけだ。
今回でこの発表会も 回になる。年2回のペースで開催していたのだが、大学が数校あるため日程がかみあわず、春一回になってきた。それでも日程調整に難航しているのが現状である。 しかし、かといって中止するわけにはいかない。唯一の発表機会なのだから。
『コパン・ドゥ・サクソ』は守備範囲が広い。学校でいえば広島から徳島までであるが、門下生は山口から大阪、はたまた東京から参加したメンバーまでいるのだ。 まだ世界に羽ばたいたメンバーはいないが、そのうち活躍してくれる逸材が輩出することを期待している。
今は日程調整がスムーズにいくことを願うだけである。
近くに操山という丘陵地がある。
ここには里山もあり、今では週末ともなれば家族連れでにぎわう憩いの場所ともなっている。里山ができる以前からもハイキング・コースとしてよく知られていた。
けさの新聞にちょっとしたエピソードが書かれていた。 操山を西に抜けると、市民グランドがあるのだがちょっとした公園になっている。ここにおもしろい立て札を見つけたとある。 「ここは公園のため、犬のフンの処理ができぬ人は利用しないこと。」ここまではとりたてて変わったところはないが、その後を見て笑ってしまった。 『代官 皆我見照門』。なかなかユニークで合格といったところか。こうして昔の人は、みんなが見ているからと何事にも気をつけてきた。 しかし、今の時代、見ていようがいまいがお構いなしだ。別に見られているから悪いことはしないということではないが、こうして小さい時から教えられてきたものだ。
これからも憩いの場は増えてくるだろうが、どうもマナーがついていっていないようである。
新聞に、オペラを通して声に関する記述があった。
自分の周りでぼそぼそとする声、遠くまで響く声、相手に威圧感を与える声、冷たい声、暖かい声、やさしい声・・・。声は千差万別である。また声の「くせ」はその人の人生の「くせ」であるとも言う。
ここでは「声は楽器である」とも言われている。 逆に楽器は声の代わりなのだろうか。そうかもしれない。実際、同じ楽器でも上手下手を抜きにしても、その人の音になってしまうところがある。
声は声帯の振動で発せられるため、ある意味で生まれながらにして大きい声、小さい声は決まってしまっているかもしれない。がらがら声の人が美声を求めようとしても無理だろう。それでも「声は楽器」なので、訓練すれば当然いい声に近づくに違いない。
歌になってくると訓練がますます重要になってくるだろう。重要な要素にヴィブラートがあるが、声楽ではこれのかけ方などはあまり教えないようである。自然にかかってくるとか。楽器でも同じくヴィブラートは大切である。サックスなんかヴィブラートがかかっていなければ魅力が半減してしまう。チェロの「白鳥」が一本調子だったら聴くに値しないと思う。 サックスのヴィブラートでは苦労した経験があるが(今でも苦労している)、歌と同じで思いを込めようとすると自然にヴィブラートをかけたくなる。後は技術の問題だけだ。 恵さん、がんばって・・・
声にしても楽器にしても、けっきょくこちらの思いがどうかだろう。人生、暖かい声、やさしい声で生きたいものである。
滋賀県のMさんから写真をインターネット上のアルバムにアップしたとの連絡が入った。
http://www.imagegateway.net/a?i=4mLmZbSEJ4
写真を撮った都度、メールで送ってくれていたのだが、これは結構手間なのだ。そこで各メーカーがこぞって企画しているインターネットの写真アルバムを利用している。
じつは私もソニーの「イメージ・ステーション」というインターネットの電子アルバムを使っていた。といっても三つほどしかアップしていないのだが。ところが最近になって、今までの利用規約を改正して新しくやりかえるという。有料になるのだ。無料のシステムもあるのだが、大幅に制限がかかってくる。で新システムに移行しなければ5月にアップしていた画像はすべて削除されてしまうのだ。もし手元に元画像がなければダウンロードしておかないと画像が失われてしまう。
先日この「イメージ・ステーション」から写真を注文してみたが、出来は問題なくよかったが、費用的にはちょっとお高い。送料が入る分高くなるのは仕方ないが、写真自体、今となっては町の写真屋さんと比べてメリットはあまりない。インターネットから手軽に注文できるということくらいか。
Mさんのアルバムだが、こちらはキャノンの「イメージ・ゲートウェイ」を利用している。さっそくどんなシステムかチェックしたのだが、これ、キャノンのユーザーでなければ利用できないのだ。それも銀塩カメラではだめで、デジタル・カメラを買っていなければいけない。目的からいえばあたりまえかもしれないが、そこまで規制をかけなくてもと思ってしまう。
Mさんの写真は『花』がテーマになっている。題して「春爛漫」。この日記でもちょっとご紹介申し上げた、あのしだれ桜が堂々とした風格で表紙を飾っている。ずっと追っていくと例の桜の後に、赤や黄色のみごとな花たちが「春爛漫」を謳歌しているではないか。やはり春は花の季節なんだと改めて認識させられてしまうようなアルバムである。
誰しも人物写真などで、バックがきれいにぼけて人物がくっきりと浮かび上がっているのを見て、プロの写真だと感じるだろう。じつはこれ、望遠レンズで撮るとこうなるというのをMさんから教わった。昨年購入した一眼カメラで望遠レンズを使って試してみた。おお!これこれと悦に入ったものである。まあコンパクト・デジカメでは無理なのだが・・・。
早くも次のアルバムを楽しみにしている。
おととい息子の入学式に出席した。
卒業式、入学式は私の役目になってしまった。それはいいのだが、入学式の内容で何点かコメントできることがあった。
まあ、入学式なので特に変わったことはないのだが、いい傾向として(他のところは知らないが)、むやみにだらだらと祝辞が続くといったことがなくなり、簡潔な式典になっていた。来賓は50人以上もいたが、代表二人の祝辞のみで、後は紹介もなく名前のプリントで済んでいた。祝電も一通の紹介のみ。
こういうのは儀式なので、基本さえ入っていれば簡略していいと思う。時代に則して変化していくものだろう。
最後に校歌の紹介があり、ここでコーラス・グループがステージに登場した。女子学生3名、男子学生7名の10名によるグループである。 2曲を披露したが、学園グループ全体の学園歌、それに息子が入った学校の校歌である。学園歌は特にこれといった特徴はなかったが、いい歌であった。次に歌った校歌はちょっとひねられていた。素人では歌うのがむずかしいほどメロディーが変化する。それにリズム的にも静・動が織り成しているようだ。 作曲者を見て、おう!と思った。作曲「灰田有紀彦」となっているではないか。あの『鈴懸の径』の作曲者である。ひねっているのは途中にマイナー調を入れたり、最後の2小節ではテンポよく始まる感じでストンと終わるといった、ちょっと意表をついたところだ。それに、ピアノ伴奏で32分の連譜を感じよく入れている。おしゃれで粋でもある。
これだけではない。このコーラス・グループ、「クリスタル・コール」とか言っていたと思うが、出来がすばらしく良いのだ。中でも女子学生の歌声は伸びがあり、それでいて抜群の音程なのでユニゾンがとてもすがすがしい。別にハーモニーを構成しているわけでもないのだが、久しぶりに気持ちよくコーラスを聴くことができたという思いがした。式の最後にこういう演出をしてくれるとはうれしいではないか。
もうひとつ私にとって「おまけ」がついた。ピアノ伴奏の紹介があったのだが、えっ!とびっくりした。紹介があったT先生には以前、サックスのピアノ伴奏をしてもらったことがあるのだ。ピアノ伴奏もよかったし、コーラスもすがすがしい。やはり、こうした生の演奏には勝てないのである。
こうして思わぬところで思わぬ人に出会うということはよくある。なんと不思議な人間世界なんだろうと思ってしまう出来事だった・・・。
庭に植えているぶどうの棚を拡張しようと思いながら時は過ぎていく。
もうそろそろ芽吹いてきそうだ。裏の畑を見ると、すでに柿の木からは小さな芽がのぞいている。昨年はたくさんの柿をつけたが、一年おきに実をつけるのが柿の習性なようで、ということは今年は少ないのだろう。ふと考えたが、そうならば植える年を違えておけばよかったのだ。
すぐそばでは桃の老木が花を満開にさせている。この桃の木、もう30年近く経つのではないかと思うが、手入れ不足、予防不足でずたずたになりながらも、毎年美しい花をつけ、たわわに成った桃の芳醇な香りを楽しませてくれる。

桃の花は桜に比べてあざやかなピンクだ。岡山は桃の産地だが、その地域に行くとおそらくあたり一面がピンクに彩られているのだろう。そういう光景を見ると春なんだと誰しも感じるにちがいない。都会では味わえないのどかな田園風景に、岡山に育ってよかったと幸せを満喫するひと時だろう。
それにしても我が家のぶどう棚の工事を早く進めなければ、今年もジャングル棚になってしまう。昨年は防除をしなかったので病気にやられてしまったが、今年こそはと今のうちだけ思っている。
長いあいだ吹奏楽の指導でお世話になっていたU先生から、所属している吹奏楽団の第20回定期演奏会の「招待状」が届いた。
この楽団、県下でも有数の名門で、多くのプロ奏者を輩出している。特に今回のプログラムを見ると、ゲストとして地元出身の奏者を招聘している。 題して記念企画『郷土が生んだ音楽家たち』。 ゲスト紹介にくわしく記されている。トランペットの寺嶋昌夫氏、そしてクラリネットの近藤悟史氏、さらに今回の委嘱作品を作曲した田中久美子氏。いずれも郷土輩出の第一線で活躍している音楽家である。写真を見る限りみなさんお若いようだ。
郷土の自慢・誇りはいろいろあろうが、建物を作り環境を整備するということもひとつではある。しかし、最後は中身がどうかであろう。どうも最近、空洞化しているような気がしないでもない。いかに優れた人材を輩出することができるか。 今回の演奏会はそういった意味からもほんとうに喜ばしい企画になっていると思った。
しかししかし、そんな期待わくわくの演奏会に行くことができないのだ。 手を広げすぎた「つけ」がきた。この日はハワイアンの演奏がある。フラダンス教室の発表会があるのだ。これをキャンセルするわけにはいかない。
このことは妻には伏せておこう。それみなさい!となるのは必至だから・・・。
ふと思ったのだが、というよりはずっと気にはしていたのだが、このコパン・ホームページを開設してからもうかれこれ1年が経とうとしている。 トップページの更新が1月以来できていない。ちょっとなにか書き込めばいいのだろうが、どうも話題に事欠くのである。ということは裏返せば、活動ができていないということになるだろう。はっきり言って裾野を広げすぎたため、それぞれにかける時間が少なくなってしまったのだ。
わがサクソフォン・カルテットもここにきてやっと活動を再開しようかという気になったのだが、それもコパン発表会が控えてのことだ。6月6日にほぼ決まりそうだが、2ヶ月で仕上げなくてはいけなくなった。それもカルテットなのでかなり大変なことになりそうである。いや、カルテットはずっと休止状態だったので、また一からやり直すほどのパワーが必要だ。
そう思いながら楽譜を取り出し内容を吟味してみた。昔やったことのあるものばかりだが、長い時を経るとまた新鮮に映ってくる。音源のあるものは聴いてみたが、こちらの捉え方が変わったのだろうか、やさしいかむずかしいかというよりは、いい曲か、いい編曲なのかという聴き方になった。
2巻構成になっている「カーペンターズ&ビートルズセレクション」は8曲あるのだが、どの曲も一部むずかしい箇所がある。これでは基準がやさしいかむずかしいかになってしまうのだが、いままでの経験からむずかしいものを一生懸命やるのは練習ということでいえばいいのだが、人前で演奏するにはやはり1ランク落としたほうがいいだろう。
そう考えていくと、どうも曲がなくなってしまう。それなりの編曲をしていないとぜんぜんおもしろくないし、かといって指がぐるぐるまわるのは苦手だ。
まあ、車を買う前のカタログを見るときが一番楽しいように、選曲するひと時がまた至福のひとときかもしれない。
ちょっと次のデッサンに入った。
といってもテキストの通りに描いているだけだが・・・。 これは「水彩風景画のプロセス」と題して8ページにわたっての描き方が指導されている。 最初はおおまかなデッサンに始まるのだが、どうもこまかいところを描きすぎてしまうのだ。
音楽でもそうだが、全体像をつかむためにアナリーゼをする。そして音楽表現をすすめていくわけだが、絵でのデッサンは、そういうことになるのかもしれない。最初からこまかいフレーズにとらわれすぎてはいい音楽はできない。
まあ、とりあえずはこんなところだろう。

きょう、滋賀県のMさんから桜の写真が届いた。 なかなかお見事。やはり一眼レフ、いや腕の違いだろう。アングルもいい。Mさんによると、この時期、にわかカメラマンが多いようで、いいアングルを求めて場所取りが大変なよう。
まずは京都円山公園のしだれ桜。 老木のようだが、なんとも堂々とした風格に圧倒される。

京都醍醐寺のしだれ桜。

平安神宮の染井芳野。 朱色と淡いピンクのコントラストがすばらしい。あれ?電線が・・・。Mさんのこと、フォトショップで修正かな。

これは自宅近くの公園で撮影されたとのこと。 やはり染井芳野は心安らぐといったところか。
この『The CD Club』では音楽以外にも落語、小説の朗読などがある。
今月の裏表紙には「楊 名時のさわやか太極拳」というDVD2枚組が載っている。NHKによるものだ。ちょっとした宣伝にはこうある。 「・・・太極拳の基本は常に身体を柔らかく保ち、力まず、まろやかな円運動をすること。そのための立ち方・手と足の形・前進と後退、横歩き・呼吸の仕方といった基礎的なことから学ぶことができます。」と。
どうも最近、身体が鈍ってしかたがないのだ。原因ははっきりしている。そう、運動不足である。誰しも40を過ぎると、遅かれ早かれこうなっていくのだろうが、メンテナンスをすることで見違えるように変わってくることもある。
ギターの中林淳眞先生の奥様は「太極拳」の先生である。もうご自宅が道場になっている。ギターのレッスンはこの道場でやっている。レッスンでお邪魔すると、もうそこは中国4000年という雰囲気になってくる。先生の演奏会ポスターもたくさん貼られてはいるのだが、それよりも中国の漢字などが目に飛び込んでくる。香のかおりもするし。
先生、奥様ともかなりのお歳になられるのだが、奥様なんか小柄ではあるが、背筋がピシッと伸びてなんともさわやかである。老後のことを考えると、なんとしても太極拳に限らず、なにかこういう類を身に付けたいと思ってしまう。 妻にこの話をすると「そうねえ、私もやろうかしら・・・」といって太極拳の真似をしている。いや、かわいいもんだ。さっそく公民館の太極拳講座を調べてみると、時間がかみ合わない。やはり老後ということになるのか、おそらく手遅れであろう。
しかしなんといっても身体が資本である。健康体でなければ何をやってもおもしろくないのである。ちょっと足をくじいただけで生活に支障をきたしたし、予定のことができずリズムが狂ってしまった。貴重な人生の残り時間をこういう無駄なことで浪費したくないものである。やはり一生は最後まで突っ走りたいものだ。
あー、太極拳でもヨガでもいいけど、ストレッチしたいと身体が要求しているこの頃である。
桜が見頃になってきた。
会社までほんの数キロだが、途中何ヶ所か、桜を見ることができる。百間川沿いは車が多くなってきたが、ちょっとした桜の並木は、朝のあわただしさを忘れさせてくれるものだ。この百間川の土手道に沿って、ちょっとした憩いの場所として公園がある。そこにずらっと桜が植えられているのである。 すでに五部咲きを過ぎ、八部咲きといったところか。この土、日曜日は満開になりそうだ。
後楽園では「桜カーニバル」と称してお祭りが繰り広げられている。週末はクライマックスに達するだろう。後楽園の桜はみごとだ。ただ、桜と共に青い敷物も満開になるのには閉口する。せめてこういう時はブラウン系統とかグリーン色を選んでほしいものである。美的センスをもう少し高めてもらいたいと願いたくなる。
こうして桜の元では宴会が繰りひろげられるのだが、ちょっと喧騒をはずれると老若男女のカップルもあちこちで春の陽気に包まれているのだろう。いや、若かりし頃そうであったかどうかは記憶から消え去っているが。
とにかく桜にも種類が多い。けさのラジオで有料道路「ブルーライン」が無料になったと報じていたが、この道路、途中の景観がすばらしいことでも有名だ。日生(ひなせ)のあたりか、かなり高い位置に橋があるがここからの景色はみごとである。写真を撮れば絵になるシチュエーションを備えている。北は小さな島々、南は「牡蠣」のいかだがみごとに浮かんでいる。
ラジオでは、この景観とともに桜の話題になっていた。三波(さんば)桜というのが植えられているという。この桜、いわゆる冬桜で、秋と春の2回咲くようである。
家に桜を植えるのはよくないとかいうけど、どうなんだろうな。一本あってもいいような気もするが。
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