憂色透明
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2005年12月23日(金) 突拍子もない行動の裏を読もうとするなんて無駄なのか

「会社のやつとヤった後で生理が来なくて、あんなやつのガキなんて冗談じゃないよ」。この間友達が笑った。彼女が男とも遊びで寝るのは知っていたが、あからさまに言われるとなんと答えていいのかわからない。
その夜は特に酔っていた。ベッドの隣の布団に横になった私を、真っ赤な顔をして覗き込んでいる。酔っているのに、彼女の視線は鋭い。私は採集され、ピンで留められた昆虫みたいに、身動きがとれなくなった。
彼女の違う一面をはじめて見せつけられて、心底どぎまぎしていた。いつも私にこんな風に接しない。恋愛対象になる子にはこういう風に甘えるんだろうな、と知って、少しおかしな気分だった。
 
彼女の身体が隣のベッドから落ちてきて、闇が少し、よどんだ。そして私の身体の上に被さると、紅潮した唇から細い声がした。セックスしようよ。
ぐいと腕を引っ張られて、足を交差しながら向き合って座る形になった。乱暴な言い方だった。まるで男が女を説き伏せるような言葉遣いだな、と感じながらも、嫌悪感がなかったのは、彼女の身体が、男のそれとは似ても似つかなかったからだ。
悲しいくらい、柔らかくて温かい。彼女のおっぱいは重かった。
本当になんだか知らないけど、泣きたくなった。

なぜか、男の人の、痩せて乾いた身体を思い出していた。柔らかくない。でも、女の身体は熱くていやに柔らかい。
なにかもやもやした苦しさが、暗闇の中で私の目をえぐり、胸をかき混ぜ、足の指までのろのろと流れていく。とうとう自分がなんなのかすら見失いそうだった。

彼女は、信じられないような辛い経験をしてきたけど、誰より頭がいい。
私は、自分がどんなに頑張っていてもどんな厭な体験をしても、自分なんて甘やかされて育った単なる世間知らずだ、と思う。私のしてきたことは贅沢な苦労ばかり。

どんなことが重要で、どんなことが取るに足りないことか、その価値観は人によってまちまちだけど、彼女と私ではそれは一致することはないように思う。何年付き合っていても、わからないことが多い。
彼女はたまに自作の絵や詩を見せてくれるけど、その感性にぎょっとする。同じ世界を、まるで違う風に見ているみたい。奇を衒うとか、世の中を斜視するとか、そういうのではなくて、それまでの生き方を反映している。だから、私には書けない。

さて、誘いを断った私の心には、まちがいなく迷いがあった。
彼女に対して持っていた憧れが、酒任せの、勝手で気まぐれな誘いに言い負かされてしまいそうだった。彼女は「身体と心は違うでしょ」ってずっとぼやいてた。意味は違うけど、そういう考えは昔の私みたい。単にしつこくしてただけなんだろうけどさ。

セックスはやっぱり男が相手と女が相手じゃ僅かに違うんだよね。彼女はまるで自分を確認するために他人と寝ているみたい。境界線。理性とか常識とか、そういうものから自由だからこそ、自分のことは自分で決める義務がある。
こんなことを言ったら、ばっかじゃん、って笑い飛ばされるだろうが。

でも、そうそう、何を思ったかって、この事を思い出すと、彼女は何か別の事が言いたかったような気がするんだ。

もう忘れたフリして、普通につるんでるけど。



2005年12月15日(木) (ここに書く事は日記じゃなくて思い出日記なの。)

思うにわたしは誰にもこの出来事を面と向かって打ち明けていない。なぜならとても恥ずかしい。でも、人って結構恥ずかしいことを打ち明けたくてうずうずしている。自分がどんな恥ずかしい事をして来たか、どんな悪い事をしてきたか、それを打ち明けるチャンスと相手を虎視眈々と狙ってる。「こんなことしちゃって、自分てホントだめなやつなんだよねー」なんて、泣き言の一つでも言って、相手に隙を見せたい時もあるのかな。

去年の9月に台湾に行ったときに、偶然ぶらぶらしていた暗いバーの中で、ある人から目が離せなくなった。あだ名はシャオヨン。人一倍背が高くて、中性的だった。なんともいえない雰囲気があった。外見で判断したと言われてしまえばそれまでだ。でも人の魅力は顔の造作や服装の問題じゃない。

もう一度会わずに、東京に帰りたくはなかった。次の日メールで連絡を取って、台北から30分電車に乗って、会いに行った。シャオヨンは仕事が忙しいのに、英語ができる友達をわざわざ2人用意していて待っていて、この得体の知れないわがままな日本人を相手させた。仕事が終わって合流し、その日は家に泊めてもらった。
台湾での50ccバイクの2〜4人乗りは、タモリのサングラスくらい当たり前で、アパートに向かうバイクの風が、わたしにとって心地よくないはずはなかった。なぜならそのときシャオヤンの背中に張り付いていたからだ。

台湾では、家の中ではふつうみんな靴は脱ぐけど、玄関に段がない。玄関ドアと床は同じ高さで、床に靴が散乱しているという様子。そして洗面所は、(少なくともアパートのは)トイレとシャワーが同じ部屋にある。シャワーにはバスタブがない。当然トイレットペーパーと床は常時湿っている、ということを学んだ。
シャオヨンは、たった1回会っただけでどうして自分のことがそんなに気になったのかわからない、と、わたしを理解するのに苦しんでいた。申し訳ないけど、うまく説明できないと言うしかなかった。
シャオヨンとは同じベッドでおとなしく別々に寝た。でもどきどきして眠れなかったな。

そして月日が流れ、シャオヨンはこの間東京に初めて遊びに来たらしい。でも、それを教えてはくれなかった。
もし東京に遊びに来たら、たくさんの場所を案内するよ、と伝えていた。でも会いたくないのは当然だね。シャオヨンの隣には、ベッカムヘアーの新しい恋人がいるからさ。幸せに笑っているといいな。

旅は人との巡り合い。あっ、恥ずかしい場所はカットしてちゃった。やっぱりカッコよく見せたい、なんていうわたしの煩悩がいかんね。除夜の鐘をきかなきゃね。

じゃあ今夜はこれでおしまい。またね。


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