憂色透明
憂々とし 夢現 筒抜で ウェア アム アイ 強引

2002年11月27日(水) お好み焼きの丸い何かを分け合おう

高校からの友達エムさんが、講義にモグリにやって来た。
彼女に会うのは夏ぶりで、待ち遠しかった!









お好み焼き、が最近とても好きです。
そして時々もんじゃも。
向かい合って、一緒に焼いて、半分つにして一緒に食べる。
ソースの上に青のりと鰹節が踊る。
マヨネーズの化粧も忘れず。
とても幸せです。
(ちなみに自分はお好み焼きにはケチャップがないとイマイチですが)



その後飲みに流れて、コマ劇近くの新しい居酒屋で乾杯。
真っ赤な顔と耳で、お互いの恋の状況を少し語る。
彼女が高校の時よりずっと綺麗になった訳が少し分かった!









恋に凭れる訳じゃないけど、ひとを想う気持ちはきっと自分を新しいものへと変えるのだろう。



2002年11月25日(月) 長いけれど読んでほしい。

現在午後23時47分、
頭が多少混乱している、
こんな事をネット上で書く必要もないし、べきではない、のかも知れない、
別に誰かが死んだとか生まれたとかいう事でもない、



今日放課後、同じ地元に住む友達が働くバーに行った。
同じバイトの面接、という事で店に遊びにいったが、それは口実で、
(まんざら働くつもりが無い訳ではないものの)、ほとんどそいつと話す為だけに行った。

そいつとは1年前、FtMだ、という事で知り合った。
でも仲良くなっていく中で、いろいろお互い知り合って、そいつは別にFtMではなかったと言う。女として彼氏もいる。でも別にそんな事はどうでもいい。





上手く書けない。




まず最初に言いたいのは、そいつが何であろうと僕がそいつが好きだ(友達として)。
だから仲良くしてもらっているし、よく遊ぶ。
(そいつに限ったことでなく、周りに居る友達は皆、好きで必要だから友達だ)






ある日突然、そいつの、解離性同一性障害の診断書を見せてもらった。
(ここの日記にはセクシャリティの事を多く書くから、誤解の無いように書いておくが、性同一性障害ではない。解離性同一性障害だ。)

それからいろいろ本読んで、その、俗に「多重人格」というものを自分なりに知ろうと思った。

「自分の中の、Aという人格が、Bという人格が」とか言われても、全然信じられなかった。
「自分のアイデンティティが肉体の中で同一性をもたない」というココロのカゼ自体の存在を否定している訳ではもちろんなくて、
しょちゅう会ってる奴だけあって、本当に人格に亀裂が入っているとは正直思いがたかった。

一番最初に「そいつの事が好きだ」と書いたが、そう思うまで時間がかかった。
なぜなら、そういう風に心の障害を「装う」事で、他人の気を引きたいのか、と思っていたから。

本当かどうかは本人にしか分からないんだ!と言われればそうだし、
僕は勝手な事を言っているのも分かっている。

しかし本来なら、解離性障害の診断書なんてそう簡単に出るものではないはずだ。
もし某大学病院の精神科の医師が何の観察もケアもなく診断書を書いたなら、重大な責任を侵している。
なぜなら変な話、医師の診断さえあれば合法的に薬だってもらえるし、
他人にも社会にも信じてもらえるし、
逆説的に言えば、何よりも本人にとって、それがある種の絶対的アイデンティティになってしまう。

自分が自覚する症状や病気を、真剣に見つめて向き合って、
まわりに認めてもらう事はとても大切だけど、
そうして確立したIDに「満足」してしまって、実際的な目的(治そうという意思)がどこかに消えてしまう。

松葉杖を付いてみたい、とか、眼帯がカッコいい、
と言う無傷な人と、ある意味全く同じだと思っている。


名前や出身地を始めとして、「自分が〇〇である」という認識なんて、
隠したり忘れようとする人間なんてゴマンといるわけだし、
「自分が〇〇である」なんていう認識の殆どは下らないし、生きていれば揺らぐし、分からなくなる。

恋人と接するときと友達に接する時、態度が違うかもしれないし、
昨日言った事と今日言った事が食い違うことだって、ままある。
それが真実だ。それでいいんだ。
誰も「嘘をいっただろう」なんて責めやしないし、嫌いになんかなったりなんかしないんだよ・・・。






とにかく嘘であるとか本当であるとかはどうでもよくて、
とにかく何故そういう症状であれ言動であれが出るのか、
という原因は、それが「真性」であれ「擬似」であれ、
根底は全く同じものだと僕はそいつと付き合っていて、痛いほどよくわかったのだ。


親に愛されているという実感がない。
誰かに大切にされているという実感がない。
そういう事は大分前から聞いていたし、そいつの母親に会った時も、
何か、言葉ではいえない異様なものを感じた。

癒える事のない寂しさと空虚感。


一生忘れられないような厭な経験をした時、その痛みを感じまいとして、
「今これを経験しているのはジブンではない」と思い込み、
他人のように振舞う事によって、自己の根本的な同一性が失われてしまう、という事は腐るくらい本で読んだ。
それが本当なのか僕には分からないし、理解したような口はききたくない。

だけど、総ての心のカゼは、寂しさと虚しさのせい。

誰にだって、愛される権利があるし、
そうされる必要が「絶対に」必要なのだ。
そして他者からの攻撃を、他の人格のせいにしてはいけないのだ。
何人居ようと、痛みを「自分」のものとして受け入れる。
そうして生きているんだから。









・・・・・・・・という、きわめて勝手な意見を、今夜そいつ本人にちゃんと伝えた。
説教くさいし、もしかしたら的はずれなのかもしれない。



何度も言うが、僕はそいつのことが大切だ。



今の彼女が出来たのを最初に「よかったな」と言ってくれたのはそいつだし、
前に振られた時の最初に愚痴を聞いてくれたそいつだし、
鬱の事も薬の事も話せるのはそいつだし、
心の穴をカミングアウトしてくれたのはそいつだし、







???




とにかくそう書かずにはいられないほど、今夜友達であるそいつと話していい様のない涙が出てくる。
僕が泣いたってどうしようもならないのに、馬鹿だ。

一緒に居る時間をもっと割いて、「お前が必要なんだ」と伝えたいのは、
高校も中退して家を出て、辛いのを我慢して働く、そいつなのだ。





2002年11月23日(土) 嫌いじゃない

タワレコの前 インドカレー 御苑でお昼寝 ミルクティー イルミネーションのゴジラ 
都庁北展望台から君の街を望む 煙い夕飯 ラブホみたいなカラオケ
飲み放題 家に帰れないと言う君に甘えてみる 
それから「神田川」みたいな部屋で寒い冬に丁度良い夜を過ごす
会えてよかった 今日という日がきてよかった

























































「嫌いじゃないよ」

中途半端 な コトバ
           
           が 
              柔らかい素肌 
                    
                     に  溶けて 

                           僕 を

                              堕とす




2002年11月22日(金) 「ひとつの肉体には一人の人間が住む」という妄想?

dialog:


「・・・それでどうしたの?」
「いや、だから、入っちゃったんだよ」
「へー。なんでまた?」
「だって、そいつが面白い奴で、自分も一緒にやろうと思って」
「だって、それってヤバいんじゃないの?」
「うん、でもまぁ金もかからんし、いいかなと思って」
「うーん。なんか怪しいなぁ」

お茶をすする

「でもまぁたしかに楽しそうではあるなぁ」
「うん。だろ」
「だから入っちゃったんだよね?」
「いや、入ってないって」
「・・・さっき入ったって言ったよな?」
「自分は入ってない」
「じゃ誰が入ったんだよ」
「(自分)?」








yes i know...maybe i don't:

君が誰であるかなんて定義はどうでもいいっす、
目を覚ますとか覚ませないとかいう事じゃなくて、
それが嘘とか本当とかもどうでもよくて、
診断書とかクスリとか、見せて、説得させようとしなくていいから、
ああ、そうなんだとただ頷いて 
忘れないでと泣きすがるだけ。
こんな僕は果てなく利己主義だが、
自己を見る目は果てなく一つ。







that is to say:

僕の存在 身体はひとつ 
身体はひとつで 中身は一杯

幼い頃の 小さな記憶
肌の色にも 弾けて染まる

見るもの聞くもの食べるもの
みんな分かれて 思いだせずに

ベッドの横には 紅茶の残り
嫌いなはずの 紅茶の残り

僕の存在 身体はひとつ
一人暮らしの 大家族













identity crisis:

妄想?
僕がこうして生きて人と会って 君はAです。というのは妄想?
君は目に見えるけども、Aは目には見えないものね。
誰かなんて誰にもしったことじゃない。


























2002年11月16日(土) 頂上は頂上ではないがそれなりにものは見える

7月6日に、ロフトプラスワンに行った時たまたま出逢ったミムラさん(偽名)(←クリック)と、4ヶ月振りに遊ぶ。センタービルの屋上で待ち合わせして、お好み焼き屋に行こうとしたらそこのエレベーターがヘソ曲がりだった。8階を押すと1階に着く。この2人ではエレベーターも上手くあやつれんらしいぞ。世渡りベタか(?)。
お好み焼きは彼女の前でカッコつけてひっくり返したら見事崩壊した。初モンジャは辛くてそしてうまかった。ダムの真ん中で煮える汁から吹き出る穴が面白かった。4ヶ月前と殆ど同じ通りを散歩して、新宿御苑にて池の鯉に魅せられ、ひっくり返って昼寝をした。蓑虫に喰われた葉っぱが乾いた音をたてた。閉園のアナウンスが急かさせた。virginの視聴ブースで遊んで、マネキン紹介所の話をした。笑った。綺麗にライトアップされた南口周辺を歩いた。はげのサンタクロースがいた。はげと失礼な事をかました。アジア料理の店でミーゴレンとかはるまきを頂いた。パクチーはやっぱりそこに息を潜めていた。辛いのに強がりを言った。彼女は恋人を思い電車で帰っていった。僕も小田急線に乗った。濁った目をしたおじさんの下で、誰かを大切にしてる人と友達になれてよかったなぁ、と思った。あの日遊びに行かなければ彼女には会ってなかった。気まぐれは大切だと感じた一日だった。



2002年11月03日(日) 煌びやかに総てを哂ってしまえば好い

数年ぶりに自分が通う大学に学園祭が戻った来たので、行ってみる。そして、ほぞぼそとやっと参加しているサークルのお手伝いに行く。

まったくものすごい人で、町田の予備校時代の顔見知りまで見たが、一向に誰にも気づかれる気配がない。まぁおてもやんみたいな女装してビラ配ってても誰だって判らない。寂しいやら嬉しいやら。
要はメインステージでのドラァグ・クィーンのショーだったんだけど、先輩のツテでちゃんと玄人(?)のパフォーマーの方々が来たので、圧巻でした。スッピンも素敵なの。あぁ疲れた。



2002年11月02日(土) いい場所悪い場所

デパートに行ったら文房具コーナーの処でプロフィール書くファンシーなノートを見つけた。ちなみにおそらく現在20かそこらの人が小学生だったころに流行ったアレである。当時友達のプロフィールを集めるているクラスメートが沢山いた。毎日顔あわせている奴の名前、住所、短所長所、などを聞き出すアレである。思えばオイラも7歳だった。































ゆりちゃん「なぁこれ書いといて」




せいこちゃん「あーアリガトウ」


自分「はーいはい」



ゆりちゃん「後でもらいにくるね」







・・・・・・・・・・・・・・・・・・



























せいこちゃん「なぁなぁ、この、短所、長所ってどういう意味?」










自分「あのね、短所っていうのは、自分が思う自分の悪いところで、長所はその逆や。自分にとってのいいところの事なの」












せいこちゃん「ああ、なるほど。わかたわかた。アリガトウ」























・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・































自分「書けた?」







せいこちゃん「書けた書けたーウフフゥっ」




自分「みしてみしてー」







































わたしの短所:教室



わたしの長所:じぶんのへや


















いやだから違うって



















自分「アーいや、自分の性格のこ・・・」

















せいこちゃん「ゆりちゃぁぁぁん、かけたよー」








ゆりちゃん「あ、アリガトウ。ってえ?短所長所?どういう意味?」





せいこちゃん「すきな場所きらいな場所って事でしょ」









ゆりちゃん「え?優しいとかおこりっぽいとかいう事だってママが」









せいこちゃん「えーだってあくちゃん(オイラ)が・・・」













ゆりちゃん「えー」




















2人「あのこバカ?」
























いやだから違うって!





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