三文役者
やす



 岐阜撮影日誌 最終日

早朝から午前中にかけて岐阜山中の奥地に向かい撮影。
途中ターレーが溝にはまったり、小雨がぱらついたり。
熊に注意と当たり前の様に書かれた看板を見かけたり。
色々とハプニングはあったものの無事終了。

自分にとっては初めてのフィルムでの撮影、
本格的なロケなど非常に勉強になったし、
何より大変だったけど、とても楽しい撮影だった。
大変と言ったって役者は楽をさせてもらってばっかりで、
機材運んで準備をして片づけをやって、
役者が寝てる中、夜遅くまでミーティングをやったり。
スタッフの方々の苦労に比べれば微々たるもの。

午後は皆で平湯温泉へ。
土産を買ったりひとしきり寛いだ後、東京行きのバスへ。
西谷さんをはじめスタッフの皆が手を振りながらバスを追っかけて見送ってくれる。
まるで映画のラストシーンみたいだ、ベタだけど。

山本さんや音楽隊以外の役者、スタッフはまだ撮影が残ってる。
無事に終わる事を祈るのみ、完成が楽しみだ。
素晴らしい作品になると確信してる。

2003年07月31日(木)



 岐阜撮影日誌 13

ラストへと繋がる終盤のシーンを撮影。
後は残りの数カットを明日撮れるかにかかっている。
全ては天候次第だ。
メイクの吉田さんが今日で撮影終了。
お疲れ様でした。

夜は山本さんのリクエストで友香さんがアコーディオンを演奏してくれた。
最後の夜かと思うと感慨深い。
日常の風景の中に当たり前のように壮大な自然があって、
あんなに様々な虫を見たのも久しぶりで(蜂には悩まされたけど)
夜の星空はいつまで眺めてても飽きなかったし、
なによりも沢山の人達との出会いがあって。
この半月の間本当に貴重な時間を過ごせたと思う。

2003年07月30日(水)



 岐阜撮影日誌 12

早朝起きると助監督のタテナイさんが居間で倒れていた。
何事かと思うが単に寝ていただけで安心する。
昨日飲みすぎた様子。

先日祭りをやっていた寺で一日撮影。
順調に進んでいたと思いきや結構ぎりぎりのスケジュールになってきた。
撮影ももうすぐ終わるのかと思うと寂しいばかり。
岐阜に来てから約2週間経った事が信じられない。
あっという間だった。

2003年07月29日(火)



 岐阜撮影日誌 11

撮影オフ。
夜は地元の人達が懇親会を開いてくれた。
キャスト、スタッフ、西谷さんの両親や地元の人達が集まりかなりの人数。
時間が経つにつれ当然のごとく皆壊れ始める。
特に金子さんの酔いっぷりは凄かった。
あれを撮影して作品にしたいぐらいだった。
民家のおばちゃん役の山下さんの「本当にいい思い出になった」という言葉が印象的だった。
その後の「いつ死んでもいい」という言葉には返答に困った。
山下さんのご主人の八十八(やそはち)さんから、
30分以上も筋肉についてのレクチャーを受けた時もどうしようかと思ったが、楽しかった。
いい現場、いい人達に恵まれて幸せだ。

2003年07月28日(月)



 岐阜撮影日誌 10

昨日に続きエキストラの人達が参加しての撮影。
増田さんが今日で撮影終了。
お疲れ様でした。

吉木さんと待ち時間の間、松田優作とショーケンについて話す。
難問愚問は承知の上で探偵物語と傷だらけの天使、どっちが好きかと聞いてみる。
やはり答えは出なかった。


2003年07月27日(日)



 岐阜撮影日誌 9

多数のエキストラを招いての撮影。
地元の人達が大勢集まってくれて壮観。
新聞の取材も来ていた程。
スクリプターの増田さんは昔バイオリンをやっていたらしく、
弓の握り方などを細かく教わる。

夜は撮影助手の多田さんの運転で毎度お馴染みの割石温泉へ。
足ツボ自動マッサージ機なるものがあり、
多田さんとメイクの吉田さんが試して悲鳴をあげていた。
相当痛かったらしい。
自分も前に試したのだがその時は然程痛くなかった。
足がマッサージ機の中に入りきらなかったからかもしれない。

2003年07月26日(土)



 岐阜撮影日誌 8

昨日の撮影の続き。
天候には恵まれないものの一応順調に進んでいる様子。
しかし毎日が賑やかな食卓、何年ぶりだろう。

2003年07月25日(金)



 岐阜撮影日誌 7

音楽隊個々の主なシーンを撮影。
夜は皆で宿舎の側でやっていた祭りに行く。
昼間の撮影と神社の異様に長い階段をあがった影響か寝る頃にはヘロヘロになる。
体力無さすぎだ、情けない。

2003年07月24日(木)



 岐阜撮影日誌 6

またも雨にて撮影中止。
衣装の橋本さんが今日で撮影終了。
お疲れ様でした。
途中で人数が減っていってしまうのは寂しいけど、
長期ロケの為いたしかたなし。

腕の日焼けが目立ち始めた。
日焼け止め塗ってはいるんだけど。
山本さんと職場が同じビルと知り驚く。
世間は狭い。

2003年07月23日(水)



 岐阜撮影日誌 5

引き続きターレー走行シーン撮影。
途中、山本さんが落下するも大事には至らず。
しかし落ちたのが道路で良かった。
反対側は急な斜面になっていて下には川が流れてた。
あっちに落ちてたら洒落にならない。
撮影合間の待ち時間に友香さんが小道具のジャガイモを使ってジャグリングを披露。
アコーディオン演奏といい多才な人だと感心。

夜は割石とは別の温泉に連れて行ってもらう。
流れる温泉というのがあったのでトライするがあまりの急流に溺れそうになる。

2003年07月22日(火)



 岐阜撮影日誌 4

早朝起きるも大雨、またも中止かと思うが昼より快晴。
ターレーに乗り走るシーンをいくつか撮影。
山道を下った時の揺れ方は半端じゃなかった。
小川のシーンでは金子さんが川の中にカメラを設置して撮影。
その勇姿に感動した。

2003年07月21日(月)



 岐阜撮影日誌 3

リハーサル2回目。
撮影場所にてターレー試乗、細かい動きの再確認。
途中より豪雨にて中止、いまだ未撮影。

それにしても役者よりスタッフの人達が大変だ。
役者に対してとても気遣ってくれているのが判る。
申し訳ない、芝居を頑張るのみだ。

2003年07月20日(日)



 岐阜撮影日誌 2

撮影もリハーサルも無し、やる事無し。
共演者の林さんが持って来ていたフライデーとSPA!を読破する。
本を持ってくるべきだった。
昼過ぎスタッフの人達が食料買い出しで車にてスーパーへ。
役者陣も一緒に乗せてってもらう。
本を物色するが女性週刊誌や料理本ぐらいしかなかった。
六ちゃん役の山本将司さんは途中の道行きを覚えていたらしく、
車で約10分の道を歩いて帰る。
すごい。方向音痴の自分には絶対無理だ。

夕食はキーマカレーだった。
苦手なグリーンピースやプチトマトが大量に入っていたが、
残すわけにはいかず全てたいらげる、殆ど気にならなかった。
美味すぎる、しかし。

2003年07月19日(土)



 岐阜撮影日誌 1

宿舎到着。
山の中にポツンとある民家、当たり前だが電気ガス水道全てOK。
男の役者用の4人部屋は充分広くTVもある、携帯は圏外だけれども。
昼頃まで寝かせてもらい食事後リハーサル、地元の名所である撮影場所へ。
一通りリハをやった後、西谷監督の実家へと移動する。

ターレー登場。
西谷さんと女指揮者役の新井友香さんとで代わる替わる運転。
砂利の坂道を走ったが揺れがすさまじく怖い。
しっかりつかまってなければ冗談じゃなく振り落とされそうだ。
共演者の吉木敏博さんとも合流しターレー練習は終了。

その後割石温泉という所に連れてってもらい、
夕食は喫茶店で働いてるというスタッフさんが作った鴨のローストみたいなやつ。
これが美味い、マジで。

想像以上の快適空間に嬉しいやら申し訳ないやら。
しかし初日という事もあり夜はグッタリとしてしまう。
早めに寝た。

2003年07月18日(金)



 岐阜撮影日誌 出発

小田急線成城学園前駅にて待ち合わせ。
23時頃出発、一路岐阜へと向かう。
監督の西谷龍二さんと撮影監督金子さんの運転にて、
2台の車に同乗しての道行きとなる。
役者5名は二手に別れ自分は金子さんの車へ。

「眠くなったら寝ちゃってください」との言葉に甘え、
悪いとは思いつつも昼間の仕事の疲れもあり寝てしまう。
起きた時には夜は明けて既に岐阜だった。
山と森と川の中、約5時間以上の遠征。

2003年07月17日(木)



 リハーサル

二子玉川にて、映画「移動式物産音楽隊」のリハーサル。
リハは以前から何度か重ねていたけど今日が最終日。
7月中旬から約2週間岐阜にて合宿撮影となる。

合宿なんて学生の時に行った秩父以来だ。
役者を目指す身でありながら相当人見知りな性格なので不安な点が多々。
まぁ出発前からそんな事を考えてても仕方ない。

2003年07月06日(日)



 初日記

昔から何度か日記をつけた時期はあったのだけど、
大抵続かなくてすぐにやめてしまった。
公開すれば長く続くだろうか。

映画や芝居の感想、自主映画の活動記録や芝居の稽古日誌。
その他日常感じた些細な事等も書いてみたいと思ってます。

日記を書くと愚痴で埋まる傾向があるのでなるべく前向きに(目標)

2003年07月01日(火)
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