虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2001年01月31日(水) D22:薪風呂

【四方山日記〜その22】 薪風呂

昔からぬるま湯が好きなのである。ぬるま湯といっても、本物のお湯の方なんだけど。
そもそも僕の実家は、薪(まき)でお風呂を沸かしていたから、一度ぬるくなってしまうと後が大変なのだ。再び薪に火をつけるまでは、二度と温度は上がらない。だから、ぬるま湯好きの僕は、決まって最後に入浴することになる。最近のお風呂は、温度調節なんかスイッチ一発でOKだと思うけど、薪で沸かす風呂は、この温度調節がなかなか思うようにならない。なんてたって相手は木を燃やす炎だから、その調節はほとんど勘の世界。要はドラムカン風呂の変形だと思ってもらえれば話が早い。だからこの調節をちょっとでも間違えると、お湯は沸点を目指してまっしぐら。湯船の沸き口の方に入っていると、マジでヤケドすることになる。
でもなんだかんだいってもあの薪風呂、決してスマートではなかったけれど、風情があってけっこう好きだったのかも。今ではほとんど見なくなったけど、時々ふっと入りたくなるんだよねえ、あの薪風呂。ぬるま湯好きなのはおんなじだけど・・・。



2001年01月30日(火) M18:椎名林檎

【音楽見聞録〜その18】 椎名林檎

昨日から何かと話題の椎名林檎姫。もう「あっぱれ」としか言いようがありません。ほんと何をしでかすかわからない、究極のアーティストですな。
出会ったのは、デビューシングル「幸福論」がリリースされた直後。所属レコード会社の担当が僕のマブダチでして、その彼とキャンペーンで現れたのが彼女でした。その時の情景は今でも鮮明に覚えています。ドア越しに顔を半分だけ覗かせ、まるで子猫のような無邪気な瞳で僕をじっと見つめるのです。まるで何かを観察するように。それがすべての始まり、アーティスト椎名林檎のドアを開けた瞬間でした。
彼女がはいったいどんな人なのか、今もってよくわかりません。まるで広大な宇宙のように奥が深すぎて予測不能なのです。だからこそ、こんなにも多くの人たちの心を魅了してやまないのでしょう。彼女の曲にもあるように「本能」でのコミュニケーションが必要なのかも知れません。まあ、僕はもともとそんな感じの人間なので苦労はしてませんが(笑)。
彼女と接していて感じること、それは自由。束縛感が全く感じられないのです。たぶん多くの人たちは、自分をどこかで束縛しながら生きている、そんな気がします。それは「自由」には常に恐怖が伴うから。でも彼女にはそれが無い。ほんとスゴイと思います。ある意味、手に負えない存在です(笑)。だからみんな彼女のことが好きなんでしょう。もちろん、僕も好きですよ。3月には新曲もリリースされるらしいので今からホント楽しみです。そしてあの元気な姿を一日も早く僕らの前に見せて欲しいものです。
そうそう、タイトルにある「わんぱく娘」とは、僕が彼女にインタビューしたとき一方的に命名したあだ名です。その時は大いに気に入ってくれましたが・・・(笑)。
椎名林檎=わんぱく娘、そんなイメージってありませんか。



2001年01月28日(日) P22:エアーチェック

【虎の自叙伝〜その22】 エアーチェック

小学生の高学年の頃、ある画期的な商品がお茶の間にデビューした(それ以前にもあったかも知れないが)。世に言う「ラジカセ」である。これにより「録音できる環境」が一般家庭にまで浸透することになった。そんな中、エアーチェックなる言葉が登場する。この言葉、一般的にはラジオやテレビでオンエアされた音楽や番組を個人的に録音・録画する行為を言うのだが、僕らにとってのそれはほとんど音楽に限定される。つまりラジオで流される音楽を録音して自分だけのオリジナルテープを作る作業のことだ。レンタルCDの登場以降、その必要性が急速に減速し、そのオリジナルテープを作ったりするのにも苦労しなくなった。だから30歳以下の世代では、エアーチェックをやったことのある人の方がむしろ少ないくらいだろう。僕らの時代は、このエアーチェックこそが音楽を入手できる最大の手段であった。できるだけノイズが入らないように工夫したり、録音レベルに細心の注意を払ったりして、それはもう宝物のように扱ったものだ。そんな経験が、ラジオ制作の現場では大いに役立ったことは言うまでも無い。毎月FM雑誌を買ってきては番組表をチェックし、ひたすらオリジナルテープの制作に励んだことが懐かしく思い出される。そして現代。CDやMD、インターネットなどのテクノロジーの進化により、私たちの音楽環境は劇的に変化し大変便利になった。ほとんどスイッチ一つで欲しい音楽が入手できのだから。だがその代償は・・・。時代は僕らに何を問い掛けているのだろう。



2001年01月25日(木) P21:この瞬間

【虎の自叙伝〜その21】 この瞬間

最近、本の衝動買いが多くなった。子供の頃、本を読むことなんて大嫌いだったのに。なんとなく記憶にあるのは高校を卒業したあたりから。大きな理由は、電車を使うようになったこと。小・中・高と通学はすべて歩きだったから。
高校卒業後、1年ぐらいフリーターをやってた時期があって、バイト先まで電車で通勤していた(この場合、通勤って言うのかなあ)。乗ってる時間、およそ30分。けっこうヒマなんだよねえ、こういう時間。だから自然というか必然というか、文庫本なんか読みようになってた。よく読んだジャンルは、SFモノと推理小説かな。眉村卓なんかけっこう好きだったなあ。今、店頭ではあんまり見ないけど。でも、その頃は文庫本ばっかりで、ハードカバーなんてほとんど買わなかった。理由はただ一つ、高価だったから。文庫本が出るまで待ってりゃいいやって感じ。でも、今は違う。なんていうか、読みたい時が大切なんだって思えるようになってきた。その瞬間の気持ちっていうのがさ。だから、今買わないともう一生この本には出会えないかもしれない、なんて思ったりしてつい買ってしまう。これは映画でも同じ。見たい時にはすぐに見に行く。前はビデオになるまで待ってたんだけどね。僕の場合、この瞬間のインスピレーションっていうのがすごく大事で、たぶんこの感覚を一番大切にしているような気がするんだ。この辺が感覚的って言われる所以かもしれないけど。でも、自分でそんな風に思うようになったのはここ2、3年の話。それまではけっこう建設的な思考の人間だと思ってた(笑)。この話をすると、まわりの人は信じられないって顔をするんだけどね。気づくのが遅すぎるってことなのかなあ。



2001年01月24日(水) M17:川村結花

【音楽見聞録〜その17】 川村結花

本日は川村結花嬢。嬢やて(笑)。たぶん川村ならそうつっこむやろうな。
出会ったのは大昔。デビューアルバム?いやいやセカンドの頃かなあ。レコード会社も現在とは違ってた(笑)。まあ、彼女のキャラを知ってる人は想像して下さい。あのまんまの印象でした。そう、コテコテの関西女。
その出会いから3〜4年のブランクがあって、次に会ったのは、なんとCASCADEの野音ライブ。たまたまスタッフつながりということで来とったらしい。しかし・・・、マネージャーのTさんのことはすぐにわかったのだが、肝心の川村にはしばらく気づかなかった。Tさんのうしろでうろちょろしてる変な女がいるなあって思ってたらそれが川村だった(笑)。
しかし、こんな川村でも歌を唄いだすとその雰囲気が一変するんだよなあ。そんなとき、やっぱりコイツはアーティストなんだって再認識させられる。
思い出深いのは、あるキャンペーンでスタジオライブを演ってくれたときのこと。番組の女性パーソナリティを二人連続で泣かしてしまった。もちろん歌でですよ。唄った曲はたぶん「home」だったと思うけど。この仕事15年やってきたけど、こんなことは後にも先にもあの時だけ。それぐらい、彼女の歌には説得力があるってことだ。だからさ、早く富山でライブ演れっちゅうの!まあ、それまではぜひCDでお楽しみ下さい。えっ、まだ聴いたことがない?そりゃいけませんなあ。楽しみの損失です。今からでも遅くはありません。だまされたと思って一度聴いてみて下さいな。女性の方、特にお薦めです。



2001年01月23日(火) D21:ドレミファドン

【四方山日記〜その21】 ドレミファドン

21才のとき、ぶらりとひとり旅に出た。行き先は北海道。旅費をできるだけ節約しようと思って、周遊券と夜行列車をフルに活用した。当時JRには、上野発青森行きの急行「八甲田」という夜行列車があった。この話はその車中での出来事である。
たまたま隣に乗り合わせた学生が、なかなかおもしろい男で妙に話がはずんだ。とくに興味深かったのは、彼が出場したテレビ番組についてである。番組名は「クイズ・ドレミファドン」。30歳以上の方なら覚えていると思うのだが、要はイントロあてのクイズ番組である。その中で「超ウルトラ〜」というコーナーがあって、それはある曲のイントロをほんの一瞬聴いただけで曲名を当てるというものだった。まさにコンマ何秒の世界である。彼の話を聞くまでは、「あんなもん、わかるわけないじゃん。やらせじゃないの」な〜んて高をくくっていたものだ。それがどうだ。彼の話を聞くにつれ、イントロあてとはいえその奥深さに感銘さえ受けてしまったのだ。
彼の話はこうだ。まず番組に出場するためには、男女のペアの方が確率が高いという(リサーチ済みらしい)。そして、出題される曲の傾向を過去の番組内容から読みきって300曲ぐらいをリストアップする。次に「超ウルトラ〜」と同じ長さの音だけを1本のカセットテープに連続して録音し、それを毎日聴きまくるというのである。その結果、彼はこの番組で優勝し、アメリカ旅行やステレオコンポなど、総額50万円以上をゲットしたという。いやいや世の中には凄いヤツがいるもんだ、と思うと同時に自分が恥ずかしくなった。何の努力もせずに最初から疑っていたからだ。「コイツは凄い。あんな方法論を思いつくなんて。」本気でそう思った。そして何事も、戦略が大事なのだと思い知らされた。
彼の話から得た教訓。「仕事・勉強のみならず、たとえそれが遊びやギャンブルであっても、成功しているヤツはエライ。楽して成功などあり得ない。なぜならそれは、日々の努力・研究の賜物だからだ。」
世の中には、けっこういるよね。不労所得がどうのこうのって言ってるヤツ。でもね、何にも努力せずに成功は無いって。競馬やパチンコであってもね。こんな大切なことに気づかせてくれた彼。名前も忘れてしまったけど、ホント今でも感謝してますよ。



2001年01月21日(日) D20:ハンバーガー

【四方山日記〜その20】 ハンバーガー

今日の昼、久々にとあるショッピングセンターのバーガーショップへ行ってきました。もちろん、ハンバーガーを食べにです。食べたのはエビカツバーガー・セット。当初は、エビカツバーガーとコロッケバーガーの2品をテイクアウトで買おうと思ったのですが、その前になべを少しを食べてしまったので、1品セットに切り替えたのです。なべっていったい何?って思う方もいらっしゃると思うので少々説明を。僕はまったく知らなかったのですが、そのショッピングセンターでは今日の朝10時から先着1000名になべを無料で振舞うという催し物をやっていたのです。人間、やはり「ただ」という言葉には弱いもの、数分後にはまるで何かに誘われるように、その行列に並んでいる僕がいました。
さてさて、久しぶりに行ったバーガーショップで気が付いたのですが、子供さんの多いこと多いこと。やはりハンバーガーは、子供にとって大変人気のある食べ物だということを改めて認識しました。他の食べ物屋さんの前で、ハンバーガーが食べたいとごねている子供もいましたし。そこでふと、僕が子供の頃の外食人気メニュー(テイクアウトもの)は何だったのかなって考えてみました。たぶん、ハンバーガーじゃ無かったことだけは確かです。記憶を遡ってみると「焼きそば」「たこ焼き」「お好み焼き」などの純和風の食べ物が浮かんできます。きっと今でもそれらが大好物なのは、幼少の頃の経験がそうさせているのかも知れませんね。



2001年01月20日(土) M16:桃乃未琴

【音楽見聞録〜その16】 桃乃未琴

今週、久しぶりに桃乃未琴に会った。まだ大雪が降っていた頃。アイツに会うと、どうもペースが乱れてしまう。桃乃のペースにもっていかれてしまうのだ。いつだってマイペース。だけど嫌なヤツじゃない。不思議な女だ。
何年か前、渋谷のライブハウスでのこと。客席の暗闇の影から「おっちゃん」と呼ぶ声。まさか俺のことじゃないよなあと思いつつ、それとなく声の主を捜してみると、そこにはあの桃乃の姿が。おいおい、「おっちゃん」って呼ぶなよな。せめて「兄ちゃん」だ。でも正直、最初誰だかわからなかったよ。ちょっといい女系の雰囲気だったからな。はじめて会った頃は、野暮ったくて土の匂いがしてたのになあ。不覚にも女を意識しちまったよ。まあ暗闇だったから錯覚ってこともある(笑)。
そんなこんなで、付き合いはデビューの頃から。キャンペーンに来ると、アイツは決まって俺を番組に引っ張り出す。俺はあんまり出たくないんだが、アイツが出演せざるをえない雰囲気を作ってしまうから、どうしようもない。後はまな板の上の鯉のようなもの。これが俺と桃乃の距離感だ。
アイツとのはなしは、熱い内容が多い。音楽、恋愛、人生観、・・・他いろいろ。いつだってエネルギー充満状態。そういう意味では、刺激的な女だ。
最近のアイツは、音楽的にも相当充実してきてるんじゃないの。作品からもそれがビシビシ伝わってくる。だから今年は、ちょっとしたムーブメントを創って欲しいよね。機は熟したと思うから。



2001年01月18日(木) P20:鶏/D19:運

【虎の自叙伝〜その20】 鶏

その昔、わが家では鶏を飼っていた。メスである。そもそもわが家に鶏がやって来ることになったのは、ちょっとしたワケがある。別に鶏が大好きで飼いだしたのではないことだけは確かだ。

みなさんの記憶をちょっとだけ掘り起こしてみてください。小学生の頃、理科の授業で卵の孵化実験っていうのをやったでしょ?もちろん僕もやりました。20個ぐらいの有性卵を自動孵化器に入れて観察する実験だったと思うけど。その中から無事孵化できたのは、わずかに3羽。そのうちの1羽がわが家の鶏というわけ。他の2羽は、友達にもらわれていったのだが、数ヶ月で死んでしまったそうな。そういう意味では、わが家の鶏はずいぶん長生きしたもんだ。なんてたって10年以上は生きていたんだから。朝は「コケコッコー」の鳴き声が目覚まし代わり、おまけに卵まで産んでくれりゃ言う事なし。ひよこからの成長過程をずっとみてたわけだから、今でも鶏にはずいぶん親近感がありますなあ。だからと言って、決して鶏肉が食べられないわけじゃないけどね。あっ、勘違いしないでね。飼っていた鶏を食べてしまったわけではないですよ。ちゃんと寿命をまっとうしたんですから。

【四方山日記〜その19】 運

今日は運がよかった(と思いたい)。映画の試写会に行って、抽選で「ある大物サッカー選手の写真集」が当たってしまったのだ。定価7800円のヤツが。確率的には10分の1か15分の1っていうところだろう。さてさて、この事実をどうとらえるのか、ここが重要だと思うのだが。運がいいと思うのか、はたまた運を使ってしまったと思うのか。まず前者。宝くじなんかが当たる前兆として、いくつか小さい賞金が当たった後にどでかいのが来るっていうのを聞いたことがある。そういう意味では、なかなか嬉しい出来事ではないか。いやいやこれで今年の運を使っちゃったって考えることもできる。そう思うとこの写真集ではちょっと寂しいわな。どうせならもっと大きなことで運を使いたいと思うのもこれまた人情。果たしてどちらになるんでしょうか。経過はこの日記で随時ご報告いたします。乞うご期待!



2001年01月17日(水) D18:レッド・プラネット

【四方山日記〜その18】 レッド・プラネット

雪の中、映画「レッド・プラネット」を見てきました。映画の感想ですか?うーん、はっきり言って料金分の価値は見出せませんでした。★5段階の評価でいえば、残念ながら★ひとつです。
ところでこの映画、あの評判のよろしくなかった「ミッション・トゥ・マーズ」とよく比較されているらしいですね。テーマが共に火星だからでしょう。僕のまわりでもあの作品よりは数段マシという声は多かったのですが・・・。結果は、僕は人と感性が違うのか「ミッション・トゥ・マーズ」の方がずっとおもしろかったです。あの映画がよかったっていう人、僕のまわりでは皆無です。どうも僕という人間は、映画を見る視点が多少人と違っているのかも知れません。その点についてよく考えてみました。で、結論。一番重要なのはおそらくテーマ。だからストーリーがつまらなくても扱ってるテーマだけで満足できてしまうことが多いみたいです。思い起こしてみると、人が酷評している作品でもけっこう高い評価をしていることが少なくありませんね。「シックスデイ」なんかもそうでしたし。そういう訳で、僕の感想はそんなに一般的でないと思いますので、あまりあてにしないで下さいね。



2001年01月16日(火) P19:冬のスポーツ/M15:スガシカオ

【虎の自叙伝〜その19】 冬のスポーツ

冬のスポーツといえば、スキーかスケートを思い浮かべる人が多いと思います。恥ずかしながら、僕はスキーをやったことがありません。その理由は、掲示板にも書きましたが、高所恐怖症のためリフトが怖いことと、寒いのが嫌いということにあります。今までに2回ほどやれそうな時がありましたが、人づてに「リフトから落ちた人がいるらしいよ」っていうのを聞いて、もうあきません。以来チャレンジしようという気持ちさえ萎えてしまいました。
かわってスケート。はじめてやったのは小学生の時。愛知県の三河地方に足助という町があって、そこに香嵐渓という観光地があります。その香嵐渓の近くに僕の親戚が住んでいて、町の唯一の娯楽施設がスケートセンターだったのです。今でも施設名を覚えています。「香嵐渓スケートセンター」(そのまんまやんけ!)
そこで親戚の兄ちゃんと初滑り。でもその兄ちゃん、何を考えたのか、スピードスケートの靴を借りてしまったのです。初心者は大方、フィギュアを借りるっていうのに。結果は悲惨、まだ小さかった僕には、履きこなすことができず、靴のエッジにつまずいて転んでばかり。以来、スケートもほとんどやった記憶がありません。
というワケで、冬のスポーツは大の苦手なのです。チャンチャン!

【音楽見聞録〜その15】 スガシカオ

この前の日曜日、雪の金沢へスガシカオのライブを見に行った。はっきり言って、こんな雪の日は外になんか出たくない。しかし、あのスガシカオだからそうもいかない。
はじめて会ったのは、もうかれこれ3年ぐらい前?まあ、そんなもんです。会う前はさあ、いろんな噂を聞いていて・・・「かわりもん」だとかね。一応それなりに警戒していたわけさ。だってデビューシングルの「ヒットチャートをかけぬけろ」の歌詞なんか読むと、とてもじゃないが尋常なヤツとは思えなかった(笑)。だから、実際に会ってオレが最初に発した言葉は「変わってるらしいね」だった。そしたらスガが大笑い。それですべてが打ち解けたって感じ。よくいうインスピレーションがビビッっていうやつ。それからは、もう何年も付き合ってる友達みたいなもんで、まあ気はつかいませんな。
ヤツのいいところは、いたって普通の感覚をもっているところ。普段しゃべっていると、そこらの気のいい兄ちゃんって雰囲気なんだけど、音楽のことになるとこれが一変。「さりげない狂気」をかもしだすんだよな。そういう意味ではホント凄いヤツです。でもよく考えてみると、ヤツとは今までに4〜5回ぐらいしか会ってないんだよねえ。そのうち飲んだのは1回だけ。それなのに、なんでこんなに距離感を感じないのか、不思議な男でもある。
あとスガシカオに期待することといえば「はやく富山でライブをやってくれ」ってことだけ。ほんと21世紀中に頼みますよ、マネージャーのSさん。結婚する前に・・・。



2001年01月14日(日) D17:税金

【四方山日記〜その17】 税金

今年は確定申告をしなきゃいけないので、最近その手の勉強をしております。それにしても税金についてあまりに無知な自分が恥ずかしい限りです。会社に属していると、基本的には経理の人がやってくれるのであたかも自分には無関係のような錯覚に陥っていまうのですが、一歩組織の外に出たとき、決してそうではなかったと思い知らされるのです。しかし、税金のこんな複雑な仕組みを一体誰が考え出したのでしょう。世の中には頭のいい人がいるものです。あっぱれあっぱれ。でもがこれを知っているのと知らないのとでは、雲泥の差が生じるのもまた事実。このあたりは今ベストセラーになっている本「金持ち父さん、貧乏父さん」にわかり易く書いてあるので、興味のある人はお奨めします。この本、お世辞抜きにおもしろいです。
まあそれはさておき、とにかく毎日が勉強です。学生時代の勉強っていったい何だったのだろうって改めて考えてしまう今日この頃です。



2001年01月13日(土) P18:我が家の飼い犬

【虎の自叙伝〜その18】 我が家の飼い犬

よく犬派か猫派か聞かれる事があるが、僕は躊躇無く犬派と答える。明確な理由はみあたらない。なんとなくである。そもそも我が家には、犬も猫もいたのだから、どちらの影響も受けているはず。なのにどうして犬なんだろうって時々考えたりする。
最初に飼っていた犬は、スピッツの雑種だった。とにかくよく吠える犬で、ケンカが強かった。話によると僕が2、3歳の頃に近所を散歩していたら、いつのまにかついてきたらしい。だから彼が死んだとき、家族は僕がめちゃくちゃ悲しむだろうと思って、僕が寝ているうちに埋葬してしまった。そういうわけで死に目にも会っていない。そっちのほうがよっぽど悲しいわい。
次に飼った犬は、シェパードの雑種。黒い毛並みでかっこよかったな。こいつは雌だ。そして3匹目はその子供。もうシェパードの面影はどこにも無く、誰が何と言おうと雑種そのもだった。
でも、僕にとっては血統なんてほとんど意味がないことだ。だって彼ら自身を愛していたんだから。それは大人になった現在の僕の人生観に通じる部分かもしれない。肩書き?どうでもいいんじゃない。有名人?関係ないよ。この意味、わかる人にはわかると思うけど。



2001年01月12日(金) P17:フリーター/M14:HIKARI

【虎の自叙伝〜その17】 フリーター

高校を卒業して、1年ぐらいフリーターみたいなことをやっていた。何故かって?はっきり言えば、目標を見失っていたから。大学なんか行って何になるのって思ってた。かといってどうすりゃいいのって感じ。だから仕方なくアルバイトをやってた。
アルバイトはいろいろやったんだけど、一番つらかったのは洗濯機の製造ライン。ようは工場ですね。ベルトコンベアに載せられて流れてくる洗濯機の桶とモーターをネジ止めする仕事。これにはまいった。エアードライバっていう強力な電動ドライバを使うんだけど、振動が激しくて手の親指の付け根が腱鞘炎みたいになってしまう。それにとめどなく流れてくる洗濯機の山。プレッシャーがあったなあ。一緒に入った人が15人ぐらいいたんだけど、初日の昼休みなんか誰一人として口がきけなかったぐらいハードだった。
こういうラインっていうのは、いったん仕事のリズムが崩れてしまうと戻すのが大変でね、それこそコンベアの前を行ったり来たりしなきゃいけなくなる。そうなったら、流れてくる洗濯機を何台か下に下ろしてペースを取り戻すしかない。コンベアを止めるわけにもいかないしね。でもまわりの人たちは本当に優しかった。僕らがそうした失敗をしてもいつだって励ましてくれた。あの工場の人たちの優しさ、本当に嬉しかったなあ。だから僕が社会人になって、若いアルバイトの子たちと仕事をするようになっても、あの工場の人たちの優しさを忘れたことはなかったよ。今度は僕がそうしなきゃっていつだって思ってた。出来たかどうかは別だけど・・・。
「優しい男でありたい」。僕の永遠の目標かもしれない。
あの工場の人たち、元気にしてるかな。

【音楽見聞録〜その14】 HIKARI

本日はHIKARIのことを書いてみよう。ご存知ない方は、一度聴いてみてやって下さい。ちなみに男です。ソロアーティストです。
こやつとはまだ1回しか会ったことがない。キャンペーンでやってきてくれたほんの数時間だけの記憶。でも、音楽ネタはほとんどなくただの世間話で終わった感じ。特に印象深いのは「UFOネタ」。僕も嫌いじゃない方だが、どうやらヤツも大好きみたいだ。この手の話は、興味ない人にしてみればファンタジーみたいなものかもしれないが、当の本人たちはいたって真剣、なんとも尽きない話題なのである。
それにしても摩訶不思議な男なのである。つかみどころがないというか、得体が知れないというか、なんとも表現しがたい男だ。しかしそれでいて嫌味なところがこれっぽちもない。うーん、わからん。
ヤツとはなんとなくフィーリングが合うみたいだ。何故かはよくわからない。ただなんとなくである。でもこの感覚、人間関係ではとても重要なことだ。だからヤツとはこれからもなんとなく付き合っていけるだろう。
最後にヤツはこう言って帰って行った。
「こんな話で本当によかったんですかねえ」(たぶん世間話しかしていないことへのとまどいだろう。もっと音楽のはなしをしなくていいの?うん、これでいいのだ。)
きっとヤツもつかみどころがなかったに違いない。



2001年01月10日(水) D16:シックスデイ

【四方山日記〜その16】 シックスデイ

ついに映画「シックスデイ」を見てきました。この作品、かなり評価はバラけると思います。<僕は★3つ半ぐらいですが(★五つで満点)、某女性アナはなんと二つだそうな。>
しかし、しかしですよ、どういうわけか僕のまわりでは見た人がほとんどいません。いったいどうしたことでしょう。けっこう話題作のはずなのに。シュワちゃんのアクション映画には違いないのですが、扱ってるテーマがなんてたってクローン技術。こういうSFちっくなものは人気ないんですかねえ。でも不老不死なんて夢の夢のまた夢の世界だと思っていたんですが、実際にクローン技術が実用段階に入った今、この映画の世界はそう遠い未来の話とは思えなくなりました。そんなふうに考えると、楽しいやらちょっと怖いやら・・・。
<こぼればなし>
一緒に行った某女子アナの席の下にはポップコーンの散乱した痕が・・・。もうちょっとお行儀よく食べなさいよ。



2001年01月09日(火) P16:近所のプール/M13:矢野真紀

【虎の自叙伝〜その16】 近所のプール

子供の頃、なぜか泳ぐことが好きだった。夏休みになると、一人でもプールに通ったものだ。そして泳ぐ。ただただ泳ぐのだ。
家の近くに市民プールがあった。ひざ下ぐらいの深さの子供用プールと一応大人用の25mプール。小学校の低学年の頃、その管理室の隣に売店があって夏なのになぜかおでんが売られていた。僕の地元は味噌料理が名物なのでもちろん味噌おでんだった。大きな鍋の真中に味噌ダレが入っているつぼがあってその周りを串でさした具が取り囲んでいる。その串ごと味噌ダレをつけて食べるのだ。ああなつかしい。でもその売店は僕が小学校の高学年になる頃には無くなっていた。無くなっていたといえば、僕の思い出がつまった市民プールもいつのまにか無くなっていた。去年の夏、帰省したついでに通りかかったらまったく別の建物が建っていた。なんか哀しかった。たぶん、そのプールが現存していたとしても気にもとめなかっただろうが、いざ無くなってしまうと妙に気になるものだ。ことわざにもあるように、大切なものは無くしたときにわかるというのは本当だった。

【音楽見聞録〜その13】 矢野真紀

年末年始のほろ酔い気分にペースを狂わされ、ずいぶん間が空いてしまった。今日からペースを戻さねば・・・。というわけで今回は矢野真紀嬢。我々の間では、親しみを込めて「マッキー」と呼ぶ。しかしこの呼び方が通じるのは、どうやら富山県地方だけらしい。でもそれでいいのだ。ライブ会場などで「マッキー」と叫んでみれば、どこから来たファンか一目瞭然。だから富山ではこの愛称を浸透させようじゃないか。
さてさて、そんな矢野真紀嬢。出会いは、彼女のデビューコンベンション(音楽業界におけるお披露目パーティみたいなもの)の時。どういうワケか僕は会場の一番前に座らされていた。きっと誰かの罠だろう。僕には珍しいことではない。でもこんなときは決まって視線が泳いでしまう。歪んだ視界に映るか細い足首が印象的だった。彼女はというとさまざまなプレッシャーの中でただ一生懸命に歌っていた。それが精一杯であるかのように・・・。
あれから1年半。彼女の中で何かが弾けた(と思う)。作品におけるその変化は歴然だ。そしてデビュー以来久しぶりに見るライブ。まさに鬼気迫るとはこんな雰囲気を言うのだろう。すべての人たちの視線が集中するステージ中央のスポットライト。そこに仁王立ちする矢野真紀。そうまさに仁王立ちである。彼女は何かをつかんだのだ。我々を魅了する何かを・・・。そしてその先にあるのはきっと輝かしい未来に違いない。
だから今この瞬間の彼女を我が目に焼き付けておこう。
そしていつの日か、ここ富山でライブをやっておくれ、マッキー!
今年もよろしく。



2001年01月08日(月) P15:演劇

【虎の自叙伝〜その15】 演劇

最近まで忘れていたのだが、僕の人生の中でたった一度だけ人前で演技なんぞをしたことがあった(保育園は除く)。あれは今から20年以上前も前、中学3年生の時。たぶん卒業に関連した行事だったと思う。バリバリの主役だった。しかしこの主役、はっきり言って嵌められたモノ。朝、学校へ行ったらなぜか決まっていた。誰が何のために嵌めたのか、今もって謎である。たぶん、クラスのみんなからすれば軽い冗談のつもりだったのだろうが、当の本人からすれば一大事。だいたい昔から、人前で何かをやるなんて(歌でも演技でも)大の苦手。本番までは、まさに地獄の日々だった。途中何度も降板を申し入れたのだが、先生も笑って聞き流すばかり。ほんとマジでビビッていた。だから、本番の記憶がはとんどない。幕が開く直前までの記憶はあるのだが、それ以降はプッツンである。
いったいあれは何だったのか。記憶を掘り起こしてみてもワケのわからない出来事だった。普通、大きなプレッシャーを乗り越えたりすると、自分の中で何らかの変化が起こったりするものなのだが、そのあたりもまったく心当たりがない。ひょっとして、あの舞台に今の自分の原点があるかも知れないのだが・・・。謎である。



2001年01月05日(金) D15:雪かき

【四方山日記〜その15】 雪かき

大雪が降って大変なのである。昔にくらべれば大したことは無いらしいが。僕の車は青空駐車なので、屋根の雪下ろしや周辺の雪かきをしないと後々面倒くさいことになってしまう。雪がちらつく中、スコップで雪かきをするのだが、これがなかなかの重労働。翌日あたり決まって筋肉痛になる。特に腰まわりがヤバイ。今日もそんな雪かきをしていたのだが、案の定疲労がたまってきたみたいだ。明日あたりあのイヤな症状が出そうな予感。だから日頃の運動が大切なんだってこんなときにだけ思ったりする。人間はなんて身勝手な生き物なんだろう。雪が溶け出したらそんなことはきっと記憶の彼方に埋もれてしまうのに。
だから・・・今年はもうすこし運動をせねば。若い頃より、贅肉が落ちにくくなっていることだけは確か。そういう意味では、少しは雪が降ってくれた方がいいかも知れない。雪かきは避けては通れないモノだから。ああ、窓の外は一面の銀世界。眺めるだけならこれもいいんだけどなあ。



2001年01月04日(木) P14:切手コレクション/D14:バーティカル・リミット

【虎の自叙伝〜その14】 切手コレクション

切手を集めていたときがある。たしか小学校の4年生か5年生のころ。きっかけは何だったのか、今ではすっかり忘れてしまった。僕は切手の価値そのものよりも絵柄で買うことの方が圧倒的に多かった。日本のモノでは、国立公園シリーズや東京オリンピック、国宝シリーズ、北斎などが好きで、それらを時々ながめてはニンマリしていた(なんかおたくっぽい)。今でも実家のどこかにあるんじゃないかな。外国のモノでは、なんといってもボリビアの切手が多かった。何故かというと、その色彩があまりにあざやかだったから。多分、値段的にはたいしたことはなかったと思うけど。
その頃の雑誌の広告には、切手の通販モノがけっこうあって、ボリビアの切手なんかはそれらを見ては買っていた。国内の切手は、古びた工場の奥に知る人ぞ知る切手屋さんがあって、そこでよく買っていた。その場所は、外からは決して見えなくておじいさんが一人で経営していた。市価よりも相当安かったと思う。僕らが買いに行くと、いつも人がいっぱいでとても繁盛していた。口コミだったのだろうか。
集めた切手は、先端が丸くなっている専用のピンセットで扱う。傷がつかないようにするためだ。傷がついてしまうと切手の価値は大幅に下がってしまうため、慎重に扱った。切手専用の収集ブックに収めるのだが、裸のままではなくて、一枚一枚フィルムカバーのようなものに入れて保存する。だから、細かい作業が苦手な人は、切手集めなんかしないほうが無難である。
その当時、どうしても手に入らなかった切手がある。あまりにも高価だったからだ。一枚1万円以上した。「見返り美人」と「月に雁」、この2枚がそれである。当時でその値段だったから今だといくらするんだろう。見当もつかない。
あんなに熱中した切手への情熱も、いつのまにか冷めてしまった。なんとなく始まってなんとなく終わった切手コレクション。今はただなつかしい思い出だ。実家に帰ったら久しぶりにあの切手ブックを見てみたい気もする。

【四方山日記〜その14】 バーティカル・リミット

今シーズンで一番の大雪になった。なのに映画を見に行く。それも男二人で。まったく色気なし。
選んだのは、こんな雪の日にはピッタリの映画「バーティカル・リミット」。ヒマラヤで遭難した妹を兄が救助に行くおはなし。まあ、ストーリー的にはお約束モノなんだけど、映像的にはなかなかの迫力でした。なんてたってほとんどが雪山のシーンで、大自然の雄大さを満喫するのにはピッタリの映画です。それ以上は特に言うことなし・・・です。
しかし、あの噂の恐竜CG映画「ダイナソー」の混んでること。朝から満員御礼の連続で、家族連れに大人気なんだね。僕も上映期間中に見たいとは思っているんですが、どうなりますやら。
僕は見たいと思った映画はできるだけ映画館で見るようにしています。それは、見たいと思った瞬間の気持ちが大事だと思っているから。しかし、そんな僕でも冬場の映画鑑賞で困ることが一つだけあります。それはすぐにトイレに行きたくなること。できるだけ始まる直前に行くようにしているんだけど、これがなかなか思い通りにいかなくてね。クライマックスなんかでもよおしたりするともう大変。こんなときだけは、ビデオの良さを再認識しますなあ。それ以外は、やはり映画館で見るに限ります。というわけで、夢はやはりホームシアターですかいな。予定は未定。いつになることやら。



2001年01月03日(水) M12:小谷美紗子/D13:謹賀新年

【音楽見聞録〜その12】 小谷美紗子

新年一人目は小谷美紗子嬢。
はじめて会ったのは、いつじゃい(笑)?めちゃ曖昧なんだけど、たぶんセカンドアルバムの頃(?)かなあ。いや、もっと前だ。まあまあそんなところです。第一印象?そうねえ、正直言ってつかみどころがなかったな。会う前から、警戒心バリバリでね、彼女にまつわるいろいろな情報をかき集めたりしてさあ、それとなくリサーチしてたワケ。そこで導き出された答えは、白か黒かのどちらかだ(笑)。この意味、わかります?つまり、相性のこと。合わなかったら、それっきりかなって感じで構えてたよねえ。だから、はじめてキャンペーンで会ったときは、ぎこちなかったと思うよ。特に俺の方がね。
なんとなくいけそうだなって思ったのは、大阪でLIVEを見たとき。これが2回目の遭遇。打ち上げの席で、けっこういろんな話をして、これならOKって感じになった(笑)。まあ、それからはエライ仲良しになっちゃってね。俺もめちゃ気を抜いて付き合ってますよ。
彼女はとにかくピュアな人で、会うたびに純粋になれる気がするね。でも言動は、ものすごくシンプルでストレート。一言で言えば潔い。だから言葉以外の表現(例えば表情とか雰囲気とか)を感じ取るようにしてます。まあ本人は意識してないと思うけどね。ときどきふっと手紙なんかをくれたりするんだけど、だいたい2〜3行しか書いてない(笑)。でも、その行間に彼女の情念がにじみでている感じがしてさ、けっこう嬉しいんだよね、これが。
去年、富山で2回目のライブイベントがあったんだけど、想像をはるかに越えた心洗われるライブだった。えっ見たことないの?そりゃもったいない。あなたの心の中で何かが変わるはずです。機会があったらぜひお奨めしますよ。
そういうわけで小谷サン、21世紀もよろしくお付き合いさせて下さいませ。

【四方山日記〜その13】 謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
って思っていたら、もう3日です。早いもんですねえ。こんなことしてたら、今年もあっという間ですな。
みなさん、このお正月はどんな感じでしたか。あっしはといいますと、平平凡凡で過ぎていきました。もちを食ったのも1回だけだったし。みかんはまだ食べとらんしね。しかし、こんなに季節感がなくなってしまっていいのだろうか。まったくお正月気分じゃない。これが個人的なモノなのか、世の中の雰囲気がそうなのかさえわからないのだから始末が悪い。たしかに昔にくらべると元日営業なんていうのは、そんなに珍しくなくなったし、人の流れもより活動的なんだけどね。もうちょっとメリハリがあってもと思うのはあっしだけかいな。
子供の頃、大晦日から元旦へまたがるこの時間っていうのは、1年の中でも一番ワクワクする時間だったんだけど、今はそんな高揚感はどこへやらって感じだね。だから、今年のスローガンはズバリ!ゆとりです「ゆとり」。こんなこと書くと、そんなもん去年からありあまるほどあったろうがって言われそうですが・・・。



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