後悔日誌
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2011年03月23日(水) 三重苦


久し振りに車で買出しに出掛けた。

紙おむつがちゃんと手に入ったし、ガソリンも並ばずに入れることができた。
少しずつ、街が元に戻ってきているんだなということを実感。
不便なのもあとちょっとの辛抱か、と思うと少し嬉しい。


最後に立ち寄ったコストコでのこと。
異常なまでに水をカートに積んでいる家庭が多いこと。
備蓄にしても凄いな、と思うその量。
多い人はペットボトルで300本位は買っていた。

横耳で聞いた「金町浄水場で放射能が出たんだって」という言葉に
金町ってどこだ?なんて思いながら家に帰る。


早速調べると、それは東京都の葛飾区にあって、江戸川水系の浄水場のこと。
水道水1キロあたり、210ベクレルが検出されたということだ。
驚いたのはその給水範囲で、23区と武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹5市に給水している。

雨が降ったことで飛散していた放射性物質が集まったからと言われている今回の事件。
アナウンサーの、「大人は一時的に飲んでも問題ありません。」という説明が、虚しく聞こえる。

東京都は乳児のいる家はペットボトルで水を配布することにしたんだとか。
子供が飲めない水道水って…。
横浜で買占めに走った親たちの気持ちは分からなくもない。


水道だけじゃない。
その大部分は海に流れるんだろうし、東京湾から三陸にかけて広い範囲で汚染は進むだろう。
すでに福島、茨城、栃木、群馬の4県では牛乳や農産物の出荷が止められている事実もある。
半減期の短いヨウ素だけが悪者になっているけど、その他の放射性物質もたくさん降り注いでいるんだろうナァ…。

こうなってくると正しい知識が本当に必要だと思う。
行政も安全ばかりを叫ぶのではなくて、きちんとデータに基づき説明をするべきなのに。
何やってんだろうネ…。


それでもインターネットはありがたい。
民間が公開しているガイガーカウンター(放射線計測)の数値が無償でアップロードされているし。
自分の住んでいるところの水源も難なく調べることができる。

横浜市の南のほうは…。
寒川取水堰より相模川を取り込んでいるそうで。
丹沢の水と信じていたのに、調べてガッカリですが。


テレビでどっかの学者さんが今回の震災についてこう言っていた。
「地震に津波に原発が加わって三重苦です。」
ほんと、そう思うよ。



2011年03月21日(月) 物資


原発事故以来のまとまった雨。
北風で、横浜市のモニタリングの数値も高めで、なんだか嫌な外出だ。

近所のスーパーまで歩いていくと、相変わらず牛乳も冷凍食品もない。
それでもさすがは神奈川県。
野菜は地産のものがあふれ返っているし、魚も肉も十分に届いている。
物流が不十分とはいえ、よく頑張っているなと思う。

ついでに寄ってみたドラッグストアも。
久し振りに赤ちゃんのオムツやトイレットペーパーが届いていて驚く。
思ったよりも早い復活。
我が家の備蓄も底が見えてきていたので本当に助かった。


ガソリンがないから、街へ出ている車の数は激減。
いつもは渋滞の鎌倉街道も歩いて横切れるし、お店の駐車場はガラ空きだし。
物理的にないからだけど、実はとても地球に優しいことしているのかもしれない。


大量消費時代。
街には商品が溢れていて、次々に使い捨てられていく物たち。
それから無駄遣いされている食料品も。

それらは決していいことだけじゃないから。
うまく言えないけど、節約しなければいけない毎日が何かを教えてくれている気がする。

夕飯は鰈の煮付け。
世界のどこからか、ちゃんと食卓の上にやってきている。
感謝しなくちゃね。



2011年03月18日(金) 燃料


震災から一週間。
首都圏も被災地も、燃料がない。

氷点下の避難所でひたすら耐え抜いている人達に灯油は必要だし。
ガソリン不足で被災地に救援物資が送れない、というのも深刻な悩みだ。

横浜でもガソリンスタンドは軒並み在庫切れの閉店。
物流が途絶えると、こうも簡単に日本は息絶えるんだネ…。


そんな中、青森の県知事が港の有効活用を訴える会見をしていた。
青森港と高速道路を結んで東北地方に荷物を展開する提案。

これは本当に正しいと思う。
何が何でも関東から高速道路で輸送しようとしているのは間違っているし。
海路を全く理解していない今の政権に苛立ちすら感じる。

JR貨物のタンク車を日本海経由で青森、盛岡に送り込む作戦や、
関西地区のタンクローリーを数百台投入する作戦もあるようだけど、
どうして海からの大量輸送を考えてくれないんだろうナァ…。


夜のニュースで、いわき市の水族館もいよいよ燃料切れと伝えていた。
非常用の発電機で頑張っていたけど、ろ過も水温調整もできなくなるそうだ。
何十万匹という魚たちが、見殺しになる。


もう少し対応が早ければ…。
今日もそんなことばかり考えている。



2011年03月15日(火) 逆流


大阪の造船所での仕事を終えて帰路につく。
カバンにガスボンベや米、パン、野菜を詰めて新幹線に乗るなんて。
他にもそれらしい人はいて、なんだか戦時中の列車みたい。

順調に新横浜駅。
改札に行くと、みどりの窓口がパニック状態になっていた。

前日の福島原発3号機の爆発のせいで関東脱出の人たち。
子連れで大きなスーツケースを持って、全員マスク姿。
ざっと見ても300人以上は列を作って並んでいる。

流れに逆らいながら、地下鉄に乗って最寄の駅からタクシーへ乗ると…。

今度は停電の真っ最中で信号機も消灯中。
いきなり電力不足の洗礼を受けました。

生活用品買えない。
電気ない。
放射能飛んでくる。

想像以上かも。



2011年03月14日(月) 手紙


みんな元気か?
連日の報道に心が折れてしまいそうだよ。

プラントエンジニアとして色々思うことがある原発の事故。
運転員の気持ちは決して他人事じゃない。

ただ不可思議なことも多くて、これは判断ミスではと思うこともしばしば。
報道では簡単な用語に置き換えることも多いけど、ちゃんとした情報を出してほしい。
メディアはテレビだけじゃないんだし。


ところで今日、いわきに住む友と連絡がついた。
元気そうなメールが嬉しい。

吉里吉里に住む先輩も家族の安否がついたらしい。
これも嬉しい。

でも、まだまだ。
この間まで船に乗ってた後輩も3人連絡がつかない。
船越と気仙沼。
どちらも被害が甚大なだけに、不安だ。


テレビで頻繁に報道される被災地は、今まで船で行ったことある場所ばかり。
のどかな港町たちが壊滅している姿は見ていてつらい。


あまり連絡を取らないけど家族のこと、親戚のこと、友達のこと。
いつも気にしてるよ。

きつい時期だけど、頑張ろうネ。



2011年03月11日(金) 感謝


三陸沖で大地震が発生したらしい。
テレビでは、大きな津波が家を飲み込んでいる姿が中継されていた。
火を噴いたまま、どこまでも流されていく瓦礫の山。
逃げ切れない車が飲み込まれる直前で画面が切り替わる。
恐ろしい映像だった。


夜、長年お世話になった居酒屋へ出かけた。
会社に入りたての頃、無茶やったり悩んだり。
いつも暖かく迎えてくれた憩いの場所だけど、店仕舞いが近いのだ。

色あせた瑞泉(泡盛)の暖簾。
それから店員さんやお客さん達が思い思いに残していった小物たち。
奥に並んだ一升瓶も、真ん中に構えた炉端もなんだか忘れたくなくて。
しみじみ眺めた。


たくさんの思い出を作ってくれたこの場所。
感謝しなくちゃいけないね。

裏メニューのチャンジャ海苔巻きで俵屋に別れを告げた。
店長さんがずっと背中を見送ってくれたけど、うまく振り向くことができなかった。


春はやっぱり別れの季節。
今日のこともきっと、何年経っても忘れないと思う。



2011年03月10日(木) 誰かさん


今日も 明日も あさっても
どこかの誰かの 誕生日

明日も あさっても しあさっても
遠くの誰かの 誕生日

Happy birthday dear 誰かさん
Happy birthday to you

毎日 毎日 お祝いだね

Happy birthday dear 誰かさん
Happy birthday to you


綺麗な歌声の”たつやくんとマユミーヌ”
そんな歌を携帯電話で聞いてみた。


遠くの誰かに。
ありがとう。



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