後悔日誌
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2004年10月26日(火) 運動靴


アシックスのランニングシューズ。
実は、こいつの大ファンだ。

高校生の頃、といえばナイキのバスケットシューズ。
くるぶしまで隠れるハイカットが、バイクに乗るときにも適してたと思う。
頑丈なのがとりえだったし、かかとが踏めないから長持ちだった気もする。


いつからか、ジョギングをするようになって。
それからランニングシューズを履くようになった。

とにかく軽くて、裸足で走っているような感覚と。
その通気性の良さに驚いて、以来ずっと愛用。
軽いんだけど、よれないソールが本当に心地よい。


駅前のスポーツ屋さんに入った。
いくつか試してみたけれど、やっぱりちょっといいやつになった。
嫁さんの顔をちらっと見たけど、別にいいよって感じで。
気に入ったのが買えて良かった。

その後、電気屋さんでハードディスクをひとつ新調。

少しづつ、元の状態に戻せるように。
ゆっくり、ゆっくり、復活中。



2004年10月25日(月) 復活


結局、空路で東京へ。

大好きな窓際の席も取れず、窮屈な真ん中の席。
途中、右手に富士山が見えるとのアナウンスが入った。
いつもだったら撮影に精を出しているんだろうが、今日は違う。

京急線の蒲田駅で彼女と待ち合わせ。
先頭車両で待ち合わせをして、お互いがホームの反対で待つこと30分。
こんな、古典的なトラブルも携帯電話がないからだろう。


そんなこんなで、早速携帯を買いにいった。
今回は、130万画素のカメラとFMラジオがついてるモデル。
どんどん便利になっていくので本当に感心だ。

それにしても、電話が開通してからの留守電には参った。
たくさん入ってるのは予想してたけど、
「あれ!?死んでませんか?」
とか。
「残念でしたね♪」
とか。

思わず苦笑いでした。


さて、携帯は買ったものの肝心のメモリーはぶっ飛んでまして。
完全復活はいつになることやら。

でも、新しい携帯がちょっと嬉しい。



2004年10月22日(金) 待機


一夜明けて、それぞれが家へ帰る。

一晩中、一睡もせず戦った仲間達。
もう会うこともない仲間もいるだろう。
サヨナラも言えず、見送るだけ。
あまりに呆気なく、切ない。

事故の事情聴取は早速始まった。
待機を言い渡され、じっとホテルで過ごす。

TVニュースを見ていても、未だ信じられないような。

…そんな気分だ。



2004年10月21日(木) 救助


長い夜だった。
各所からの浸水に、撤退を重ねる。
追い詰められて、最後に選んだ部屋が最後の砦になった。

強烈な風切音と激しい動揺。
平坦なら腰までの深さの水面も、傾けば天井近くまで上昇する。
空気はよどみ、重油の臭いが充満。
真っ暗闇の中、肩を寄せ合って時を待った。


空が明るくなってヘリコプターが飛ぶようになって。
それでも、波はやまない。

事故から半日以上経って、ようやく救助活動が本格化した。

見るも無残なデッキの上から、防波堤外側のテトラポッドに渡る。
日本海用のテトラポッドで、見たこともないような大きさをしていた。
防波堤に立ったところで、安堵の溜息。
振り返って、無残な姿をもう一度焼き付けた。

それから先は、救急車で診療所。
お風呂に食事、そして宿泊施設へと流れていって。
いつの間にか、眠りに落ちた。


とにかく、生還できてよかった。
一人だけじゃなくて、全員で。



2004年10月20日(水) 被災


台風23号に被災。
多くは書けないけど、座礁した。

機関室の中で外板が裂けるのを見た後は、退船の準備。
防寒着にライフジャケット、ヘルメット、安全靴。
それだけが精一杯。
尋常じゃない波の音と不規則な動揺で立つこともままならなかった。

船外に出れば波に飲まれて命はない。
船内ではあちこちから浸水。

ただ、耐えるしかない。
海が静まるのをずっと。

静かに夜を越した。



2004年10月19日(火) コロン


それは日本海での事件。

いつものように見回りをして、いつものように当直をしていたその時。
上司が不思議そうな顔で尋ねてきた。
「あのさ、そこの階段の4段目。あれ臭わない?」

まさかそんな事は…、手近な後輩を連れて現場へ急行。
例のモノに鼻を近づけた後輩は、自信たっぷりに
「間違いありません。」
と、言っていた。

血の気が引くのを感じながら、早速聞き込み開始。
すると衝撃の事実が次々と…。

それは、ずいぶん前から転がっていて触っちゃった人もいて。
最後に踏んづけちゃった人もいて…。


犯人はそんなに我慢してたのか?
呆れるやら悲しいやら。

描いちゃいけないんだけど、作業服の裾からコロン。
ってのが頭の中を支配しちゃって参った。


コロン。



2004年10月18日(月) 重霧


北の別れは何故か寂しい。
そういえば、一年前も同じような気持ちだったっけ。

久し振りに船尾から航跡を見ていた。
見事なまでの凪の海。
地球岬がどんどん小さくなっていって、もやの中に消えた。

灰色の世界。
空と海の境界線もなくて、風の音もなくて。
ただプロペラが海をかき回しているだけ。


ゆっくりゆっくり。
船は津軽海峡を越え、日本海へ…。



2004年10月15日(金) 気合


びびった。
真っ裸で上司が小便器に腰掛けて寝ていた。
酒を飲みすぎて狂っちまったんだろうか。

声を掛けようにも役員クラスの偉い人。
どうしていいかわからず途方に暮れた。

仕方ないので放っておいたんだが、しばらくして気合の声が聞こえた。
「う”〜んっ…」

それからきっと、満足気に個室に入りまた熟睡。

こっそり見に行くと、見事なまでにやってくれていた。
後輩が紙皿と割り箸を持って飛び回っていて気の毒そうだったよ。


まさに、くそじじい。



2004年10月11日(月) 海底


久し振りに放り込んだ漁具。
円筒形の網で入ったら出られない、主に底で使うものだ。

砂地を期待していたが、底質は泥。
真っ先に揚がってきたのはウツボ君だった。
蛇のようなボディに凶暴な顔立ち。
かなりの食いしん坊で既に餌がなくなりかけていた。

怯えながらウツボを放り投げ、次の獲物を待つ。
次はといえば、ヒトデに訳の分からない毛虫たち。
寒気がするほど強烈だった。

釣具屋で売っているイソメ(生餌)をでかくして足を生やしたその格好。
ブヨブヨな体が伸びたり縮んだり、それでいて足が波打って動いている。
海の底の掃除屋さんってとこだろうが見てるだけで怖い。

海の底ってのは恐ろしい所だ。
人間で良かったよ。



2004年10月09日(土) 直撃


ひたすら我慢。
台風を避けるため、錨を目一杯伸ばしてじっと待っている。
空の上は凄いスピードで雲が流されているのに風はまだない。

NHKが台風情報だけを流すようになって数時間。
いよいよ御前崎やら石廊崎で60m近い風が観測され始めた。

気圧が急激に下がり、風向きが変わるとあっという間に嵐になった。

風速40m。
マストからは風切音が鳴り響き、波はたちまち高くなる。
波の上で崩れた飛沫がそのまま横殴りに吹き飛ぶ。
二層になったような波は初めて見た。

時折、錨鎖が目一杯張って船が傾く。
5度、10度、15度…。
航海中の揺れと違って錨を伸ばしている舷のほうに倒れるような感じ。
少しだけ恐い。

台風のとき気をつけないといけないのが走錨(そうびょう)だ。
振れ回り(錨を中心に振り子運動すること)がなくなると流され始めた合図。
ゴツゴツという振動と共に風下に流され始めやがて座礁。
…なんてなったら新聞ものだろう。


ようやく落ち着いてきたのは暗くなってから。
暴風域が小さかったのは不幸中の幸いだ。

エンジンを手早く冷機して作業服のまま眠りについた。



2004年10月07日(木) 昔


久し振りに晴れ渡った空。
青色。
星まで見えてしまいそうな澄んだ空気が心地良い。


館山沖、午前八時。
防災無線のスピーカーが奏でる音楽が遠くから聞こえた。
懐かしい音楽。

町内で一斉に鳴り出す音楽は、やっぱり田舎に多い気がする。
それは昼のエーデルワイス(千葉県富浦町)だったり
夕焼け小焼け(東京都八王子市)だったり
あの音を聞くと、何故か昔を思い出して感傷的になる。


好きなことに全力投球していたあの頃。
妥協なんて言葉は無かった。

いつの間にか時が経ち、妥協だらけの日々。
大人はつらい。



2004年10月04日(月) 告別


告別式10月4日、の紙切れ一枚。
いつか笑って飲み明かした友は、もういない。

黙って公園で命を絶ったその時、最後に何を思っていたんだろうか。


一日が重い。
毎年のことに慣れっこになりつつある失踪、事故、自殺。
皆、知らない振りをして目の前の事だけを見つめている。


モノトーンに変化する記憶。
首里で誇らしげに泡盛の瓶(かめ)を届けてくれたこと。
酔っ払って全身に落書きしまくったこと。
そして最後に会った数日前のこと。


心の中で「馬鹿野郎」と、何度繰り返した所で現実は変わらない。
後悔せず空の上で酒瓶をひっくり返していることを願う。


サクちゃん、お元気で。



2004年10月01日(金) 衣替


電車で隣に清純そうな学生が座った。
手紙を書いたりプリクラの手帳を眺めたり、色々忙しそうだ。

時折腕がぶつかり合うんだけど、許しちゃうなぁ。
なんて、心の中でにやけていて気が付いた。

冬のセーラー服にカーディガン。

季節の巡りを感じた瞬間。



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