坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年10月31日(日) 何に対して苦しんでいるんだろう?


曇り、時々雨、後雨。
朝は晴れていたので、1週間ぶりにバイクに乗る事にした。
先週に出かけた時、寒さが堪えたので今日は、防寒対策をしてから出発をした。昼前に家を出て、朽木村のいつもの場所まで行ってお昼にした。
コンビニでおにぎりを買って、駐車場で食べた。運転中の脚は「少し痺れが感じられる」程度で、どうにか行けそうな気がした。
事故以来持っていた怖さも、少しずつ薄れて言って、バイクの運転に必要な操作に勇気を出した。体重移動、目線、カーブの立ち上がりでのアクセル等々。
福井県は小雨、帰りの山道では雨になった。ぬれた路面での山道は、速度が上がるとグリップ感に不安を感じた。

脚も少し痺れてきていたし、何をしても不安がいつもついてくる。もっと、全てを忘れて熱中してみたい。今でも事故の打撲が痛み、何度も注射を受けているけれどなかなか元には戻らない。
身体の痛みより、心のキズが大きい。






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「座骨神経痛」の事に何でもかんでも、何かにつけて関係を考えてしまう。
鬱の事も同じ。
全てを忘れて楽しく人生を生きて行く事はできないのだろうか?!



2004年10月28日(木) 断る事が出来ない性格


社内でも「相談」として話を持ちかけられると、どうしても断れなくて仕事を増やしてしまう。何でも受けるつもりはないし、断る事もある。
でも、頼まれると「なんとか出来ないか」が優先してしまう。時には会社員として、仕事をしているのに損をする事もある。出世コースを進んでいる人は、その辺が私と違うような気がしている。

今日は「坐骨神経痛」「事故の打撲」「うつでの精神科」で、午前中は病院通いだった。脚の膝と左肩に「痛み止めの注射」、これは少しづつ痛みが和らいで来ている。それ以外はなかなか思うようにならない。
医師との会話も、「助けを訴える事ができない」だから、毎月の様に同じ治療を頼むだけ。さすがに、入院治療は効果無しと判断されているから、外科的治療や検査は言ってこない。





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「痛み」から解放された時のうれしさは、言葉では言い表せない。少しずつでも良いから、「坐骨神経痛」も「うつ」も実感したい。
今年になってからの治療は、「仙骨ブロック」だけにしている。今日も同じ。
直後は下半身、特に足先に力が入らない程、注射の効果で麻痺していた。血圧が正常だから、帰って良いと言われたので治療室のベットから立ち上がった。
歩くと自分の脚じゃない様な麻痺感覚。こけそうだったので看護婦さんに、休むように言われて30分程度休んでから、神経科へ移動。



2004年10月27日(水) 凝り性な性格


「坐骨神経痛」を治すために始めたバイク。普通二輪の免許をとって、400ccのバイクを購入した。同時に大型二輪の免許もとった。
バイクを手にしてから事故を起こすまで、毎朝、練習にのめり込んで、慣れて来た油断もあったのだろう。ついに峠で事故を起こした。
それでもバイクは諦めきれず、大きな修理費も出して再び乗り始めている。違いは、日曜日の昼間に日帰りのツーリングになった事。ムリな事がこわくなってしまった。その反面、大型バイクに興味が強くなっている。
買える金額じゃないし、脚や身体の不安もあるから実現はムリっぽい・・・・。





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最近の生活パターン。
10時〜11時位に眠剤を飲んで、眠りにつくのは12時か1時頃。そして、早いときは5時頃に眼が醒める。薬のためかだるさとふらつきで、再びうつらうつらする。午前中は特に辛くて仕事にならない。遅れてくる仕事で焦りと苛立ちが続いている。

そんな生活の中で、大型バイクの情報を見ていると、乗って見たい衝動にかられる。バイクで出かけると、出会いがあるけれど自分の様な年代の人には逢わない。車と違って見知らぬ人から、出先で声をかけられる事は多い。
家庭内の事でもやらなければ・・・・・、なのに、こんなに遊んでいてて本当に良いのだろうか?
1つ位、わがままな事をしていても良いじゃないか、自分の中で反発している。


2004年10月26日(火) 不思議な違和感がある。


身体が異様にだるい。特に背中がおもくて耐えられない。
これはなんだろう?
脚の痺れが再び出てきたし、朝に眼が醒めてしまう。今日は5時がはじめで、少しづつ寝ては起きての繰り返し。それなのに、7時になっても起きる事が出来ない。
おかしい・・・・何かが狂っているんだ。
仕事が辛いから「拒絶感」が出ているのか?期日までにしなければならない仕事は、山積み状態で、それなのに毎日仕事が増えている。
「どうせ頑張っても、評価もされないし」なんて分かっているから、余計に気力が薄れてしまい悪循環。





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すごく時間のかかる仕事が残っている。「面倒だ」と思う気持ちがあるから、余計に手が着かない。知らん顔もできないし、とにかくやるしかない。

いろんな”欲”が心の中に潜んでいる。だから苛ついたり、苦しんだりするんだ。
何も欲しいものがなくなれば、苦しまずに生きていける気がする。でも、現実にはそれが出来ない。


2004年10月24日(日) 娘からのメール


「結婚するつもりでいる」こう言って来てから、随分と日が過ぎている。相手が転勤になる事が決まったから、それまでに会って欲しいとメールが来た。
「何もしてやる事ができない親」それがとても辛い。最初に話しがあった時に、今までにいろんな事をしてもらってるから、気にしないで良いと言う。
「お父さんが”うん”って言うまで行かないし・・・」とも言われた。反対なんてするつもりは無いけれど、やっぱり、直接口に出して言うのは辛い。
「わかった」一言だけメールで返事を出した。女同士は話しやすいのか、電話で話している様子だった。






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長男の病気の事がなかったら、自分の身体が調子よかったら、次男の高校がうまく行ったら、いろんな事が頭の中でぐるぐると回っている。

先週の日曜と同じで、昼からバイクで出かけた。先週と同じコースを逆回りで走った。ひどい痛みは出てこなかった、でも何度か両手に引きつり感があって、その都度休憩をとった。
運転中も何度となく、娘の事を考えていた。長男の事や、いろんな事を考えて気持ちの整理はつかない。カーブや追い越しなど、運転に神経を集中している時だけは、忘れている。
車だと座ると脚が痺れてくる、それがバイクだと大丈夫。脚の付け根やおしりの圧迫感が違うから、そんな気もする。


2004年10月22日(金) うたた寝


なぜだかTVの前で横になって、ぼんやりとしているといつのまにか、寝てしまっている。気が付くと、3時や5時くらいになっている日もある。
特別に見たいTVがある訳でもない。だから、TVの前で眼を閉じていると寝てしまうのだろう。
「動ける間にしておきたい」、こんな願望が強いほど”あせり”みたいな気持ちがわいてくる。自分でもなぜなのかわからない。
何となく起きて会社へ出かける。そして熱意が薄れてしまっても、それを悟られないように、1日を過ごす。終われば家に帰って、ここでも何かする目標もなく、何となく夜を過ごす。
休みは日祭日だけ。開き直って、たまに土曜日に休みを取って2連休。

すごくバカバカしい毎日を過ごしている気がする。
唯一、見つけた遊びがバイク。お金がかかるので、気になりながら日曜日に遊んでいる。
夏は早朝に眼が醒めたので、毎日の様に近くの峠越えで練習をしていた。8月末の事故以来、睡眠がおかしくなり、バイクの修理費と身体の怪我で生活パターンが狂ってしまった。

もう一度、何か目標を見つけて、気力を取り戻したい。





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2004年10月20日(水) 「眠気」が手に負えなくなってきた


不眠でも辛い毎日だった。めざめがおかしくなり始めは、いつの頃かハッキリとはしない。まさか、、、、、こんな事になるなんて、夢にも思わなかったから。
睡眠時間は、11時から12時頃が一番多い。普段と同じで、眠剤は飲んでいる。
7時、目覚ましの音で眼が醒める。
不眠の時の様に、突拍子もない時間に眼が醒める日は、ほとんどない。それどころか、なかなか起きあがれない。
そして、終日のように眠気との闘い。眠気は「突然」襲ってくる。それも耐え難い程の強いもの。

思い出す。禁煙をした5年前のことを・・・・。あの時ととても似ている。
27年間、禁煙直前は50〜60本の状態だった。長男が高校に行くときに、希望が私学だったので何とか学費の一部に、それがきっかけで始めた。
違うのは「無気力感」「脚の疼痛」などは無かった事である。頭痛、耳鳴り、訳の分からない症状で、約4ヶ月くらい苦しんだ。






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症状を観察する。
横になるとおしりが圧迫される、すると反対側の足先に痺れ感がくる。椅子に座ると、両脚の足首付近に痺れが続く。初めて違和感を感じた頃に、症状は似ている。
歩くときの状態は、表現が出来ない。

いつも心のどこかで、どうでもいい!って感じている



2004年10月18日(月) うつ・坐骨神経痛・打撲傷など闘う目標が分からない


「不眠」が変化している。これだけはハッキリとしている。
最悪の状態だった頃、深夜に眼が醒め早朝にも起きてしまう、こんな状態ではない。やたらと眠い、朝だけの時や夕刻まで続く時もある。

「坐骨神経痛」の初期の頃に感じていた事、座った時の痺れ、横になった時に脚が痺れと痛みがある。こんな症状が出始めている。これまでの経緯から、身体のどこかに異常があるなら、それはキッと「脳」であり、自律神経だと思う。
自力での解決は、少々諦め気味になっている。





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会社にいる事が、とても苦痛に感じる毎日。何が原因かは特定出来ない。「ストレス」のゴミ箱に入っているみたいな気持ちになる。でも、そんな風に感じる事が、「うつ」になっている証拠だと、チェックシートでの結果だった。
毎月のように退職者が出る会社、これが正常とは思えない。若い人もいる、中堅も、私の様な年代もいる。退職しても生きて行ける人たちがうらやましい。

私にとっては、「家族」はほとんどがすれ違いの生活。私は帰ってから家で顔を合わすのは、平日で数時間。休みの日は大抵が一人。
共働きで休みが合わない、次男も中三で昼間は遊びに出ている。朝晩、昼間に家にいても運転手になっているだけ。長女は家にいるけれど、働く時間帯が違う事と自分の用事があるらしくて、月に何度か顔を合わす程度。

自殺が一番多いのは、「うつ」になりかけだと講習会で言っていた。分かるような気がする。引き出しの中に溜まっている「睡眠剤」・・・・・。
時々、いくつあるか数えていて、もしも飲んでも誰も気が付かないかも。そんな事を考える事がある。


2004年10月17日(日) バイクが帰って来た


8月の事故以来、3度目の修理依頼。整備責任者は「検査結果で異常ナシ」と言うので、引き取って乗ると「おかしい」・・・。三度目ともなると、直接言いにくくなって営業マンに訴えた。
テストランも含めて、分解・組み立てのやり直し。念のために電気系統を見直して、プラグの交換をした。2度の再修理費用は、店側の負担で終わった。

脚の調子は万全とは言えないけれど、何とかなるだろうと思って1週間ぶりに「調子の確認」のために運転をする事にした。
事故の恐怖感はまだ残っている。カーブや低速走行、いろんなところで衝突の記憶が蘇ってくる。このままでは、乗りこなせないし、かえって危ないので勇気を出して発進。身体の方は大丈夫だった。
バイクも不調から脱出した様子で一息ついた。





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「うつ」は風邪引きと同じで、治ったと思っても、何度もかかる可能性がある。社内の講習会では、こんな説明があった。自分の様子を観察していても、その通りだと思う。でも、それは「本当は治っていない」のかも知れない。疑いが消えない。
「仮面うつ」の事も説明にあった。「肩こり」や「腰痛」「不眠」など、身体的な症状で「うつ」が出てくると言うのである。
私の「坐骨神経痛」はこれかな?って感じた。

バイクを運転しながら、左脚が気掛かりになるたび、こんな事を考えながら運転をしていた。そして、機械は修理すれば「元の状態」にならなくても、それに近い状態に戻る。生身の身体もなるだろうか!!


2004年10月13日(水) 「イヤになる」・・・言葉にすれば、これだけ


何が理由なのか、サッパリわからない。けれども、イライラして人と逢いたくない。仕事の事、職場での人間関係がとにかく”鬱陶しい”、としか言い表せない。
自分では何もせずに、人のすることにケチをつける事しかしない人、それでも社内ではムシをする事ができない。

「眠り」がどうしても正常にならない。眠い事と眠れない事が同居している。







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自分の事ができる時間を作って、一時的でもイヤだと思う事を忘れたい。
違うかも知れない、もう、何がなんだかわからない。


2004年10月12日(火) 「うつ」の講習会


会社で「うつ」の講習会があった。
説明はほんの少しだけで、「神経科」の通院をしている私にはショックだった。当てはまると感じる事が多すぎた。
その中でも一番は、「不眠」に関する事だった。夜中の3時頃に目が覚めて、それから眠れないとか、昼間に眠気がくる。そのままだ。
ショックを受けたのは、その逆でとにかく眠気ばかりが続くのも、「うつ」の症状だと言う。
今の自分の症状そのまま。不眠が治ったと思っていたのに、「うつ状態」の身体症状が違うだけだった。素人判断はいけないと思うけれど、余りにも最近の状態に酷似している。






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「自律神経」をどうすれば正常に出来るかが、『鍵』になっている。睡眠も脚の痺れも、原因は自律神経の狂いから。
バイクで少しストレスの発散になっていたんだ。4月くらいからの教習所、そして、バイクを手に入れてから運転中は、いろんな事を忘れる事ができた。
そのバイクも8月の事故以来、不調で整備工場に入ったまま、なかなか帰ってこない。少し間隔が開くと、運転中の「こわさ」が出てくる。

慣れて来て毎朝、峠を走っていて「もう少し行ける」と感じ始めた時、そんなときの事故だった。今、思い出すとマンホールでスリップしたのじゃなくて、目線が壁に行っていてカーブを曲がりきれずに、山の崖に激突したのかも・・・・。
まあ、どっちでも良い事だけれど・・・・・。



2004年10月09日(土) 「眠り」の不思議


「眠たい」のではなくて、「眠りたい」欲望が益々強くなっている。いつでも、いつまでもとにかく寝ていたい。
これまでの不眠で寝不足だった分を、取り戻したいと思うほど、とにかく寝ていたい。でも、現実はほど遠く眠れる日は僅かしかない。

自律神経が狂っている。ネットなどで「眠り」について調べたら、自律神経が調整役をしている。「なぜ、眠らないといけないか!」は、ハッキリとしていない。
睡眠が不足すると「死」の危険もあるし、「記憶の欠落」が出てくる。こんなことが書いてあった。





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7日に襲って来た脚の痛みは、それ以上の悪化がなく治まっている様子。事故の打撲痛は、今でも残っていて「これも辛い」。
この日、痛みで休憩中に電話が鳴った。
長男からで内容は、車で事故に遭ったと言う。幸い信号待ちで追突されて、相手が悪い事を認めているし、身体も大事には至らなかったらしい。長女の車は駐車場でぶつけられて修理中。墓参りで、家族の健康をと祈ったけれど・・・・。

少しずつ何かが変わって行くのを、気を長くして待つしか無いのだろうか?


2004年10月07日(木) バイクの運転中に・・・・


仕事に予定のない日が出来たから、思い切ってやむ無事にした。気がかりな事を、また一つ減らす為に親戚の家に、バイクで出かけた。
バイクの調子がどうしてもおかしい。信号待ちでエンストが起こる。アクセルをあけても、パワーが出てこない。すごく運転に神経を使う。
どうしても、これが正常とは思えない。
とにかく、目的地には到達できた。「坐骨神経痛」で入院した時に、来てくれたのでほぼ2年半ぶりだった。

少し話しをして、帰る事になった。既に、くらくなっていて道も不安で、夜道を飛ばした。突然、左足に引きつりが走って運転に支障が出た。危ないのでコンビニの駐車場で、痛みが治まるのをただ待つだけ、「もしも」と考えながらも出来るのは待つだけ。

この痛みも、何かの不安か苛立ちが原因なんだろうか?






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運転だけじゃないけれど、家を出たのが1時で、帰宅したのが夜の11時になっていた。京都・大阪・兵庫などの都会の道を多く走ったので、とても疲れた。
田舎の道、自然が多いところがやはり私にはあっている。本当にそう感じた。


2004年10月06日(水) 何が違うのかがわからない。


調子の良いとき、悪いとき。私の何が違うのかが、どうしてもわからない。考えたってわからないから、知らん顔していれば良いのか?
それもできない。なんとかして、良いときの状態を長くしたいから、悪くなって来ると「どうして?」と考えてしまう。

いろんな検査は多くしているから、異常はない・・・・・はず。
ストレスやら神経系、精神病だとすると「脳に異常がある?」のか!!
少しずつ少しずつ、症状が元に戻って悪くなる不安で、気持ちに余裕が無くなっている。





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どんなに頑張っても、「人の運命」は変わらない。でも、何もしなければ変わるかも知れない可能性を、自分で無くしてしまう。どちらが結果を変えるのか誰も知らない。
頭の中でこんなもやもやが、生まれては消えて行く。

痺れがこんなに辛いものとは、こうなるまではゆめゆめ考えもしなかった。


2004年10月05日(火) 生活に変化無し・・・・


会社にいても特に何かに打ち込んでいる訳じゃない。いなければ仕方がないから、来ているだけ。する事はあってもその気になれない。
一日中デスクにいて、電話での応対はしているが、手つかずで置いている仕事の方が多い。不本意な状態だから、苦痛に感じている。

不眠解消で深夜や早朝に覚醒することはない。その代わり寝起きが悪くなって、なかなか起き出せずにいる。うまく行かないものだと、つくづくイヤになる。
昨夜、バイクが修理工場から戻ってきた。でも、自分が異常と感じている症状は、相手からは正常ですと言う。なんだかスッキリとしないまま、仕方がないと諦めて受け取った。自分の身体の事で、医師と会話をしているみたいな状態。
「検査の結果は正常だから、する事がない」、メカだから仕方がないか・・・・。






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気のせいか、座っている時の脚の「しびれ」が強く、腰の痛みが出ている気がする。病気になったのではなく、病気を自分で作っているのだろうか?
その日が忙しく、明日もする事が残っている位の方が、生活感がある感じがする。

子どもの病気の事が無く、自分の事を考えて二輪の教習所通いをしていた時の方が、1日を気にせず生きていたかも。

でも、こんな事くらいで「坐骨神経痛」が悪くなるのだろうか?


2004年10月04日(月) 日記を書く事になったはじまり


「坐骨神経痛」での治療や検査などが続いて、入院する事になったとき「これで何かが変わる」と期待をした。もうあれから長い期間、完治しないまま「痛み」と付き合ってきている。脚を引きずる様にして歩いていた頃、起きあがる事も辛かった腰痛とのつきあい。
西洋医学では治らない、東洋医学でもダメ。行き場のない思いで、気力を無くしていた頃に「TMS」と言うものに出会う。光が戻った気がして、すがってみたものの未だに良くわからない。
こんな頃に「手帳に書いていた日記」やメモをここに移した。多分、自分自身の気持ちの整理と同時に、「誰かに聞いて欲しい」気持ちがあったのだと思う。

「いつかは治る」と言う気持ちと、「ずっと付き合うしかない」と言う諦めが同居している。これは今でも変わらない。
精神的なもの、ストレスなどが原因と言うのも「何となくわかる気がする」。それで挑戦するものとして選んだものがバイクだった。





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仕事での熱意が薄れてしまい、なかなか情熱は戻らない。脚の症状や不眠は随分と楽になっているけれど、生きて行く気力も薄れてしまっている。

全てがうまく行くようになるのは、いつの事になるのやら・・・・。

いざと言うときに『やり残した事』が無いように、出来るときにしておきたい。仕事は半ば諦めているので、そのほかは綺麗にしておきたい。
出来るだろうか!!



2004年10月03日(日) 12年ぶりの墓参り


長い間、お墓の管理費も払っていないし、墓参りもしていなかった。「坐骨神経痛」になって入院を決意した頃、一番この事が気になっていた。少し車の運転も気にならずに、出来るようになってからもなかなかいけなかった。

今日は休みで、一人で何もすることがなかった事もあり、思い切って出かける事にした。片道、車で約2時間半。途中、少し辛かったけれど、墓石の掃除をして手を合わせた。親の顔はハッキリと思い出す事ができた。

長男の病気の事をお墓の前で考えていると、自然に涙が出てきて止まらなかった。なってしまった事は仕方がない。そんな風になかなか割り切る事ができない。
お墓の掃除をして、お寺の事務所で「管理費」の事を調べて貰ったら、最後に納めたのが、平成5年だった。12年分の管理費を渡して、お寺を後にした。






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一つ気がかりな事を減らした。少しでも肩の荷が下りた筈なのに、気持ちはそうはならない。


2004年10月02日(土) 親が子どもに出来る事


長男の病気の事が頭から離れない。治る見込みもなく、特定疾患に指定された病気に二十歳でなった。「家出同然で出て行った」、この事も元気でさえいればと諦めの気持ちになっていた。たまに苦しくて無心のメールに助け船を出してやって、今日まできた。
まさかの事態で、自分自身の気持ちの整理もついていない。
「帰ってこい」と言っても、してやれる事は思い浮かばない。何か思うところがあって、一人で出て行った子ども。そんな子に何が出来るんだろう?

毎日、何をして暮らしているのだろう。心配をする事くらいしか出来ない。

良く考えれば、次男の高校の事も似たようなもの。いくら勉強しろと言っても、結局は本人次第。この子も病気が再発しなければ良いのだが・・・・。こればかりは、何ともならない。祈る気持ちしかない。

長女は「結婚する」と言って、もう1年近くが過ぎている。「何もしてやれないけど」と言えば、今までにいろいろして貰ってるから、自分の事は自分でするからと言う。寂しいものである。でも、病気にならずにいるから何をしても、黙っているしかない。





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ようやく、「坐骨神経痛」が良くはなっていないけれど悪化せずに、何とかしている。8月末のバイク事故も「痛み」が少し和らいで来ている。バイクの修理は終わらずに、まだ修理工場の中にあるけれど。

自分の親が早くに病気して、他界しているから私に逆の経験がない。自分の力で生きて行くしか無かった。やっぱり、「私は私、あなたはあなた」なのだろうか?
せいぜい親が出しゃばるのは、小学生か中学生くらいが限界。それからは無用のものなんだろうか?
あれこれと考えているばかりで、何も見つかっていない。


2004年10月01日(金) 「生きて行く」・・・闘いかな?


もう、子どもの頃や若い頃の事は、ハッキリとは覚えていない。多分、子どもの頃は友達はあまりいなかったので、つき合う事と闘いがあった。少し大きくなって大人になったらと夢を持っていた頃も合ったのだろう。
でも、今となっては記憶が余り無い。

働きだして、仕事と遊びに懸命になっていた頃が、一番の時期だったのかも知れない。気が付けば、今の様な状態になっていて、「生きている気力」が萎えて行く事を意識している。平凡に生きて行ける事が、一番の幸せだ等と考えていたり、目標を持って壁にぶつかって行く生き方をしたい。いろんな迷いがありながら、何も残せていない失望感に襲われる。

子ども達が何も心配のない状態だったら、もっと気が楽になると思う。





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今日、長男からメールが来た。「腹痛が激しくて検査が出来ない」、なんて返信をすれば良いのか直ぐに出来なかった。まだ、二十歳。これから長い間、同じ苦しみを身体に抱えて生きて行かなければならない。
なにも協力をしてやる事が出来ないし、その内に、私はいなくなってしまうのだろう。次男、長女の行く末を見届ける事は出来るのだろうか?

せめて、子ども達は何事も無く生きて行って欲しかった。
私が「坐骨神経痛」で入院や頻繁に通院していた頃は、長男は高校生で親の事はほったらかしで、遊んでいた。まだまだ、その方がましだったのかも知れない。

これから先、私は何のために生きて行くのだろう?



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