坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年04月24日(木) 治療休暇

なかなか、治療のために休暇願を出すのは抵抗がある。だから、検査のために病院へ行くという理由にして休みにした。3度目の挑戦として、小松まで行く事にした。疼痛の状態は読書療法では変化が出ない、だから焦りがでていた。本もなかなか集中出来ずに読むのも進まず、読んでも殆ど記憶に残っていない。





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前回の失敗を参考にして、毛布を後部座席に積んで出発した。今日も天気は悪く雨が降っている。高速道路を走る距離を減らす事にして、敦賀ICまで下を走った。
初回の様にTPブロックは少しだけだった。私のように慢性化してしまうと効果がないのかも知れない。診察が終わってから、駐車場に止めた車の後部座席で寝る事にした。毛布が役に立ち3〜4時間は寝ていたと思う。
充分では無いけれど帰る時間も気掛かりだったので、出発することにした。なぜ間違えたのか、IC迄のみちを行きも帰りも間違えて時間がかかった。


2003年04月23日(水) 苦痛の比較は出来ない

足かけ2年休むことなく続いている坐骨神経痛。
ずっとその痛みと痺れが辛くてその症状から逃れたくて治療を続けてきた。TMSのことを知って、考えや気持ちが変わってきた。なにしろ、はじめの頃は症状名を他人に言う事さえも恥ずかしくて言えなかった。
ずっと過去には腰痛で辛い思いもしたけれど、今回ほど長期間続く事はなかった。
「坐骨神経痛=歳をとると出てくる症状」という意識しか無った事が、本でいろいろな知識を得て違っている事を知った。
なぜ痛みが出てくるのかを知って不思議だった。でも、すんなりとはそれまでの治療(ブロック治療)を止めるほどの勇気は無かった。多分、痛みの強い治療だからガマンして続ければ、いつかは治ると言う意識があったのだと思う。





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長い間続けていたけれど一向に改善の兆候が出てこない。
それで、今まで以上にTMSの本を読む事に集中しようとした。それも、なかなか効果が出ない。ブロック治療を中止してからも、症状の変化は顕著には出てこない。
原因はストレスだと信じている事。
仕事に対する自分の気持ち、職場での人間関係、家庭内での事、好き嫌いに関係なく逃げ出す事が出来ない事ばかり。これらが排除(自分の気持ちとして)出来ない限り原因の排除が出来ないような気がしていた。
それは、症状もついて回るものだという気がしていた。
最近になって、違う症状がつきまとうようになって来た事からなんだか、とても違和感を感じて来ている。

肉体的な症状が辛くないかと言うと、決してそうじゃない。けれども、何とか歩く事も出来るし、座っている事も出来る。入院(一年前)を決心した時に比べれば、ガマンが出来る状態になっている。でも、職場での人間関係や仕事に対する考えを変える事は、比較にならない程、辛い。出来ないと思いこんでいるだけかも知れない。
本当はつながっているのだけれど、症状をガマンする事と、心因的な事を別々のものとして考えて、あっちはあっち、こっちはこっちと、それぞれで向き合う事しか無いのじゃないだろうか?
こんな風に考えはじめている。


2003年04月19日(土) 深夜勤務

深夜作業があるから、早く仕事を一端切り上げて少しでも良いから休んでおこうと思っていた。ところが、夕刻くらいに2カ所から同じ内容を同時に言ってきた。
内容を良く聞いてみると、発端は社長で別々の人間に依頼を出していてそれが、こちらに回ってきたようだった。
仕方が無く仕事に取りかかり、一段落したのが9時頃だった。
この歳で睡眠なしは自信が無かったので、眠剤を飲んで11時頃仮眠をする事にした。3時間くらい寝る事が出来たと思う。予定では、朝の9時には終わる予定だったので休みにするつもりだった。





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深夜4時頃に依頼先の会社の作業内容が予定通り行かず、原因調査に時間が掛かってしまった。午前中はあっという間に過ぎてしまった。
お昼には少し目処が見えてきたけれど、残った作業が多くて全てが終わったのは5時近くになった。
休みどころか通常勤務と同じになった。少し仮眠をしていたけれど、ここまで身体が持った事に驚いた。


2003年04月18日(金) 症状に対する疑問

今年の計画として進めていた仕事の実施日が、18日(金)の深夜作業にすることに予定を決めた。これまでの準備でも、今日までも随分と深夜作業が続いて疲れが溜まっていた。背中が異常にだるくてなまり板を背負っている様な状態だった。
儀式的なN病院での診察をして、仕事に就いても続けられず17日は早めに切り上げて、M内科(かかりつけの近所の開業医)で点滴を受けてから帰った。





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TMSの本を読むたびに感じる事がある。
  ・どうして坐骨神経痛になるんだろう?
  ・人によって出てくる症状が違うのはどうして?
こんな疑問と同時に、自分の身に起きている症状に意識がゆく。痛みや痺れなどに意識が行くのがダメとTMS治療プログラムは言っている、、、、でも、治療を止めてから2ヶ月近く過ぎている今、症状に改善の兆候は無い。
そして、痛みの場所が左足の左下、次に内側、今は太股も含めて症状が巡回している。ブロックを受けている時も同じ状態。

楽しい事をイメージしたり、怒りの内容を書いたり止めたり、どうしても痛みの左足に意識がいってしまう。
次に控えている仕事も似たようなもの。これは、また、数ヶ月後に控えている。
「もう、どうでもいい」「なるようにしかならない」こんな風に考えようとしても、心底そうは考える事が出来ない。

考えている事やしている事、出てくる症状も含めて同じ事の繰り返しを続けているだけの様な気がしてきた。左足の坐骨神経痛がとても辛い。どうしても、辛い。
「随分楽そうじゃないですか?」「そんなことありません、痛みの具合は同じでガマン出来ているだけです」こんな会話が心の中にあって「はい、大丈夫です」とは言えない。
すると、痛みが余計に強くなる気がする。


2003年04月13日(日) ストレスの原因

昨日は泊まり勤務だった。そのためTMSのセミナーも不参加にした。
苛立ちの原因だった仕事も、7日に準備作業をして10日に機器の入替を済ませた。あと諸々はあるけれど、これで切り離したい気持ちだった。

私の坐骨神経痛は『軽い酸素欠乏で起こっている』。そして、それはストレスからくるもので、これを除去するか受け入れる事で治る。
逆に考えると、ストレスの原因を受け入れる事が出来ない時は、治癒しない。
こんな風に考えています。
私のストレスの原因は、仕事(職場)にあって仕事自身と職場の人間関係にある。
つまり、退職をするか自己の個性を捨てるしか道はない。現時点では、その両方とも『出来ない相談事』であるから、あと十年近くは治癒しない理屈になる。





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1.私は生涯(会社員としての)を振り返った時、これが自分のしてきた仕事だと思える事がしたい。それを求めて、3回の転職をして現在に至っている。既に年齢も50になり、残された時間はあまり無い。やり直しも出来ない。それは、家族の事やその他の事を考えると現在のところで頑張るしかない。

2.年々自力で黒字経営が出来ない会社になっていて、どんどんと親会社やメインバンクからの力が強くなりプロパーのやり方が否定されている。私は転職組だから、ものすごく中途半端な立場でいいなりで仕事をする事が生き残る道になっている。
自分を見つめてきてこんな気持ちになっている。理学療法(ブロックなど)でもダメで、ストレスの原因を受け入れる事が出来ない性格がある以上、TMSの治療プログラムでも治癒しない。
症状ははじめの頃とたいして変化が無くて、毎日が苦痛でしかない。

他にも苦しんでいる人がいる事は認めているし、乗り越えているいる人がいる事も分かっている。しかし、他の人と比較しても何も解決はしない。強制もしない。自分で解決するしかない。


2003年04月03日(木) 記録を取り外す

TMS治療プログラムへの挑戦をするために、症状を記録する事は良くないと言う意見があったので、今までに書き留めていた記録を手帳から取り外した。
そして、これからも症状を書き続ける事はやめる事にした。
仕事は、昨年の大仕事で取り残した部分で最終詰めに入っていた。”あいつ達”のせいで今の”やまい(?)”になってしまったという気持ちがある。その感情を出さずに割り切って仕事に向かう必要があると思っていたから、やればやるほど熱意が無くなって行く。これ以上やれば、ホントにストレスは受け皿をなくしてしまう気がしたし、こんな事で私自身が破壊されるのはイヤだった。





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前回の診察で予約をしていた日だったので、N病院へ行った。
ブロックを受ける気は無かったので、診察を受けても会話にもならず儀式をすますだけの様子で終わった。症状に変化はなく左下肢部の疼痛は消えてはいない。
TMSの事は取り組む気持ちを持っていても、N病院と決別するだけの勇気はなくて再度、予約を入れた。同じ事の繰り返しになると感じていても、最後の最後では曖昧な気持ちになっている。
今月にTMSのセミナーがある事は知ったときも、迷いがあった。


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