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24082

■せいりつう■

明日は病院です。
今日は、生理痛で眼が覚めました。起きたら顔が浮腫んでて
目のまわりがめっちゃ腫れてて、夜中に泣いていたようです。
夜までずっと腫れてまして、外に出るんが嫌でした。

28日は友人の40歳の誕生日でした。10ヵ月の娘さんがいて
再婚で年をとって出来た子供だからと溺愛中な。
娘さんが風邪をひいていると「うあーん可哀相だよう」とか
「パパ医者だったらよかったのに!」なんて叫んだりして。
私も父が40代の時に出来た子供なので、友人に
「DAZZLEのパパもDAZZLE溺愛やろ?」と聞かれた事がある。
表現の仕方は下手だけどねー、と答えたのだけれど
実際溺愛されてただろうな。
暑い夏の肩車をまだ覚えているんだから。
その時の虫取り網を目の前でへし折ったのも同じ父だけど(笑)。
■2002年03月31日(日)■

■仕事が出来ない■

手が震えて剃刀持てないです。

先日花の写真をたくさん撮ってきたわけですが
去年の冬にMSNで「春になったら花の写真を撮ってね」
と言ってくれた友達が、最近全くのオフラインで心配です。
年賀状を交わしたっきりで。ネットができる環境でないんだろうか
入院とか、調子を崩したりしているんだろうかと。
写真を見てくれているといいなぁ。
自分からメールを送る勇気がないので他にも色んな人と音信不通。
■2002年03月29日(金)■

■あぁ■

昨日デジカメ壊れました。電源入れても応答なしです。
とりあえず昨日撮った写真はもうPCに入ってるので
消えたデータとかは無いんですが。落ち込むー。
修理いくらかかるんだろう。4.5万はかかるのかな。

あと風邪を1週間くらいひいています。咳が止まらない。
お客さん迷惑だろうな。

最近身の回りに嫌いな人が出来てしまってへろへろです。
もともとMkという人格の知り合いだったんですが、その女性が
「いい胸してるねー触らせてよ」という中年男性に向かって
「娘の胸でも揉んでなさいよ」と答えているのを聞いてしまい。
中年男性の方が怒って「そんな趣味はない!」と言ったので
それで涙出そうなくらいホッとしたんですが、
そういう言葉が冗談でも女性の口から出るって言うのがもう
苛々して気持ち悪くて1人で過呼吸と動悸を起こしていました。
私は他人からだけで父親からは性虐待は受けていませんでしたが
あぁーもう喧嘩売られてる気分になるから近付かないぞ。
足とか動かなくなるし具合悪くなるから。気を付けよう。
■2002年03月26日(火)■

■定休日■

たくさん写真を撮りました。病院にも多分行きました。
■2002年03月25日(月)■

■取り敢えず生きてます/SMのこと■

先日、映像系の仕事をしている人と友達になって
話題に共通点がたくさんあって楽しかった。
ピンホールカメラやモノクロ写真の現像の話は
あまりできる人がいないから。
撮るものの好みやコントラストの強さも似ていて
シャッター速度の調節も似ていて嬉しかった。
けれどそれから数日は人付き合いや会話が怖くてヒキコモッて
仕事と画像処理ばかりしていた。眠っても2時間位で目が覚めた。
解離して遅刻した病院では、色々きつくて死にたくなるんだと
茶化しながら言って具体的には何一つ話せずに終わった。
店ではマスタが笑えるほど些細な事でキレたりしてあほらしくて
金銭的な面でも仕事の事でも一切信用されていない事を実感して
夜は手が震えてネイルも塗れずコップの水も飲めず苛々して。
解離し他人格に数万単位の衝動買いをされ、また焦って働いた。
写真のアルバイトが4月上旬に入った。
でも今日友人と久々に電話をして愚痴ったりして少し楽になった。
明日少し会う約束をした。

話は飛ぶけれどSM。
緊縛やスパンキングが好きなのだけれど、それは小さい頃に父に
柱に縛られてベルトで叩かれたりしていたからだろうか、と
時々考える。その小さい頃の記憶自体はほとんどないから
あまり関係はないと思うけれど、Mの女性のMである理由の1つに、
育った環境などの影響で精神が不安定になっているのを、
身体を縛る(固定する)事で心までが固定され、
不安定なふらふらした感覚が安定し、落ち着くというものがあり。
また何年か前、まだ児童虐待も精神的な障害の事も
殆ど扱われていない時に、TVで
「自傷行為をする女性がSMを始めてから、自傷行為が減少した」
という話題をやっていた事も思い出して何となく納得した。
SMを好きな人が皆、育った環境が好ましくなかったとは思わない
けれど、ネットのSMサイトなどで縛師がM女性の
無料カウンセリングをしているのをよく見かけるのは
やっぱりそういう傾向があるからなんだろうなー。
■2002年03月20日(水)■

■わかればよろしい■

雨の日は嫌いです。頭痛が酷くて仕事に行かないとと焦って
焦れば焦るほど身体の力が抜けて動悸がして目眩がして
結局出られずにまた怒られてしまった。
いつまでそこにおるんか、何処か悪いんか。頭が痛えんか。お前は毎日毎日一日中寝とって楽やのう、学校の時と何ひとっっつ変わってねえやねえか。勉強もせん仕事もせんでどうするんか。俺はな、頭がいてえとか風邪ぐらいじゃ休んだ事なかったぞ。それやのにお前はどうしてそんなに頑張りがきかんのか。俺は悲しい。働く気がないんならな、ここを出て行って余所で働け。わかったな。わかればいい。すぐ店に出て来い。
わかっている。自分が落ちこぼれな事だって、父がただ店が忙しくなって苛々しているだけだという事だって。普段まともに店に出ていないからお客と時間を計算しきれずに慌てるんでしょ。
私さえまともに仕事ができていれば全部うまく行く筈だ。でも
昼までどこかで呑んで酔って競輪に行く為に店のお金を抜いて行く、
そういう人から仕事しろと言われるのは、悔しいんだってば。
明日こそは仕事しないと。鬱々としていて腕の傷も少し増えた。
怒鳴られた事を思い出すだけで解離して時間が飛ぶ。
こういう時に診察があればいいのに次の月曜までない。
持ちこたえないと。
■2002年03月14日(木)■

■カード■

友人が誕生日だったので作っておいたカード、
渡そうと思っていたのだけれど、いろいろな理由から彼女が
喜べなさそうな状況だったので削除してしまった。
削除することはなかったな、と今になって思ったけれど
自分がものすごい鬱っていたので後ろ向きな決断は早かった。
あとは人に頼まれていた絵を急いで仕上げて
仕事は行かずに横になっていた。
店も忙しくなかったらしいのでホッとして、それでも
階段の足音にはキッチリ目を覚ましながら寝たり起きたりした。
ずっと自傷したい自傷したい自傷したいと思いながら
我慢して1人で泣いたり彼からのメールを期待したりしていた。
でも結局来なくて。泣きたいのを我慢してネット繋いだり落ちたりしてずっと切りたいのも我慢して死にたい気持ちも無視しようとして
それでも寂しいからと回っていた知人のHPでは不快な物を見るし
その事で友人と話していても私の思い違いで怒らせてしまうし
口調が怖くてごめんねばかり連発してしまうし(いちいち怯えすぎ)
知らない人から今度会う日程?の電話かかってくるし断りきれんし
色々なものがうまくいかない。
■2002年03月13日(水)■

■急な時に助けを求める相手■

眠れはしなかったけれど普通に仕事もしたし
マスタが途中で無意味にキレて怒鳴っていたけれど
一時的なものだったようだしそれで不安定にもならなかった。
ただずっと空腹でファミリーマートのホットチキンが
頭の中をぐるぐる回っていて、時間を見つけて買ってきて
美味しかったんだけどカルピスウォーターと一緒に食べたら
吐瀉物っぽい味になってしまって(最悪)、もったいなかった。
仕事が終わって買い物をして帰って、30分ほど寝たけれど
嫌な夢の中、携帯で助けを求めようとした時に身体が痺れて
ボタンが上手く押せず、何故か夢だと気付いて無理矢理起きた。
目が覚めると本当に携帯を握っていて少し混乱する。
夢の中の乱暴な人たちが部屋にいやしないかと見渡してみたりして。
夢の中で助けを求めようとしていた相手は誰だったんだろう。
むかし電話をかけた相手は児童相談所だった。その時に
担当の先生がいなくて対応して貰えず、話の途中で
携帯もへし折られてしまい、それ以来連絡していない。
あの時は藁にも縋る思いで縋った藁に切れられた気分で絶望した。
いま、助けを求めるとしたら、誰だろうなぁ。
でも今は、藁すらないので気が楽なのかもしれない。

追加-13日.7:00-
横になっても全く眠れない。で、何度かネットに繋いで朝です。
いつも緊張が解けないのは多分、緊張を解いた時に何かあるより
緊張したまま(構えたまま)の状態で何かあった方が楽だからです。
殴られ続けて、止んだと思って庇っていた腕をといた
その瞬間に殴られるのって悔しくてたまらないから。
父の事で不安定になるのも恐怖からでなく悔しさからなんです。
最近はほぼ毎日なので緊張を解く事も減って楽ですが
しばらく笑顔が続いて緊張が少し弛んでしまったところで
いきなり乱暴になるのは、自分が油断したということですから。
流れる涙も悔し涙です。昨日だったらまだ警戒していたのに!と。
■2002年03月12日(火)■

■解けない■

休みの日でも父の怒鳴る声の幻聴が聞こえて飛び起きてしまう。
朝の4時くらいから毛布の中で携帯をいじって時間を潰していた。
悪い夢を見てもその内容を愚痴り訴える相手がいなくて
汗だくで服が濡れていても着替える為に起き上がる気もなくて
昨日気持ちを沈めようとした自傷の傷から出た血で袖が汚くて
とりあえず母の携帯のJavaアプリのテトリスばかりしていた。

昼近くになってようやく動き出して、洗濯物を干して着替えて
中学校に行った。美術の先生に会って色々撮った写真を見せて
私のHPに行ったりして、途中で違う学校から教師が勉強に来たので
スリッパを出したり応接室に通したり、何故か接待した。
何も言われないのに自然に対応する身体が心地よくて、
サッと対応できるのがいいね、と言われたのが少し嬉しかった。
小学校の頃からずっと、忘れ物が多く成績も悪いくせに
こんな事ばかり誉められていた事を思い出した。
店の手伝いをしてるから、といつも答えていた。夏休みだって
勉強と手伝いの記憶しかない。遊んだ覚えがない。
父には、遊ぶか寝てばかりだと言われ続けたけれど
私は頑張ったはずだ。その結果に身についた事を、
ちゃんと誉めてくれる人はいるんだから。
そうやって自分をぐうたらだと責めずに済む理由を探している。

今日は大切な友人の誕生日だったのでカードを送っておいた。
ネットの繋がりだからそれくらいしか出来ないけれど
喜んでもらえたみたいでよかった。
■2002年03月11日(月)■

■また繰り返し■

途中からFBとか注意かもですよ

出て行けと言われて出て行って、連れ戻されなかった試しがない。

昨日は調子が良かったのだけれど夜眠れなくて
それが今日に響いてしまい体調も崩して
仕事に呼ばれても出られずにうじうじしていると
マスタに低い声で「出られんのなら出て行ってもらうぞ」と
言われて、私はそれに飽きていて昨日の猫撫で声の褒め言葉と
今日の低い声のギャップにももう付いて行けなくて
今度こそ家を出ようと思って荷物をまとめていたのだけれど
母に「出て行かれたら私の居場所がない」と止められた。
だったら私に付いて出てくればいいじゃないと誘った時に
幼稚園の頃、迎えに来た母に園児服から着替えさせられていて
荷物だけ取りに帰って父に無理に止められていた事を思い出す。

俺が稼いだ金なんだから服も全て脱いで出て行けと怒鳴られていた
私は着替えた服を脱がされて、それでも母が「これは私が
自分で買ったものだから」とタオルだけ私に巻き付けていた光景が
目の前に戻ってきて、このひとは何度荷物をまとめたんだろうとか
昔は母が私を連れて家を出ようとしていたけれど
今は私が母を連れて家を出ようとしているのか、と可笑しかった。
結局、いつものように何も無かったかのように仕事に出たけれど
母の言う「あの人の方がおかしいのよ」という暴力的な父の像と
お前を愛しているぞと猫撫で声で過剰に誉める父の像と
昨日私が書いていたような、いい娘さんだと言われて喜ぶ父の像と
やっぱり父親の笑顔を見たがっている自分の心が搦んで
なんともいえない泣きたい気分だった。
周りの人は私が父を嫌っていると思っているのがまた悔しかった。
嫌ってなんか。それよりも父の考えている事などをわかっていて
何が理由なのかも解っていて、憎いけれど愛しているという事が
辛いんだ。単純に嫌いになれればどんなに楽だろうか。

あしたは診察がない。どうしよー。
■2002年03月10日(日)■

■理想の娘■

昨日とはうってかわって絶好調。半泣きだった自分は何処へ。
胸の広く開いた服を着て短いスカートをはいて
少しでもお客が此処に来た事で喜べるように、なんて
自分でも馬鹿だと思います。どれだけ仕事を丁寧にしても物足りず
「スタッフが全員女性」という事もウリのひとつなので
それを楽しみに来ているお客もたくさん居る事を私は知っているから
どうも中年以上のお客が喜んでくれる娘を演じてしまうわけです。
おとなしいけど笑顔が健康的で黒髪でチャラチャラしていなくて。
かといって地味ではなく適度にお洒落して身体のラインが見える。
そんな感じで。息子さんの居るお客が、私を見て
「俺も女の子が欲しかったなぁ」なんて言ってくれると
けっこう嬉しかったりするのです。また、「俺の娘は茶髪で
パーマをかけていて、あんたと同い年なのに化粧も厚くて
俺の言う事もひとつも耳を貸さない」なんて愚痴られるのも嬉しい。
父の言う些細な事にも逆らえない私は少し羨ましくも感じますが
周りから良い娘さんだと羨ましがられて喜ぶ父を見るのは好きで
もしかしたら私の育てられ方は理想なのかもしれない、
あれは虐待ではなくやっぱり愛情なんだよね、と思います。
仕事の話からだんだんズレたけれど、今日はうまくいきました。
■2002年03月09日(土)■

■忙しい■

仕事するか食事するか他の用事で外出するか。
夜は眠くてもなかなか寝つけず結局は朝の6時頃になり、
身体がきついまままた仕事に出る。
普通に眠りたいです。

追加-1:09-
月曜日の診察の時、医師が「来週は出張で居ないので
曜日を変えるか再来週の月曜になります」と言ったから
私は大丈夫っぽく「ほんじゃ再来週で」と答えました。が。
もうすでに辛くて病院行かないと、と言う気分です。
上の日記を書いてから1時間ほど眠りましたが目が覚めてしまい
それからずっと新しいバナーを作ったり写真をUPしたりして
何とか眠くならないだろうかと目を疲れさせていたんですが
目は眠いのに頭が緊張して発作まで起こし1人で泣いていました。
太股やふくらはぎに汗をびっしょりかいていて、着替えようにも
気力がない上に、部屋着はみんな洗濯機の中なので濡れたまま。
今日も朝まで毛布の中でのたうちまわってるんだろうか。
店では笑顔の作り声で、はいお待たせしましたーどうぞーなんて
言っていれば軽く解離して一時的に辛さがなくなるのだけれど
お客が脱いだ靴を靴箱にしまう為にしゃがみ込むと、
そのまま立ち上がれなくなる気がして笑顔が絶やせない。
人に辛いと言っても楽になるわけじゃなくて余計辛くなったりして
あぁー、せめて薬があればなぁ。と、家族とか他人格の理由から
医師に薬を出してもらうのを断っている事を後悔してみたり。

薬があれば眠れるんだという事もわかっているけれど
何かと私に干渉したいマスタなどは、関係ない失敗でも
薬の所為にしたり病院の所為にしたりと、こうるさいので
それで不安定になっていては±0だと思う。
他人格がODをしたりしないように薬を管理するのは母だろうし
その母から薬を受け取る為の一言を言うのも泣きそうな程なのに
そうまでして薬を貰っていてもお金が掛かるだけなんじゃないか。
お母さんに渡す事になるよ、と言われて「じゃあ要りません」と
無理して断ったことを悔やんでも、眠れなかったり不安だったり
部屋で発作を起こす方が、誰も不愉快にならず楽かもしれない。
仕事中だって泣いたり動悸や過呼吸はあるけど倒れる程ではないし
いまのところは精神的に障害がある事も隠せていると、思うから。
精神病の薬なんか飲んでいるのか、と呆れられるより
こいつは眠くて情緒不安定になるんだなと思われていたい。人に変な目で見られる恥かしさより1人で苦しい孤独感の方がずっと楽だ。
■2002年03月08日(金)■

■無知の皮■

被写体のバイトの時に塗ってもらった赤いネイルカラー、
せっかくなので落とさないまま仕事をしていたのですが
やたらよく喋るお客に「マニキュアが色っぽいね」と言われ、
ものすごく恥ずかしくなって除光液を買って落としました。
家族の前で「色っぽい」とか「女らしくなった」とか
少しでも性的(?)な言葉をかけられると恥ずかしくてたまりません。
外では性的に虐待されて処女どころではなかったのに
逆に恐ろしいくらい潔癖な家族の前では軽い下ネタの、意味すら
理解出来ずに「何?それ」と真顔で聞くほど無知なふりをしている。
恋愛もしない同性の友達しか居ないような子でいたいのです。だから
家族の前で(単にマニキュアの事でも)色っぽいなんて言われると
とても悪い事、いけない事をしたように感じてしまいます。
SSAでなくても似たような感情を持つ人は居るんじゃないかなー。
■2002年03月07日(木)■

■一家団欒■

仕事が終わったあとに家族で夕食を食べました。
マスタの機嫌がいい時はそれはそれは良い家族になりますが
普段はいっしょに住んでさえいないのでどうもぎこちなく
それでも普通に毎日顔を合わせている家族よりは仲良く
食事が出来るのではないかと思いました。
マスタがその気の時は3日間くらい連続で一家団欒となり、
それはすぐに飽きてまた別々の食事に戻ります。
とても暴力的になるとは思えないくらいの笑顔のマスタを見ると
こちらも嬉しくなるので少しくらい精神的に無理をしていても
誘われれば喜んで食事に付き合おうと毎回思います。
他の人格達も全てひっくるめたものが「私」であるように、
やたら優しく一緒に花札をしたりお酒を飲んだりするマスタも
理不尽に出血するほど殴り怒鳴るマスタも、どちらとも彼なのだと
私は受け入れているつもりです。ギャップにはついて行けませんが。
■2002年03月06日(水)■

■雨の日■

低気圧でずっと頭が痛かったです。
昨日のよる具合が悪くて今朝まで眠れずにいたのもありますが。

ほぼ毎晩汗だくで夜中に目が覚めて着替える気力もなくて(汚
そのまま毛布の中でうーと唸ったりしているのですが
見た夢を思い出せないのが幸いかも知れません。
という話を昨日病院でしました。寝つけないのは相変わらずです。
今日はあまり解離する事もなく長時間を過ごしたなぁと思います。
■2002年03月05日(火)■

■診察■

2週連続私が行っています。今日はハイテンションでした。
殆どの中学校が今日卒業式で、保健室に遊びに行こうと思ったのに
診察より先に学校が終わってしまっていた事を話し、それから
遊びに行く事で不意に思い出したりする記憶を小さいものから順に、
整理して行ってみようかなーと思っている事も話しました。
あとはこの1週間の、フと思い出した学生時代の記憶や
筋肉痛だと言われてインフルエンザに気付かなかった愚痴や
私が覚えている範囲での学生時代の嫌な記憶は
トラウマ的なものから「嫌だった思い出」に、少しずつ
変えてゆけそうだ、と思おうと思っているという意思表示とか(弱気。
大きいものは無視しないとまだやってられないのですが
負担にならない程度に整理していきたいなと言う事を話しました。
診察の間は自分ではリラックス出来ていたつもりでしたが
終わって椅子から立ち上がると、椅子が汗でびっしょりになっていて
やっぱり緊張がなかなか解けないねーと言われて苦笑。
まだ食欲が戻らなかったので昼は野菜ジュースだけ買って帰りました。

母が携帯の機種変更をしました。
■2002年03月04日(月)■

■体温計に縋っていた時期■

やっと熱が下がりました。明日は診察。

インフルエンザと言う誰から見ても休むべきだと言われる病気は
身体は具合悪くなってても気が楽でした。
細菌でなく心が原因の発作や頭痛や色々な身体症状は
内科で調べても結局は原因不明で、原因不明=仮病と責められて
脳外科では看護婦に笑われたりもし、心細かった記憶があります。
誰ひとり、私自身でさえストレス(心)が原因だなんて気付かずに
毎日登校する度上がる38度の熱だけが体調が悪い事の証明のようで
来る日も来る日も保健室で体温計を手にしていました。
それに比べてインフルエンザは、伝染するため人に会う事を
周りの方から拒否してくれるうえに部屋からも出ないで済む、
仮病だと周りも自分も私を責める事はないという嬉しいものでした。
もっとも家ではいつも具合が悪いために、痛みは全て筋肉痛と言われ
また弱音を吐いていると言われるばかりですが、それでも
学校の保健室に辿り着けばうつるといけないからと一番端のベッドに
横になっている事が出来ました。またインフルエンザでないときも
登校拒否にならずに保健室まで通えていたのは体温計があるからで、
必ず私は熱があり、体調の悪い事を誰より信じてくれる
保健の先生がいたからだと今になって思います。
■2002年03月03日(日)■

■インフルエンザ■

3月1〜2日の日記。
吐き気だけじゃなくて妙に下ると思ったら、インフルエンザでした。
薬を出してくれた医師なお客は父の掛かり付けだったので
朝にもう一度医院に行って、注射を打ってもらいました。
そこでも2度吐き、具合悪いのを我慢し過ぎたねーと笑われて
今日は一日中寝ていて下さい、と何度も念を押されました、が。
伝染病なのに仕事してしまったよ、お客にうつしてたら申し訳ない。

食事も取れず食べた途端戻してしまう状態で、ちょうど
頼まれていた別のアルバイトと一番悪かった日が重なってしまい
撮影の時具合悪いのが写り込んじゃうよ、と言われながら
半袖とかシースルーとか着てビルの屋上でバシバシ撮っていました。
しかも曇りだったので、現像したら4分の3が真っ暗でボツになり。
慌ててもう一度召集をかけて次の日(今日)撮りなおしました。
でも途中で雨が降ってきて中止になり、一日目に撮影した分の
ちゃんと写っている写真と二日目にデジカメで撮りなおした分から
何とか選別していこうという事で終わりました。
私にそれを頼んだ友人はデザイナーをしてる人なんですが
人を使わない分給料がいいから、と荷物を運ぶのも撮影するのも
全部1人でやっていました。だからライト板持って来れなくて
写真が暗かったため撮りなおすはめになったのだけれど
お疲れ様でした。片付いた後打ち上げに参加して、
本業に戻るからー、と先に抜けて店で仕事をしたのですが
立っていられなかったので30分くらいして上がらせてもらいました。
はぁ寝よう。モデル代は撮りなおし分は出なかったけれど、
上乗せしてもらって8千円のところを1万円いただきました。
撮影に使ったスカートも一着タダでいただきました。ありがとー。
この「おトク感」だけでインフルエンザ治りそうな気がします。
普通の仕事と違って周りが皆友人だったので楽でした。
撮影を手伝ってくれた人とも友達になれた気がします。
名前知らないけど。本名知ってる友達が殆どいない事に今気付いた。

友達と言えば打ち上げの時に、学生服を着た同級生数人と擦れ違い、
変に友達面されて少し凹みました。私が通っていた学校は
親が医者とか役人とか、お金持ちなのが行くエリート校だったので
優等生ばかりで。同級生は今、みんな優秀な学校に通っています。
高校に行かなかったのは学年内で私だけでした。おちこぼれ。
ひどい劣等感や苛められていた人格の記憶と、擦れ違った優等生の
久し振りー!と抱き着いてくる妙な馴れ馴れしさが噛み合わず
私自身もやたら高い声で、元気してたー?などと言って
3分くらい記憶が途切れました。疲れてたしな。
■2002年03月02日(土)■

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