隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
メロスは勃起した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。けれどもエロスに対しては、人一倍に敏感であった。誰でもいいからtouchしたい。touch touch touchしたい。メロスは最終電車の混雑の中で射精した。
乾杯しながらも完敗。ありがちだ。ありがちな洒落だからとてもありがちだ。時は過ぎ去り歌は終わってしまう。いつだって、もっと言いたいことがあったと思ったのに・・・と後ろを振り返りながら。また昨日より息が切れて、また去年より酒に強くなって、昨日より一日、去年より一年、死に近づいた。
「聞こえたか?いまのが『ヨーイドン』だ」サボテンマスターは神妙な面持ちで言った。優しく送り出すように背中をそっと押すのか、千尋の谷に落とすように背中を突くのか、そんなことを社員そっちのけでメーラーに向かって考えるのもまた一興なのだ。邪心に打ち勝ち私心を殺して。僕が雪見大福が好きな理由は、雪見大福の皮が生八つ橋に似ているからなのだ。
わき道に逸れても和歌子さんに分かってもらえることはない。呪うために祈り調べに乗せるために想う。それでも17/16拍子の音符は手元に転がり込まずどこぞへ転げ落ちるのだろう。鈴の音とともに現れた深紅の王は顔面崩壊で大山鳴動する禿頭を西日のように茜指す。ヘヴィメタルのストロークでぷるぷるいわすのもいいかもしれない。
まるで黒子などいないのよと優雅に舞う人形浄瑠璃。黒子の存在を忘れさせてしまうのではなく黒子を見ようとしても見えないような。テクニック。これはテクニクー。なんか容疑者ルックのパンダが目印だったような気がするけど確かなことは思い出せない。もしかしたら黒子はいないのかもしれない。牛君やケエル王子のそんな身勝手も鰐皮で脳をずりずり擦られるような頭痛の前には屈服ぷっぷくぷー。
とくに今夜は言うことがないのです。折り合いも台風が近づいてるからって中止しちゃったし。三日間あまりに何もしてないとなんかこう自分は死ねばいいんだ的な気分になるのは、
木曜午前から続く突発的に突き刺すような頭痛が未だ治らない。疾患。リアルな疾患についてはあれこれ屁理屈いいませんから治癒しておくれよ。誰よりも遠く観客席に座ることも許されない者として悲しさを表明する。つまり、立つフィールドが違っても競うルールが違ってもプロフェッショナルであることには違いないのだからそういうことを言わないで欲しいと。古い話だけどまたクエウエを蒸し返してもいいのかな。「また3人で呑みたい」それがささやかな夢と幻。その距離感は大人げない。
ただ漫然と流れ行く時間が脳の深部を大きく蝕む。疾患。疾患を除去する?欠けているものを取り除くというのは「−3個のリンゴを食べる」ような行為のことか。腕を挟まれ身動きが取れなくなった登山家が生きるために自らの腕を切り落としたような行為のことか。行為の錯誤は試行を伴わず沈黙の中で深海へ沈降しながらただ思考する幽かな燐光。
デルモ系がぶりっぶりっと闊歩する後姿をいつも見ていたい。だけど誰よりも近くにいながらにして誰よりも遠いよおな誰よりも遠くてやっぱり遠いような誰よりもって誰だよってサラ金の取立てのようなハートビートは寂しがりやの空騒ぎ。あいたいたたたいたたたたあいたたたたたやたやったやたーいたみをかんじることができたーやたー「それ、オレの針だらか」サボテンはケチをつける「おまえ、インテル、入ってる?」
肩ロースを一口でぺロリ。メロると饒舌になる。あくまでもキーボードを叩く速度として。ただそれだけじゃない感は包んで隠して中トロとともにごっくん。午前3時のエンジェルはセレブガール。くるぶしがぱっくり割れて流血していたけれど理由は不明。
地下のドトールで誰も居ない後ろを振り返りカフェラテを飲みながら「半年早くめぐり合っていれば」とトアルをこれぞ邂逅と手を叩いて言い訳のネタにしたのは圏外から独り言が聞こえてきたある日の出来事。堅牢な城壁に守られながらその中身は虚ろな思念だけが彷徨うがこれを以って「空城の計なり」と高笑いはまさにからっぽだ。死せる孔明に走らされ踊らされてみたい。ねばねば離れ離れの場馴れなればねばにらいため。
これまで人生で通りすがった呑み会のうち5回だけやりなおせるとしたら、何を選ぼうか。もちろん、やりなおせるのは乾杯から散会までの時間である。そして、どうやり直そうか。何に後悔して何をすればよかったのだと思っているのだろか。真面目に考えると、そのあとさきにこそあれど、乾杯から散会までの時間に「そのとき」という場面はほとんどないなあと思う。それは、数々の呑み会が厳粛で重大な局面におかれることなく単純に酒を楽しめていたと前向きに解釈して良いものなのだろうか。盲目的に封印した鉄柵、物語の第4話、日曜日よりの使者。溺れる者も久しからず、廻る世界はスノードーム。
寂しさ紛らすためにじゅうまんえんを出費したわけじゃない。明日のためじゃないし脚のためでもない。そんな風に声をかけられるのはとても心外なのだよ。ところでネオ麦茶ってなんだっけ。麦茶ヌーボーだよな。デルモ姿が遅刻を誘うシルエット。人生をリエンジニアリングしようにしてもきっとコンサルタントがへまるんだよ。ん。今より悪くなることはないって?
誰の姿を思い浮かべながらそのことばをゆうの。みー?ゆー?よー?さー?キュートでポップでエフェクティブな「?」の用法それは発音も含んで素敵な「仕草」だと思うのだがいかがだろうか。それにしても「こんなこといってよいのかわからないけど」という前置きで始まる言葉はたいてい聞かないほうがいいからセイと遮って断絶すべきだ矢継ぎ早に「いってよし」あれ。
季節は一日にして移ろい変わる。同じ人間なのに餞族のきもちが分からない。そのうえきもちが分からないことを表明してはならないこの社会この状況。そもそもことばは伝わったのだろうか。Y氏が遺したぬいぐるみも食い尽くしつつ左のぽっけに手を突っ込んで焦ったのはないしょである。みーゆーよーさーまどろんぱとろんくろかみおすべらかし。
特命社員は係長ではない。重く仰々しい割には締まるところがぜんぜん締まらない言葉で綴られた書物。皆が呪われ顔色が悪いのにどうしてあなたは水を得た魚というか真珠を得た豚というかとにかく血色よく盛んなのですか裏山の示威です。みんなはおれのために、おれは自分のために。そんなニズムをゴリライモ通しワンチャンスずっぽりでもいいですかだめですね。
「だからきっと綺麗なんだ」と。言いつつ「綺麗」を「キレイ」とカタカナで書くと、そいつは「ケガラワシイ」視点からの憧れや妬みや蔑みやあるいは無関心のような消極的な印象を受ける。何かゲーム的なものを始めると、トタンにヤッツケ仕事の八つ毛具合がうなぎ登る。それがこぼれ話クオリティ。異様にめんたまが飛び出した2匹のカバが出迎えてくれた。
塩っ辛い豚の乗った大盛の飯を半熟卵もろともかっ込む。汝、テキストを愛せよ。汝、人の幸せを祈れ。汝、人の幸せを呪え。汝、やっこさんを地獄へ道連れにし共に地べたを這いずり回り土のアジをかみ締めよ。汝、あるいはアジクマさんをアマ噛みせよ。うぃうぃ。なんとなくあじさんご指名です。
青白いエイドリアンが安堵の表情を浮かべるセピア色のしゃしん。そこに写された峡谷の狭間にひっそり建つ山小屋は穏当。徐々に秋っぽさを増したとはいえ脳は未だ溶けたままで忘れっぽさは凝結した後も原型を留めるのだろうか。無理やり型にはめようと押し込んだらところてんのようににょろりとすべり出でて去ぬ。ゆるぎありきたりレビウするも、いとをかしうすさまじげなるるーと。
雁首気取ってなにやら人のことを考えているようなポーズは酩酊マイセルフ。それは被害者ヅラした生首ごろごろの醜態。執刀医は焦燥として「まさか裏目ってこれのこと?この皮の表を見ても裏を見ても脈動が確認できないんだけど」彼は自由という言葉の意味を知らなかった。彼女にあれだけ叱責されたのに何も進歩しちゃいなかった。今もまだ不自由に囲まれ緊縛されている状況さえ認識できず受け止めようとせず空虚に三本の線を引いた。猫、膝、腹。大嫌いな尾崎豊の汗臭いおんがくの一節が脳内から流れ出て、だけどそれはキーボードを叩く指の前で、あるいはへの字に結んだ口の手前ですべて塞き止められる。小さな器のダムが決壊してもたかが知れているのに。
日付変更線が近づくにつれ焦りはやがて開き直りに変わる。ここから人の堕落は始まるのだ。示しも、そして取り返しもつかない坂道コロコロへ。按ずるに一計を案ずるよりまず人に感ずく想いの暗示。
2分か3分かそこらで調子に乗ってハードに酔う。ふらくやんは総勢ふたり多くても3人までにならないと口を開かない。ましてや腹は割らないだろうし膝も付き合わせないから袖が触れ合えば猫もかぶっちゃうしポーツマスから「ヒロシです」。緊張はやがて弛緩し束縛からは速やかに解放される。後姿は追うもんじゃない追われるものでもないチラ見するものだから。今夜もだいの大人が雁首をそろえる。だからお前やお前らはずっと気づかなくていい。さて、たまにはくちを開こうか、サトウさんにw・・・(-_-)。
みんなでわいわいおいわいしたのはもうずうっとずうっと遠いむかしのよう。記憶の彼方から顔を引っ張り出してきても記憶の上っ面の出来事を巻き戻し再生しても何も言葉は出てこない。出てこなかったから出てこなかったと言うことでこの場は逃れることに決めた、もう決めたんだ。かちんかちんと音を立てて積みあがった不思議ポールはがらがらと崩して水に流そうと。
かちん。これは怒りとかそんな単純な音ではなくもっといろんな心の音が重なり合って奏でる不協和音。深夜の帰り道、アスファルトに思わず飛びのいてしまうほど大きく威風堂々と佇み空を眺めるカエルがいたから。このカエルは見えぬ月に誰の幸せを祈り、誰の幸せを呪うのだろう。・・・おなじだ。同じか?ちがうだろ。まあ楽しくやろうや。
どうちんは180度後ろを向いていればいいんだ。アイツの部屋の冷蔵庫に酒を置いていったヤツに会って問い詰めたい「具合はどうですか?」って洒落にならんことを言うな。食い込まんばかりに一点を見つめれば月影先生も認めてくれるのかな。おおきなくりのきのしたで。「木下」に用事があるわけじゃないんだよ。
ロマネコンティとか気前良くばばんと注いでやればたなびく門旗の持ち主もなびくというのであろうか。木彫りのシャケ君でさえ断言する「血色よければすべてよし」露骨な左辺はサ変で活用する。
だいの大人が雁首そろえてなんとやら。ハイハットペダルが途中からねじがゆるんで「一心不乱に」ドラムをたたき続けられない集中力のなさに自らへこたれる。リラックスできる状態じゃないけど、軽く後ろにもたれかかって、少し向こうの物音に聞き耳を立ててみる。とんとん豚豚と分厚い壁を小突くように。あ、肝心なペットショップに寄るのを忘れてた。
無心に、あるいは一心不乱に手を動かして精進して、そして1000本目のマクロ実行結果の処理機能記述に答えが乗っていればいい。だけど我々の仕事はそんな職人のものづくりじゃなくて、もっと邪念に満ちていてもっと創造的で、だからこそ破壊的なのだ。暗闇の中で見えぬドアをノックしようと振りかざした拳が座禅を組むボウヅの頭にぽこりと当る。五拍子のリズムで。アレでもシゴきながらサボテンに精進しようか。
前の扉とずっと後ろの扉が同時に閉まった。閉じ込められてそして真っ暗。「五臓六腑が溶解しコーナーの隅で真っ白になり朽ち果てるような瞬間。」は真っ白だったが、これは真っ暗。だから現れる症状もちがったんだ。あの喉の痛みと咳と小さな吐き気と。雨で湿った混雑車両で時々遭遇する発作的なこれは「真っ暗」なこころが引き起こしていたんだ。前の扉が閉まるしばらく前、後ろの扉が閉まる瞬間、同じモノが見えた。アたしワ運命とか信じちゃうタチだから、モマヘラのソレもきっと運命だった思うんだ。なはは。
こぼれ話は常にみっつよっつの話題に関する心象を乱雑に抽象的に並べ記述します。そして何ら関係のない雑音も織り交ぜます。解釈など徒労に終わり心労をためるばかりなので厳禁です。ひっじょーに解釈を招きやすいワードをついつい書いてしまうのは邪悪な癖だ何度やったら気が済むのか。そんなことをしてもなにも得にはならないのに。風に書いた言葉は誰にも読めない、にしろ、風紋は確かに刻まれ言質は非可逆の痕跡を残すのだから。たった二文字の単語を述べてたとしても、お前とお前はそれぞれがその言葉をとっかかりに前後を探索し詮索しそれぞれ異なる意味を探り出そうとし不安に陥り日常生活に支障をきたすをよしとするのか。そっと冬を告げるそよ風がピアノシモであっても言及することそのものが罪なのだ。おおっと大変なことをしでかす数日前に気づいてよかった。
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