2012年04月29日(日) |
平熱に近づいてる感じ |
ひっきりなしに泣いていたようなこのごろの日々を心のインフルエンザに喩えるなら、この週末あたりは微熱〜平熱に近づいているような感じ、 だいぶ、心は回復してきていて なんにもやりたくない状態から、少しはまともな主婦の状態にまで引き上がっている。 しっかり自分を甘やかし、母にも話をきいてもらい、好きな本を読み、怠けていたおかげもあるけれど 昨日今日のこのお天気の良さも幸いなんだと思う。
どうにも動けない時は無理に動かずゆっくり焦らないで過ごす、のがいいのかな。
おかげで昨日今日でクリーニング屋さんに二往復して布団カバーやらコートやらセーターやら、山のように出してきた。いかに冬物を放置していたのか我ながらあきれる。 羽毛掛ふとんを干せてすっきりした。
子どもらはそれぞれ自分の予定をこなし、宿題をこなしたり、メールで友人と連絡しあったり、買いたいものを買いに行ったり、要はあまり家族団欒に期待はしていない様子、 でも ご飯を一緒に食べている間、それなりに和やかに過ごせている。 私の気持ちのほうもほぐれている、数日前に比べたらずっと。
ただ、この心のインフルエンザの後遺症として、泣いたり擦ったりしたまぶたに炎症が起こり 特に右目は痛いし痒いしで、冷やしてもだめなので、昨日は眼科に行った。 結膜炎と麦粒腫とのこと。一日四回、点眼する生活。 かなり腫れも引いてきたのでよかった。
明日は、友達のお子さんの合唱コンサートを 娘と娘の友人と三人で聴きに行くことになっているのだけれど アイメイクはまだ無理そう・・・。
2012年04月25日(水) |
少しずつ少しずつ浮かぶのを待つ |
いつまでもずっとこのままの哀しさが続くということは、きっとないから。
って、言ってもらえたので、そうだなって思えた。
母とご飯を食べた。新婚旅行が楽しくなかった同士。楽しくなかったからといって不幸ばかりかということそれは違う。
哀しかったことがたくさんあったよね、って並べて確認する作業、 でもあれらの出来事たちには何かやっぱり意味があったのだとわかっていて、
考えてもしょうがないこと、思い通りにならない他者のことや、時間の針を巻き戻すことができないこと。・・・それにフォーカスしすぎて、いま確かに在る他の楽しみを視野に入れられないでいるとしたら勿体無い。
時々は泣いて、でも泣きすぎないように、 今日は午前中にお風呂に入ったあと化粧水もつけたし美容液もつけた。 休み休み、力を抜けば自然に水に浮かんでくるように少しずつ少しずつ。
覚書:Bar di Vino
2012年04月24日(火) |
好きなのかもしれない(どっちですか。)(揺れすぎでしょ。) |
昨日、
「どんなに恩があってもどんなに優秀でまともな人でも、彼のことをどうしても好きになれないから生きるモチベーションが上がらないから、これってそもそも誰のせいだろうか、やっぱり元を辿ればあの人のせいだろう、あの人がどんなに大変な歴史を生きてきてどんなに恩があってもやっぱりあの人のせいだー、だからやる気が出ないんだよどうにも、ぶうぶう」みたいな 責任転嫁みたいな我儘日記を書いては消しては復活し書いては削り、を やって
でも 今朝こうも思った、彼が「今日も普通通りに帰ってくるよ」とかいつも通りの時間にいつも通りの笑顔で出勤するのを見て やはりちょっとその顔を見れば、ときめきは全く感じないけれど 安心するんだ、 好きなのかもしれない。全部じゃなくても。
絶望したり希望を持ったり、どっちつかずだ。 化粧水だけでもつけよう。週末には人中に出るので、まぶたの幅を半分くらいに戻せるように。
2012年04月23日(月) |
デトックス的なネガティブの記録(毒出し。前を向くための)(長文)(スルー推奨) |
娘は私に「舟を編む」という本を薦めてくれて、少しずつ読んでいる。面白い。 息子は授業やサークルで得たトリビアを家族に笑顔で報告してくれる。嬉しい。 そんなふうに いまここにある幸せに目を向けていこうと思う。少しずつ。 ※お昼ご飯の前に、↓これを書いた。そしたら少しらくになった。
(大切な人も時々は見てくれている日記なので、書いておくと、以下は刻々と過去の記録になっていっています。時間が経てばたつほどに、きっと、大丈夫になっています。だから心配しないでくださいね)
PTA役員時代も遠くなり、 受験生が家に居た緊張の三年間も終わり、 気がかりだった義母や祖母のことも今は少し落ち着いているみたいだし(ヘルパーさんや母や叔母や従兄弟のお蔭だけれど) 本来ならば、ここらへんで何かスキルアップだとか仕事だとか始める好機だろうとは思うけども なんだろうね、 延ばし延ばしにしてきたこと全てがもうホントにどうでも良くなっていて というか、いま、 何もかもに興味が持てなくやる気も全くといっていいほど枯渇していて
(中略。きれいでいようという気持ちが湧いてこない。)
ただ辛うじて、家族の健康を害しないように毎日の食事の用意と洗濯くらいをやっと継続できてはいるし 家族が遅刻しないように段取り、帰宅後に子らの表情を確認し、おしゃべりを聴くのは喜びではあるのだけれど 要するに子どもの頬に出現する笑窪だけ見ていれば嬉しいのでもうそれでよく
(中略。細々と書いたけど、あまりにあんまりあれだから消します。ひとことでまとめると、感謝しなければならない人に対しての感謝の念が湧いてこない病気になっちゃってるらしい私は。本来、私のほうが助けなきゃいけないのに助けられているのもまずいなあと、親不孝を自覚しつつも、どうにも前向きになれないのは、やはりちょっと心が疲れているっぽい。)
色々と突き詰めると、これから私がすべきことと、これから私が本当にやりたいことが、ほとんど一致しない。 僅かに一致するのは、布団の中にいて静かに音楽を聴いているか、モニターの前にいて、観たいコンテンツを観て、私が成し得なかった素敵な物語を噛み締めて楽しむことぐらい。 子どもが喜ぶことをもしてあげたい。心地よい時間を過ごさせたい。だけど、将来のコース指定まではする自信もないししたくもないしできない。 こういう道を選べば幸せになるよ、なんていう答えも知らないし、教える資格もないから。
(なくはない。でもそんな気分だったので。)
そんなあれこれを頭の中でぐるぐると考えていると、もう、日常の家事に勤しむ(ことが有意義なのはわかっているのに)気持ちがなくなってくる。 素敵でいたいという気持ちが湧いてこない。素敵なものをこっちは見るだけでいいのであって私が素敵でいる努力をしたいと思えない。
ただ、休めたい。人間て素晴らしいなあと気づくことが可能になるための感知装置を、休めることで復旧する作業。ぬるま湯に漬けて戻したい。その時間のために何か色々と犠牲になりそうだけどもう構っていられない。 ここをいつか抜ければ、この経験は、たぶん、多分だけど、家族が同じような心的状態になったときに、共感するのに役立つと思う。 ここをいつか抜ければ、自分がこれまで心の中で軽蔑してきたあらゆるものを、自分も同じじゃんと言いながら受け入れたうえで、それでもなお、やっぱり生きているのは面白いって、捨てたもんじゃないねって、笑えると思う。 必要最低限のことだけを今はしていたい。無理に拡げない。
・・・・この日記を後日、読んだ時に、「ああ、こんな日々もあったのね」と懐かしく思い出すことを自分に期待しています。 まずは、ずっとPCの前にいるので、何かきちんと栄養のあるものを、食べます。 目から水分も随分と排出したので、目を冷やし、温かい汁物も、作って食べます。 食べて自分を養うことに興味を失っていないうちは、まあ、多分、大丈夫。
(もう相当大丈夫になってきている)
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