2012年03月28日(水) |
多くを望んではいないけど |
ハレ晴レユカイ
娘は巧い。でも私もなんとか覚えた。いい歌だ。
「君に届け」借りて観る予定。
息子はコーヒー味が好き。
比較的穏やかに家族や両親や祖母や兄弟姉妹が過ごせているいまこの時期を 幸せだと認識できる自分の置かれた状況のことを 本当に有り難く感じる。
自分メモ;
だから日々の暮らしの中で つまらないようにも見えるささいな仕事はそれも全ては、 この大切な人々が 穏やかに見たり聴いたり味わったりできる時間を 作り出し保つため、つまり 幸せを作り出し保つための 一見どうってことのない作業。
いまご飯が炊けた。
このごろは、会いたいと思う友達としか、会うことをしていない。
今日も、出会えたことを本当に有難いと思うひととご飯を食べた。
生まれた年も場所も、歩いてきた道も、違うのに、映画や本の好みも違うのに、 何故か、喋っていて楽しく安心する人、 と一緒にいると 今まで自分の選んだものや置かれた場所のどれもが 結果的にこれで良かったし、これで良かったように変えることができるんだと そして 私が誰かに何かを小さなことから大きなことまで知らず知らずに毎日発信していないようで実はしているんだと 実感し肯定できる気持ちになる。 年月を積み重ねいま言葉を交わしていることの実はものすごく奇跡なことを目の前で確かに楽しめる。 そんな時間の積もり積もっていくことが楽しみになってくる。
少しずつ。
2012年03月17日(土) |
祝わせてくれて有難う |
その時々の出来事に真剣に立ち向かいながら少しずつ世界を拡げながら 見守る人間に新鮮な感動を与えながら 子どもたちは毎日成長をやめない。
娘は誕生日を迎えた。
子どもの誕生日が来る度に身に沁みるのは 誕生日を見届けられた幸せと同時に 私が今まで子どもに口うるさく 不摂生するなとか計画的に生きろとか外出時に用心せよとか連絡徹底せよとか、は 結局はこの 幸せを噛みしめる誕生日を一回でも多く味わって欲しいし味わいたいからに尽きるんだな、ってことなんだ。 それらの小言が小言と思われ効を為さないのであれば私の到らぬせいなのだ。
しかし 子どもの誕生日を祝える自分を思うと同時に自分の命のことを思い出し それを守ってくれてきた人々、とりわけ両親のことを思い出す。
有難うの気持ちを 横にも縦にも還元してゆきたい。
昨日、入院していた義母も無事に退院できた。24時間のヘルパーさんとの引継ぎは義弟や夫がつつがなく。
昨日、息子のチャレンジの結果が出た→夢は夢に終わり、4月からはいまの大学の2年生としてまた気持ちに整理を付けていく彼を見守る。
費やした労力や時間をいますぐに何かに役立て振り向ける気分にはならないだろうけど きっといつか栄養にできるのだと思うよ。
今朝。一年前など振り返りながら、 ひとには時にどうにもならない運命の流れが押し寄せてくることを考えながら、でも、 色々なひとに互いに命を授かりあって思いあっている命ってかけがえがないよなあって 改めて思う。
そのことに思いを寄せる日であって それを政治や商売に利用する日ではないのだ、ということを 大きく叫びたい気持ちもどこかにあるけど 分かっている人はきっと分かっている。
さあ家族を起こしてこよう。それぞれの疲れを眠りで癒やして目覚めていたらいいな。
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