続き。で、今日はあの子は、その気まずい授業の初回、 いやいやながら彼なりに頑張って顔を出せたという。 心配してた私は帰宅した息子の話を聞くまでは落ち着かなかったけど いまはその第一歩を認めたい。
2011年09月26日(月) |
小さいようでも本人にとっては大きな壁をどうできるかどうかを見つめる週。 |
(※まだ続き。また文章が長いのは自分の気持ちを整理することにこの場を使っているから)
大学の夏休みは終わって、今日、息子の秋学期開始日。 こんな日くらい時間に余裕持って出かけるべき、だろう。 なんとか起きてなんとか出て行った。 私の握手付きで。
ああ。
極力、遅刻をしない。極力、出席をする。そのために健康管理などの事前準備を怠らない。 ・・・ただこのことを。いったい何年待てば、彼は、当たり前のことにしていけるのか。 なぜもうすぐ19歳にもなる子どもの、こんな人としての基本について 涙ながらに葛藤しなければならないのか?
入試は学校に所属することが目的じゃなくて 学校で学び続けさせて頂く資格を得るためのものだったんだよ。ということを よくよく思い出して生きていってよ、と。
想定外の、卒業に必要な単位の不足事件&それなのにその生活パターンや思考パターンの弱点を抱えたまま他大学受験奇跡一発逆転をもくろむ長男、の 今後のゆくすえを、 大変心配する私。 そんな私の気持ちすら、いまの彼には重いだろうねー。 でもその重さをあえて訴えることで、ここが自分の殻を破る為の頑張りどころだと思ってほしいな。と。
私はこんな混沌とした心のままで、今日は友達とお昼を食べにでかけた。 お仕事柄、若い人と接する機会も多い彼女からの、励ましも嬉しく 脳も心も楽しくて わけのわからない荷物を持たせる格好になっちゃったかもしれないけれど こちらは勝手に元気をもらって、先ほど、帰ってきました。
人はみんな口に出さないだけでそれぞれにそれぞれの宿題を抱えている。 誰かの宿題と比べれば自分のなんか小学生なみの宿題かもしれないけど 千里の道も、一歩から。
問題は息子が明日の午後の必修語学クラス(春から続く)に途中復帰するというハードルについて、 まずは、 彼自身の心の壁を乗り越えてくれることを 心から願う。 もっと、家族や周囲に対して、ぶっちゃけてしまえるようなメンタルを。 というより、 その壁を越えようとする努力を試してみることを願う。
その壁は、おそらく、彼自身の思考パターン (既に出来上がっている集団に入っていけるか、人からどう思われるか、人に迷惑をかけてるんじゃないか、それを考えると諸々しんどい、しんどいところからは逃げていよう、傷がついたものは修復よりさっさと投げ出してしまいたい。しかもそれを親や友達に知られて心配されるのも心苦しい。強い自分だけ見せていたい。だから余計に弱い自分をさらけ出してでも修復するのが面倒くさい)が 生んだもので、
それは私という親がウッカリして植え付けてしまったものでも、あるだろうと思う。 彼の、ある種の優しさでもあり、しかし、ある種の弱さでもあり、ある種の堪え性のなさでもあり、 あるいは、きれいな自分だけを見せていたい欲望でもあり、それを無意識に望んでたかもしれない家族への配慮でもあるだろう。 そういう、壁。
(私にも覚えがある感覚だから。)
だから、この壁を壊すチャンスを活かして壊して、それを 将来に役立ててもらいたいんだ。 いや、壁を壊そうという動きを起こしてほしいだけ。 壊すことが大切だという認識をしてくれたらいいな。という。 壁を壊せても壊せなくても、彼が好きだけど、だからこそその壁を壊そうとしてほしいな。っていう。
人から見ればなんてことはないけれど本人には大きいらしい、壁。 壁を壊すか越えるかの努力をして、結果、かなわなかったとしても それをしようとした過程は、一緒に喜びたい。
1限目が終わったであろうタイミングで、そんなような趣旨を書いたメール(実際はもっともっと短文)をあの子の携帯に送ってみた。 読んだことだけ返信頂戴と添えて。 読んだよありがとう、とだけでも返信が来た。 これだけで今日のところは御の字だとしよう。
親ばかだとは思うんだけど、ある程度恥ずかしい話だとは自覚してるんだけど、 どんなに「そりゃアンタ、本人が撒いた種は本人が刈り取るべきだろう」と 思われるであろうことでも その子どもの思考行動パターンを形作った一因が親の私にもあることを考えると 私もそれなりに痛み分けということで 子どもにだけ何かを我慢させるんじゃなくてこっそりと 私も、彼の学年末試験&入試が終わるまでは、 ユースケ断ちをしてみる。 日輪の遺産は来年DVDで観るし この冬のお芝居を観るのも我慢します。 ドラマ出演があってもリアルで観るのはお預けにするし ぷっすまも我慢。(もっとも最近、ぷっすまは疲れて観れてなかった) ※まあ、そんなことは家族に内緒です。第一、ユースケファンをカミングアウトしていません、する気もないし。 あと、それだけじゃインパクト弱いんで、この冬からは、もうひとつ何か断ちを予定しています。
2011年09月23日(金) |
今後の生き方についての、息子との辛い話し合い |
続き:
前学期で必修を二個も途中放棄したという理由がまた嘆かわしい。かわいそう。しかしかわいそうがってばかりいられない。
少人数語学の初回の講義を自分のミスで欠席になったのに その出遅れ感・疎外感・顔出し辛い感を自分で勝手に感じて途中からやめてしまったというわけだ。
要は人目を気にしすぎだし 最初にポシャってしまったらもう投げたくなる気質だし まあ、分かるってば分かるけど そのようなことでいちいち挫けて積み上げたものを水泡に帰してたら、 そんな弱さを何とかしないままでは、 時間と労力とお金がいくらあってもまた同じようなことの繰り返しだ。
ここが正念場だと思う。大人になる人として 図太さと我慢と根性を身につける課題。
だからそこから逃げたままで、再受験で一からチャラにしようとしたところで 仮に万一うまくいったとしても またバージョンの違う気まずさはどこかで出会うだろうから 根本的な解決にはならないと思う。 もっと苦労する。
いま苦労を避けるなら 来年から必死で頑張るったって限度がある。
それをわかってもらいたいし でも彼の気持ちはある程度解るしで
ほとんど一日膝を付き合わせ 彼もしんどいだろうけど 私も夫も相当しんどい。
2011年09月20日(火) |
しかしまあ・・・見ててここまでハラハラさせられるのってどうなのか |
追記 晩ご飯前に書いた下記を、晩ご飯後に見直したら、なんだか すべては、そんなに大したことじゃないような気もしてきた。 人生っていう、彼の旅の途中の、ちょっとしたポカ、それもあとで幾らでも軌道修正できるような、貴重な寄り道のようにも、思えてきた。 でもさ、とにかく本人が、あまりにも、ケロっとしてるのが、なんか腹が立つ(笑)。 今年の冬も、ノロウィルスやインフルエンザに備えてクレベリンゲルを大量買いさせるのか、と思うとね。 ↓
先日はそんなこんなで子どものささやかな成長を喜ぶ日記を書いたりしたのだけれど 今日はまたある意味息子のポカにまたもや驚かされた。
まず春学期の彼の成績が驚くほどヒサンだったことはやっぱり数日前に詳細判明したので、それは記録しておきたい。 彼曰く「それなりにやったんだけど対策を失敗した」とかっていうけど そんなレベルじゃない他に例をみないような、どうやったらこういう実績が出るんだという驚きの結果を報告されたので 原因は多々あれど、自己分析自省を促しポツポツ出てきたのは ひとつは高校のときのような甘い気持ちで試験に臨んでいたこと、 ひとつはそもそも科目登録やレポートや試験の重要連絡事項を確認する段階で自分のウカツさによるミス、 ひとつは何かしら例の国立大学への諦めを捨てきれないことからくる身の入らなさ、 ひとつは朝遅刻しないとか欠席しないとかを守りきれない自分の意志の弱さ、 などなど、後付の理由がいろいろ出てきたのだけれど そういった諸々のイイカゲンさは、 自分自身のこれまでの努力をも裏切っているわけで これまでの家族の支援も裏切りっているわけで 猛省を促し、秋学期は科目登録の段階からもっと真剣にノーミスで取り組むと誓ったはず、だったような、のだけれど?
で、その同じ口で、やっぱり国立再受験は諦めないと言い張り 秋はその受験勉強に力を入れたいと言い張り どんなに可能性が少なくてももう一度受けたいと言い張り でもその割には、受験生にしちゃあ勉強量が少ないようにどうしても見えるんだが! 第一そんなこと言って、春学期のあの勉学態度なら、どの大学に行ったっておんなじじゃないのかい!
だけど親としては、「もう一回受けてダメだったら諦めるから。もしも受かったら今度はもっとまじめに必死に勉強したいから。」というのを その言葉をまあ、信じて、1000歩譲って、 じゃあ、この夏までの学生生活は、回り道だったけど、いろいろ良い経験にして、 それまでのミスも甘さも全部自分の教訓栄養にして、 秋からは、大学の勉強も受験の勉強も、両立したら死ぬほどのハードさになるけど覚悟の上でやるのも、あと4〜5か月のこと、 終われば、結果がどうあれ、全て経験に活かせるんだね? だったら、やれば。自分の責任で。そのかわり 辛いよ?
って言ってやったので 今日は彼は卒業した高校に卒業証明書を貰いに行った。そして 取り寄せたセンター試験の願書書類に記入し、受験料を自分で支払い、 10月に郵送できるまでにカンペキに準備した。
ほう。やってるやってる。で、秋学期の科目登録の期限はまだなわけ? ってもう一度大学HPで調べてみたら なんと一次登録の期限が過ぎちゃった、ミスった、とか言い出す。
は?は!?それってどういうアレなの!?
すべてネットで事前確認しておくのは前々からわかってたことじゃん、 なんでそんなに見落としが多いの、ここぞという場面で!
これから先、そういうポカで、どんだけ人生棒に振りかねないのか 身に染みてますか。身に染みたよね!
なんだかもうなんだかもう本当に本当に、ウカツすぎる。ウカツすぎて今まで生きてきたことが奇跡だ。 ありがたや有難や。 学ぶべき失敗が程よく以上にふんだんにあって、ほんっっとうに、 ありがたいよ!よかったね!息子よ。ミスから学んでよ。頑張れ。 私にも修行を課してくれてありがとうよ。見守るってこんなにエキサイティングなわけ。
2011年09月19日(月) |
ささやかな緊張と安心の繰り返し毎日(を繰り返せるしあわせ) |
ひとさまにお知らせできるようなナイスなニュースや衝撃的な事件は特に何もないです。終わり。
って日記に書いていられる自分の恵まれっぷりに どこまで感謝感激雨あられになれるか。
それを教わる毎日もまた、 私の毎日。 それを教えていられる毎日もまた、 家族の毎日。
どこも痛くないし、おなかも壊してないし 家族が咳き込んで眠りを妨げられたりしていないし お金も食べ物も衣服も、とりあえず足りてると言えば充分足りてるし
夫は毎日面白いんだか面白くないんだかわからない仕事でも真面目につとめて収入を得てくれる そのことがどれだけ素晴らしいことなのかを。
息子の試験監督、一日の拘束時間がここまで長いバイトをやったのは初めての体験だったけれど それは対して難しいというものではなかっただろうけれど この一日でまた知られざるドアを開いたささやかな経験が彼の顔を輝かせていた。
朝出ていく前と、夜帰ってきたときの、彼の表情の変化が 私の喜びにもなった。
誰かとの比較ではない自分自身の足が10センチでも前に出たことが良いのであって どんなすごいことを成し遂げたとかじゃなくて だれかのすごいことをすごいと感じ取れる自分に10センチでも成り得ることも幸せのひとつ。
だと、思う。多分。
2011年09月16日(金) |
大丈夫。気持ちは伝わっています / 祖母のこと |
☆利き手にお箸、もう一方の手にお茶碗、ご飯とおかずをかわりばんこにいただく。
利き手にナイフ、もう一方の手にフォーク、サービスしていただいた順にコースでいただく。
どういう文化であっても、いただくときの感謝の気持ちが大事なんだものね。
いただいた命だっていうことだよね。自分も誰もかれも。 自分だけで生きていられてるわけじゃないんだっ てことを忘れないでせっかくのごはんを味わいたいってことだよね。 伝わっていると思うよ。
どれを選んでも、選んだその文化の根本の精神が大丈夫なら大丈夫だよ、 きっと。それでいいと思うの。 それで大丈夫だよってちゃんと言っててくれていたのに、 それにも気付いてなかった私はお節介なことをいつもしてしまうけど 大事なことはなんだっけ?と、そのたびにいつも気付かせてもらえて ありがたいです。
☆追記 祖母のこと
昨日、母といろいろ話をした。きいた。 いろいろな語りつくせぬ葛藤の末にホームに祖母を預けて それでもまだ面会に行くたびに悲しく複雑な気持ちにさせられるということなど。
認知症なので、いろんな失敗をするし、もちろん、言い聞かせてみても理解して改めるなどできるわけがないのだけれど 幼児と違ってしつければなんとかなるものではないとわかっていても それが認知症ということだと頭でわかっていても、 そして叱られるより褒められるほうが気持ちいいだろうし脳にもいいだろうと頭では分かっていても、 いざ、 いままで育ててもらってきた実の親の変わりようを目の当たりにすればきっと、 傍で看ている人の心には理屈では推し量れないものがあふれるに違いない。
そんな祖母の現状を見つめる母の気持ちをいま聞いて現場のご苦労も察する機会をもらえてて 私自身も相当に学ばせてもらえていると思っている。
いまのホームに祖母が移る前も移ってからもずっとこの件に関しては 母や叔母や従弟にお世話になっているばかりだった。 へんに里心がついてはいけないからと思い、孫である私が会いに行くタイミングを待っていたけど 新学期も始まったし、再来週の水曜あたり、そろそろ私も面会に同行させてもらおうということになった。 そのときに願わくば、祖母が、私の前で、誰かに叱られているところは、あまり目にしたくはないなあと、 祖母が私に対して見栄を張れるような元気な気分を発揮できるような状況を せめてそんな短い間だけでも、作れたらと願う。
2011年09月14日(水) |
思想宗教科学・・・なんでも、正誤判断は難しいね |
私の好きな、私の生き方の師匠は、とてもまじめ、純粋、常に何が自分や他人の幸せをもたらす正しい道なのかを考えている。
だからこそ 私はその師匠のよりどころとしているものを好意的に受け入れていきたい気持ちと 少し離れたところから冷静に視ていきたい気持ちが 混ざっている。
そのうえで自分の安心のよりどころを自分なりに考えたい。 人間の考えた宗教の目的も手段も、人間が信じひろめることによって、人間しだいで変わってくるので 常に四方八方からそれを矯めつ眇めつ眺めていって なにが自分とみんなの幸せなのかをああでもないこうでもないと一生にわたって考え続けるのも 修行かもしれない。
現時点ではとりあえず、いま生きてこうしていられるのは 目に見える人、見えない人、今の人、過去の人、人以外の生き物、それをのせた世界宇宙、の 全ての、諸々のお蔭だということに 感謝しているのが重要だと思っている。
2011年09月12日(月) |
(ただの女子会ではない)ランチ。のお蔭で私の乾麺のような親心もアルデンテにまで緩められた気がする |
久しぶりのメンバーが集まった。その一人は5か月前に生まれた可愛い赤ちゃんも連れてきてくれてて。 その可愛さ、ただものではない。 (ああ、孫欲しい。)
というか、みんなある意味、ただものではない。 どういう訳だか何だかもう本当に不思議な縁だと思う。 別に芸人集団でもないのにおしゃべりが面白くて時間を忘れてしまうんだよね・・・。 そうかといってすごい笑えるネタがどうっていうことじゃない、なんだろうこの安心感。 私なんかが仲間に加えてもらえているのだけれど みんな「できる」のに、癒されてしまうんだよね・・・。
どうしてかなあといつも思う。そのたび、やっぱり はっきりと確信するのは、「信じられる」ということなのかな。 「信じる」がデフォルトで言わずもがなな感じという、か。 思いあう。でも誰かが我慢しているとかではない。と安心して感じられる。
うち一人は、ご家族の海外転勤でしばらく会えないのだけれど きっとどんなにご無沙汰しても、また逢えたら時間凍結を解いたみたいに まるで先週会いましたみたいに会えそうだ。 きちんとした大人の所作とわきまえがあるのに茶目っ気もある彼女とまた会うのが楽しみ。
彼女もほかのみんなも家族愛と自分の世界をちゃんと持っていて (その折り合いは一朝一夕についたものではないのだと察するけれど) いろんな苦労があるのに違いないのに、ベースが明るい。こうじゃなきゃいけないという決めつけもない。
誠実さが空気みたいにあることに、一瞬、ありがたみを忘れそうになったけど よく考えたらみんなひとりひとりが 毎日、何かしらそれぞれの仕事や家事や育児など、それぞれ形は違えど 絶妙のバランスで時間と体力と気持ちをやりくりしている中で、 貴重な何かをを提供しあっててくれているんだと思うと うん。どうもありがとう。
実はランチに行く前、息子と小(コ)二時間ほど話していて というか説教?のようなことだけど 前期成績が予想を遥かにあさっての斜め下を下回っていたらしいことの衝撃を背景に また、その他、いろいろやらかしてくれた彼のこの半年のこと、も含めて 学生の立場がどれほど得難く貴重だか、とか、今までの自分自身の努力や周囲の応援に対する礼儀とは、とか、そもそも生きるにあたりの基本姿勢の、とか ちょいと涙ぐむくらいに、もう大きい(はずの)子と、こってりと偉そうに語り合いつつ 内心「どうなるんだろうね。なにがしたいんだろうね彼は。そして私の育て方はどうなのよ」と人生の侘び寂びを感じていたものだったけれど、
この自由が丘の語らいがあまりにも心を解きほぐすものだったので (だってやっぱり人は・特に、女は、生身の人間との関わりの中で、その中で何を幸せと感じていくのか、そこには融通無碍な視点を持っていなきゃ。と、たくさん教えられたので)
そのあとバイトもしてから帰宅したときに息子がちょいと真面目に何かやってるのを見て そういえば先日、私と娘と息子が3時間だけ3人でカラオケに行ったとき この子たちのお蔭で楽しかったし。など思い出して
そうだ!別にあんなの大したことじゃないじゃん。こうして元気で悪気なく生きているっていうのは有難いじゃん。
と、極々当然の流れとしてそう感じられたんだから。
(あ、そうだ。兄妹で性格というか個性が違うのは、親に修行させてくれるその修行のバリエを増やしてくれてるんだっていうことを友達もいってて、なるほどと膝を打つ思いだったっけ)
昨日は、まあ、そんなわけだったので今朝は久々に寝坊しちゃったけど いま朝一人PCに向かってられる時間がありがたい。
このいつもの寝床で目覚められるということが嬉しいことだと、思い出させてくれた人々に感謝していたい。 同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年の今日 (これをアメリカ擁護や反アメリカや日本攪乱や自説への洗脳などに使おうという派には充分に気を付けながら)
そしてそれに限らず今まで日本や世界でいろいろな時代と場所でさまざまな試練があって それを乗り越えてよくやってこられた人類としての自分たちを有難いと思って 縁あった人々に感謝する気持ちを、
人それぞれの形でそれぞれが思い出していられたらいいとおもう。 形にこだわらない。
2011年09月10日(土) |
娘の文化祭に際し感慨にひたる |
※先程、子どもよりも先に帰宅したので書いている。暑かったあ。
子どもの学校の文化祭は、昨日と今日の二日にわたり開催された。
※まずこの日記が親ばか全開の気分で書かれることと そして鍵付ブログではないので個人特定されないようにあまり具体的なことを書かないということをおことわりしておきます
本当に可愛い、みんな可愛く、健気すぎる。 娘はこういった学校行事(特に文化祭)には、クラスのほうでも部活のほうでも全力投球だった。 かなりの責任感もあるので、夏休みなど宿題よりもその準備に優先的に時間を割いてきたし、 そして彼女の部のメンバー全てがそんな感じなわけ。 部員は少人数。アットホーム・且つ・ひとりひとりが超がんばる体質。 そもそもこの学校に通う特に中学生女子と高校生有志は、ほとんどの子たちが 行事に200%の力を注ぎ・且つ・遊び気分を忘れない。
彼女もこの二日間を、部の全4回の公演と、クラスの企画をしっかり務めおおせた。 その様子を、息子も、また実家の両親も、観てくれてた。 夫は仕事でどうしてもいけなかったので、代わりにビデオを鑑賞する予定。
しかし、初日の朝というか明け方、彼女は、よりによってまさかの風邪症状発症。 どうなることかとおもったさ。
この年頃の、真摯な純粋さに、まあそれはウチの子だけじゃないんだけど、 親としてはもう内心の涙でおぼれそうになるくらいだったさ。
だけどその風邪の危機を乗り越えて見せてくれたステージは 各メンバーがそれぞれの何かを乗り越えて見せてくれたものは うまいへたを超越してどこまでも尊いひと時の経験値ダダ上がりの何かだった。 子どもの、ある意味、認識している世界の狭さ、が、一生懸命さにつながり、 それが大人の心をも磨いてくれる。 あの学校にいた生徒に限らずどんなどこの子どももそうなのだと思う。
しかしそれにしても神様は、粋な計らいをしたものだ。来年はそんな演出は要らないからね、とお願いしたい。
※その経緯を見守るなか、昨日の朝4時ごろから今朝までの私の心によぎっていた思いの記録は、 ツイッターの関連つぶやきのコピーを以下に記すことにしたい。(アカウント名とRTとメンションは除く)
・・・・・
9月9日
どうしよう かなりピンチ 娘のくしゃみはなみず。いま最も風邪ひかせられないのに今日と明日の本番のために夏休みからどれほどがんばってきたのか
少ないメンバーのなかでステージに立てないかもしれない予感責任感悔しさ無念さで 鼻水か涙かもうわからない娘に薬飲ませてやっと寝付いたようだ。ごめん!私もすごく気をつけてたのに
これは絶対効くおくすりだからって言って飲ませて寝かせたからプラセボ効果とあとは祈るしかない。最悪と思われる事態でも不測の事態でも極力できる範囲の最善を考え仲間に託し涙こらえる経験も娘のためにはなるだろう、
娘の文化祭イベントを観るにあたり楽しみ以上に内心の心配と緊張だった。別に娘を信用してないわけじゃなくて、不測の事態が起こったりせず恙無く彼女らが楽しめるようにとの祈りを。それだけ願ってたし今もそう
よし私もあと一時間がんばって寝る。予定では朝リハとクラス展示のためにあと二時間したらお弁当持たせて送り出さなければならないけど 起きてから考えよう。ほかのメンバーに今どう連絡するかも一緒に考えてサポーターに徹する
とにかく熱さえ上がらず声さえ出せれば。ベストコンディションで最高のステージで発声するという彼女の、いやメンバー全体の望みの危機ではあるけれど、神様にはなにか考えがあるに違いない。
やはりあまり眠れなかった。神様少しはヒントを下さい 娘の思いに添うならば「ただの鼻炎だ気合いで治せ、舞台で倒れてもいい」と言ってやるべきか。ここまで来たら。起こしてからの状況見よう おはようございます。
娘を送り出せた…。仲間に体調不良を詫びるメールをしてお粥食べて気合いで出ていった。あと30時間もてば日曜はひたすら寝られるし健闘を祈るしかない。
なんとかなってた…!なんとかやってた。気合いでやりおった…!ああ、とりあえず、良かった 心臓に悪いよもう
いつもなら風邪薬など飲ませず寝かせて治す程度の症状、でも今日ほど薬が有難かったことはめったにない。あと二回の公演、なんとか乗り切りそうな感じ。安堵したら疲れがどっと。中学生たちの真剣さに泣きそうになるのを堪えてた。明日も五時起き
9月10日
昨日の明け方の回想。子どもがまじめさ真剣さゆえに涙流すのを見て自分のかつての想いとそれが同期して親として揺さぶられ洗われて悲しまされて感謝させられ癒されていた。 どんな子どももそんな力を持ってる。そしてすべての人は子どもだったことがある。有難いとおもう。
…そして娘に比べて口数すくない息子も19年間いろんな一途さを発揮してきたんだ… おっと。浸ってる場合じゃないや弁当詰めなきゃ
2011年09月07日(水) |
誰かの心のなかの波を固唾のみつつ気にしてられるような悩み無きこの自分の環境は忝ない。 |
どういう自然現象もいつどこで起きてもいいような覚悟でいつもその時に必要最小限のやるべきことをやることができた上で、
なおかつ 自分と家族の必要最小限の世話しかしなくていい恵まれた環境におかれ
なおかつ 心のなかは自分の心配をする余裕というか暇が、なくなるほど 常に誰かの心の中の平安を気にかけることで忙しくて その人々のそれぞれの心の中の波風がせめて少しでも穏やかに鎮まる日がくるまで 息をするのを忘れない程度に朗報を待ち続ける毎日、を、
そもそもそんな毎日を送っていられる私の恵まれっぷりに 頭が、上がらない。
|