気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2011年04月25日(月) やっと暖かくなってきた(先週から今日までの近況、順不同)

☆ひとつ、単発の求人で目ぼしい候補を見つけて印刷した紙を
もち歩いている。
けど、若干の理由で結局は保留になっている。保留中に既に締め切られた気もする。
5月末までで半月程度の短期の。朝から夕の平日びっちりのデータ入力なんだけど夏休みに家にいられるのがいい、
けど、家から遠い。
夫の手前、土日に体力や家事のシワ寄せは許されないし。
週に4日ぐらいの時短ので、歩いて行ける近場の仕事を見つけて4時に帰れるようなゆるゆると
細く長く生きてく道を早く確保するほうが、
結局は夏も融通が利くような気もしていて
まだちょっと考え中。

せっかくPCスキルを勉強しようとしてた時期もあったことだし、その系の事務、なんて探してたけど歳もあれだし
シニア歓迎だというマンション清掃スタッフとかもいっそいいかも。
社会貢献につながることをやってる会社でどうせなら、なんて考えて社名公開で探してもみたけど、そんな選り好める身分じゃないから、
チラシ配りだろうがどこで何をしても、小銭をためるだけたまった時点で募金に回せばいいかも。

結局私は今の家族内での生活リズムを大幅に変えたくはないんだと思う。
優先順位が変わってきちゃいそうな生活は望んでないんだと思う。


☆けどね、全力で社会貢献をしている友達を目の当たりにすると少し
私の甘さがハズカシくもなっちゃう&自分の殻を拡げなきゃかなって思ったりする。
今日、月曜、久しぶりに会える人に楽しく会えた、ありがたさ。
忙しい中、時間を作ってくれた人も。

そして今日は会えなかったけども全力で新しい命に向き合っていた人も。
いつも一生懸命に、適切な場所で
ひとよかれの気持ちで毎日を生きているみんなに出会えて、
そのめぐり合わせに報いられるくらいに
私もちゃんと生きていよう!って思った。

子どもの成長や世の中の動きにつれて関心ごとも興味も少しずつ、
変わっていく。
以前は気づかなかったことに気づいていく。
でも
育っていく人間(大人でも子どもでも)の、その育ちに気づける感覚とか
何が、より誠実で真っ当なことなんだろう、と探求する気持ちとか
が、ずっと保ち続いていれば、
何の経験も全部が、どこかで活かされてくるんじゃないかなって
気がした。

ランチは友人お勧めのイタリア料理店で美味しかった。

それから
最近、品薄な納豆について
3パック1セットしか買えなくて家族が4人な場合は
別な器に等分して出せば無問題だってことに
会話によって気づかされた。そりゃそうだわ。


☆息子は、20日には大学のTOEFL-ITPテスト&新入生ガイダンスに行ってきて
学生証引き換えや大学生協への加入、パワポソフト買ったり教科書買ったりしてきた、その際に
ちょっと並んでる間にも脇からサークル勧誘の学生がどんどんチラシを荷物に投げ入れねじ込み話しかけてきて
もう、疲れたーーーーと行って帰ってきたその二日後、
何か月かぶりか何年ぶりか覚えてないような久々の「風邪」
ここ4日間の間にWEB上で科目登録をしなければならなかったので
手引き本とPCに貼り付いていたのがまたいけなかったのか、
あー、久しぶりにこの子の口から「風邪っぽいかも」という言葉を聞いた。

絶対に風邪を引いちゃいけない時期がずっと続いてたから気が緩んだのだろう。
でも普通に起きて、やることやってた。で、もうかなり治ったっぽい。科目登録も無事終わったらしい。
人気講義の抽選に当たればいいけど、と
にやついている子どもを見るのは楽しい。


☆娘は、部活の新入生歓迎ステージも無事に終わり、新一年生も若干名、見学に来てくれて喜んでる。
学内でゲリラライブをやろうかという計画もあるらしい。
ってったって合唱曲だからゲリラって語感にも違和感あり。
宿題が本格化するのもまだ先だから、いまのうちにと
友人と蒲田のユザワヤに遊びに行ってきた先週、
近辺にある「アニメイト」の魅力にとりつかれたらしく、
昨日の日曜は「渋谷のアニメイトに行きたい」っていうんで
さすがに日曜の渋谷に子どもだけで行けというのも。で、
私が付き合った。付き合わされた。
彼女がいまはまってる漫画アニメライトノベルの類は
ハルヒ らんま2分の1 海月姫 そして、ヘタリア。
特にこのヘタリアは国家の擬人キャラものなので
娘は「日本」(かわいい)と「オーストリア」(貴族っぽい)のファンらしい。
コミック館と本館にそれぞれ30分ずつ区切って過ごして
ヘタリア系のCDのほかに、新しい漫画を買っていた。
娘の学年の数学の先生がおすすめしていたもので
「数学ガール」
これ結構、文系のわれわれ母娘には、読み進めるのがしんどいんだけど、まあ勉強になるっちゃなる、のかなあ。

店内フロアに娘を泳がせている間に、
私もひとつ200円のグッズを買った。
もやしもんのオリゼーの小さなピンバッジ。
完全に実用目的で。
だって私の持ち歩いてたショルダーバッグのベルト部分が壊れたのでそれをとりあえず留めたくて。
ゼリー状食料とカロリーメイトと簡易トイレ用シートと防寒アルミシートとコンパクトレインコートがやっぱり
重い、のかなあ。


☆前から買ってあった劇のチケットを、先週、無事に使い鑑賞することができた。感謝。
家族について考えさせられるストーリーを
個性的な役者さんたちが堪能させてくれた。

ふと私の親戚のいろいろな歴史を思い出した。
みんな、それぞれに言い分があって、各々の人に知られざる「良かれと思ってやった」正しさがあって、
その時点では良かれと思ってたことが、互いにかみ合わず
すれ違いの辛いことも増えていく、
でも、信じらんないくらいの長い時間がたてばいつか、それはきっと、それ自体が、修行の「先生」になるんだろうか。


☆年の功、ってやっぱりあると思う。
どんな人にも、あると思う。
体の年季が積みかさなって、若いころのようにはうまく動かなくなったりするけれど
それだからこそ、以前より強く感じ取れる何かが、きっとあるんだと思う。

実家の母が近いうちに目の手術をする予定らしい。
でも私や妹がそれを知ったからにはきっととても無事に乗り越えられるのではないかという気もしている。
無理はしないで、
むしろ私たちにできることならば何でも頼ってほしいって思う。
子どもに迷惑をかけまいという気持ちが日ごろから強い母だけれども、敢えて。あんまし遠慮されないほうが助かる。

まあ、逆に私も、そういう場面では、あんまし遠慮しないことにしたほうが
親孝行なのかもしれない。



2011年04月19日(火) 極端な話、消費行動=世論形成=政治活動

先日紹介した「命の三角地帯」の記事について、
私のマイミクさんから、アメリカのツイッターでは疑問視されているよと教えてもらった。

そうかもしれない。全てが正解ではないかもしれない。
その土地その土地の建築基準や災害の形にも依るんじゃないかと思う。ケースバイケースなのかもしれない。
が、
全てが不正解でもないだろう、と思っている。

そのほかにも今までここの日記で紹介したサイトの、
全てが正解ってことも不正解ってこともないだろうと思うけど
これから書くことも、取捨選択して受け止めてもらうことを期待しつつ
ある意味、偏見も入ったひとつの感想を書こうと思う。
何でも、「全か無か」では捉えられない。

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放射性物質に関して、国が定めている、第一次産業の商品の安全基準や
年間の被ばく量の限度や、既存の原発の安全性について。
それらが国民に知らされている・知らされようとしている情報について。
本当に信用していいのか?ってことが
いま問題だと感じているけども。
私個人としては、現時点では、「ほぼ信用できない」と思う。

政財学界全てによって「大丈夫だよ」宣伝してくることが、今はグレーだと感じる。なんか企んでんじゃないのかと疑わせる。
バックに何があるんだろうと思わせる。
それは今までの経緯をなんとなく眺めているだけで、多分疑ったほうがいいだろうと、推測させられる。
(それをもっと早く気付きたかった。騙されたとしたら、騙された私も悪いよね)

※年間の被曝限度量、引き上げを検討 原子力安全委
2011年4月5日22時21分
(朝日新聞社)

http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050616.html?ref=rss

なんで今さら被爆限度量を引き上げるんだろう?
だったら最初っから引き揚げた数値を設定しておけばいい。
「日本の原発は本来安全なんだ」
「原子力エネルギーから自然エネルギーに変えるなんて非現実的だ」というような定説が
覆ると誰が困るか損するか、きっとそこに何かがある。

ただ単純に放射性物質が絶対怖いか安全かっていう話でもなくてね、
(少量の放射性物質ならむしろ体にいいって言う人々もいるし。でも私はそれもそれで過信しちゃいけないと思う)
その限度とか安全基準が、
安全を願う人の志によってじゃなく、政財学界の利権的な都合で、操作されちゃってるかもしれないのが、
いやなの。
結果的に適量の?放射性物質が、仮に健康を害さなかったとしても(むしろ健康を増進したとしても)
基準設定の主な動機が、人類の未来を慮ってやったことじゃなかったとしたら、それが(損得がらみや責任逃れだったことが)
いやなの。

「店頭に並んでる農畜海産物は、基準をクリアしているんだから大丈夫」
「むしろ基準をクリアしてる被災地産のものを積極的に買うことこそが、支援になる」
っていう声が主流になるのなら
私はホント将来的にすごく心配だ。

つめたい考えかもしれないけども、あえて思う、私は「買うことで支援するよりも買わない代わりに義援金で支援」で行こうと。

売れ行きも、人々の関心や不安を表す世論のうち。

(ただし根拠のない風評被害はただ邪魔なだけだから自戒しなきゃいけない。人から人へ放射性物質がうつるわけないのに避難者をいじめ差別するなんてバカそのもの)

哀しいことだけれど、こういう形で原発の「想定外な」危険性が露呈したいま、
その周辺でとれた食べ物は、以前と同じように売れはしないという現実を認めなければならない、
いや以前と同じ程度に売れては、いけないのだと思う。(それは未来の地球のためと未来の子どもらのためには。)

その第一次産業従事者に対して、東電だけが賠償すればいいのではなく
国が(=信じ支えた国民全体が)償わなければならない。
今回の事態を招いた原因を全て東電だけに押しつけようとしてるならそれはおかしい。
政財学界と、それを受け入れた国民が、ともに醸した安全神話じゃないのかな。

そのうえで、人々が何を意識的に選んで買って食べるかは、何の仕組みに対してYESと言いNOと言うのか に繋がると思う。

私が野菜を買うときに優先したいのは
つまり買い支えたいのは、

被爆が心配いらない土地の有機国産農産物>被爆が心配いらない土地の普通の国産農産物>被爆が心配な土地の有機国産農産物>被爆が心配な土地の普通の国産農産物>>>>何の農薬がどれほど使われたかわかんない輸入農産物

その商品を手に取った時に考えてあげく買わないのは意志表示、
福島の農家への抗議じゃなくて、国のエネルギー政策や安全基準への不信感の表現だったり
某国の農家への抗議じゃなくて、某国の政治体制や安全基準への不信感の表現だったりするから。

農作物だけじゃなくて
添加物いっぱいの化粧品とオーガニックの商品を天秤にかけたとき
後者を選んでレジに持っていくことが、その時点では
国が定めて企業が踏襲する安全性への考え方に疑問を投げかける一種の世論形成というか、政治活動に、
なりうると思う。
でも、オーガニックってだけで信用しちゃいけない。かえって肌に悪いものがもし含まれていたことが分かったら
その商品は買わないであげるのが、そのメーカーのためになる。

こないだの都議選で
私は迷って迷ってた。
日本の領土問題や某ギャンブル業界にピシッと言えそうな現職の知事に、一票投じようかと思ったり
でも、その人じゃ原発にNOと言える気がしないから止めようと思ったり
かといって某実業家の人の、表の顔と裏の顔は本当に一致するのか書物とネットでわけわかんなくなったり
でも、その人が裁判で係争した事案などから考えると、意外とその人は信用できるのかもしれないという勘に頼ったり
投票所に行ってまで迷っていた。

と、そんな迷いにも似て、そんな風に、(時間のないとき以外は)
スーパーの店先でいちいち比べて迷って一品一品買っている主婦がいるんだよと
関係省庁の人々にはこの消費行動をもって訴えたい気分に今は、なっている。

もし私がお金持ちだったら、自然エネルギーに積極参入してる企業の株をいまなら買うんだけどなー。



2011年04月18日(月) ともだちから勧められていた書「小指のおかあさん」良かった。

かなり以前に友人のブログで知ってすごく読みたくなって取り寄せておいた本、に
やっと腰落ち着けて、ちゃんと読み終わったのが今日。

いやあー、胸をうたれた。

NPO「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター」
http://www.bbed.org/index.html
事務統括ディレクター であり
学校法人明晴学園理事 玉田さとみ氏の著、

「小指のおかあさん」(ポプラ社)http://www.bbed.org/information_folder/index.html#koyubinookaasan

生まれた赤ちゃんが耳の聞こえない子だったと知り、最初は並大抵じゃないショックを受けつつも、
「聞こえない人」としてより「眼の人」としての、ろう児の豊かな教育環境を必死で探りながら
人のつながりの輪を着々と広げ深めていって、とうとう学校を作ってしまった、この
「お母さん」(&お父さんもね。)素晴らしいわ。

感嘆すべきところは色々数々あるけど、その中で
ろう児には日本手話※での教育が必要だってことを多くの人々に知らせる
「1分プレゼンテーション」作戦がナイスだと思った。
様々な分野の勉強会や講演に参加した時のための技。
講演者にすぐに目に留まるように前列に座り、質疑応答の時間で必ず手を挙げ、指名されたら、
質問の前に一分間で自己紹介と活動内容をアピールする、というもの。
それを数百回の講演会参加でコツコツ繰り返したというからすごいなあ。

ここまでできたのは、尋常ならぬ(月並みな言葉になっちゃうけどこれしか)愛、が
あったからではないですか。

普通に考えたら諦めてしまう状況でも、困難を良い方向へ変換して進んでく人、に
人は感動しちゃうもんだけれども。
そのモチベーションとなるのは自己愛→家族愛→人類愛と押し拡げていける魂のエネルギーで、それがあれば、
やっぱ強い。

※日本手話。日本のろう学校では当然これで授業をやっているんだろうと私も思い込んでいた。
違うんですね。
ろうの方々にとっての手話こそは大切なコミュニケーション手段、教育手段に適した「母語」であって、唇の動きを読ませるやりかた(聴覚口話法)だけを強制させる従来の日本の教育法では大いに問題がある、ということで
著者が活動しているNPOでは、
アメリカなど諸外国で成果が上がっている「バイリンガル教育」(手話と読み書きの二つの言語を併用する教育)を、日本にも普及させることを目指している。



2011年04月17日(日) 太陽からの磁気エネルギーがねえ。 / 「命を守る三角形」があるんだって。なるほど

☆太陽黒点がめちゃ多いか少ないかの時期は、
太陽が及ぼす磁気エネルギーが地球の地殻活動に影響を与えるので
地震が起きやすいらしい。
日本地震予知協会のサイトhttp://www.menokami.jp/
特に2004・05・06年の大地震について解説したページは分かりやすかった。
太陽黒点の最多と最多・最少と最少の周期は11年、
最少に向かう2〜3年の間、つまり回帰性の磁気嵐が必ず起きる、そのときに
大地震は起きているという。
関東大震災、東南海地震、南海地震、元禄地震、
また阪神、中越、スマトラなどの例。「巨大地震は、この太陽の回帰性磁気嵐の期間に起きているのである」

そこからいえば、
今は黒点数が多い時代だから地震が起きやすいのだけれど、
またあと5年くらい経つと黒点極少となり大地震警戒の時代にまた突入するっていうことだろう。

☆建物内で大きな揺れに遭遇した時は、
建物の外に近い壁側で、しっかりした家具のすぐ横(正面ではなくて横)に移動して、頭を守ってうずくまると良いという。
机の下に隠れるよりも生き延びる可能性が高いそうだ。
参考資料:教えてもらった地震対策情報。アメリカンレスキューチームインターナショナルの隊長の話のサイト(英文)
http://barriosiete.com/where-to-go-during-an-earthquake/


※これの紹介並びに簡略日本語訳は、伊勢白山道っていうサイト
(スピリチュアルの香りがするので私自身は少し抵抗があるサイトだけど防災に関しては納得がいき、大変勉強になる)
に載っていると。教えてもらったので紹介。
訳の部分だけ引用コピペ:

アメリカン・レスキュー・チーム・インターナショナル(ARTI)
隊長ダグラス・コップ氏:「私は、これまでに60カ国で875軒の倒
壊した建物にもぐり込み救命活動した経験があります。すべての大きな
被災地の現場で目撃した結果、地震の際の最も安全な地帯は、三角に空
く隙間だという事です。」

1)一般的に机などの下にもぐるという意識をお持ちの方が多いです
が、建物が倒壊した時には「机や車の中に入った場合」、ほとんどがつ
ぶされて死んでいます。大きなな家具、タンスやベッド、ソファー等の
「横の方が安全」です。

2)猫や犬は本能で警戒時には、丸くうずくまります。人間も同じよう
に、家具の横で、できるだけ小さく丸くうずまると良いです。

3)地震の場合には、木造が最も助かる確率が高い。木は地震に揺れて
柔軟性があり、上から落ちて来ても重量が他の資材に比べると軽い。レ
ンガもまだ助かる可能性があるが、コンクリートの建物が倒壊した場
合、下敷きになったら、ほとんど助かるケースがない。

4)寝ている間に地震が起きた際には、丸くなって「ベッドの横に移動
する事」。ホテルも地震時には、ベッドの横にうずくまる事を掲示して
おくと、利用客が助かる率が高くなるので掲示する事をお薦めします。

5)地震時に窓やドアから逃げる時間がないと思ったら、ソファーなど
家具の横に丸くなってうずくまる。

6)ドアを開け、ドア枠の下に立って様子を伺う人が多いが、これは大
変危険な場所です。ドア枠は構造上弱い場所で倒壊すると上からつぶさ
れます。横に倒壊すると二つに体裁断される事になります。

7)階段利用は絶対ダメです。階段は建物とずれて揺れます。階段と建
物の壁が何度もぶつかり合うような形になりますので、大抵の場合、階
段は倒壊しています。地震時に階段を利用しようとして、段がくずれ体
を裁断されているケースを多く見ています。建物が倒壊していなくて
も、地震後に階段を利用するのは、とても危険です。くずれる寸前の状
態になっている場合が多い。(私も認識を改めました)

8)できるだけ、建物の外枠の壁に側した家具の横に行きましょう。建
物の内側であればある程、倒壊後の脱出ルートを失います。

9)車の中にいた場合は、ほとんど助かるケースがありません。サンフ
ランシスコで起きた大地震の際、ニミッツ・フリーウェイ
(橋)を車で走っていた人たちは、ほとんど車の中にいて、全員死
んでいます。もしも、車を降りて車の横にいたなら、生存率はもっと高
かった事でしょう。車の中にいると、上からものが落ちて来た時に完全
につぶされます。横にいると三角に隙間ができて、助かる率があがりま
す。

10)新聞社の倒壊現場で気がつきましたが、紙が積み上がっている場所
は、くずれていませんでした。会社にいる際は、家具でなければ、書類
などがたくさん積み上がっている場所の横も良いという事です。

「三角の救命スポット」(Triangle of Life)と名づけています
が、この三角地帯にいる事で100%の確率で救命が可能であると
思っています。世界中のテレビで既に報道されています。

--------------------------------------以上引用終わり。

えーと、この伊勢白山道さんのサイトでも太陽黒点と地震の大いなる関係について記載されている。

また、海抜20M地図とともに、大地震後の15分以内に建物の4階以上に避難することを勧めている。

が、階段が脆い構造であることに警戒するならば、それも揺れがひとしきり収まってからのほうがいいってことだろうか。
水の近くで、大津波が来た場合は、木造家屋ではなくて鉄筋コンクリートの高層建築に居た人が助かるようなので
その移動も、やっぱり揺れが収まってからってことだよね。




2011年04月14日(木) (若い命にも)毎日手渡すもの・されるもの 遺産ののこしかた受け取り方

おともだちの出産予定日が近いらしい。

だから原発の是非はいま、よくよく注視したい。
未来人によかれと思うものを遺すよう遺すような意識を
発信して過ごしたい。
それが子どもの代への遺産の、その都度その都度の渡し方かと。

去年まで私は、何かのイベントを控えたときくらいしか、
真剣に天に祈ってなかった。ゲンキンなヤツでした。

あ、祈る祈る言ってるのは、決して何かの宗教団体や、私欲の思惑に巻き込まれてるわけじゃないから。
自分で勝手に手前味噌なやり方でやってるから。

で、祈り方も結構自己中だったんで、それを反省させてくれたのは
(恐れ多いがやっぱり)震災のせい。というか、おかげ。いややっぱり「せい」と言いいたい。でもなくなった方々に対しては「おかげ」

普通の毎日、普通のこのカラダ、普通の出来事。
これらが思った以上に有限でかけがえがないものだったと
改めて気付かされ、
しかも古今東西膨大な人々と人じゃないもののおかげで奇跡的にもらえた贈り物だったんだと気づかされ、
何もこれといって起こってないときにも、それに対して深々と「頂きます」だな。
恩返し方法は、うーん、やっぱり、自分を大事にすることと、同時に
ひとよかれ精神を目指したい。
いつ到達するか、とにかく目指さないとなあ、と思う。

で、ありがたいことに、(昨日のこと)
また祖母や母と一緒に子どもを過ごさせてもらう時間に恵まれた。

妹に久々に会えた。仕事が忙しいようだ。それ自体はありがたいことだけど。
その合間を縫って、私達に防災意識や生活意識を向上させるヒントを発信してくれてる妹。
ひとよかれの精神で生きてる彼女に洗われる。
彼女に伝言。わかった。ありがとう。

母からは防災に役立つ品や貴重な水が詰まった小包が届いた。
ひとよかれの精神だけで生活しながら実家はいつも本当にキレイ。
(私はこの母のこういうキチンとしたところを、何故、引き継げていないのかしら)

叔母も父も母や祖母を支えながら、ひとよかれの精神を発揮してくれている。

祖母は私や息子に大正生まれの人の軌跡を思い起こさせてくれる。たとえ沢山の何かを忘れ失っても、覚えているもののことを。
厳しい時代環境の中で、必ずしもひとよかれの精神だけじゃ生きては来られなかったであろう祖母の
今のすがたは、
でも無自覚のうちに私達に何かの試練と思考を与え続けてきた。

息子は、またカラオケや百人一首で遊ばせてもらいながらも、さりげなく、その選曲や振る舞いなどで
少しずつ、ひとよかれの精神が育っていることを私に気付かせた。

祖母の親が祖母を身籠ってから百年近く経つわけだが。

桜がきれい。癒してくれる。もうすぐ散るけど。また来年も咲くならありがたい。

たしかに遅かれ早かれこの地震大国にまた大きな地震は来るのだろう。じゃあ、
遺され生かされた私とかに託されたのは何だったか。
節約して義援金をお送りしたりするだけじゃない。

自然の妙と人の努力の結晶でこれまでの(そしていまの、これからの)個々の人生が成り立っていることを
しみじみ、かみしめ「頂きます!」って思いながら
どうってことない毎日にも感謝する心を
自分にも今一度刻み込んで、かつ、子どもたちにも
周りにも、その意識を醸し出して手渡しながら生きる
・・・・これを毎日繰り返すことだと思う。

だから原発の是非はいま、よくよく注視したい。
未来人によかれと思うものを遺すよう遺すような意識を
発信して過ごしたい。

このWEBの日記も、始めた当初は、遺言的な動機―――、
自分の思考を晒しておいて、いずれ子どもに見せて反面教師にしてもらおうかという
動機が入っていた。けど、

電子情報なんて儚くて脆いものだ。
だから、そんないつとも知れない先のことじゃなくて、
時々メンテナンス的に自分を見つめては
その意識(人としての一生を貰えたことが、どんだけラッキーだったのかっ!だれらの何達のおかげだと思ってんだっ!皆が皆、そういうラッキー存在じゃないか!という意識)
を、
毎日の言動に滲むように生きて毎日刻々と手渡しておくほうがいいだろう。
相続税より贈与税がお得になるかもってそれは関係ないが
我が子に直に手渡せなくても、世の中に皆で意識を醸し出していけばそれが次世代への遺産になる。
同時に
世にあふれるその、前世代からの見えない遺産を発掘してちゃんと、受け取っておかなくちゃ。

というわけで今日も、防災意識保ちつつ普通の生活をします。午前8時半。


後日追記:
日経新聞にも載ってたけどネットニュースでも見た次の記事にしみじみと思う。
先人の教え、津波から住民守る 宮古市の姉吉地区 (共同通信)
「「此処より下に家を建てるな」。過去2度の大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市重茂の姉吉地区では、11世帯約30人の集落の建物がすべて無事だった。守ったのは、先人が石碑に刻んだ教えだった・・・」http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_tsunami__20110418_3/story/18kyodo2011041801000092/



2011年04月12日(火) 原発て思った以上に厄介者なんだね。 / 腹筋に力入れつつ、祈り試合。

「24時間以内にまた大地震来るらしいよ」との母からのメールを昨夜もらって。

お互いにもう一度防災意識を確認しあった。

こないだ紹介した「世見」さんのブログとは別に、
親戚縁者のみんなから教えてもらった小林朝夫のブログ、

http://kobayashiasao.blog65.fc2.com/?m

昨夜はアクセス集中でうまく見られなかったけど今朝
直近のを一通り読んだ。(その合間に娘のお弁当を作ったり洗濯したり)

電磁波とか、原発のこととか、詳しいし、
予想がかなりの確率で的中してるようだ。

一部記事が課金制のようだけど、無料で読めるところだけ拾っても結構参考になる。

特に今日以降の第一原発に注意。

このサイトに限らず
地震活動の活発化に言及しているページは多々見つかる。
そして原発のリスクに関する情報も。

私は自分が恥ずかしいと思った、のはやっぱり原発の危なさをちゃんと知らなかったことを。
冷やし続けなきゃいけないための電気が、あのぐらいの余震でも途絶えてしまう恐れがあるとか
一度回し始めたらもう後には引けないとか
通常でも誰かが必ず被爆しなければ成り立たない、
継続しても止めても核の恐怖がどうやったって付いて回る、とか
とにかく、宣伝されていたこととは随分違う。

一晩分の災害グッズ、
コンパクトな防寒シートとか携帯電話充電器とかカロリーメイト的食糧とか
マスクとか持たせて
災害ダイヤル171のことも念を押して
家族を送り出す。

今日は夫は会社、娘は学校、息子は大学のキャリアセンターでの講演聴講、
私は・・・人と逢う計画を、延期しよう。

と同時に、やっぱりその予言が外れるor被害が最小にとどまることを、
気合い入れて祈ろう。
祈ることに無力感と虚しさを感じて心折れて
昨夕はなぜか泣けててしょうがなかったけど
今朝はファイターの気分だ、負けない。負けても負けない。我流でバキバキ祈るから。
外れろ予言。



ってここまで書いていたら福島でまた強い地震。8時10分

追記 千葉県東北部 震度5弱でした。

早朝には長野でも震度5があった。


また追記。

最近見つけた原子力に関するサイト記事を紹介。
エコレゾウェブ 緊急会議 飯田哲也×小林武史
引用「かつては原子力を開発する側だった飯田さんの視点で、日本の原発問題とこれからのエネルギー政策についてを語ってもらった。3時間に及んだ対談を4回に分けて全文掲載!(対談日:2011年3月29日)」

(1)「エネルギーの世代交代」

http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110407_5007.php

そこからリンクで続き

(2) 「なぜ原子力を選んだのか?」

(3) 「僕らは今、何をすればいい?」

(4) 「新しい時代へ向かう意思表示を」

を読んだ。興味深かった。






2011年04月06日(水) 懐かしいもので遊んだりできた日々

いやあ、ホントは私も単発バイトとかそろそろ見つけたいっちゃ見つけたいんだけども。
なんだか・・・。

定期収入があれば被災地への募金送金も継続的にできるし。
いや、もっとやりくり節約すれば月に少しずつでも送れるかな。

なんて殊勝なことを考えざるをえないこのごろだけど
もったいないぐらい我が家は平穏無事。

娘の春休みはもうすぐ終わりに。
先日は、クラス替えを前にのお楽しみ会ということで
もう解散するクラスメイト達と高津ラウンドワンへ行って
ストライクも出せたし、プリクラも撮れたと
喜んで帰ってきた。

息子の春休みはあと一ヶ月続く。ああ、その間、私におさんどんさせるのかねえ。
せっかくだから、この機会にちょっと家事を覚えさせたいな。
彼は
大学から出された課題と、Z会の課題を少しずつこなしているようで
お小遣いを崩して買った新しいモバイルPCへの引っ越し作業も着々と。
そんな彼も元クラスメイト達と田町のボウリングに先日でかけ、
若い男女7人がボウリング、お昼食べ、東京タワーなどに散歩し、おしゃべりして来たようだ。
バイトもしたいけど、大学近くの仕事を探したいから、今はあわてて見つけなくてもいい、ってことになってて、
4月20日のTOEFLテストや科目登録、5月6日の始業(課題提出期限)までは
学問しつつ、骨休めする様子。
(入学式は中止)

で、昨日は、
お天気もよく桜も5分咲きな日。
実家に子ども達を連れて行った。
祖母や叔母や従弟にも会えた。

普段、実家の近くに住む叔母か従弟が車を出して母の買い物や祖母の移動を手伝ってくれていて
とても助かる。というか安心。ありがたい。
お昼ご飯を想定以上にたくさん用意してくれてて申し訳なかった。色々、美味しかった。もったいない。
これからは、訪問しても私達が「お客さん」にならないような工夫をしなければならないよなー。
あんまりお金使わせないように、お小遣いももらわないようにしつつ、かつ祖母の話し相手になる方法があれば。
どうも、なんだか難しい。
・・・っとか、娘の私が考えあぐねること自体が、母親にとって見れば、かなり寂しいことなのかもしれない。
祖母も、私や子どもの顔を見れば、なにかしてやりたいとあれこれ考える様子。
ずっといつまでも孫たちに甘えてもらえる存在でいたいと本当は思っているに違いない。
老いによって、もう逆に自分が子に面倒を見てもらわなきゃならない立場になっている、その現実を
認めざるを得ないけど認めたくないだろう。
まして自分の自覚のない時間に、記憶の欠損によってわが子に頻繁に迷惑をかけているなんて
認めたくもないだろうけど、そう言われたら認めざるをえないけど、でも認めたくないだろう。

ホームカラオケや百人一首で子どもたちも遊ばせてもらった。
特にこの実家の百人一首は、私が子どものころからあるもので
取り札は木の板に昔の文字(歴史的仮名遣い崩し字)で描いてあるその筆字が、
ビジュアルで一度記憶すれば、一般的な活字の取り札よりも取りやすいもの。

さすがに10代の記憶力と瞬発力で息子と娘が相当数取っていったが、
祖母も歌を覚えてる度合いは結構なものだった。
デイケアで知り合う人々の中でも自分ほど百人一首を覚えてる人はいないんだ、と、ちょっと得意そうに語る彼女が
笑う瞬間が多く見られて良かった。

※ところで
従弟に教えてもらったばかりのブログサイトがいま気になっている。
さっき、改めて読んでみたが、まだ私は消化できない。
このたびの震災を予言してるようなのだけれど・・・。
「私の書いた文章を当たる当たらないで見ないで下さい。皆様が愛する人を守る一助になる事を願っております。」
って記載されている趣旨を酌んで
勉強に読ませてもらおうと思う。

世見 幸福への道
http://kinmiraiken.jp/

2011年2月16日の記事

2011年3月16日の記事

この人のサイト以外にも
地震や原発事故を予見するような記事はよそでも見つかり、
・・・けど
だからといって何かのマインドコントロールに乗ろうっていうんじゃなくて
ただ、
備えあれば憂いなし、ということと、
ここに生きてられる日常が実はとても有難いものだ、ということを
いつもより何割増しかで認識することを皆がやればいいんじゃないのかな。と漠然と
思う。

※それから、あと別のサイトで、これね。

ピーク時以外の節電は今はもう無意味とする記事。

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/n_tepco__20110406_55/story/05gendainet000141617/


まあ、そうなんだけれども。
確かに、行き過ぎた節電は、もう経済的な損失のほうが大きいんだろうけど
個人的に私が考えてるのは
消費電力をもう少し少なくできる世の中になったほうが、いいかな、と。
原発を新しく作ることには反対したいし。

※昨日から、洗濯機の給水がほとんどできなくなった。
なーぜー?
「すすぎ」の最後一回は給水できる。
「洗濯」は水が糸のようにしかでてこない。
フィルターの掃除もしたし、水栓も開けてあるのにね。
ということで隣のお風呂場のシャワーで水を入れて運転したりしてしのいだ。
あと少ししたらメーカーに電話しよう。

あと少ししたら娘か息子がPCを使うと言ってくるだろう。

(6日午前記す)



2011年04月01日(金) 近況、雑感

メモ色々。

☆またこの日記帳に戻りました。エンピツの管理者さん&サーバーが、無事のようで良かった。

☆教えてもらったことなのだけれど、知っといたほうがいいかと。
某サイト(防災情報に関してヒントが得られる)で
海抜20mの地図http://flood.firetree.net/?ll=35.7643,140.2762&z=7&m=20
が紹介され、
とともに、津波への心構えが述べられていて、
東京湾あたりで大地震が起きたら15分以内に、ビルの4階以上へ避難するのが良いとのこと。

やたらに不安になり過ぎるのもだめだけど、いざというときの心構えを頭の隅においておくのは大事だね。
備えあれば憂いなしという基本。

☆いま気になっている原子力発電所に関するサイト「原発がどんなものか知ってほしい(全」
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

エネルギーをどうするか。単純に、あれがだめとかこれじゃなきゃとか言えないけど。

☆祖母がホームから実家に戻った。ホーム生活に祖母が馴染めないことに母が心をいためて毎日過ごすよりはよかったのかな。どちらにしてもそう簡単な毎日ではないけれど。
祖母と母の気持ちがやっぱり大事。

老いる(頭も体も心も)ことや、老いた人に沿う生き方については、そうすっきり答えはでてこないけど
そのとき一番良いと感じた心を大事にしたほうがいいのだろう。

☆息子の入学予定の大学のサイトで、始業(5月に延びた)までの宿題が出てた。
WEBで受ける英語の試験や予習のWEB講座、英作文、その他いろいろ。
なんでもかんでもネットがないと学生生活にも支障がある時代。

☆昨日、
息子が今後、学校内や出先で使うためのモバイルPCを買うので、私と娘も付き合って秋葉原に。
wimax内蔵のPCが5万円台で買えたので(配送後日)ほっとした。
そのあと、ソフマップ本館内のiPadコーナーで遊んだりして、それなりのお楽しみどころになった。
帰りは秋葉原からお茶の水まで、息子の案内で歩いてみた。
途中、萌え系のお土産やさんで娘がツンデレ饅頭だかを見つけて喜んだり
湯島聖堂やニコライ堂を眺めて楽しんだりという
なんだかあまり普段やらないタイプの遠足。

☆以前、S女子大での、主婦のための再就職支援講座を受講した縁で、社会人メンター登録のお誘いメールをいただいた。
有難くも、だけどねえ、よくよく考えてみたい。
女子大生が私にいったいどんな情報を求めることができるだろうか。

はっきり自信を持って有益な情報を提供できる分野が、果たして在るのかを考えてみた・・・、
・妻に働いてほしくない夫の気持ちをどう飲み込むか
・そんな中で自己啓発への費用と時間を秘密裏にどう捻出するのか
・20年以上専業主婦をやって次にお勤めができたのが、時短ではあるがストレスいっぱいの派遣仕事だけど、それってトータルにみて自分と家族のためになっていたのか
・その専業主婦生活も。40代半ばまでくれば、子ども達もみんな手が離れて、ある程度は動きやすいと思うが、
その年齢制限内で見つかる仕事と、もうすぐ考えなければならない親類の介護に向けての待機時間とを天秤にかけると、いま何をしておくのがよいのか

これらについては、自分自身でもちゃんとした答えが出ていないのに、まして若い人に何が言える?
また、子育てについても、試行錯誤過ぎて、ただ長く味わってきた子どもとのあれこれを、ただの一例として語られるだけなら、
学生にとっては、何も女子大の社会人メンターと面談しなくたって、将来的にはもっとその実際の時代に適合したアドヴァイスが、育児サークルでなんぼでも得られるじゃないか?

と考えると
私が若い人に与えられるものがあるとしても、それは
社会人メンターのニーズとは違うだろう。
一人、そういう、ちょっとニーズとずれた人間が登録することで、本当に応えられる人の邪魔になる。
それを危惧する。

☆さて。今日も、お昼過ぎてからスーパーに行こうかな。
そこで運よくトイレットペーパー&納豆が残っていたら、買わせてもらおう。

☆と、ここまで書いたら。妹から、息子への入学祝いと、根昆布や大豆食品が送られてきた。本当に有難い。


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