気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2011年03月29日(火) 日記一時移転→また戻りました / 家族旅行の記録

追記

※エンピツ管理人さんによるお知らせ↓

http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=1&pg=20110329

というわけで、またPCからの書き込みが可能となったので
引き続きこのエンピツ日記帳を使います。

29日の日記を改めて後日記す。


シンガポールのフリーツアーに家族で行った記録。

旅行会社からの案内は、結構あっさりした説明だったので、
22年前の新婚旅行の記憶しかない私&日本から出たことのない子どもたちは。
入国審査とか両替とかの細かいところは
ついこないだベトナム出張に行った夫に倣って、とにかくついて行く。
彼は事前にPC等で主な観光名所の場所と最寄駅を調べて
効率よく回るための表などをこしらえてくれてて大変助かった。

23日夜と27日朝は機内泊なので、現地では実質2泊3日だったけど、
同じホテル(パークロイヤル・オン・キッチナーロード←結構キレイ)に居られた。

ホテルにほど近い巨大なスーパーマーケット、非常識なほどの品揃え、ムスタファセンター。の両替コーナーのレートが有利らしい。
くっじゅーexchange this ジャパニーズ イエン to シンガポールドル、プリーズ。とか子どもたちもなんとか言えた。

ホテル室内のテレビで中国語のドラマなんかもあって面白そうだったけど
主に、NHK WORLD をチェック。
届けられる新聞にも、north-east Japan の tunami-struck towns の様子、tokyo の punic buying of bottled water などが記事になっていた。
シンガポールからも救援物資が送られたという。

日本の状況がこれ以上ひどくなっていないことを祈りつつ
時々、携帯(海外対応のを出発直前に一台買った)のネットニュースでも確認しようとするけど
やっぱり電波が遠い気がする。「高額になりますが大丈夫?」のアラートが出るので一日一回だけ見ることにしつつ、
外国に来ちゃったんだなーと思った。

東北道などが規制解除になって、だいぶ物資が流れるようになったみたいで、それは良かったけど
原発は安心できない状況なんだね。
そもそも私を含む多くの人は、日頃、原発に関して安心しすぎてたと思う。
そして、安心しすぎて、電気を使い過ぎていたと思う。
知れば知るほど原子力エネルギーには、問題点が。

家族旅行の記録に戻ると。
ビュッフェ式朝食以外には食事は付けてなかったので、夜遅くにホテルに帰る生活。
オプションの半日観光を二つ入れても、自由時間が多かったので、
あまり時間に追われずに、主な町は一通り観られた。
地下鉄網も発達していて、30分もあればどこにでも行けてしまう。

広さでいえば東京23区程度しかない国土(=首都そのもの)は、
地盤がしっかりしてて台風も地震も来ないものだから
商業ビルも住宅(たいてい、団地)も、どれも高層で、かつ斬新でカラフルな外観のものが多い。
風水を考えた凝ったデザインのものもある。
ずいぶん思い切ったね、という色と形は、玩具めいたものもある。

漁村として栄えていたこの土地に降り立ち、都市計画を行って今の大都市にした立役者:東インド会社のラッフルズ卿の名は、覚えておくべきらしい。

政治の仕組みも言語もイギリス式だけれど、マレー語やインドの言語、中国語、日本語が多く併記してある。
日本が占領していた時代もあり、また貿易都市として多くのインドや中国からの移民が労働者として住み、
アジアと西欧の多様な文化がサラダボウルのように共存している。

なので、
ホテルのあったリトルインディアをはじめ、シティマリーナ、チャイナタウン、オーチャードロード、自然保護区のナイトサファリ、セントーサ島のビーチなど
それぞれ個性的なエリアをめぐった。




サリーを身にまとった人を多く見かけた。
街で飛び交う会話に混じる中国語率が高い。
評判通りに街がきれい。
治安は良いらしいが、夫と息子が一度だけ、大捕り物を目撃してヒヤヒヤした。(多分、ひったくり)

リトルインディアの雑貨屋で日除け用の帽子をかったり、団扇を買ったり。お店の人はフレンドリー。
とにかく赤道近くのその地で、日が昇ればすぐに25度。
なのに建物内は必要以上に冷房が効いていて
私達の体の体温調節機能はフルに働かされた。

娘はギャラリーや雑貨屋さんが好きだけど
息子は歴史博物館が特に気に入っていた。
国立博物館では日本軍のことなども展示されていて、観ていて複雑な気分ではあったが
やはり過去のできごとは素敵なことばかりではない。
息子が各コーナーをじっくりじっくり見過ぎて閉館時間に。
でも日没が遅いし、そして夜になっても、暑い。

チャイナタウン内のヘリテージセンターの展示は、かなりラフな感じに昔の生活道具なんかがディスプレイされてたのが
少し怖い雰囲気も醸していた。
赤い提灯が飾られたお土産やさんが並ぶ。欧米の名前を漢字表記したキーホルダーが人気商品らしい。漢字って、カッコイイからね。

オプションのツアーで、ヒンドゥ教のスリマリアマン寺院を見学。とにかく派手な極彩色。
佛牙寺は、仏像たちの金色が美しい。

エキゾティックなモスクも見えるアラブストリートなどを、自転車のタクシー(トライショー)に乗って回った際、
運転手のおじちゃん(いや、おじいちゃん)が
サービス精神からか、車内ステレオで演歌を流してくれてて
それがあまりにも大音響を発して、道行く人々が皆振り返って観ていた。
もう笑うしかなく、こちらもせっかくだから応えて
その「昴」や「北国の春」や「長崎は今日も雨だった」を一緒に歌いながら乗っていた。
で、娘に恥ずかしがられた。

そのオプションツアーの現地ガイドさん(充分に判別できる日本語をしゃべる)からツアー予定を聞いた時は
あの有名なラッフルズホテルのハイティー(ちょっと高級な午後のお茶とお菓子)で
カヤジャム(ココナツや蜂蜜や卵の入った、キャラメルっぽい味のペースト)のトーストをいただける、と思ったけど、
実際は、お茶&カヤトーストはホテルの前のコーヒーショップで食べ、
ラッフルズホテルにはお買いものに立ち寄るだけだった。
門番の男性(ターバン姿)と一緒に写真におさまったり。

世界三大ガッカリと言われるマーライオンは、そんなガッカリでもなかったが、ちょうどこういう状態だった。(マーライオンホテル 日本人芸術家が手掛けたそうだ)↓
http://singapore.keizai.biz/headline/5101/
その代わりに、近くにちっちゃくて可愛い、ちびマーライオンが居た。



食べ物で、他に美味しかったものは、ホテル近くのレストラン「ヒルマン」でのペーパーチキン(鶏の包み揚げ)。
それにこの地独特のチキンライスや、鶏粥も。
シティホール駅内のショッピングセンターにあった日本食レストランでは
鍋焼き鶏ご飯が良かった。
つまり鶏肉料理ならどの宗教の人も食べられるから。
ケンタッキーフライドチキンもたくさんあった。
予想外な食べ物。
フードコートで、ボボチャチャというデザート?を、名前と写真だけで注文したら
冷たいものを想像してたら熱いココナツミルクスープで
中にお芋が浮いていて、まあ、いけたけど、
汗が噴き出まくっていた。
夫も、お勧めと言われた何かの中華風の赤いスープ(名前不明)が、無茶苦茶に辛くて無理だった。
で、
とにかくお店で出される全ての品は
想像しているよりもはるかに量が多い。
料理も、飲み物も。
注文時は、「これじゃ足りないかな」というぐらいでちょうどいい。
そして市場には意外と日本のお煎餅や干し椎茸なんかも売っていた。
缶入りの緑茶も売っていた。日本の飲料メーカーのだから、味も同じかと思えば、砂糖が入ってて甘かった。

移動は地下鉄が便利だったけど、ナイトサファリだけはちょっと遠いのでタクシー利用。
明朗会計で問題はないけど、少し運転が荒いというか、せっかち。ちょっとだけ酔った。
サファリに到着して椅子で休んでる間に、夫がチケット売り場を見たら
まだ開いてないっていう。それはおかしい。もう日没だし。
で、結局、隣接している昼間の動物園の入り口をそれだと思って勘違いして待っていたことが判明。
何でも、思い込まずに訊いてみることが大事だと思わされた。
暗いコースの中で時折見かける、小さなマメジカやフラミンゴを、
フラッシュ撮影禁止なのでふつうに携帯で撮ろうとしたけど
やっぱりうまく写らなかった。
日本語トラムを予約して、その車内から見られたのは、インドサイとか、ナマケグマや、水牛など、結構大きな動物、
これもなかなか良かった。
動物のショーも楽しかった。
アライグマが空き缶をリサイクルする芸など、笑わせ加減もよく仕込まれている。
ただ、私に英語のリスニング能力がもっとあったなら、司会者のトークをもっと楽しめただろう。

最終日に、ホテルをチェックアウトしてから荷物だけ預けて
セントーサ島のリゾートに足を伸ばした。
そのエリアではモノレール一日乗車券で乗り降り自由。
そこにあのマーライオンを巨大化した、マーライオンタワー(展望台)があった。
その頭のてっぺんからの眺めが良い。
インビアンでは、3D眼鏡をかけてのアトラクションが、程よいスリルで面白かった。
ビーチは思いっきりきれいな海水浴場で、本当に普通に夏の砂浜。

空港への送迎バスに戻る前に寄った大きな書店では
日本のコミックスの翻訳版が大量にあって夢中になる。
「らんま1/2」や「NARUTO」、「キャプテン翼」や、「ハチミツとクローバー」「NANA」など、他にも品揃え豊富に。
娘は「特攻サヤカ」の中国語版を、私と息子用には「DEATH NOTE」の中国語版を、お土産にした。

今回、家族はそれぞれ、旅行スケジュールに関して、お互いに好みを主張し過ぎず、
いい感じに妥協できるようになっていた。
子どもが小さい時代にここに来ていたら、そうはいかなかっただろう。
成長したのだろう。子どもだけでなく、私達夫婦も。

羽田に早朝に帰ってきて、多分そうだろうとは思ったけども、その寒さに驚いた。
そして節電のために一部しか動いていない自動改札。
コンビニの、水やパンやカップ麺の棚のガラガラ具合は相変わらずで。

被災地のために買いだめをしない、とは言っても
心の隅に、
「もしも東北のが引き金になって地殻変動で東海地震や火山噴火にまでなったら?こっちも、イザの場合に備えておかなきゃ?」
とか
「原発がまた更にとんでもないことになったら?しばらく外出できなくなったら?」っていう、
なんとなく〜相当の危機感が、ぬぐい去れない。
関東のこの消費行動は。そこに起因しているんだと思う。

でもあえて、ウチは頑張って買いだめしないぞ。
被災家族をホームステイさせてあげる部屋はないけどせめて、
スーパーにも午後ゆっくり行ってその時間に買えるものだけで生きるぞ。と心に誓いつつも、
明日の朝のパンが足りなくなりそうとか、(カステラなら、あったな。)
当分、牛乳がめったに飲めないこととか考えると、
まあ、憂鬱じゃないといったらウソに。
けど、この機会に和食中心に生きよう。
味噌汁とか納豆の朝食を。あ、でも大豆製品も品薄なんだったね。味噌は売ってたけど納豆完売。

4日間火の気のなかった自宅内は冷蔵庫のように寒く、
急いで各部屋の暖房をONにしながら、申し訳ない気がした。
ああ、またつましく暮らそう。
その前に、大量の洗濯物!

で、その午後から翌日にかけて洗濯機を6回は回し
一部、乾燥機を多用し、って、節電になっていない。
これまた申し訳ない。
そのあとは。
睡眠不足を補うため寝たりして。体内時計は依然、一時間以上は、ずれたまま。

※追記 日付変わって29日記す。

昨日からは、
息子は高校時代の親友と逢い(あの震災の11日の翌日に予定していたのが延期になったのだ)、
今日はこないだ卒業したクラスのお茶会へ。(もう早?)
娘のほうも、延びてた友達付き合いの誘いが、ぼちぼち、はいって来た。
夫の長めの休暇も、今日で、おしまい。
彼は昨日、ダイエーで旅行写真用のちょっと立派なアルバムを買って、撮った写真やチケットを貼って、ちょっとしたメモリアルダイアリー的なものを作っていた。

振り返れば、あと一体何回、ああいう家族そろっての旅行ができるか考えると、いま一緒にいる時間を大事にしたい。
ときに感覚のずれやイラつきはお互いにあるっちゃあるのだけれど。たぶん、
振り返れば、かけがえのないものなんだろうな。と思う。

あ、日記の一時引っ越しで、また体内時計が大幅にずれる。







2011年03月23日(水) 今夜から

ああ、まだ余震が続く。これを書いている今朝も揺れる。
今、福島で震度5強。
どうかどうか早くおさまってと、強く願う。

こんなときに何だけど
子どもらにとって初の国外家族旅行に今夜から行かせて頂く。
せめて。この4日間この4名は、日本での消費活動をしなくて済むと思おう。
ブレーカーは冷蔵庫とIP電話の分だけ残して全て切って
トイレットペーパーとティッシュはなんとか今日の分まであるけど敢えて買い足しはせず。
あるものを食べていく。

問題は、日本で何かあったかどうかを出先で知りたいのに
今夜から私は携帯ネットが使えない。

PCは重過ぎて持っていかないし。

夫と息子の携帯電話がグローバルパスポート対応だから
私と娘のも多分そうだろうと勝手に思い込んでいたら
違った。
昨日、ショップに行ったら、3日前までならば対応機レンタルができたのにと言われ
自分の無知にガッカリ。
即日貸出は、震災の影響で成田空港のみと言われ
今回の旅行は羽田発だから、成田まで借りに行く気力もないし。

まあ、何かあったら夫と息子に携帯を貸してもらうとして
娘には小銭を持たせて、且つ、絶対迷子にさせないことだなー。

この件が一抹の心細さの要因となっている。
10年前なら携帯なんてなくても、何とも感じなかったのに。

でもこれで、災害時に知り合いと連絡がとれない状況に対し
思いを馳せることができるし
そんなときの連絡方法とか、公衆電話の存在を
子どもにも意識させることができるし
ポジティブに考えることにする。

追記:

夫と息子の電話のグローバルパスポートも、持っている機種ではシンガポールでは使えないものだった。
そこで取り急ぎ、全世界で使えるグロパス付きの機種のを
一台、さっき、新規で購入してきた。
しばらくは余分な番号を保持することになるけれど、
最低限の基本料金で契約したので、それも込みで
機種変更で買うより安かった。
いずれ娘の携帯をこの冬で期間内に解約すれば手数料ゼロで済むし。
てことで、新しい携帯を家族で一台共有しつつ過ごすことに。



2011年03月21日(月) 昨日の、ちょっとした家族外出(感謝)

今日は雨。旅行の荷物を詰めた。防災持出しグッズを少し減らして衣類を追加した。

昨日は暖かかったし、計画停電もなかったから、ずっとお預けになってた娘のバースデーランチに家族で。

テーブルに置かれたキッズコースメニューとは実はもう無縁になったのだ。13歳になったんだから。
歳をとるのが嬉しい年頃。
そんな娘が羨ましい。

焼きたてパンを頂きながら、ふと
近所のスーパーのパン売場の品薄のことや
避難所の人々の食生活を思う。

この頃の、家族の心によぎるキーワードは何と言っても
「感謝」
これに尽きる。

ついでにそのランチの前に、春から息子が通う大学に足を伸ばした。
キャンパス内の銅像やら建物と一緒に写真に収まる息子は満更でもなく。
科目登録やサークル選びの参考雑誌を、その最寄り駅で買った。

今日も息子は、
そこに載る1000以上の、公認非公認取り混ぜた団体の可笑しな真面目な紹介コメントを
じっくり読み込む。

選び取れる幸せに
感謝して生かされていなきゃ、ね。



2011年03月20日(日) がんばって

闘病入院中のともだちのブログのおかげで私の中にあった「きれいなものスイッチ」が点いた気がしてとても前向きになれた。ありがとう。早く良くなるようにと願っています。



2011年03月18日(金) 祖母の残したもの・母の受けた試練・どちらも有難く

実家の両親と一緒に、祖母を訪ねた。新しく移ったホームの。

私や息子や娘のことをとにかく褒めちぎってくれることに関して
子どもらは、最初は戸惑っただろうけど、素直に受け取っていればいいということをもう学習したと思う。

きっと、この世において自分が生きた証というか残したことを
しっかり確認肯定しておきたいという気持ちがそうさせるのではないだろうか、と思わされた。

そして、確かにその祖母の言動は、ウチの子たちに何かを大いに学ばせている。

人間の心と行動が、経た時代や環境にも左右されながら
数えきれないほど多種多様な面を見せ続けてきている以上、
この90代の祖母のことも、こうだああだと一括りでは語りきれない。

私の母は今まで色々な場面でさまざまなジレンマを耐え乗り越えてきたが、
それだからといって「私はタイヘンだったのよ!だからアンタもその大変さを少しは味わってよ」とは
誰に対しても、言わない。考えてもみないんだと思う。が、
親に対し、産み育ててもらった恩もあり、でも様々な痛い思い出もある子どもが
老親に向き合う精神修行は
結構、ハードなんだろうな、と察する。

そんな母に育てられた私は幸せだと思う。

母が一日も早く介護疲れから脱出し、気持ちが早く落ち着けるようにと願っています。



2011年03月17日(木) いまここにいることのありがたさ。娘13歳


googleの、パーソンファインダー(消息情報。NHKの安否情報も含む)

PC用 http://japan.person-finder.appspot.com/

携帯用  http://goo.gl/sagas(携帯対応 / Mobile OK)



ここ数日は、特に、我々家族にとっても
日常生活を送れることのありがたさを痛いほどに感じられる
日々だった。
この感覚は尊い犠牲を伴って被災者から贈られたものなので
大切にしなければならない。

こんにち、人の体で過ごせてることが、どんだけ貴重で、かつ
だからこその責任が生じてるものだかを。よく思い出したい。

子どもたちにとっても。
やっと忙しい用事が済んで春休みが始まるといえど、めったに遊び歩けない状況だが
地震津波被災地の人々から学ばせて頂くことを大切に、
それが、せめてもの・・・。

お兄ちゃんの受験が終わったら、ずっと楽しみにしていた旅行をしようと約束していた。
来週の羽田出発まで、せめてつつましく暮らす。
(あと、明日、祖母のホームに寄る予定)

本日、誕生日を無事に迎えられた娘。






2011年03月16日(水) 支援はどうあるべきか(ニュースの記録)

命と時間の大切さ、
の他にも
被災地の方々が様々な教訓を教えてくれている。
電気やガスのある有難味。
買いたいときにものを買えるという有難味。

こちらは、しばらくは家にあるものを上手に食べよう。
燃料不足なせいで物資が行き渡らないという。できるだけ、バスや車の使用を控えよう。
いきなり物資を個人で個別に現地あてに送ってもよくないことがわかる。窓口は都道府県で一元化。
やっぱり今は義援金のほうがいいのか。
で、
こんだけ報道で「買いだめはしないで。」と言われててもなお、うちの近所でも、スーパーでパンとか買いだめしてる人々が多いっぽい。棚、ガラガラ。
パンや牛乳なんてクッキーより日持ちしないし、カップ麺はお湯を沸かさなきゃ食べられないんだけど?

(以下、物資など支援のあり方を考えさせるニュースコピー)

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103160331.html
救援物資、なんとしても届ける 政府、配送急ぐ(朝日新聞社)2011年3月16日20時46分

主な緊急支援物資の状況
 東日本大震災の被災地支援について、菅直人首相は16日、首相官邸での緊急災害対策本部で「食べ物、水、特に燃料に対して各地から不足の声が上がっている。不足の原因を取り除くため、一層の努力をお願いしたい」と全閣僚に指示した。救援物資が十分行き届いていないことを受け、菅内閣は輸送手段の確保策を相次いで打ち出した。

 首相はこの日、福島県の佐藤雄平知事から「生活物資の確保に重大な支障が生じている」との緊急要望を受け、「住民に物資が確実に届くことが大切で、しっかりと対応する」と応じた。

 政府は、輸送手段の確保や被災地での燃料使用の観点から、枝野幸男官房長官が16日午前の記者会見で「被災地以外の皆さんはガソリン、軽油、重油の買い占めに走らないようお願いしたい」と国民に呼びかけた。

 緊急災害対策本部は被災地の県や市町村などから、緊急支援物資の要望を集約。現地に運ぶため、国土交通省を通して全日本トラック協会(全ト協)にトラックの手配をしている。全ト協の集計では、日本通運、ヤマト運輸、佐川急便などの大型10トントラックなど計400台以上で配送。一般車両は東北道を通行できないが、緊急物資については警察庁が通行を認めている。

 それでも、現地の避難所には十分行き渡っていないのが実情だ。菅内閣は16日、被災地で活動するボランティアを支援するため、震災ボランティア連携室(室長・湯浅誠内閣府参与)を設置。不足する物資が行き渡るよう、現地で活動するボランティアに配送先などの情報を提供し、役立ててもらう。連携室の同日の会合では、現地からの報告として「このままでは餓死者が出る。(輸送の)大動脈は自衛隊が担っているが、その先の毛細血管が全然機能していない」といった声が出た。


http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110316-OYT1T00910.htm
燃料不足 買いだめせず被災地に物資を(3月17日付・読売社説)
 東日本巨大地震の被災地で、ガソリンや灯油などの燃料が不足し、悲鳴が上がっている。

 枝野官房長官は、全国的に燃料が逼迫(ひっぱく)する状況ではないと説明し、被災地以外の国民に燃料などの買いだめをしないよう呼びかけた。

 厳しい寒さが続く被災地への物資の供給を最優先しなければならない。被災者を間接的に支援する立場から、国民には買いだめを控える心配りが求められよう。

 被災地では、輸送トラックの燃料が不足し、水や食料、日用品を避難所に配ることができなかったり、暖房用の灯油が不足したりするケースが相次いでいる。

 救援隊が現場に駆けつけるための車のガソリンも足りず、医療活動にも支障が出ているようだ。

 このような危機的状況を早期に解消し、必要物資を迅速に被災地に届けることが大事だ。

 ガソリン不足の主因は、震災で一部の製油所が損壊して燃料の生産能力が低下したうえ、輸送ルートが十分確保できないためだ。

 被災地以外でのガソリンや日用品などの買いだめが、この混乱に拍車をかけている。

 首都圏などのガソリンスタンドでは、給油を求める車両が長蛇の列を作っている。品切れで閉店しているスタンドも多い。

 各地で余震が続き、計画停電も実施されているため、首都圏などの消費者にも、買い急ぎたい不安心理が広がっているのだろう。

 しかし、まずは、あわてずに行動してほしい。

 経済産業省は、元売り会社に義務づけている70日分の石油備蓄量のうち、3日分に相当する126万キロ・リットルの放出を求めた。

 元売り各社は、速やかに備蓄を放出し、ガソリンなどの供給を増やす必要がある。元売りやスタンドの売り惜しみは許されない。放出がスムーズに進めば、ガソリン不足が解消するのではないか。

 政府も必要な量は十分に確保されているとの情報の周知を徹底し、国民の不安を和らげるよう努力すべきだ。

 目詰まりを起こした輸送ルートの修復も急務と言える。政府と地元自治体が連携を一段と強化し、通行できなくなった道路の復旧工事を加速しなければならない。

 食品や日用品の品薄状態を解消するには、各メーカーが被災した工場の再建を急ぎ、生産体制を正常化することが肝要である。

(2011年3月17日02時31分 読売新聞)


 また、北沢俊美防衛相は16日の防衛省災害対策本部で「すみずみまで食料が供給出来るように全力を」と指示。自衛隊が全国各地からの物資を被災地に届ける枠組みを作り、運用を始めた。

 市町村や企業、団体は、都道府県を窓口として、指定された50カ所の自衛隊施設に物資を運び込む。それを自衛隊輸送機で空輸し、車両やヘリで避難所などへ配る。これまでは集積する場所や方法が決まっていなかったため、自衛隊や米軍の輸送が滞っていた。首相が15日に北沢氏に指示し、輸送担当を自衛隊に一元化することが決まった。

 この枠組みでは、地方自治体や民間企業などが物資を提供する場合、都道府県にその種類や数量を連絡。自衛隊が指定する原則各県1カ所の駐屯地などに指定日時に運び込む。どの被災地に届けるかは提供した都道府県が指定できる。

 2004年の新潟県中越地震では、全国各地の駐屯地に個人がばらばらに支援物資を持ち込み混乱したため、今回は窓口を都道府県に一元化し、原則個人は受け付けないことにしている。

 防衛省では、被災地の燃料不足に対応するため、自衛隊の備蓄燃料を避難所などに提供することも決めた。16日には、宮城県の航空自衛隊松島基地に備蓄するガソリンや軽油を避難所に運び始めた。同基地からは同県東松島市や石巻市に対し、ガソリン各600リットル、軽油各2400リットルを出す方針。今後、同県の陸上自衛隊多賀城駐屯地からの提供も検討する。

 農林水産省は16日午前7時までに、食品メーカーなどから提供を受けた食料176万食と飲料水約84万本を被災地に向けて発送。追加の食料129万食、飲料水103万本を送る準備もしている。ただ、「一刻も早く食料と水を届けるよう全力で取り組んでいる」(鹿野道彦農水相)というものの、現地のガソリン不足などから陸送は難航。このため、水産庁が所有する船を使い、海路による輸送も始めている。


http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110317-OYT1T00159.htm
被災地支援「自治体通して」「現金がいちばん」


 被災地に救援物資を送りたいと考えている人もいるだろう。

 東京ボランティア・市民活動センター(東京)の竹内則夫副所長は「被災した自治体の窓口などに、個人から送られてくる物資は箱の中に何が入っているのかすぐには分からず、整理に時間がかかる。現時点では負担になるので、直接送るのはやめたほうがいい」と話す。

 まずは、自分が住む自治体で、支援物資の募集をしているかを確認し、自治体を通じて現地が必要とするものを送るようにしたい。

 福岡県では、県民が提供できる物資の情報を集めている。現在は、県が備蓄している毛布などと、個人提供の紙おむつを送っているという。同県福祉総務課の担当者は「被災地に物資を送りたいという問い合わせは県民から寄せられているが、受け手の態勢も整っていないので、安易な発送はやめてほしいと説得している」と話す。

 NPO法人レスキューストックヤード(名古屋市)事務局長の松田曜子さんは、「今は現金がいちばんの支援につながる」とし、義援金の呼びかけに協力することを勧める。

(2011年3月17日08時06分 読売新聞)



2011年03月15日(火) 全てを正しく見極められる人が居るとしたらそれは誰なんだろう。情報を前に。

このような地震とか、人々を震撼させる事件とか、そういう何かがあったときに
「いったいどうしてそうなった?」と
表面に見えない原因を探したくなるのが人のサガ
なのかな。

大変な目にあった人や国自体に原因があるような、因果応報的なことを、コメントしちゃうようなのは、・・・論外だと思う。
石原サンの失言、そう受け取られてもしかたない。まずかった。


情報たちに惑わされたくないけど、じゃあ何に惑わされないべきかは
難しい。

例のチェンメも、半分当たりで半分外れだったし。

ヨウ素を取り入れるのがいいっていったって、
うがい薬は飲んじゃダメと言われてるし。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_medical__20110315_4/story/itmedia20110315046news/

出回るもの全てがウソじゃないけどホントかどうかもわからないね、と肝に銘じたい。

陰謀論の一覧(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7


こういうのを見るにつけ
いま流れている説のどれにも目を通したい、
でもどれにも左右されたくない、
ひとつの説を信じ込むor信じないことで、その背後にある何かを利し何かを害するのではと心配になる。

かつて単なる都市伝説、陰謀論として片づけられた件の中には、
現在の常識になっているものもあり
なっていないものもあり。

あっちの説に流されればこっちの説とぶつかるし
ふらつきながら波上にうまく乗ったたまま中立を保とうと
頑張ってはいるんだけど。

反米を訴えてるのは中国側ですか?
アメリカが日本を脅してるんですか?
ホントそんなわかりやすいストーリーを信じていいの?ソースは?出所はどこ?
反日だろうと専らの評判の国々の一般市民ががあんなに日本にエールを送ってるよ?それもじゃあ建前だっていうのか?

情報操作で悪事を企むor情報戦によってその悪事が暴かれるような勢力がもしあったなら。
何かワルイことを考えている巨大なor地味な勢力があったとしたら。
どうか、そのどちらもの彼らが、
人の幸せを自分の幸せと感知できるような心の欠片を取り戻してくれるように。
一応、念を送っときます。効くかどうかわからないけど。
効くと思えば効く気がするから。




2011年03月14日(月) 東電計画停電に思う 他

追記:
グループ名検索サイト有。http://webtool.fizsoft.net/tepco/ 3/15の停電予定 第3G 6:20〜10:00 第4G 9:20〜13:00 第5G 12:20〜16:00 第1G 15:20〜19:00 第2G 18:20〜22:00 ※ネットできない人は如何に知る?


※前日の記事一部訂正します。後日記す。
記事、一部訂正します。募金窓口について気になる情報提供がありましたので↓

「被災した個人に直接に現金を分配できるのは、地方自治体だけです。
被災地の市町村の口座への直接の寄付でなければ」
「報道局関係などよりも、現地の市町村へ直接寄付しましょう。振り
込めば良いだけです。」

東北地方太平洋沖地震に係る義援金の受付窓口(口座)
http://www.pref.miyagi.jp/syahuku/miyagi_gienkin/
日本郵政、被災地への義援金送金を無料に

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819694E3E6E2E2E18DE3E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=DGXZZO0195164008122009000000



☆まだ家族と会えない人々がたくさんいることに胸が痛い。

☆銀行システムのことでいつもより早く出勤する夫にマカロンの小箱を手渡された。ホワイトデーなんて忘れてた。
夫たちが支えるシステムが何とか世の役に立つことを祈りながら送り出す。
ニュースで報道される東北の状況を見ながら更に切ない。
今日も祈ろう。寄付は継続的に続けたい。

☆今日から計画停電始まる←本日の第1グループ(午前中)は中止←その後、やっぱりやるかも情報

輪番計画停電は良いことだ。非常時に対する意識を皆に促してくれて、
被災地への思いも喚起させてくれて。申し訳ない感謝。
せめて節電に協力。そして早朝や昼間のうちにまとめて家事をしようと思う。

ただ、この停電で医療機関や福祉施設等には対策が必要。新たな仕事が相当増えるだろう。

東京電力計画停電詳細 
http://setsuden.yahoo.co.jp/

※以下、東電のページをテキストコピペ。リンク貼ってないからURLコピペでどうぞ。

東京電力、東北電力管轄の地域の方へ
効果的な節電と計画停電の対処方法をご案内します

東北地方太平洋沖地震の影響で、電気の供給能力が不足しています。政府や電力会社でも節電を呼び掛けています。また政府より、3/14から計画停電の実施が発表されています。このページでは、今すぐ利用できる節電方法や、計画停電の予定、対処方法をご案内します
計画停電の対象区域になったら

まずはご自身の居住エリアが対象になっているかを確認しましょう。
第一回目の計画停電は3月14日の6時20分より順次実施されます。お住まいのエリアが対象になっているかどうかは、以下の東京電力支店エリアをクリックしてご覧下さい(PDFファイルが開きます)。※ http://setsuden.yahoo.co.jp/からリンクできる。

栃木/茨城/群馬/千葉/神奈川/東京/埼玉/山梨/静岡

※アクセス集中により、つながりにくい場合がございます。その場合は、時間をおいてからアクセスください。
※停電時間は表中の数字(グループ)をご覧ください。
第1グループ 6:20〜10:00 16:50〜20:30 / 第2グループ 9:20〜13:00 18:20〜22:00 / 第3グループ 12:20〜16:00 / 第4グループ 13:50〜17:30/ 第5グループ 15:20〜19:00

(ご注意事項)
 ※グループ毎の時間帯は、開始・終了時間が多少前後することがあります。
 ※当日の需給状況によっては、予めお知らせした時間以外にも停電する場合があります。
 ※また、当日の設備状況によっては、お知らせしたグループと違う時間帯に停電となる場合があります。

首都圏を中心とした交通情報のニュース
最新の鉄道、航空、道路等の混雑状況、災害や事故に伴う遅延、運休、通行止めなどのニュースはこちらで。
Yahoo!路線
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/traffic_and_road_conditions/?1300035273
ご利用の路線を登録すると遅延情報が表示できます。メールでも受け取れます。

停電の前後に注意すること

・停電になる前には、念のために電化製品のコンセントをぬきましょう。

・通常の家電製品は通常の停電は問題が生じることがないように設計されていますが、パソコンなどはハードディスクをいためてデータが消失するといった可能性があります。

・コンセントを抜かずに、モーターを使った製品などが停電復旧後に一斉に稼働すると、ヒューズやブレーカーが飛んだり、ほかの製品に影響が出る場合があります。

・オール電化の場合は給湯などもできなくなります。また集合住宅などで水のくみあげを電力で行っている場合もあります。確認の上で必要な量の水を水筒や浴槽などに準備しておきましょう。

・冷蔵庫は数時間程度は保冷効果を維持しますが、冷凍庫にある保冷材や、水を袋で凍らせたものを冷蔵室に移すだけでも保冷効果が高まります。特に保存しなければいけないものはこれらのもので包んでおきましょう。

・携帯電話などは十分に充電し、ラジオなど電池で稼働する情報端末を用意しましょう。また夜間や未明の場合は懐中電灯などもご用意ください。

・対象地域によっては学校や会社などへの移動手段に影響が出る方もいらっしゃいます。早めに所属組織への確認をとっておきましょう。

・食事の時間に重なることもあります。ご飯は事前に用意しておきましょう。しかし、温め直す際にカセットコンロ、ガスコンロなどを使用する場合は、換気扇も使えませんのでご注意ください。

節電:まず大事なこと

■電力消費のピークタイムに向けて効果的な節電を
気温の低いこの時期は、18時〜19時前後の時間帯が最も電力消費が高くなります。このピークタイムを避けて電気を使うようにしましょう。

■東京電力、東北電力管轄の方以外が節電しても効果は出ません
現在、関西電力管轄の地域の方に、節電をお願いするチェーンメールが出回っています。下記の関西電力ホームページでも記載されていますように、その必要は今のところありません。東日本と西日本では電気の周波数が違い、東日本に周波数を変換して送る際の容量にも上限があるためです。
※関西電力ホームページ(外部リンク)(中段に案内記事)

■過度な節電による火災や健康被害に注意ください
関東地区ではまだ大きな余震が予想されます。ろうそく等の火を使った照明は火災などの二次災害の危険がありますので十分にご注意ください。また、必要以上に暖房の電力を切るなどして体調を崩されるといったことがないようにしましょう。

節電:個人の方へのお願い

■震災の情報はひとつの機器から得るようにしましょう
・テレビやパソコンなどの利用はできるだけまとめましょう。テレビの放送はインターネット経由でもリアルタイムに受信できます。
・テレビよりもラジオのほうが消費電力は低くなります。

■消費電力を抑える工夫を知りましょう
・必要のない電気製品はコンセントをぬいておきましょう。機器によってはそれだけで待機電力を消費していることがあります。
・冷蔵庫の設定温度を弱めにしましょう。また中身を詰め込みすぎないようにしましょう。
・白熱電球よりも蛍光灯、LED電球のほうが消費電力が低くなります。
・洗濯機、炊飯器、電子レンジなどは消費電力が高いため、ピークタイムをずらして使用するようにしましょう。

■効果的に寒さをしのぎましょう
・温かい格好をして暖房機器を使う時間を減らしましょう。
・カーテンを閉めると断熱効果が高くなります。

■節電実施中の事業者の方に理解を
・看板の電気がついていない、店内の照明が暗いなど、通常の営業とは異なる場合がありえます。個人として利用される際にもご理解をお願いします。

※略

追記 いま妹からのPCメールを開いたら、そこで紹介されてた地震関連お役立ちサイト:
http://www.satonao.com/column/variety/jishin.html
http://www.satonao.com/column/variety/jishin2.html

※妹、かなりネット情報を集めてくれてる。ありがとう



2011年03月13日(日) このたびの東日本大地震とりあえず覚えメモ+3日間の日記追加

記事、一部訂正します。募金窓口について気になる情報提供がありましたので↓

「被災した個人に直接に現金を分配できるのは、地方自治体だけです。
被災地の市町村の口座への直接の寄付でなければ」
「報道局関係などよりも、現地の市町村へ直接寄付しましょう。振り
込めば良いだけです。」

東北地方太平洋沖地震に係る義援金の受付窓口(口座)
http://www.pref.miyagi.jp/syahuku/miyagi_gienkin/
日本郵政、被災地への義援金送金を無料に

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819694E3E6E2E2E18DE3E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=DGXZZO0195164008122009000000


☆とりあえず、一昨日からのウチの非日常は後日ゆっくり記したいが
東北地方で被災された方々のことを祈りつつ、復旧を強く願いつつ
今後の情報を注視。

☆災害ダイヤル171

☆↑携帯用災害伝言版は各社のトップページからリンクが貼ってある。

☆携帯電話充電器品薄。手に入る時に多めに買っておくべき。

☆妹からの情報:放射性物質への抵抗として大豆系と海藻(ヨード)系を摂取しておくとよいらしい。

☆娘の中学校で泊ったとき思った:アルミの薄いケットは少なくとも3枚はないと充分な保温ができない。

☆鉄道が動かないときはタクシーやバスも乗れないと思ったほうがいい。徒歩帰宅が無理なら会社や学校等で泊まれたら泊まるのがベスト。

☆震災直後は携帯メール受信はこまめに「新着メール問い合わせ」をしないといけない。



追記 11日からの日記。


東北の被災地の状況に比べたら、ここ東京は平和で申し訳なかったが
それでもかなり緊張せざるをえないイレギュラーな日々だった。
その生活の記録。(先の記事にもう少しこまかく追加)

☆11日金曜日

その前日に、入学する大学が決定したので、息子が
午前中、やっと参考書や問題集の落ち着き先に着手しはじめた。
記念にとっておくもの・来年までもしかしたら使うもの・リサイクルに出すもの・妹のために捨てずにしまうもの、
4分別。
全てスッキリとはいかないまでも、
私も少し手伝った。

昼近く、
彼が受けて届かなかった国立の試験の個人得点結果が、合格最低点などのデータとともに速達で配達された。
開けて苦笑いする息子。まあ、普通に考えればスッパリと諦めのつく結果だった。

昼食後、私は銀行へ、その前期授業料の振込と、引落口座設定の手続きに、
息子は、駿台自由が丘校へ進学先の報告&TOEFL-ITPの参考書(入学前の英語クラス振り分けテスト用)を買いに出かけた。

娘は学校で学年末試験最終日のあと、そのまま部活。
私が帰宅した時点では誰も帰ってきてはいなかった。
入学手続き書類が全て揃ったので、それを封入して、
郵便局へ行こうと思ってコートも脱がずにいたら、あの激しい揺れ。
テーブルの下にいても収まらない。そのまま外へ出た。木につかまりながら携帯でネットニュースを見る。
宮城で震度6強?という情報が目に。
子どもたちにメール。早めの帰宅を促し、エレベーターは使わないでって。

義母の家に電話したら、知らない男の人が出て。間違い電話。
もう一回かけてもまだ間違い電話。
おかしい。番号を見ながらもういちど。でも間違い電話。
何これ!?夫に状況をメール。

何を持ち出そうか考えながら、とりあえずハンコやクレジットカードや、チョコレート、「朝バナナ」ゼリー、薬、携帯カイロなどわけもわからず鞄に放り込んで、防災ずきんも手元に置き
手続き書類を抱えて、まず郵便局へ。
受付でまた大きく揺れ。書留書類の重さが、なかなか測れなくて時間がどんどん過ぎる。

その書類をなんとか出せて、急いで帰宅したら娘の中学校から緊急メール。
鉄道路線がほぼ全線、運転見合わせ。
生徒はしばらく校内に待機中とのこと。保護者の迎えを待ってるっぽかったので。
火を使うのは怖いから、炊飯器セットと、レトルトカレーだけをおいて、まず息子の帰りを待った。

自由が丘から歩いて帰ってきた息子が、最初の揺れに遭遇した時は、塾に掲示してある合格短冊たちを見ていたらしい。
興奮気味に語る息子に、色々諸注意を伝えて、娘を迎えに出発した。
その前にもう一度お義母さんに電話。繋がった。
さっきのは何だったんだ。平常心を失ってた私のせいだったか。
元気らしい。ヘルパーさんも一緒で、無事とのこと。
実家や妹も、とりあえず無事とわかって安堵。

停留所に来た渋谷行きのバスは異常な混雑というか、既に寿司詰め状態で
乗ったはいいけど、料金支払いのパスモをかざすところまで手が届かない。無理無理に前へ。
そのあと停まるたびに人がどんどん乗ってきて圧縮度合いも限界。重量制限だいじょぶか。いま事故ったら確実に・・・。

終点の停留所まで渋滞でたどり着くのが甚だしく遅い。
とにかく異様なほど、人人人。何が何だか。
夫にメールなどが返信ないので、新着メール問い合わせをやったら、まとめて各方面4通ぐらいが時間差の内容で受信されていた。
直接の通話は全く通じない。
メール問い合わせするたび、一通、二通と、どこかに行ってたいつのだかわかんないメール返信が
ぽつぽつ来る状態。
※この時点で私の頭には「災害ダイヤル171」の存在は忘れられていた。

夫は、会社に留まることになったらしい。この災害のせいで、システムを夜通し見張るはめになったとか。

中学に向かう前に、娘たちがお腹空かしてるかなと
東急のれん街でおにぎりでも買ってこう、とデパートに入ったら
おにぎりだとかお弁当の売り場には長蛇の列。
諦めて、すいてるお店でミニどら焼きを10個くらい買った。

学校事務受付にきいたら、生徒はもう部活単位ではなくてクラスごとに待機している。
娘のクラスにはちょうど10人いたので、どら焼きを提供したら、まるで奈良の鹿たちのようにすごい勢いでやってきて
「ありがとうございます!」「これであと二時間生き延びられる!」とかいいながら食べる子たち。
もっといっぱい買ってきてやればよかったな。

職員室に申し出て娘をトイレに行かせて連れ出し
バス乗り場に向かったら、
さっきよりももっと非常な混雑になっていて
しかもバスがほとんどくる気配もなく、
そうかといってタクシー乗り場はもっと長い列ができていて
めまいがした。
その間に新着メール問い合わせもしてみたが
妹からメールあり。妹の娘のiちゃんが渋谷で立ち往生中らしいと。(義理の娘なので社会人)
非常に気になるが、とにかく自宅の方面の乗り場に並び、しっかし、待てど暮らせど、待っているバスは来ない。
タクシー列の動きもノロノロだ。
私は渋滞ってものを甘くみていたようだ。
並びながらiちゃんにメール、返信がなかなかこない。
時間ばっかり過ぎ、そうかといって列を離れたらもう帰れない気がし。娘と凍えそうになっていたらまた学校から一斉メール。
帰宅困難な生徒&迎えの保護者が学校に泊まれるようにしてくれるそうな。
こりゃもうまた学校に戻ったほうが良さそうだ。
iちゃんにその旨をメール、妹も学校の場所を連絡してくれてたらしい、が、その前にどこかあったかいところは!と
周辺の建物に寄ってみたが
地下鉄構内は封鎖、東急プラザも閉鎖、マークシティもトイレすら使わせてくれないって、ひどくない?

学校に行く途中のカラオケ館には入口に人があふれていたが、一応営業中のようだった。

学校へ戻ったら生徒と親は別部屋だった。というか親で迎えに来ていたのはほんの数人。
みんな、自宅で子どもを待っている作戦なんだな。というか、ここまで来られないよね。
数名はなごやかにおしゃべりをしていたが
私は、さっきのバス停での冷えで半ば具合がアレでどきがむねむね(死語)してたので
ひたすらじっと体力温存しながら新着メール問い合わせばかりして
ろくに食べないうちに夜は更けていった。
備蓄の防災キットの中身は、美味しくはない水、硬いパン、そしてアルミの薄い防寒ケット(ほんとに薄い)だった。
一人ひと箱にこだわらず使って良かったらしいが
一枚のケットで、コートを着たまま寝ようとした、しかし。
床からのダイレクトな冷えが堪らない。
くるまり方を模索するたびにガサガサと音がたつので
寝にくい。

息子に、帰れなくなったとメール。「泊るところあるの?」と心配そうだったので
学校内でちゃんと泊まれるから大丈夫だと返した。
iちゃんが無事にバスで帰途につけたという知らせも届く。
エコノミーシート症候群を防ごうという妹からのメールもあり
教室の大きなテレビモニターには、一部の路線が運転再開した情報とともに
宮城の津波の想像以上な被害が映し出され
ああ、ここでさえこんなに不安でしんどいのに、あの現地の皆さんは!とひたすら祈り過ごし。

☆12日土曜日

肩も背中も痛くなりながら夜明けを待って娘の教室に行ったら、生徒たちもやはりケットで俵おむすびのようにくるまれ
寝ていた。
始発に乗る気でいたけど、もう少し寝かしておこうかと。

外の寒さがやわらぐのをまって娘を引き取り、渋谷駅へ。
ゆっくりしたペースで電車は運転を再開している。
夕べはトランプで「大富豪」や「ババ抜き」を楽しんでいたらしい娘ら。「だってヒマでヒマで」
なんとこの非常時に、意中の同級生に告白した男子がいたらしい。しかも廊下で。その後、どうなった?

トークスで菓子パン買って
帰宅したら、お茶で、まずはそれに食らいつく。そしてバナナと魚肉ソーセージ。
朝刊の見出しの大きさに驚く。
そういえば前日に来た生協の保冷箱、
冷凍食品だけはしまっておいたが、野菜などは後回しにしてた。
それを冷蔵庫にしまいつつ、夫や親戚に状況報告メール。
洗濯物を急いで処理。
そして息子は、まだ寝ていた。
食事やお風呂をきちんと済ませた形跡があるが
4人分炊いたはずのご飯が、どこにも残っていない。
レトルトカレーは一食分しか食されていないのに。
起きてきた息子にお茶と菓子パンを出してその件を訊いてみたら
なんと無理に全部食べてしまったそうだ。は?何それ・・・。
ともあれ、留守を守ってくれてありがと。

昼近く帰宅した夫。やっと家族4人揃った。うどんゆでて食べる。温かい食べ物が口にできるありがたみ噛みしめ。
そして、眠い!寝る。
が、娘、起きて何かしらやっていた。なんでそんなに元気があるのか。

2時間くらいは寝られたけど余震たびたび。心配。
今回のは国内史上最大規模だったそうだ。
テレビから目が離せない。怖い。長野でも地震あったし。
原発事故まで?
妹がPC宛てに、ネットから得たお役立ち情報メールをくれていた。以下コピー:
「今の自分が居る場所、今の自分が立っている位置と周囲の品物や構
造の柱・壁との位置関係だけは常に認識しておいてください。
グラッと来た時は、何が倒れてきそうか?何が落ちて来る位置か?
だけを常に想像しておけば良いです。
広い空間の部屋では、中央に居るよりも、壁や柱の2〜3m前後の
位置に居ることが、部屋が圧縮された時にわずかな空間が出来るか
も知れません。壁に近すぎてもダメです。そのような位置関係を絶
えず認識しながら生活しましょう。

自分の右足の甲の中央あたりや、右腕のどこかが、脈打つ感覚を覚
えた時は、周囲の状況と位置を確認しましょう。
運転中ならば、広い場所があれば一時的に駐車すれば良いです。

ひどい状況に居る人も、安全な地域の人も、寝る時の姿勢は、でき
る限り真っ直ぐな体勢で寝ましょう。そうでないと、筋肉痛や血流
障害を起こしやすい地磁気が発生しています。枕なしも、首を曲げ
ないので良いです。」
「東北、関東圏の人々は今日(昨日の11日)から、ワカメ類、
納豆、豆乳、大豆プロテイン、根昆布なら1日に1個。
味噌汁。などの海藻類、大豆類の摂取を、1週間だけ心がける
こと。自分が手に入る物だけで良いです。過剰な摂取は、害に成る
ので不要です。適量を少しが良いです。適量のヨード成分を体内に
蓄積することによる、放射能への警戒です。ソ連のチェルノブイリ
事故の時も、上記の摂取をしていた人は、後年の症状が軽症で済み
ました。これは、もしかの場合に備えた対策であり、原子力事故だ
けではなく、地磁気の被曝への対策でもあります。
(補足。先日の太陽大規模フレアXクラスの影響。太陽か
らの強烈な放射能対策。)」

携帯電話の充電器をもう少し多く買っておこうかと
100円ショップやコンビニを回ったけど、どこでも売り切れ。
パンツやシャツの予備だとか、日持ちするカロリーメイト的な食料を買い込む。

夕食にはワカメスープや納豆が登場した次第。

息子や娘の携帯に、知り合いから「コスモ石油の爆発で有害物質が飛んでるから傘やレインコートがいる・多くの人に広めて」とかなんとか、メールが。
それはチェンメ(チェーンメール)だろうと判断、無視して正解だった。

☆13日日曜日

旅行会社から夕べ連絡があった件。
下旬に予定していた台湾旅行は、2名のキャンセル待ちだったのだけれど
キャンセルは出るだろうという予想は外れ、やっぱり無理そうだ。ということで
夫が、第二候補として検討していたシンガポールのフリーツアーに、ダメモトであたってみた。
そしたら飛行機は確保できるけど、ホテルは確約できないって。
それでもいいからと予約入れる。23日から5日間の。
といっても行きは夜の便で帰りが早朝の便だから実質3日間。

何せ、旅行を計画し始めたのが、息子の受験がすっかり終わってからなので
大抵のめぼしいツアーはもう満席なわけで。

防災系のグッズを多めに各自持たせ
お義母さんの様子をうかがいに家族で行った。
結構元気そうではあった。でもいろいろと不安だったに違いない。
ヘルパーさんが、しっかりしてて優しいし助かった。
お義母さんの分の防災グッズと携帯食料を用意して行って、少し渡した。
そのあと近くのハワイアンレストランでランチ。息子とは受験前以来、久しぶりに会ったので、喜ばれた。

夫はそのまま実家に残って諸作業。私は子どもと帰宅。
ネットニュースで、明日からの輪番停電のことを知る。
そうだ、余計な電力を節約しなきゃ。今日が暖かい日で良かったけど、明日は雨なんだよね。
なんか。
こうやって普通におやつ食べたりできる状況が、実はとんでもなく有難いと思い知らされる。

明日はパスポート申請に都庁に行くけど、エレベーターには乗らないつもり。
祖母は新ホームへの移動が決まったらしい。ほっとしたが、お試し期間にはまた気苦労もあると思う。
来週末には私の実家に子どもを連れて行ける見通し。
それまでに地震は落ち着いててもらいたい、心から。




2011年03月10日(木) 不合格という一大イベント堪能だよ

本日13時まで、ウチで待っている私は、心臓鳴り過ぎて倒れそうだったけど
本人はもっともっと心臓にわるい道中だったわけだ。

合否発表現地に行ってる息子と連絡がとれた。
国立★大 受験番号 ありませんでした。

これですっきり4月1日に☆大入学式に出られるでしょ。
悔しくても、それを強力なバネにして。

ともかくも彼は貴重な経験をさせてもらえた。そこに感謝しなきゃ。
ああ、もうすぐ帰ってくる。なんか甘いものでも一緒に食べよう。

今日の為に、用意していた慰めの言葉:

・・・☆大で精一杯、目いっぱい学問したらいいじゃん。
最初から☆大だけを目指していた人よりも、もっと上を目指して科目も増やして★大にチャレンジしたことで、より広く深く勉強できたんだから、将来のためにも、糧になったと思うよ。
そして、チャレンジしたこと自体が頭も心も鍛えてくれたと思うよ。・・・と。
そして、☆大に通いつつ、もしも、また★大を再受験したくなったら、それはまた思う存分、頑張ってみたら。・・・と。

テレビで発表の様子が放送される。一応、録画予約したけど、観るべきか・・・。


明日以降、個人得点が配達されるのを、むしろ楽しみに。


追記:以下、息子帰宅後。

「いやー人多すぎ(笑)」と楽しそうに?帰還して
★大の様子のテレビ番組録画も、観たいっていって観てた。

そのあと、☆大の入学手続き書類に自ら記入。
で、その書類に入っていたDVDをPCにセットして
サークルや生協の情報をネットであさりながら、
「でも、来年もう一度、★大は受けるよ。もう一回だけチャレンジしてみたいから。」と。
Z会とかの通信教育の資料の取り寄せをしてくれという。
今度はイケル気がする!と、興奮気味・・・。

どこからくるのか、その前向きな精神、ある意味、私が見習いたい。
この子には、このたび、ホントに、たくさん、学ばせてもらったよ。







2011年03月09日(水) 祖母のその後 / 実家の仏壇に向かって願う

祖母の、ホームお試し入居は、祖母自身のプライドだとか色々性格的な問題で、そこでの集団生活はとても難しいと。
もっと祖母に合ったホームを検討したほうがよいとのこと。

ホント一筋縄ではいかないひとなんだよね・・・。

今日、私は
午前中、区の出張所で印鑑登録の手続きを済ませて※
お昼を子どもたちに食べさせてから
午後、実家に寄った。

実家の仏壇に向かって拝もうと思った。
もし祖母が帰ってきてたら一緒にと期待、
そうでなくても両親としゃべりたかったってのもあったし。

私や子どもたちのことを、祖母も遠くからよく祈ってくれていたから
まあ、性格に難ありといえど、私にとっては、充分な恩のあるひと。

反面教師になってもらおう。
人への思いが、日頃からどんなふうだったか、それが
老後、子どもたちにラクをさせられるかどうかを左右するんだな、と
考えさせられる。

とにかく。この件でも
母やみんなにとって、一番良い道が開けますように。と。

そして
明日は息子の国立大の合否発表。
それがどんな結果であれ、息子がそれを前向きに受け止め
一番良い道を開いて行けますように。と。


※今月下旬に家族でのプチ海外旅行計画。
で、先日、パスポートを申請する際
子どもたちは学生証という写真付きの身分証明書があって
のーぷろぶれむだった。
が、私は、年金手帳はどこかに紛失?してるし
新婚旅行の時の古いパスポートもどこにいったかわかんないし
免許証は失効してるしで、
保険証だけでは通らないので、急遽、印鑑証明書なら早いってことで、そんな手続きをするはめに。



2011年03月04日(金) 祖母の、ホームお試し入居 他

☆いまニュースになっているネット利用カンニング事件、
たしかに当初は私も、ウチの息子の悲願を痛いほど知ってるだけに
「ほかの頑張ってる受験生を馬鹿にした、とんでもないことだ、許すまじ」と思ってた。いやいまも思ってるけど、

でも容疑者が予備校生単独犯らしいと知って、気持ちは複雑。
センター試験の振るわなさ・・・数学の苦手・・・魔が差す気持ちもわかる気はする。
罪を憎んで人を憎まずと思いたい。

監視体制を強化したら防げるってものでもなさそうだ。
もう道徳に訴えるしかない。小さいころからの。
ズルして出した結果に価値がないこと。ズルしないで努力したこと自体が自分の収穫であって結果じゃないんだということ。
それを体の快不快の感覚で刻み込まれていれば、
つまり、
正々堂々と全力で負けたほうが快、美味しいものを食べた気になり、
ズルの不快さを、不味いものを食べたような気でとらえられたなら、こんなことをする気は起らないだろう。
その感覚が幼いころから植えつけられるためにどうすればいいのか。

☆娘のアンコンの様子を収めたビデオデータを間違って消しちゃった!あー、私、ばかかー。
ああああああ。
でもよくぞ家族で聴いておいたと思う。

☆娘の班、ディベート大会優勝したそうな。良かったねえ。

☆認知症の祖母を実家の母が看続けることが心身ともに無理が出てきているので、
見かねた叔母(母の妹)が、そして従弟も母を助けてくれて、
今年に入ってからホームめぐり、そして昨日からのお試し入居準備、
本当に大変な日々だったようだ。
私は受験生にかまけてずっと何も手伝ってあげられなかったけど。
お試し入居は、子どもで喩えれば、慣らし保育のようなもので
デリケートな心から不安が取り除かれなければ軌道にのせられないだろう。
孫が頻繁に会いに行ってあげたほうがいいよね、と
妹も言ってたので、
今日の午後、私は息子を連れてその横浜市のホームに祖母を訪ねた。

私達が行ったときには、きれいな部屋の前で、同じフロアの老婦人と何かお話をしていた。
意外と、社交的なところがあるので、
やっぱり祖母は人中に居るべきだと思う。

でもデイケアよりは個人のプライバシーが保たれてしまい、ひっきりなしに誰かが構う状態が少なくなりがちだろう。
なんとか早く馴染んでもらいたい。

私や息子のことを、かなり誇らしげにその隣人に紹介していた。
祖母が我々を「自慢の孫娘と曾孫だ」と認識してくれているそのことをなんとかうまく使って、
祖母の寂しさを紛らわせることで
母の心のいたみも薄めたい、・・・なんて
おこがましいことを私は考えていたが、

でも、なんだろう、
たしかに祖母は色々忘れてるしカワイソウな状況ではあるけれども
そして決して性格的にも好人物とは言えないんだけれども
祖母と会うことは、私にとって(たぶん、今日会った息子にとっても)
私の何かを成長させるというか学ばせられるというか
修行なんていうヘビーな感じじゃなくて、
うまく言えない。が、そんなふうに良い刺激をもらうだけの私は
介護の本当の大変さを知らないで美味しいところだけつまみ食いしたようで
そこは後ろめたい。
でもプロの手を借りなければならない部分がこれからたくさん出てくるはず。

子どもや孫の幸せな様子を見るの「だけ」が生きがい、という生き方を、いまの私ならば否定しない。
まあ、別にそれでいい。っていうか、老いたらそうなっていくのが望ましい。
その「幸せ」の内容だけれど、ただ笑っていればそれで「幸せ」なんだとおもう。
お腹の中で何をどう考えているか厳密には、分からない人々だったとしても
その場で一瞬でも「笑いあった」時間が持てたら、それ自体は幸せなんじゃないだろうか。

だから、「忘れる」ということはカワイソウでもあり幸せでもある。

祖母や伯母(母の姉)に対しては、突き詰めて思い出そうとすれば無数にいろんな私の個人的な恨みつらみが思い出せる。
でも。
もう、いいや。
彼女らも、その時点で、ただの発展途上な人間だったんだし
その御蔭で今の私の存在がある。考えさせてくれてありがとう。先生だった。みんな。

柳となりたい。吹かれて流されていつつ折れないでいればいい。
っていう、その為の、主な力は、
第一の選手「覚えている、でも敢えて許す」が出場不可能だった場合は、
二番手の主力選手は「忘れる」が強力なんだ。
問題は。恨む相手が、その出来事を忘れてくれちゃっている場合。
いまの私はきっと、「これ幸い」とそれを肯定的に受け止められるステージに片足突っ込んでいるだろう。

だから、話がまとまらないけど
私は、祖母とおしゃべりするのは、時々だったら(←ここ重要)心の掃除になる気がする。
まだ伯母のことは苦手だけど、というか彼女のデリカシーのなさとか自己中を指摘してやりたい衝動誘惑に駆られるのが面倒なだけだけど、
でも昔よりは、私は柳になれるような気がする。
気がする気がする、ばっかりだけど、どうせ考えても答えの出ないこと。
だったら、そのとき「これが良いかも」と感じたことをしよう。

今度、娘も連れて行こう。学年末試験が済んだら。



2011年03月01日(火) 息子、高校卒業 / 入学登録金振込の決断

高校の卒業式。

遠くからわずかに垣間見えた息子の表情が自然な笑顔だったのが
なにより幸せなことじゃないだろうか。

昨日のうちに貰ってあった卒業アルバム、
クラスごとの弾けた感じの写真コラージュの中にも
息子や友達の、そんな笑顔を沢山みつけた。
色々あったけど幸せな3+3年間だったんじゃないだろうか。

人数が多いので生徒一人一人は名前を呼ばれて立ち
各クラス代表が壇上で校長先生から証書を受け取る。

在学中に亡くなった同級生の名前が呼ばれ、特別卒業証書が授与された。

ここに生きていることの責任ともったいなさを皆に噛みしめさせてくれたその人は、きっと
一緒にそこに居てくれたんだと思う。

式が終わって息子をようやく見つけたが、写真撮影を避けられてしまった。
(カメラの電池もなくなりかけていたので、結局、家で撮った二〜三枚が最後の制服写真となった)

午後、生徒たちは別会場の謝恩会ランチへ。

私は銀行へ。振込、窓口受付に間に合った。

※本命の★大学(E判超チャレンジ・自己採点によると受かる可能性が相当小さい)の結果発表はまだ先だけど、
その前に、既に合格している私立☆大に20万を振込む期限がくる。
(思えば、あの中学受験のときは計4回の不合格を突き付けられた息子にしてみれば
私大一般入試が蓋を開けたら全勝だったのはきっと嬉しく有難いに違いなかった)

その二つの学部(どちらもD判チャレンジだった)のどちらを確保しておくのか、
さまざまな情報を揃えて
昨夜、息子の意志決定を待った。

将来やりたいことをよくよく考えて、
そして今朝、もう一度意志確認、結局、
昨日の午前に発表があったほうの学部に決めた彼。

すっきりした表情で満足そうに
学部案内のパンフなど眺めながら、第二外国語のことなどもしゃべりながら
サークルはどんなのがあるだろうとか話しながら、

だけど
ふと、ぽつりと
「でもサークルに入ってても、もし、もしも来年、
仮に、★大に再挑戦しようと思った場合は、
その時はサークルはやめなきゃいけないんだよね・・・?」

って息子は言うので。

大学のサークルなんて、他大学に在籍しながらでも続けられるのが多いよ。って答えたけど、

再挑戦の気持ちがわずかでも存在するのだな、と
切なくなった。
泣けてきた。
駆け込みながら、あんなに頑張っていたんだものね。
10日後の発表で奇跡を見ることを、1%の望みが微かにでもある限り、やっぱり、祈ってやりたいと思った。


今夕、彼は、卒業証書と、友達との思い出と、嬉しいような哀しいような色々な感情を抱えて、帰宅するだろう。


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