気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2011年01月31日(月) 今年もまたひとつ歳を取らせてもらえたので

去年の今日を思い出しながら。

今年もまたひとつ歳を取らせてもらえたので、そのおすそ分けを。

全ての、
1月生まれの人。2月生まれの人。3月生まれの人。4月生まれの人。5月生まれの人。6月生まれの人。7月生まれの人。8月生まれの人。9月生まれの人。10月生まれの人。11月生まれの人。12月生まれの人。に。

それから、
明日、明日以降、大事な勝負を予定している人に。

いままでの頑張りが、その人にとって一番有意義な道を開いてくれますように。


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岡田惠和の脚本のドラマ「アルジャーノンに花束を」に出てきた
遠矢エリナの台詞、が今おもいだされる。
藤島ハルの母親が幼かった息子を捨てた過去を悔やむ場面(自分は不幸になっても文句が言えない罪を犯したにも関わらず、何故自分には罰が当らないのだろうか、と)で、
そんな彼女に向かってエリナが静かに語る

「それはきっと、ずっと誰かに(=息子のハルに)強く愛されているから。だと思います」

そんなようなことを言っていた。


※写真は、娘が作ってくれた、カード入れというか、ファイル。






2011年01月24日(月) やっぱり何かある。形が祈りを促し祈りが感謝を促す、みたいな。




娘が自室の棚の上に集めた、石のコレクションが、結構増えていた。

ひとつひとつに効能?があるらしい。娘が研究しているそれは私には詳しいことは分からないが。

そして「ここぞ」という場面ではその中から選んで、小さな袋に入れて携帯しているようだ。

入学以来、娘には「ここぞ」のイベントが
ひっきりなしに続く。
今月に入ってから来月にかけても、
クラスのディベート大会やら合唱コンやら
部で出場するほうの支部大会とかコンテストとか
昨日は英検だったし、

小さな山大きな山を、彼女なりに、仲間と一緒に、楽しんで登っては降り登っては降りできた第一学年だったみたいで
良かったね。

その棚の近くに座って私は毎朝窓の外の太陽に向かって
祈っている。

メインテーマは勿論、どうぞ息子が受験を無事に健康に乗り切れるようにってことだけども。

サブテーマとしては、彼・彼女ら家族が
この世の色色々をうまく優しく受け止めつつ、得難い経験にしつつ、
自分の色色々を世の中の為に何かしら発揮していけますように、ってことを。

そんなこんなで、祈る姿勢をとって祈ってると、不思議と自然と、
ここまでみんなを奇跡的に無事に運んでもらえたことに対し
感謝の念がどんどん湧いてくる。

座って、胸の前で手を合わせて、光のほうを見て、心の中でそれを思うという、その行為だけで、

そういう気持ちが湧くようにできているこのシステムが、

本当にあるんだなーと思い知らされて、驚く毎朝。

一日一回一瞬でも、確かに、私なんかの心の中が最も澄む時間が存在する。
そのことだけ考えてみても
人って、誰もが、案外結構スゴイんじゃないの。


※学校の講習に行った息子の代わりに、先ほど郵便局に行って、国立大(第一志望)の願書を発送してきた。
これで今年度の、すべての志望校の出願作業は終了。



2011年01月19日(水) ときにはハメはずしたくなるよね

雨降っても地固まると信じる練習


人を、人の育ちを信じて待つ事って、
かなりハイテクな技なんだなと、つくづく教わった気がする。



2011年01月16日(日) リアルドラゴン桜がウチに来たか

この2日間、息子は体調も崩さず、全力出し切れた様子で
こちらも安堵。
私も、あの子の脳やお腹の中などイチイチ想像しながら三食のメニューを考えたり、
離れた試験会場に向かって、肺が潰れそうになる程に気を送り天に祈ったりして、
いまプチ脱け殻状態。

自己採点の結果、
(2ヶ月前には500点台だったのが)悲願の(初の)700点超え達成の様子。

文系科目9割、理系科目6割で狙う作戦が
奇跡的に実現した形で。理系科目7割は予想外。

水野直美ちゃんを超えるとは思ってなかった。

その頑張りだけで既に、彼にとって(家族にとっても)国宝級の宝となったに違いない。

でも息子は、せっかくだから是が非でも国立2次試験に行きたい筈だ。
1次通過発表に向けてまた家族にも祈りまくりの日々が続く。

まるで、リアルドラゴン桜を見せられているようだ。

私大のほうの第一志望がセンター利用出願できそうかの検討に入って、出すなら早急に出さなきゃだ。








2011年01月11日(火) 息子のセンター試験まで4日、あーそういえば昨日は成人の日だったんだ(あれこれ思いあぐねる)

(久しぶりに子どもたちが学校等で留守になったので、数十分前に下記の日記を書いてから過去の文を読み返してみたら
まあ見事に私はおんなじことばっかり繰り返していること。
この頭の中は一日千秋、だがいま千年が一日にも一日が千年にも感じられる。
カウントダウンの日めくりはくるくると千切られても
考えてることが昨年末とほとんど変動なし。
でもちょっとだけ変わったことと言えば、
娘からまた新しい漫画を紹介されて気に入ったのが
「荒川アンダーザブリッジ」中村光。聖☆おにいさんを描いてる人。
主人公の市ノ宮は家訓「他人に借りをつくるべからず」のもとに育ち
人に恩を受けてそれを返せないとストレスで喘息の発作が出てしまう。
そんなエリート青年に、
自称金星人という素潜り手掴み漁が特技の美しいホームレス少女がカルチャーショックを与え
若い二人の微笑ましい恋は始まったばかり。)

鏡開きの日だとすっかり忘れていた11日の日記はこれ




実家の母が、温かいメッセージとともに贈っててくれた
ネスレの赤い五角必勝カップには
息子のリクエストに応じてカフェオレが入ったりチャイティーが入ったりして出番多いことこのうえなし。

三連休は。
息子は夫という数学講師にびっちり指導を乞い、
私はそこへ頃合いを見て紅茶やら間食やらを出し続け、
その間に娘を三軒茶屋へ一人買い物デビューさせて(それまで一人で行ったことがなかったので)
お年玉で少々パワーストーンとか本とかの買い物をさせてきて、
というように、皆、これといったお洒落な過ごし方はしていない。

私としたことが、ユースケ氏の出てる連続ドラマの存在を、実家に言われるまで気づかないほど(録画はしてもらってるけど)
いま、顔には極力出さないが、頭の中は祈りで一杯さ。

SASUKEの第一ステージに初出場する人を見守る家族の心境っていうか。
それも限りなくリスキーなチャレンジャーの姿を。
傍から見るのってこんなにスリリングだったんだな。

私は若い時分、ちょっとだけど、ホームレス男になりたかったことがある。
それは大人に構われなくて済む身分に憧れてたから。

いま思えば、なんと罰当たりなことか。

子ども当人が知らないだけだった、親族が見守ってる気持ちは想像以上の次元のものだった。
単なるアレじゃなくてもっとこう・・・、

まあ、けど、でも、
贅沢な話だと思う。

結局この長男のお腹にいるときから高校卒業までをも
専業主婦として過ごし、見たいだけ見て、いつでも感動ライブを味わって過ごせてしまった、そのことは
申し訳ない気持ちになるほど贅沢な話だと思う。
現代このご時世においては尚のこと。

稀有な存在になりつつある専業主婦を死守してやるという強い決意はないけれども、ただ倹しく且つラクに流れてたらこうなったってだけなんだけれども、

世の中で既に主流になっている生活様式―――
核家族がだんだん時代遅れになってってる。
若い夫婦は共働きして子どものことは祖父母が主に見る・その子どもが大きくなったら親夫婦は今度は孫を見る・という
ループ。
それはそれで、良いとは思うんだけれども、

子育ては老後の楽しみにとっておくのが一般的な常識にまでなってしまったらと思うと、なんかー。

それも案外悪くないかな?子どもな親に育てられるよりも、老成した祖父母に育てられるほうが教育上の効果があるかな?

けどやっぱり、体力が要るからね、

そうかといって、子育てを若いうちに満喫しておいてから老後の楽しみを「お仕事」にしよう、というのも、無理があるし。
現状の求人状況を考えると35歳を過ぎたらパッタリと仕事が選びにくくなるっていうのはやっぱり少なからず続くだろうし。

だからいつも言ってるように、どっちでも好きなように選べる状態があればいいなと。
若いうちから歳をとってまでも、ずっと細く長く、子育ても仕事も程良いバランスで関われる世界ならば。

子どもにとっても。親から祖父母から社会からあらゆる大人から見てて守っててもらえる状態が、望めばそこにある、なら。

が、
しかし、ここですごく矛盾を感じつつも思い知っているのは
そんな程良いスタンスをヨリドリミドリで自由に選べる境遇になるためには
教育や住む場所も含め、ある程度は履歴書を飾っておかなければならないという現実。

だからそれを我が子が無事に手に入れられる範囲から逸脱しないで生きてってるかどうかが
親としてはやはり心配だっていうわけだ。

特に男子なら尚更、「アンタの人生だから好きにせい」と高みの見物などはできないのだった。

「大学受験ならもう親の出る幕はないもんね」って思ってたよ確かにその通り。
でも、

センターの平均点がもし低くても、その中で我が子の得点だけが奇跡的に幸運にも高ければいい。そう願うのはエゴイズムかもしれないけど。

自分の家族だけが幸せ・という状況は厳密にはこの世に存在しないのはわかってる、でも
あんなに無茶な頑張りを、自ら望んでこの道に身を投じてる背中を
本当に理解してその来し方から(道程から)(歴史から)して褒めてやれるのは塾でも教師でもなく、
生まれたときから育ててるこの私達だけなんだから。

でもいつか親が全く関われない日が来る。その日までせめていまはできるだけの祈りを持ってじっと見守るしかない、これも修行って言っていいんですか。

そんなこんなをぐるぐると思いめぐらせられるこの一種の幸せをいつか我が子にも味わうことが可能であってもらいたい、
こんな願いもエゴイズムなのかもしれないけど。



2011年01月02日(日) カラオケ楽しい

数学攻略が佳境になってきてる息子と、指導の夫を置いて
私の実家に娘を連れていった。
妹夫婦にも会えた。

箱根駅伝の往路を見て語る妹夫婦と父の姿が何とも不思議。

実家では祖母の認知症に効くかもとホームカラオケが導入されてて
それがすんごく楽しい。

一人で歌うのは恥ずかしがってた娘も、中島みゆきの「地上の星」等ではみんなに混じって声を発してた。

レベッカのフレンズとか踊るポンポコリンとか浜辺の歌とか鉄道唱歌とか埴生の宿とかあみんの待つわとかピーナッツの恋のバカンスとかビートルズのイエスタデイとか箱根八里とか美川のさそり座の女とか・・・。
ちょっと懐かしい歌が盛り上がる。

妹の旦那さんの声も聞きたかったけど。

祖母が、昔おぼえた歌ならカンペキに、高いきれいな声で歌う。
祖母が若かった時代の価値観世界観を今に伝える歌は
素直できれいなメロディ。

父と祖母が一緒に歌い上げていた「広瀬中佐」っていう歌は
戦前の文部省唱歌らしく、
軍神と呼ばれるに到った広瀬さんていう軍人の日露戦争時のエピソードだそうな。

お土産もらって帰宅したら
息子は数学の腕を相当に上げていたようで、
かつて30点しか取れてなかったのが60点や70点取れるようにもなっていた。
最大風速かもしれないけども、ひょっとしたらセンターも良い線行けるかもしれないという希望が
微かとは言え、見えてきたようで
疲れつつもその表情は明るかった。

で、さっきの例の「広瀬中佐」の歌について、知ってるかどうか息子に聞いたら
もうものすごく良くその背景について知っていたので、
じゃあ晴れて受験が終わって春休みに遊びに行ったらば、
ぜひ祖母達と一緒に歌わせてもらったらいいよ、と。

親子孫曾孫四代が歌で繋がるのは楽しい。
同じ歌を声をそろえて歌えているときの、それぞれの、記憶と気持ちの共通項が得も言われぬほど素敵だ。


※そういえば
カラオケタイムは「仰げば尊し」を全員で合唱してお開きとしたのだった。
93歳と12歳が一緒に歌える歌はいつまでもこの国に残っていてほしい。



2011年01月01日(土) 初日の出から初めた今日

早朝、
近所の、徒歩5分位のところにあるアパートの屋上に
私と娘は息子に連れてってもらって(彼のとっておきのビュースポット)
初日の出を見た。

手軽でちょっとした展望台として、いつかの雪がふった日も彼はここを訪れて景色を楽しんだりしていたらしい。

けど、こんな部外者がぞろぞろと、よその建物の屋上に簡単に上がっていいのかなとも思ったけど
同じような目的でご近所から数人集まって、地平線(というか建物群の向こう)を
みんな見つめて待っていた。

空が青紫から桜色へ変わっていく間に、お兄ちゃんに一通りの観光案内をされた娘は
こないだまで通っていた小学校の屋根、
三茶のキャロットタワーや、
さらに遠くには新宿のビルを、東京タワーやスカイツリー(建築中)も、
反対側には富士山も望み、ほっぺたが桃色。

いよいよあっちの空にまぶしい丸いオレンジ色の光が激しく差し
各々携帯で撮影する、でも私のだとうまく写らない。
で、お兄ちゃんから赤外線通信で貰った。





太陽と同じ方向にあった飛行機雲がくっきりあぶりだされていた。

遅く起きた夫に携帯を見せながら報告。
パパからのお年玉は(私にも)七福神の袋に入っていた。
少しの日本酒とジュースで乾杯して
黒豆ごまめ栗伊達巻蒲鉾お雑煮などを、しみじみ食べてから
笑えるテレビを9時半まで見てから、

娘は、あけおめメールの束に返信してから、宿題の仕上げ。

息子は数学を徹底的に。
数学を教えられる夫が家にいる三が日はとにかく数学。

昼食は早めに
佳境に入っているパパと息子をじゃましないようなおにぎりを、
さっきの散歩ついでにお昼用に買い(っていうか、これくらい作ればいいのにとは思うが)
ついでに、夕べ煮た筑前煮も一緒に出す。
美味しかったんだかどうだかわからないまま彼らの口に入って行った。

息子に来た年賀状は予定通りの親友を含む手堅い3枚。
娘に来た年賀状は予想外の子たちを含む40枚以上。
急遽返事書きに忙しくなる娘。
私や夫はほぼ例年通り。

夕方から夫の実家に娘はパパと出かけ、
息子の青本をストップウォッチ付きで解く鉛筆の音を階下に感じながら
いまのうちにPCメールをチェックしておく。

(明日は私のほうの実家へ娘を連れて出かける予定)

受験生のいるお正月ってのも、これはこれでなかなか味が。
(って去年も思った)

家族の誰も寝込んでも怪我してもいないお正月。それは嬉しい。素晴らしい。


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