気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2010年11月30日(火) あ、射手座っぽい

石井ゆかりさんの、星座別になってる星占いの本を
書店で立ち読みした数日前。
射手座は、「立ち入り禁止だよ」と言われるとそこに行きたくなるよなタチらしい。

全くその通りだと思った。

龍馬伝の最終回(岩崎弥太郎に激しく泣けたわ)を観て
ふと、
あの龍馬という人は、何らかの射手座の影響を受けていたんじゃなかろか、と。
(11月15日誕生日=命日、は旧暦だとしたら、実際太陽星座もかなり射手座だったかも)
外国への興味とか、フロンティアスピリッツといい、
意外と無私無欲で楽天家な気質といい。

いきなりびっくりな常識外の理想目標を、唐突に掲げて
いったいその自信がどこから来るのかその楽観で
未踏の地に向かって走っていく、多分その行程が
堪らなくそそられるのだろうな。私はそんなの御免だけども。

いや、そんなこと考えたのは、ウチの息子が一応射手座生まれ、
あの方に僅かでも肖れるならいいけども、次元的には到底かなわないが。
今日が彼は18歳の誕生日(いつも学校の定期テストの真最中)。

知らない事項・行ったことのないところ・を集めて網羅してみるのが快感な様子。
ただしそれは、必要だからじゃなくて
ただ、そのとき興味が湧いたから、らしい。

食卓のその辺に放置してある彼の「トリビアノート」には、
なんの為にこんなことイチイチ調べ上げてんの?っていう、気まぐれに趣味で集めた研究リスト?が
羅列してあって、なかなか面白い。
幼稚園時代から知り合った子たちの名前とプロフィールを五十音順に綺麗に並べて書いてあるページがあるかと思えば
古今東西の神話に出てくる固有名詞を記したページもあったり
ここ3年ぐらいのオタク系アニメの名称が年表みたいに並ぶページが突然出てきては
女房言葉集だとか
西洋の花言葉が書きとめてあるかと思えば
日本の高い山ナンバー9のデータとか
どっかの国の戦争と王の興亡の歴史のページとか
日本の気にいった寺の住所を書きとめてたり
天皇ご一家や藤原家、足利家、狩野家、などの系図も書いてあるかと思えば
その他なんだか訳のわからない言語の単語も並び、
なんのジャンルだか分からないけどホントに気の向くままに
埋められていく、現在も更新中のリスト達らしい。
ていうか。今そんなことやってる暇って実はもうないんじゃ?

いやに熱心に、受験勉強してるのかと思えば。
夏前に返却された模試の付録資料の成績優秀者名簿を眺めながら
どの科目の順位表にもある人の名前を見つけては紙に書きだすという作業を必死にやっていて、
何。その人々をライバル視して自分も頑張るってわけか、と思いきや
ただ面白がってリストを作っているだけ。
息子がそんな作業にかまけてる間に、そのリストに名を書かれた人は今この瞬間にも、
どんどん息子と実力差をつけて遠くに飛んでいることだろうに。

今朝、登校前に娘は、お兄ちゃんに、手製ラッピングの「こづかい帳」をプレゼントしていて喜ばれていた。




夫からは既にもらってある腕時計、
私からはビートルズ等のCD、
祖母からの宅急便では図書券とお菓子(中でも、キットカットは特に有難い。それ以上にシャカシャカグミが大好物)を
贈られていた。

夕方〜夜まで予備校の講義があるので、
他の家族とすれ違いだから
バースデイケーキ(チーズケーキの予定。ろうそく付き)は翌日にお預け。
でも出かける前の早めの夕食は赤飯(生協のカンタンセット)。
センタープレテスト(あと12日)までに
秒読みで数学生物政経を、ゼロから何とかかんとか形にしなきゃなんない筈の(ホント、無茶。)彼にとっては、
正直、誕生パーティどころではないとは思うけど
少しはそれらしい雰囲気も醸してやらないとね・・・。


ところであの子はまた携帯電話を先生に没収されたっぽい。
それに関して彼は何も喋ってもないけど
昼に帰宅してからどこにも携帯を見かけないから、きっとそうだろうな。




2010年11月25日(木) 霜月も残り僅かの長めの呟き

☆昨日、妹&母と久々お茶で楽しんだ。
兄弟姉妹と心から仲良く過ごせる状態というのは、親からもらった何よりの奇跡的な財産だ
と、実感。
知り合いで兄弟仲のイマイチ良くない例を少なからず見るけれども、
彼ら彼女らと何が違うのか考えてみると、やっぱりそこは親の接し方も一因だったのかな、と。

☆息子が朝から、だるさ、咳、喉の痛み。保温、静養。学校欠席。熱はない。
病院に行って余計な感染症をうつされるリスクを背負うまでもなく、部屋で
葛根湯ドリンクや生姜湯を飲んだあと、寝ている。
センター試験まであと50日だけど、12月のプレテストへの対策も、間に合うのかなあ?という心配もよぎるけれど
いま彼はしっかりと休んで、まず来週の学年末試験までには復活しておかないと。

☆昨日、夫とPCメールによるプチ討論。
相手を立てながらも自分の言いたいことを言うコツがなんとなくつかめるようでつかめてない、私。
夫婦で子育て観が違うというか、子どもを親がどこまでリードすべきかの範囲の解釈が彼と私との育ち方の差異。
自分が高みにまず登っておいて子どもを導き、親への感謝尊敬を成長の栄養に、という考え方(夫)と
自分は子どものお尻を下から押し上げて自己肯定感を勝手に芽生えさせ、親などなくても生きていけるように、という考え方(私)と。

☆結局、結婚は異文化交流。子どもはその両親の異文化を受けてシャッフルして良い具合に取捨選択して育ってくれることでしょう、と。

☆娘が自分の部屋エリアへの入口に、手作りのウェルカムボードを作って飾って満足そう。
今度の日曜には小学校時代の友達と一緒に、恵比寿の手芸屋さんを訪ねる予定と。

さて、お昼までに、外回りの枯葉を掃除してから、うどん材料と長ネギでも買ってこようか、と。

※娘の作ったボード、部屋のカーテンの色に合わせてデザインしたらしい。






2010年11月22日(月) 守護霊ポジションに居るのが好きっ /エアコン

11月第三土日 家族観察記録。

純粋に私自身だけに纏わる希望とか悩みとかがゼロな状態に達している。エアコン問題も済み。※後述
特に土日は私は家庭内守護霊(ホントは守護神って思いたいが、そこまでステキなもんでもなさそうな気もして)、
そうやってただふわふわ願いながら看るのは
心地よく、贅沢すぎてバチ当たりそうでコワイかも。

一、娘

講談社の絵の公募「月がテーマのイラスト」の締切が今月末なので、
応募してみたいって言ってからもう2か月は経つわけだけど
学校のあらゆる宿題を、やっとクリアにした日曜に、本腰入れて取りかかっていた。
(そういやあ私も若いころ、そんなことをしてた記憶がある。)
彼女の今年中の課題はそれともうひとつ、年賀状の絵柄を決める件。
もしかしたら私もまたそれに便乗するかもしれないけど
オトナ受けするかどうかなどは気にせず自由に書いてご覧と言ってある。

そんな創作活動の合間に、いま彼女のお気に入りのライトノベルは
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(伏見つかさ)
・・・これ、ママも読んでみる?とか勧められたんだけども、正直抵抗があった。
パラパラっと斜め読みした段階では、うーん、
だってさあ、なんだか、オタク男子にとって都合の良すぎる設定がイヤなんだもの。
ツンな妹が、女子でありながら妹モノのエロゲーを趣味としていて、それを隠していることを兄(主人公)に人生相談する、なんていう馬鹿な設定あるかって、ないでしょ、無い無い。
が、そんな偏見を改めて取っぱらって最後の方を読んでみたら、案外、人情篤い兄妹愛が描かれてて、まあ、いいか。

二、息子

高校の宿題?で、
四年後の自分自身に宛てて手紙を書いて学校に預ける、
っていうのを、提出期限の朝に慌てて食卓で書いていた様子。
何書いたかは分からないけども、
あの丸い頭の中で何か考えて迷いながら何とかかんとか仕上げてカバンに突っ込んでいた。
後で彼が喋るには
自分宛ての分の他に、ランダムに選ばれたクラスメイト一人の分も書くことになっていて(既に提出済み)
しかも書かれた子は、現時点では誰が自分宛てに書いてくれたのか分からない仕組みだそうだ。
22歳になって手紙が届いて初めてそれが判明するという。
先生も、なかなか面白いこと考えるね。

彼が駿台の特別講習(無料)に行っている間に、
夫が、センター入試の数Bの問題傾向をチラっと調べておいてくれてたようで
夕食後、
「センターでの選択問題2問のうち、案外に、統計(という単元)が得点し易いよ」と夫が言って
それを彼に教える場面があったのだけども。
さすがに、まさに今、数学の伸びが欲しい息子は、意地になったりしてる場合でもなく
素直に夫に「統計」の基本を教わっていた。
その真摯さが、驚くほどで、私が8時過ぎに「龍馬伝が始まってるけど?」と声を掛けるまで周りも見えないぐらいで、
二人が穏やかに建設的な会話を交わしている様子を目の当たりにするのが久し振り過ぎて私は
内心うれしく娘と入浴した。

ついこないだの夏までは、まさかこんなに真面目に数学に取り組もうとする息子を見ることになるなんて
想像もしてなかったので。

三、夫

さっきも書いたけれど、息子に数学を教えようという場面でも、
以前にも増して穏やかというか、押しつけがましくもなく
いい感じに話せるようになったなあと感心する。

文系3教科に絞って数学とはオサラバしたはずの息子が、急にこの期に及んで必要科目を増やして
某国立大を新本命にしたい、なんて言いだしても
子どもの成長と努力を認める寛さが、案外あるんだなあと思わされた。
「だからあの時もっと勉強やっておけば」だとか「今更何言ってる」だとか、普通は責めそうだけど、
決してそんなことは言わない(思ってはいるかもしれないけど)。

もしかしたら、この落ち着きは、先日のPMP取得が成功したことかから来る余裕かもしれない。
申込から合格までが社内でも最短だったことで相当に評価されたことが
(未だ情報処理の高度試験には受かってもいなくても)
社外というか再就職活動においても、正当評価を得られたという、安心感、みたいな。
やってやれないことはなかったんだという自信、みたいな。

とりあえず若いころより彼はマルくなった感じがする。
喋るときも、相手の立場というか状況を考慮した上で発言するようになったように思う。
人は大人になってもどんどん成長できるんだなあ、と思わされ。

※エアコン問題
二階の娘の勉強部屋兼寝室の、買ったばかりのエアコンの、
暖房が全く効かなかった件。
フィルターの目詰まりかもしれないと見たら全然きれいだったので
メーカーに点検に来てもらったら
充填されていた冷媒ガスが少し漏れていたらしく、
室外機のフレア加工部分からの漏れということで、そこを修理、ガス充填。
保証期間内だったので無料対処してもらえて、解決。
そのSHARPの担当者の人の接客態度は素晴らしかった。
今から何を調べ、何が分かり、何を作業し、何がどうだったか、逐一キチンと報告、わかりやすく丁寧。
社員教育まともにされているなー、と思った。
サカモトさんって言った。確か。





2010年11月15日(月) 隠しスイッチが入ったか(可愛いもの&息子の駆け込み)

一、

ゆうべ娘に
動物萌えのスイッチが知らないうちにセットアップされてたかもしれない私ー、って語った話から、発展して
娘は、入浴中に
「私が昔(昔?)小学校高学年の時代に(って去年でしょう?)好きだったコのことを他の友達に言うと、あんなキノコっぽい男のどこがいいのかって笑われたよ」
って彼女は言った。

彼(6年生の時は隣のクラスだった子)は、キノコみたいな髪型だったっけか?は
さておき、

幼い頃にはイケメン意外は眼中にない状態だったとしても
許容範囲の境界線は徐々に消えて、
えっこんな子?と他人様が思うようなひとの持つ魅力に取りつかれるスイッチがある日
次々にONになっていくものなのさー、と
娘と喋り合う。

けどまだまだ娘の許容範囲は、私に比べれば狭いな。
歳をとるにつれ、
ブサ可愛いひとの魅力を見つけるアンテナは、研ぎ澄まされていくのだよ。
それと、対象年齢も変わっていくよ。中年以降の男のひとをもステキと思えるように、だんだん成っていくよ。

恋愛対象に限らない。
大人になって結婚したことで、えっこんな人のことを私は案外好き(人間愛)になれるものなんだなあ、と
変わるよ。
それと、子ども可愛さの感度はお腹に子どもを授かってから100割増しだよ。
乳幼児への萌えだけじゃなく、ある日、中学生を可愛いと思うようになるし(いやホントになるんだよ)
高校生のむさくるしさを可愛いと思うようになるし(これもホントだから)
多分この先もあのスイッチもこのスイッチも次々とONになっていくだろうね。

(で、動物萌えの話だけど)

惹かれる対象は人間とは限らない。
最近、ていうかまさに昨日、今まで存在すら知らなかった私の中の
「猫可愛さ」「犬(子犬限定)可愛さ」「ウサギ可愛さ」の小さなスイッチが各一個ずつ、入った気がする。
夫や娘の動物好きに何となく影響を受けてテレビの志村どうぶつ村も観ていた最近だったけども
昨日、等々力の公園で見た、
瞬きもせずにじっと動かないのに時々プルプルっとする白と黒のウサギ・・・。
昨日、ペットショップの店先で見た、
あのちっちゃーくて毬にじゃれたりフクフクと寝息を立てたりしてる猫たち犬たち・・・。

知らなかった。こういう感覚。
家族が動物表皮アレルギーじゃなければ、もしかしたら飼うという選択肢も出てくるかもしれない。
(でも子どもたち二人とも動物表皮アレルギーなんだよね、哀しいことに)
動物に全く無関心(ただし怖いという気持ちはあった)だった私に、全くこの変化は
かつて考えられなかった。

しかもその動物をこよなく愛でる夫の表情を、今までとりたてて良いとも思って無かったのに
昨日は、変に共感してしまって、しかも、猫を見て小躍りする娘にも共感している自分がいた。

なんで昨日、そういう公園やペットショップに寄るはめになったのかっていうと、

世田谷青年の家のリーダーをやっているという友達からイベントに誘われた娘が
そこで日曜にやる、こどもまつり2010というものに、じゃあ行ってみよう、ってことになって
息子は模試を受けに朝から出かけてるけど、夫と私も娘と一緒にそこでお昼を済ませて散歩でもしようかタマには。
ってことになって
日曜昼前から
行ってみたら、相当ちいさい子向けの素朴かつ小規模な行事だったけど
軽食売り場でそのクラスメイトに会って
美味しいのに良心的な値段のおにぎりと大学芋をみんなで食べ、
せっかくここまで来たからと、ダーツ投げとかストラックアウトにも参加し
のんびり等々力駅まで歩く帰り道のこと。

夫が大学時代に所属していたサークルでよく使ったテニスコートを見つけたり
小さな古墳遺跡を眺めたり
で、さっき書いたけど公園の中にウサギを見つけ
近くのペットショップでかなり時間を費やし
自由が丘で雑貨屋をぶらついてお茶もして、
お兄ちゃんへのお土産も兼ねて夫が塩キャラメルを買って
帰宅。

何か、
昔は関心もなかったものに関して感じる感覚が自分の中に新しく生まれてくる様子って面白いな、と
しみじみ思わされた。


二、

で、私たちとほぼ同時に帰宅した息子は、
心なしか顔面に少し縦線(ちびまる子ちゃんが顔につけてるやつ)が入ってる様子で
帰るなり、出された紅茶とキャラメルを黙々と口に運びながらも
貰ったばかりの解答解説冊子を食い入るように睨んでいる。
しかも
以前の息子なら、好きな日本史のから読むところを
数学の問題から開いていて、無言で、真剣そのもので。
調子が良かった回なら口笛や指パッチンが出る場面だけど、そんなどころじゃない様子。
「どお?疲れたでしょ?難しかったんでしょ?」などと話しかけたりするのも躊躇われた。
そっと見守るしかできなかった。
多分、彼はこの日、想像以上に高い壁に圧倒されて来たに違いない。
対策準備する人達は何年も前から(それこそ小学生のころから)着々と準備してるだろうその、対象の手ごわさに。

それにしても、いったいいつ、そんな、理数系科目への熱、ある意味それも隠れスイッチ、が入ったのか?息子は。

だいたいこの土日の模試も、一か月前には
14日には☆大プレテストを受けるって予定でいたはずなのに
その代ゼミに払った模試代4000円余りを捨てて
駿台の★大模試に挑戦したいと言いだし、土壇場で駆け込み申込したものだった。
つまり先月口走った★大がどうのというセリフもマジだったらしい。
密かに買って仕舞っていた★大の赤本も別に冗談ではなかったらしい。

なんで息子はいっつもそう無謀とも言える駆け込み乗車なの。どうしたの。
その情熱に気づくならもっと早ーくから気づこうよ。
今年高3の初めに学校の講義選択で、
今まで食指も動かず苦手だった理数系科目をやめる代わりとして
国語演習と日本史演習を登録入れたのは、私大文系三科目に絞るって決めたからじゃなかったっけか?
それをこの直前の秋に、やっぱりセンター入試対策だ、国立2次対策だ、って欲張り出して
急に科目増やして一体どうする。数学生物政経世界史、今から?
しかも私大の英国日の狭く深くマニアックな問題もカバーしながら、
よくそんな面倒なことに突っ込もうとするよ、二兎を追う気なのか、ホント、感心する。

推測するに。将来、都か特別区(できれば世田谷区)で働く人になってみたい、という希望が
夏以降から湧いてきたからなのだろう。と読んでいるんだけど。
でも、そのスイッチはせめて一年前に入ってれば良かったのにね、
・・・って今更言ってもしょうがないから言わないけども。

時間切れかもしれないけど、まあ気の済むまで、最後まで必死にやるだけやってみればいい、玉砕も覚悟で、良い経験だろうから。
うん、やりたいならやりたいようにもうトコトンやれば良いよ。こっちはいくらでも応援旗振って観ててあげるよ。
それ以前に、まず、朝、布団から自力で出てきてね。そこだよ、基本は。世の中の甘くなさを知る以前に。




2010年11月11日(木) 上田晶美先生の講演

ママチャレ(昭和女子大にて2008年受講)の上田先生のセミナーを拝聴。
三田にある「女性と仕事の未来館」のイベントで、再就職希望の女性の為のもの。

参加者20名余り、ママチャレ出身の方々が多かったけど、日本女子大のリカレントの方や、かつて新宿の上田先生のセミナーに参加された方も。
赤ちゃん連れの方もいらした。

講演中に赤ちゃんがぐずって泣いても始終温かく「いいの、いいの」とほほ笑む先生の
一番上のお子さんがウチの長男と同学年だと改めて思い出し。
高校を卒業したら子どもは一人暮らしで自立させるときっぱりおっしゃる先生。
私は、というかウチは、まだまだそんなしっかり者には育てられてないなー。

楽しく伺えたお話、2時間あっという間。

女性は生まれながらに人生に「転機」が多い、
こんな不景気だからこそ。
今までやってきたこと(仕事&主婦時代の経験)を全て洗い出し
その、女ならではの「強み」を洗いだしてで転機を乗り切ろう、と。経験の100コは書きだしてみよう、と。
それをブラッシュアップし、なお且つ、それが時代のニーズに合うことが大事。
いま現在困っている人の助け、それがニーズに繋がる、と。

どうしても母キャラ主婦キャラは自己主張を抑えたものになってしまうけども
こと仕事となれば「仕事できそう」な印象、つまり明るく「コミュニケーションがとり易そう」なキャラでいこう、と。

年賀状にひとこと近況「こんな仕事したいと思ってます」って書く(先生、1000枚出すって)
そんなマメさで繋げる、人脈利用。
これまでの人生でムダなことはひとつもない、と。

「転機」に当たったとき。そのメリット&デメリット表を書きだして、迷ったときの指針としよう、と。
そして未来予想図を折にふれ書き出し、まず「やりたいこと」で年間100万から始める→そこからだんだん発展。

派遣より、むしろ、直接正規雇用での時短という働き方が望ましいとおっしゃる先生。
家族のことが第一で仕事は第二、でいい。むしろそうあるべき。でもそれって、お父さんだってそうです、と。

うん、そんな世の中になってって欲しいなあ、って私も願ってはいる。
誰もが(男女問わず)家族を支えることを優先しながら社会に貢献できるような世の中が成り立てばなあ、
子どもや老親に目配りし気持に添えることを
優先できるコンディションを担いながら
且つ社会が求めることに応えていくっていう理想。
でも、実際、今、どうなんだろう、
妻か夫のどちらか・または両方が、身も心もフルに仕事に捧げていないと世帯が生きるのムズカシイっていう現実があって。

私自身は、正直、自分の乏しいキャパからいって
今は再就職よりももっと
個人的な身内のことで求められたら動ける位置にいようという気になっているのだけれど、
そのために自由な時間はゆるく持っておきたいと個人的には思っているけど、
でもいずれ子どもの世代も就職を考えるその未来のために、こういう研鑽の場は、世に存続して欲しいと思った。

女性が再就職を考える際に壁になるものはひとくくりにできない多種多様な要素があって。

単に、子どもの預け先だけの問題じゃなく、
女性だけの問題でもなく、
世の中のしくみとか
仕事に対する価値観とか子育てに関する価値観とか
諸々色々を考えなきゃいけないもので
(そしてなぜか、それを考えあぐねているのがいつも女性のほうで)

そこに問題提起をしようという活動が、
・・・事業仕分けの対象になるなんてね、なんだか残念な。

人を育てるところにはお金を削らないで欲しいな。
国家予算節約するなら他にムダがあるでしょうと
思う。

例えば高速道路無料化、もっと見直すべきかと。
無料化するなら車(エコカー除く)への増税も考えればと思う。
鉄道とかの公共交通手段のほうを充実させる方向がいいんだけどな。
例えば中国への膨大なODAなど。もう充分じゃないかと。その恩の代わりに中国政府が日本に返している姿勢を考えると。
例えば朝鮮学校にも高校授業料を無償化させちゃうらしいけど、あの偏向教育内容を考慮しないのかしら?
などなど。

だから
関心だけは幾つになっても持っていて、その何かを、
ポロポロと子ども世代に伝えていきたい気がする。



2010年11月04日(木) ・・・・。

情報、について考えさせられるこのごろ

http://www.youtube.com/watch?v=E8QklX-PHGs



2010年11月01日(月) “万聖節”に寄せて(上澄み良いとこ取り程度の信仰心)

今日、11月1日はキリスト教の万聖節だそうな。不勉強にて知らなかった。
で、その前夜祭が10月31日のハロウィンで、元々はケルト民族の行事だったそうな。

※キリスト教のお祭りで感謝祭というのはアメリカでは11月の第四木曜日らしい。で、復活祭(イースター)というのは春分の日からの満月に続く日曜に行われるそうな。
これらは、クリスマスやバレンタインデーやハロウィンに比べると、あまり日本に浸透していない気がする。

「聖☆おにいさん」を安心して読んでいられる日本人として、

民に神の言葉を説いてまわっただけで磔刑にされても誰をも恨まずに寧ろそんな極限状態な中で全ての人の子の持つ罪を代表して被って許す、聖人の大いなる愛の力はスゴイと思うし。

一方、生老病死の苦しみから人々を救うため貴族の身分を捨ててキツイ修業の末に、諸行無常な森羅万象を悟ったが故の慈悲と叡智もハンパ無いと思うし。

イスラムの教えにはあまり馴染みがないけど、ルーツ的にはキリスト教の兄弟のようなもので、その時代と土地に合った慎ましい戒律や道徳を人々にもたらしてくれていたのだろうと想像する。今の時代となっては、狂信的な殉教とか他宗攻撃とか男尊女卑とかのネガティブなイメージばかり殊更伝わってくるけども。それって他の宗教にも昔は少なからず含まれていた要素でしょう。

と三大宗教を手前勝手に解釈しつつ、土日の振り返り。

娘は友達に誘われて、中間テスト明けの土曜、授業の後で
ミニハロウィンパーティに参加。
あの雨の中、女の子6人で学校近くの児童館へ繰り出し
魔女っ子のとんがり帽子などで皆で扮装してお弁当とおやつを食べ
卓球などして遊んで帰ってきた。
そういうことが楽しい年頃。ハロウィンの意味もよくわからなくても。

日曜は
知情意のエネルギーをすっかり使い果たしたっぽい娘はゴロゴロのんびり、
息子は弁当持参で早朝から夜まで河合の全統マーク模試、
夫はお義母さんの様子見に出かけたあと、また何か懲りずにテスト登録、
(今度はPMPの試験だそうな。何それ、わかんない。プロジェクトマネージャーなんたらかんたら)

※追記(11月7日)
そのPMP(プロジェクトマネージャープロフェッショナル)に
準備期間1週間でまさかの合格を果たした夫は
試験会場から携帯メールをくれたので、
私はスーパーイナダで即行でウメッシュを買って帰宅を待ち
夫はマッターホーンで四人分ケーキを買って来
7日の夜はちょっとしたお祝いをしたのだった※

私はPTAで知り合った知人が所属する合唱団の発表を見に来てとメールで誘われて、1日の日曜昼間は一人でそれを聴きに行ってみた。

その知人のステージに行ってみて驚いたのは、
初めて知ったけども、その合唱団というのは某宗教団体に属するもので
そのステージもその教団の周年行事の中の1プログラムのひとつに組み入れられていて
初めは会場を間違ったのかと思ったけど、そうだった。
案内する役員さんはどこまでも感じ良く礼儀正しく
アジアンな香りに包まれた会館の中の一室、大広間の畳の上で、
ドレスを着て歌う彼女たちの表情は喜びに溢れていたし
団体の名誉会長先生が作詞したらしい歌が終わる前に
拍手する観客(多くが信者、会員と思われる)の熱気もすごかった。
歌が終わってそのまま間髪入れずに、某有名音楽プロデューサーがゲスト講演、
彼とこの教団との出会いを語っていた。
独特の高揚感と幸福感に満ちた聴衆の空気。いわゆる「生命力」だ。

この会場の空気と私の内心の気分のズレ、ああ、これと同じ感覚は、経験したことがある。それは懐かしい。

あとで知人は「びっくりしたでしょう、説明不足でごめんね、でも来てくれてうれしかったー有難う!」と電話をくれた。

私も昔、彼女のように
一時代、ひとつの価値観にドップリと浸かっていた(浸からされていた)過去を持つ(為にそういう精神世界なことを考えられるようになった)ので、
今の彼女の気持ちも立場もよく分かるし、
心の拠り所をぐらつかせて今の幸せを奪うのも本意ではないので
ネガティブな感想は一切封印して、とにかく当たり障りない範囲で彼女をねぎらう言葉をかけた。
(だたやっぱり、誘ってくれる前に教団についての説明があったほうが良かったと思うけどなあ。フツーの人なら引くよ?)

本心では、彼女に向かってもうちょっと踏み込んで言いたい。言わないけど。
信仰する一般人の一人一人の心には善意しかなくても
そのひとつの価値観に染まらされ、それを唯一最高として、他を見せなくさせる仕組みが、
その教団幹部の組織欲を利することに利用されてしまうことがあるよ、と。
それは内部から上層部への批判や内省を排除してしまい
相容れない価値観を取り込むことは罪、のように思わせられてしまい
つまり教団都合のマインドコントロールがうまくいけば
他宗の神社仏閣教会に対するマイナスの先入観も植え付けられ
世界平和の美名のもとに
そのひとつの価値観にこだわる人々が世の中に増えていく、
それは本当の平和なんだろうか?と。

そういう意味で私は
日本人の大多数の宗教感は、イイカゲンなようで実はこれこそが素晴らしいと思うに到った。
ハロウィンもクリスマスも初詣もお盆もこなし
眼の色の違う東西の聖人の教えのエッセンスの、好きな所を良いとこ取りで選んでみる自由。
どれにも誰にもひとつだけとこだわらないので、どれにも誰にも触れられる、博愛っていうか寛容。
所詮はどれも、人間である誰かが考えだした、その時代を生きる知恵の数々。一長一短。好きか嫌いか。
宗教戦争なんて馬鹿らしいと思う感覚、そんな程度の信仰心でいい。
納豆にネギを入れる派も・入れない派も・納豆受け付けない派も、互いの存在を尊重し合うような感覚、
世界平和ってのは、そんな気持ちの延長からできあがることかもしれない。


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