気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2010年04月24日(土) 久々の、お仕事エントリー

先日、立て続けに、最近会ってなかった懐かしい友達とお昼を食べた。
この数年でお互いの家族の状況は、かなり変わったこともあるし
変わらないのは彼女たちは毎日懸命に心を尽くしているという基本。

新学期、新しい環境、初めて出会う人の中で、ウチの子ども達も
緊張と不安と期待の中、日々がんばって過ごしている。
自分の殻を少しずつ外しながら、小さいチャレンジを重ねている。

娘、重い荷物を持っての電車通学にも慣れてきて
(尤も、あまり厚い教科書は、三省堂に私が行って置き勉用にもう一冊ずつ買ってきたけど)
新旧の友達とのメールやりとりをこなす要領も身につけ
(最初は何をどうしていいか少しベソかいて私に打ち明けた日もあったけど)
部活も決めてきて、先輩との出会いを楽しんでいる。
昨日まではオリエンテーション合宿に二泊三日。
長野県の高遠、ちょうど悪天候にぶちあたり、野外でのイベントは中止になったものの、
話し合って作るバス車中のレクリエーションとか
いやでも何でもクラスメイトと打ち解けざるを得ない行事。
校歌を歌うクラス対抗のパフォーマンス大会ではそれぞれ工夫を凝らしてダンスの振り付けやら、歌詞と表現方法の調和やら、討論に討論を重ねて結局、
意見はひとつに終結したけれど、歌を練習する時間が足りなかったとか・・・。
充実&疲労で体調は概ね良好で帰ってきた。

息子も塾など新たなステージに進み、日本史の先生のマシンガントーク対応用にICレコーダーなどゲットし
家に帰ってからもその講義を聴いて熱く語り
道でばったり再開した小学時代の友達との情報交換など。
でも合間に「デュララララ!」だかなんだかの漫画をチェックしたり
iPodに新しい曲を入れることなども忘れないが。

その間に、そんな皆んなの旅立ちに背中を押され私も
派遣情報サイトを見て熟慮の末、思い切って申し込みに行ってきたのが
来月から秋までのテレオペ仕事。

電話で接客する経験を今、私は欲しい。
感じの良い話し方、丁寧な応対、敬語、そういうことを仕事を通して自分に仕込まれたい。も少し鍛えられたい。
きっとイヤなことも多々あるだろうけれど、冷静に・相手の身になって話すわざが欲しい。

その仕事にエントリーするのに最初ためらったのは、本当はもっと近いとこ、たとえば渋谷あたりで決めたかったから。
でも「未経験者OK」でちょうど良いシフトのものがなかなかなくて
新宿エリアになってしまった。
が、うまく出口を選べばドアつードアで40分で行く。
子どもを送り出してからの支度でも何とか間に合う。

ほかの決め手としては

☆扱う用件が、携帯電話の請求書をペーパーレス&WEB化することへの問い合わせ受信中心なので(発信も一部あり)
何かを売りつけるとか契約獲得ノルマとかではないのが気が楽。
たとえば私の納得のいかない商品を心ならずもセールスするような良心の痛みなどとは無縁。
むしろ、通信料をWEBで確認する仕組みが進むことにより紙資源の節約→環境保全、これ賛同できるからおっけー。

☆シフトが土日含む週5日だけど、「午前のみ」という枠が選べる。
これなら、新学年生活でナーバスな子どもへのカウンセラー役も無理なく務まるし
塾に行く前の息子が早い夕食をとる場合にも対処しやすい。
帰宅してから洗濯第二便も回せる。自分のお昼ご飯にもお金がかからない。弁当つくりの手間も省ける。
大抵午後にある学校の保護者会や面談にも出られる。
また、曜日固定シフトなので、あらかじめわかっている娘の体育祭&文化祭(関係者参観日)の火と金を外しておける。

☆電話で応対しながらPCに入力していくという、かなり忙しい仕事になりそうだけれど
本勤務の前の8日間の全日研修(必修)を受けさせてもらう間からも、
鍛えられて入力速度などスキルアップできるかも。

そんなあれこれを考えるうち、今この仕事が一番だという思いで昨日
エントリー、PC入力テスト、面接。
選考結果は一週間程度で来る予定。
でも通ったら通ったでまた私は、それで頭をいっぱいにしちゃうんだろうな。

帰宅してからネットで、請求書のWEB化について諸事情を予習してるうち
自分が使ってる携帯も、いまのうちにWEBでの閲覧に切り替えれば、月々少しは基本料が安くなることがわかり
早速申し込む気に。

それにしても
IDとパスワードの記憶が何につけても大事な生活。
銀行も既にネットだし。



2010年04月09日(金) 娘の入学式、新生活スタート、プチ引越

昨日は、まあまあの好天の中、娘の中学入学式。
入学式くらいは朝からラッシュに揉まれずに親子ともども参列させてあげようということなのか
校長先生が某姉妹校と兼任しているからスケジュール調整なのか、
開式が午後からっていうのがウチ的にはラクだった。

小さいサイズなりにカッチリしたブレザー。
上級生と比べると、やや長く見えるスカート。
真っ白なハイソックス。
体に比して大きく見える通学カバン。
そんな彼女と一緒に電車に乗っていると、
何か不思議な想いがこみ上げる。

式は、程良いフツーっぽさ。

吹奏楽部の演奏はすばらしく、管弦学部の演奏は温かく見守りたい感じ。

※君が代斉唱は私は誰が歌っても歌わなくても自分はできるだけ心込め綺麗に歌いたいと頑張るたちだ(数年前から。国歌を喜んで歌える人でありたいし国で在ってほしいと願うから。)
でもちゃんと歌ってる人が多くて良かった。

この学校の、国際を意識した教育方針に7割がた賛成している。
他国を知ることで自国を知り、自国を大事にすることと他国を大事にすることがつながる。そう思う。

校長以上に来賓の方々が個性的。
隣接する学校からイギリス人の先生のスピーチ、全部英語。(和訳は手元に配られたけど英語苦手な私にはヒアリングし切れない)
某新聞社の方は(校長先生のオトモダチらしい)口調も相当にラフで
その新聞社らしい「ゆとり教育礼賛」っぽいスピーチだったのが苦笑させられ
在校生が校外学習で訪ねる先の千葉のお醤油会社の方は、毒もなく薬もなく(失礼)
つまり長いスピーチを頑張って聴く訓練なんだなと思えた。
そして多様な人、多様な考え方に触れる最初の洗礼か。
けど長いね、お尻が痛くなってしまう。
頑張れ子どもたち。
在校生の歓迎の言葉も(一人は日本語、一人は英語で)
新入生代表挨拶も(これも一人は日本語、一人は英語で。←この子がネイティブ並み。おそらく帰国生)
フレッシュで前向きだったけどまた私にはヒアリングし切れなかった。
親にできないことを我が子に望む虫の良い私。
ああ・・・こういう英会話を娘は聴きこなすことができるようになるのか。果たして。
てか、勉強自体について行けるのか?ちと(かなり)心配になってきた。
でも
壇上で一人一人、担任の先生達と握手しながら退場する新入生の列を見ていると
なんだか「きっと大丈夫。みんな初めて同士。あそこから良い出会いが待ってるだろう」という気分も醸された。

記念撮影のあと、出身塾からの友人と落ち合ってまた写真をとったりお喋りしたり
なかなか楽しそう。
終わってからその足で通学定期券を買ったり。

その間、留守番していた息子は4月に入ってからずっと毎日一定の受験勉強に励んでいたので
彼へのご褒美も兼ねて景気づけにシュークリームを買って帰った。
お茶の時間もそこそこに、私は各種書類記入で忙しく。
もらった新入生名簿を見ながら
「そういえば、近くに座ってたこの子は、こんなだった、あんなだった。でもまだ喋ってない」とか
未知の人間関係への期待と不安を語る娘と、
一方息子は
新しいクラスの代り映えのしなささ&馴染みの安心さを明るく語る。

そんなこんなで明けて今朝、お弁当を持って初めて一人で登校していった娘の後姿の初々しさに、しみじみ。
(上り電車なので、混まないうちに早く発った)

そして、もう遅刻王の名は返上すべく、辛くも時間通りに家を出られた息子。を、見送った後しばらくして
彼の忘れた定期券を居間に発見した私の脱力。

で、そんなこの頃、
新・中学生生活を始める娘と、本格・高校最終学年突入の息子の
自宅内環境を整えようと長い道のりを爆走し始めて
(と、言っても沖縄旅行から帰宅した翌日からのまだ1weekなわけだけど)
ひと山越えたなって感じがする・・・。

特に娘のプライベイト作業コーナーを、一階から二階へ移して準「個室」を作成できたのが(9割がた、昨日完成)
ああもう!仕事したなあ!って気分。
間仕切りカーテン選びだけでまる二日かかった。
ベッドを置けば収納もまた勝手が違ってくる。
それに伴う要るもの要らないもの峻別。
そしてまたまたゴミ大量排出。粗大ゴミに電話するのも慣れた。

そりゃあこの5〜6年間で、興味のあるもの・したいこと・行動パターン・色々変われば
何かの仕舞い場所も変わるし、自然、親の方も動線を変えざるを得ない。

あと少し!
あの本棚を買ってあの本たちを、ああやって納めれば、形がつく。もうひといきだ。



2010年04月01日(木) 沖縄ツアー(3月28日〜30日)

沖縄に関してかなり無知な私が、ビギナーとして全く未知の国の表面をさらっと学んできただけでも、
すんごく新鮮だった旅。

1日目、お昼の飛行機で那覇空港に三時頃到着
窓側席に子ども二人とも座れる。息子はかなり喜ぶが娘は眩しがっていた。
沖縄県に身を置くのが家族全員生まれて初めてなので
気温の高さと見慣れない植物にいちいち反応。
前日までの東京が、やたら寒かったのでなおさら。
よく聞く「デイゴ」ってどれなんだろう。それだけは早く姿と名前を一致させたい。
ハイビスカスは流石に分かった。
桜は、無い。
(ガイドさんによると、2月には桜は咲き終わってしまうらしい。驚く)

☆首里城
赤い・・・。独特の建造物。
王国、だったんだなあ。この国。
沖縄っぽい音楽が始終流れている。そのメロディにどこにも哀しいところがない。ハワイアンっぽい。
それにしても温かい。夕方になっても。

☆名護市、喜瀬ビーチパレス泊
どう考えてもキャパシティ以上に人がいてエレベーターで大渋滞。
が、ビュッフェ形式の夕食でこのたびゴーヤと少し仲良くなる。
そして、じーまーみ豆腐が美味しい。
以前から生協で買って食べていたので味は知っていたけど
より一層気に入った。
部屋風呂がおトイレと一緒になっているのが娘には解せなかったようだ。
が、部屋の窓から広々とビーチが見えてその水の色がなーんて綺麗なんでしょう。


2日目
朝食のあとで散歩でビーチに出て波打ち際でサンゴの欠片とか貝殻なんかを拾う。こういうの何年ぶりだろう。

☆古宇利島
ここでも貝を拾ったり。娘はきめ細かい砂を採取していた。

☆OKINAWAフルーツランド
売店の試食がオヤツに。
とにかくパイナップル関連商品がいっぱいある。
パイナップルは酸っぱくても甘くても大好物。
「さーたーあんだぎー」が何か分かった。
さーたーは黒砂糖のことなんだね。

☆やんばる亜熱帯園
ここに限らず、沖縄の至るところでバナナの木が見られることに感動を覚えていた。
日本国内にバナナの木はないだろうと勝手に想像していたから。あの花の可笑しな形状とかインパクト強い。
熱帯園では、私には「ヘゴの木」の形の面白さがツボだった。いままで見たことがないパターンのデザインだ。

☆海洋博公園内・沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館
なんといってもジンベイザメやマンタなど大きな魚がゆったり泳ぐ深い水槽。
大量の水ごと餌を呑み込み、餌を濾し取るジンベイザメ。
その背中に小さなコバンザメ?がずっと、可愛くしがみついているのが観てて和む。

☆万座毛
サンゴ礁が隆起した場所だという。断崖絶壁から眺めがきれい。
風が強い。でも絶景。海の色が碧色。
今回、海面をお腹いっぱいなほど観ることができて、いろんな色彩があることを知った。
こんなに海ばかり目に与えていたら絶対気分が良くなる。

☆読谷村、ホテル日航アリビラ泊
このホテルは良いー。食事も美味しいし。部屋もきれい。
朝食では、他の三人が普通に和定食を注文して、私だけ「ぬちぐすい定食」にしてみた。
ぬち=命、ぐすい=薬 ということで
カラダによさそな地元の食材。
アロエやパパイヤが当たり前のように調理されてオカズになっているところが沖縄だなあ。
ここでも、じーまーみ豆腐に出会えた。

3日目

移動のバスの窓から見えていた家々は、コンクリート造りで平らな屋根の住宅が普通に見られる。
娘の社会科のテキストにあった通りだ。
北海道では各家々に必ず石油タンクがあったように、ここではもれなく貯水タンク付き。
昔ながらの、赤い瓦と漆喰で作られた屋根(もれなくシーサー付き)というのは
今ではテーマパークに行かないとなかなか見られないそうだ。

☆琉球村
道ジュネーを見学。美しい紅型の色鮮やかな衣装で踊る人々。太鼓をたたきながら元気にエイサーを踊る若者。
カッコいい。
最後に観客を誘って手を振りながら踊ってお開きにするのは「カチャーシー」というものだそうだ。
何もかも珍しい。
で、ここで初めて私の勘違いが判明したのは
沖縄の唄の中で良く耳にする、あのヒューヒューした音色は
楽器ではなくて、口笛だった。それを今更知ってびっくり。

☆DFSギャラリア沖縄
セルフ形式の昼食。
2階フロアのブランド免税店には興味がなく、またパイナップルカステラの試食など。

バス車窓から見る植物もだいぶ分かってきた。
琉球松も見分けられるように。
で、ずっと「あれがデイゴかな?」と一人で納得していた花が実はブーゲンビレアだったことが判明。
もしかしてこの季節はデイゴ咲いてないのかな。

☆おきなわワールド
(鍾乳洞)
かなり長い鍾乳洞の道がテーマパーク地下に存在していて、不思議な形のツララを見上げながら、肝試し気分。
エイサーショーも見る。どうしてか、こちらの唄や踊りはテンポが超速い。手拍子が付いていけなくなる。
明るい・・・。流石、温暖な土地に育った人々だなって感じが。

車窓からよく見かける、点在しているお墓の石の形や大きさが、本州のとまるで違う。
三角屋根の家をそのまま小さくしたようなのとか
大きな(8畳くらい?)亀の甲羅を伏せたようなものとか
あまりにも立派。
「耐震構造のお墓」とか「お墓のリフォーム」という広告も見かけた。マンションを買うくらいの感覚?
ガイドさんによると、こちらでは、
祖先をすごく大切にしているということと、生きている時代に住む家よりも、亡くなってから住む家(=お墓)を重視していることによるそうな。
でも仏教の影響があまりないのか、お寺との繋がりが希薄なので、葬儀の際は戒名は気にされないそうな。
この立派なお墓は長男の系列でずっと継承されるらしい。
ここでも私の勝手な思い込みとのずれがあった。
私は、沖縄ともなればなんとなく女系家族の考え方なんじゃないかとイメージしていたのだが。

この地独特の宗教観・・・と思ったけど、案外、古い日本の思想と近いのでは。

☆ひめゆりの塔ならびに記念館
我が娘や息子と同じぐらいの年頃の女学生の方々のプロフィール等を見るのがつらく
目にしみる。
国防という言葉が脳の片隅にあって、でも
やっぱりひとつの国だけじゃなく世界全体で人殺しがなくならなければ、こういうやりきれない思いが付いて回る。
祈りの時間を過ごした。

☆琉球ガラス村
ガラス関連の商品を眺めてるだけでも目に楽しいけど
妙なグッズが並んでいるのを見つけた。
琉球放送では有名?らしい、ご当地ヒーロー
「魂の戦士 琉神マブヤー」
ちょっと顔がシーサーっぽい。
マブヤーっていうのは「魂」というような意味らしい。

所変われば品変わるし、知らなかった沖縄は「ちゃんぷるー文化」と言われているように
古えの日本と外国が混ざっていて不思議だった。

ふと自分の小さい頃の環境を振り返りつつ
方言とか地元の風習など思い出すと
それが全国区だと思って、東京に出るまで信じていた事象たちを
懐かしく思う気持ち。

お土産、
娘は行く先々で縁起のよさそうな石やら砂やらのストラップとかを買い
息子はパイナップルぷっちょ。
私は石垣島産の雪塩と、ロイズ石垣島の塩のチョコレート。
夫も塩チョコを。

帰りの飛行機では息子が窓の外の夜景に感動。
娘は疲れが出たのかずっと寝ていた。
羽田に夜到着、自宅に深夜12時過ぎ帰還。
東京の夜の街の寒さと、自宅の床の冷たさに驚く。
入浴は省いて、すぐに布団に。なかなか身体が温まらない。
旅行中は、「寒い」という感覚を全く忘れていたのになー。

でも
熱も出さずお腹も痛くならずケガもせず、揃って全行程無事に行ってこられたことに感謝。


※名詞や動詞や形容詞、固有名詞なのかそうでないのか
品詞すら分からない単語を多数見かけたなか、
少し判別できたor推測できたのは、
はいさい こんにちはとかハーイとかの 挨拶の言葉
ゆいまーる 信頼?
〜んちゅ 〜の人
ちゅら 美しい
ミミガー 食材で豚の耳を硬くしたやつ?
あぐー 黒豚 だと思う。
ソーキ 焼豚?見かけ判断で。
豚肉関連は私の体質の都合で今回は味わってなくて次回の課題。
また、よく見かけたのに解らないので気になった単語(そのうち調べてみる予定)
うりずん(全く想像つかないが良い意味かと?それか固有名詞なのか?)
ぶくぶく茶(泡が立ってるのかな)
おもろ (地名や商品名によく見かけた。面白いってことですか?)
かりゆし(よく耳にするのに実はわかってないです)

後日追記:
上記の、旅行中謎だった言葉たちについて
ちょっとネットで調べて分かったことをとりあえず。
ゆいまーる 絆
あぐー 沖縄在来の豚の総称
ソーキ 豚のあばら肉
うりずん 新緑の季節。また、その時期にとれる豆の名
ぶくぶく茶 沖縄独特の、米やさんぴん茶などブレンドして作られる泡泡したお茶
おもろ 思いという意味からきている。歌 の意 
かりゆし 縁起がいい、幸せ


下の写真は順に、ホテルアリビラの部屋からの眺め・琉球村での道ジュネー・琉神マブヤーのポスター。











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