気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年11月30日(月) 17歳の3年後は

餃子旅行や九州修学旅行で、
友達と一緒の写真にうつる息子の
むちゃくちゃ嬉しそうな笑顔が何より。
本当に幸せな高校生活だったんじゃないの。
良かったね。
そんなお楽しみイベントは一通り無事終了し
英検2次もなぜか合格し(予想外)、
今週までの第二中間試験が終わったら、さあ、
いよいよ本格的に大学入試勉強に本腰入れる予定の高校2年生だよね。

入試が終われば大学生(or予備校生?あんまり考えたくないけど)、
学生生活も2年もたてばもう就活が目の前だろうし。
時間なんて、あっという間だねえ。

前述の(こないだの火曜日のね)面接講座でお世話になった上田晶美先生の、就活ガイドの本を、
書店で見かけ、
役立ちそうで読みやすそうで
ゆくゆくは息子に、っていうのもあるけど、自分も読んでみたくて
買ってみた。
これ、お薦め、
「これで内定!カリスマ就活生の内定法則」(日本経済新聞出版社)

今は、大学3年生の春からもう
企業研究とか、OB訪問とか、夏にはインターンシップとかあるから
そのころは、きっとリクルートスーツとか買って。
そして、やれエントリーシートだとか履歴書だとか面接とか内々定とか
うわー。
けれど不況下でも、いくつも内定がとれている人はいる。

そして、妹夫婦が今、関わっている、日本大学の就職関連サイトの、イラスト&インタビュー仕事。
http://www.nihon-u.ne.jp/square/tokushu/index_shukatsu.php

編集前の情報をもらって読んで、
採用側からの視点で、これもまたすんごく勉強になった。

やっぱり「コミュニケーションがとれる」「仕事への好意、熱意、誠意」「打ち込んだものがある、チャンレジ精神」
そういうの、見られるんだなあ。

振り返って
息子、
オタク的に、狭く深く打ち込むタイプ。
照れくさがる気質。
基本は優しいけど、ラクに流れるタイプ。
趣味に合致するものにだけ根性が出せる様子。
どうかなあ?

今回の定期考査では、普段苦手な数学に珍しく意欲的だったし
テスト後にはじまる塾の冬期講習とあわせて、学校の講習も受講を申し込んでたし(ただし、好きな日本史だけ)
案外、やるときはやる子なんだろなー?

「日本史は、いくら授業が長くても、苦にならない」とまでいうのなら、
その好きな道に向かってひた走って究めれば何か見えてくるんじゃないの?と、私からも言っておいた。

今日、17歳の誕生日、彼は下校後、すぐ塾なので
昨日日曜の夜、ちょっとしたお祝いをしながら
なんとなく私自身の17歳のころを思い出してもいた。

そうすると、現在の息子よりもはるかに勉強はしてなかった気がする。
頭の中は、恋や趣味のことばっかしで、うん、
5割が片思い、2割が友達関係、2割が部活、1割が勉強、だったかなあ。
将来なりたいもののことなど、漠然もいいところだった。
当時のその都立高では、3年生まで大学入試のことなんかまるで忘れたかのように文化祭だとかにうつつを抜かしてる子がほとんどで(私もそう)
そのくせ、高校の近所にある某私立総合大学に、当然のようにみんなで受かるんだよと友達同士で喋りあってて
学生のふりして、ちゃっかりその学食で食べてきた男の子の様子に、いつかは堂々とそうやってあそこに出入りするんだと思い込んでいて
そのくせ、数学の追試で救われなかった再追試の教室でもまだ危機感がなく
授業を抜け出して友達とコンビニに行ったりお喋りしたりして、
第一志望の大学の入試結果発表で不合格を突き付けられてから
なるほど、人生はそう甘くないのねと思った。そういえば。

ああー、そんなに、何だか贅沢なほど、勝手な思春期の物思いにふける時間を消費してたあの頃の私に
30年近くの時間を遡って「あんた少し将来のことも考えなさいね!」と耳打ちしに行きたいくらいだ。







2009年11月25日(水) お風呂で丁寧言葉ごっこ(面接試験対策)

ママチャレの上田センセの講義(※前回の日記参照)に触発され(去年も、一回触発はされてるんだけども、また)
娘と、面接試験の練習をしてみた。
娘の志望校のうち、本人面接があるのは少なくとも一校はあるし、
状況によっては、まだ増えるかもしれない。
とりあえず、第二志望校の試験場を想定して、やってみた。
(塾でも、冬休み中に面接練習をやってくれるそうだけど、やっぱり最初はウチでやるほうがリラックスできるかなあと)

ダイニングを面接室と見立てて
入室の仕方、挨拶、おじぎ、座り方、喋り方、最後の挨拶、立ち去り方、
最初にしては、まあまあ、良くできたかなと思った。
とにかく委縮しちゃいけないから、褒めながら褒めながら、
もう、面接官役の私自身、やさしーーーい120歳のおばあちゃんになったつもりで、質問した。

自己アピール、小学校生活の思い出、将来の夢、入学志望動機、志望校までの通学経路、入学したら何を頑張りたいか、などなど。

頭の中で予め、大まかにまとめておいてはいても
このシチュエーションに、やっぱりアガってしまい
それを丁寧語に変換しようとすると、余計、
脳内が真っ白になって言葉が出てこないようだ。
やっぱり、こういう想定項目への答えは、
一度、自分の言葉で紙に書かせておくと、言葉として記憶に定着するかも。
今度やらせてみようと思った。

それはそれとして。

普段、家族にしゃべりまくる時はあれほど、言葉がポンポン出てくるのに
いざ、改まった場だと、娘は、どうしてあんなに言い淀むのか、
まあ、私もそうだし、誰でもある程度は、
しょうがないと言えばしょうがないんだけど
このギャップ、抵抗感、を
ちょっと何か楽しく克服できないものかなと思って
その夜、試してみたのが
お風呂に娘と一緒に入っているときに、
いつもの会話を丁寧語に変換して喋りあうというもの。

これ、意外といけそうな感じ。
たとえばこの調子

(変換前)
娘:今日さあ、塾でさ、隣の○○君たちが、歴史上の人物名を言い合うゲームかなんかやっててー、それが、やったらうるさいわけ。大声でね。聞いてて笑っちゃうよ。けど何か面白くて。
私:へえー。それってどういうの?
娘:えっと例えば消しゴムみたいの持ってそれを将棋さすときみたく「本居宣長ーーーっ!」とか叫んで、バーンって机の上に置いてさあ、そしたら相手の子が「マッカーサーー!」とか言ってまた何かバチーンって置くのね。で、またこっちの子が「鑑真ーーっ!!チェックメイトっ!」とか言って、変っ。」
私:何さチェックメイトって。何で鑑真が?
娘:何でだろ、わけわかんない。とにかく鑑真強いんじゃない?
私:何なのその基準・・・、けど人名覚えるのに何か役に立ちそうではあるね。
娘:男の子って何かいつもそういうのゲームにしてみるよね。
私:可愛いっちゃ可愛くない?

(変換後)
娘:今日はですね、塾で、隣の○○君たちが、歴史上の人物名を言い合うゲームか何かをやってまして、それが、とてもうるさいんですよ。大声で。聞いていて、笑ってしまいますよ。
でも、何となく面白いです。
私:そうですか。それは、どういうものでしょうか?
娘:ええ、例えば、消しゴムなどを持って、それを、将棋をさすときのように「本居宣長ーーーっ!」などと叫んで、バーンと机の上に置きまして、
そうすると相手の子が「マッカーサーー!」などと言ってまた何かをバチーンと置くのです。
そしてまたこちらの子が「鑑真ーーっ!!チェックメイトっ!」などと言って、変です。
私:何ですか、チェックメイトって。なぜ鑑真が?
娘:どうしてでしょう、わけがわかりません。とにかく、鑑真が強いのではないでしょうか?
私:何でしょうね、その基準は・・・、けれど、人名を覚えるのに何か役に立ちそうではありますね。
娘:男の子というのは、何か、いつもそのようなことをゲームにしてみますよね。
私:可愛いと言えば、可愛いと言えませんか?

まあ、こんな調子で、くっだらないお喋りも全て、
お風呂の時間中は、ですます調でやりとりしてみる。
私にとっても、割と脳トレになるし、
しかも、庶民でありながら、なんだか妙にハイソな気分にもなってくるから可笑しい。






2009年11月24日(火) 伝えるための美技に感嘆

やっぱり、スピリットは、肉眼ではなかなか見えないから、ということで・・・、

午前は、S女子大での、主婦の再就職講座「ママチャレ」面接ノウハウ講義聴講(ブログレポートしごと)で
午後は、娘の小学校での、「劇団四季出前講座」参観で
それぞれで
説得力のある、分かりやすく美しい、話し方、表現のコツ、を
間近に鑑賞できる機会があった。

いくら、何かちょっとでも、いいものを、この心身の中に持っていたとしても
それを、うまく伝えてなければ口惜しいことだ。
だから。

主婦業とビジネスの両立の素晴らしいお手本ともいえる
就職指導の先生の、
プロの、
おひさま的な笑顔、おじぎ、言葉の抑揚、話術、
惚れぼれ。

一流劇団所属役者さんたちの、
プロの、
母音をしっかりクッキリと聞かせてくれる、
子どもにわかりやすくて笑いもとれる日本語発音講座、
これも惚れぼれ。

そうかー、ヒトには肉体があって、声があったり表情があったり、身振り手振りがあったりするから、
心がそこに現れることで心だと分かるから
だからそんな見事な技に、ぱああっと魅了されちゃうんだ。
大事なんだなー。

適切な、きっぱりとした所作、それが私の苦手中の苦手のひとつ。
コドモのころから
周り中が気になるくせに、周りのどこにもちゃんと目配りができてなかったり、
重なってくる事象を覚えきれてなかったり、
それがまた、当事者というか中心者になることへの自信を失わせ、
キョドーフシンな落ち着きのなさを醸し出し、
しかもオトナになっても舌っ足らずな喋り方しかできないから、
私は、極力、
声を出さなくて済む役回り、
体の動きを見せなくて済む仕事、に
収まろう収まろうとしていて、少なからず、今もそう。

だからかな、尚更、
声や体の動きが活き活きしている人と会うと、憧憬の目で見てしまう。

来春、もう一度トライしてみようかな、面接。


※再来週の水曜の朝、8時35分からの、NHKで、そのママチャレの講義の様子がテレビで流れることに。
取材の人がいるなか、現役受講生さんたちの爽やかな緊張がこっちにまでうつってしまってて、
ウチに帰ったら、喉がカラッカラになってた。でも、それも気持ちいい。



2009年11月22日(日) 心の拠り所も、移ろいゆき、基本に出たり戻ったり(師匠のブログ閉鎖)

すんごく心の拠り所としていたのだけれど諸事情によってリンクを切っていた師匠のブログは
先日、閉鎖となりました。

「ブログ閉鎖にはあまり意味なしなので気にしないでね。でも過去のスピ話を消して、誰かに与える影響は食い止めたかったかも」
(師匠の談)

けどその「食い止めたい」と思う根拠となる見方考え方すらも
もしかしたら数か月先には変わってるかもしれませんね?

それでもいいんじゃないかな。

私の場合
昔はかなり腑に落ちていたけど今現在は疑っているもの。
※いや、疑っているというより、美味しいところだけ沢山もらうけど丸呑みはできないと感じているもの。


☆国境のない世界という理想
☆いわゆるニューエイジ
☆ワンネス
☆引き寄せの法則っぽい、望めばそれが叶う的な考え
☆2012年に何か変わるという考え方

新世界秩序という恐ろしい言葉を垣間見てからかなあ。
要するに一部の強欲支配者のしわざで(秘密結社イルミナティとかなんとか)
世界全体を一つのカルト教国家にしてしまい
その新宗教を信じないような、既存宗教の信者とかの、
都合の悪い人間は、全て
一掃されてしまうという。
自由とか権利とかを煽って個々人のやりたい放題を奨励し、
家族の繋がりを切る。
口当たりの良い、世界は一つ〜♪な考え方を流行らせておく。
邪魔な文化や国家のことは思い切り叩いておく。
ということらしい。
国連はそういうスタンスで動いているらしい。

漫画(や、映画)の「20世紀少年」じゃないけど
理想的過ぎると言うか、気色悪いというか
みんなが同じ一つの新しい神様を信じるような世の中、に
自然発生的に向かうのなら、まあ、まだしも
人為的に誰かが作ることに付き合わされるのなんて
大迷惑な話だ。
まして、世界の終りが誰かのシナリオ通りに演出されるのとか
だから救われたければ我々に従いなさいだとか
そんなの。既存宗教を笑える立場じゃないってば。
それこそマンガの中だけにして欲しい。

人とは何で、何の目的で生まれ、何をしてれば幸せなのかとか
それを個々人であれこれ考えること自体も
幸せのうちだと思うけど
せっかくの、夢があって素敵な思想も
そんな新世界秩序だかのツールにされていたんでは、もう
台無し。

宗教や思想はやっぱり一人ひとりが手前味噌で
非売品として作るしかないんだと思う。
(以前にもこんなこと書いたっけなあー)

神様が自分の中にいようが外にいようが
そのメリットもデメリットも。
結局、万能薬なんてない。
使い方次第で&使う人次第で毒にも薬にもなる何かでしかない。
毒も薬も自分の舌で少しずつ確かめて配合して試しつつ
それがどういう効き目があるのか後先を見極めながら使う。
納得のいくものを、納得のいく部位だけを、飲みたい。
提供元がどこなのかは見逃さない。

特定の誰かだけが得をするようなシステムにはめ込まれて満足するような入信形態はイヤ。
気持ちの問題なわけだから。

そうやって削ぎ落していくと
拠り所にするのに私の好きな考え方ってのは
結局シンプル、
キリスト教でも仏教でも日本の神社でも異口同音に言ってたようなことだ。
この大きい自然だか宇宙だかの中で
生かされてる私たちの生かされかたって
ホント不思議で有難いよね、
みんなもそれぞれそんな有難い存在だよね、
これも何かの縁だよね、
縁だと思えば有難いよね、幸せだよね、
幸せだと思うことを相手にも願って暮らせば、
結局はみんな幸せに過ごせるよね。
相手に良かれと思って行動することは、時として自分には忍耐を強いるけど
でも大きく広く見ればそれも結局は、快なんじゃないの?
それが快いと思えたら幸せ、
ってことに尽きるんじゃないの?


こんなふうに今、落ち着いてても私の中では
もしかしたら半年後には変わってるのかもしれない。
そうだとしても
いまは、そう思う。


そういう意味で見れば、
私の日記も、長いこと書いているうちに
その時その時に私が何に影響されているかを映し出して垂れ流しだ。

たとえば

ホ・オポノポノは素晴らしい。でも実行は到底無理。
仙人の世界だと思う。
でも、年に一度は欲しい栄養かもしれない。

食べるよりは食べないほうがいいと思えてきた。

温めれば全ての病気が解決しそうに思えてきた。

インフルエンザのウィルスよりもワクチンのほうがよっぽど怖いと思える、
その自分の変化にも驚く。

オバマさんがブッシュさんより胡散臭いかもしれないと疑っている。

北朝鮮以上に中国が心配。

某レンタルビデオ店の背景が怪しい気がする。

自虐史観から親子共々抜けだしたいと今更ながらやっきになっているこの頃。

日本の天皇、国旗国歌国体、そういうものに関してもこの半年でそうとう眼から鱗が落とされた。

右翼左翼という言葉を受けて脳裏に蘇る映像も、以前とは違う。

だから北海道に対して抱く思いも変わってきた。

ジェンダーフリーという言葉にも、もしかしたら罠があるのかも。

専業主婦であることに焦りを感じたり、
でもまた過剰に自己肯定したり、

などなど、
半年前には想像もしなかった考えが浮かんでは消えてまた浮かんでる状態。

けど
「その時にそれに影響されていた」という経緯経歴は、そのまんま日記に遺しておこうと思う。(私は、ね)
無責任とも言えるかもしれないけど
その年その月その日には、それがいいと思っていたし
そういう背景の私が誰かと縁を結んでいたという
記録。





2009年11月14日(土) 今度は息子の修学旅行土産(15年前の懐かしいモノ発見)

※今年、私が「これだけは全うしなければ!」と思ってた二大イベント、
娘と息子1のそれぞれの修学旅行に、無事に行かせるように
ベストコンディションをサポートすること。
このたび、任務終了ーーーーーーーー。

息子は九州5日間の旅から夜の帰宅。
オバマ氏来日の影響で搭乗予定の便が遅れたそうな。

お土産に、妹が中学受験だからと、太宰府天満宮のお守り。
女の子らしい色のを選んでくれていた。
全く期待してなかった娘は、かなり喜んでた。
別便で送られてくる荷物にカステラとちゃんぽんも入っているらしい。
阿蘇山の脇から見える有明海がきれいだったとか。
原爆の関連施設では、いたく何かを刻んできて、でも
その日の夕食では
中華料理店での食べ過ぎが祟って、その夜、ホテルのトイレにしばし缶詰になったとか。
(まあ、それも、貴重な経験だし。ただ、それがユニットバスだったから同室の子の入浴を妨げてしまったらしい。何してんだか)
でも、そのホテルからの夜景がすごくきれいだったとか。
ペンギン博物館のペンギンの動きが人懐っこいとか。
自由行動で諏訪神社に同班の人を付き合わせたとか。
英文おみくじを引いてみたとか。
笑顔で喋くりまくるこの子の体が無傷で帰ってきたことだけでもめでたいし
同じクラスの子で風邪で休んだり怪我でリタイアしたりした子も誰も、いないと聞いて、尚めでたし。
お土産話は、まだまだ沢山ありそうで、明日もゆっくり聞かせてもらう予定。
こっそり持って行った携帯電話のカメラにも写真がいっぱいあって、一部、見せてくれた。
その中に
昔、夫の転勤で長崎市に住んでいたころに(当時息子2歳)通わせていた体育教室の看板が!
どーしたのこれは。「偶然通りかかって、ここだっ、て思って撮った」という。
すごいな。
あのころ、息子が居眠りして歩かなくなったらと、ベビーカーも持参して、毎週、その教室に親子で通ったっけ。
まさか15年後に彼がその看板を携帯で撮るとは想像だにできなかった。
くらくらするぐらいのタイムスリップ感を、その、小さな画像を覗きながら、しみじみ味わってしまった。

明日は英検2級二次試験があるということなので、早く寝かす。
あー、買ってくれた福砂屋のカステラ届くの、ホント楽しみだなー。



2009年11月09日(月) あかちゃんとのひととき

※先週の、ある晴れた昼間の話。

ご近所のかたが歯医者さん受診の間、その近くの公園にて
まだ生まれて一か月の赤ちゃんを20〜30分程度、抱っこさせてもらいながら過ごすという機会があった。

その、か弱い中にも、はっきりしっかり生きてる感が
もう、見てて(触ってて)泣けるような気がした。
掌に収まってしまうほどの小さな頭。
薄くてほわほわした髪。
ものすごくデリケートで赤い頬。
開いてこちらを見ているような、木漏れ日を見ているような眼。
眼をつぶってても、顔にガーゼが触れると、
ふふふふっと頭を震わせながらそっちに口を持っていこうとする。
時々高い小さい声を出して開いたり閉じたりする唇。
やわーーーーい細い手足。指がぎゅっと握る。
くるまれてる温かい背中とお尻。

そういえばそうだったんだ。
12年も前のあのとき
17年も前のあのとき
そして多分40年以上前のあのとき
の、あらゆる感触を思い出す。

セラピーだ!もったいないセラピー。
クリーニングだ!何もかもきれいに元に戻すクリーニング。
ひれ伏しちゃうよ。後光が差している。ありがとうございました。



2009年11月02日(月) 幾つになっても。(母に学び悔い改める宣言)※ 付録・サイズ豊富な靴店情報

※足のサイズが少数派のオトナに耳寄りな情報。
(って、この日記に書いてどれほど需給一致するんだか?一応、できる限りの宣伝。)

池袋駅・西武東口出たら、横断歩道渡ってすぐ目の前に
マツモトキヨシ、服部珈琲舎、SPPS、カメラのさくらやと並んでいて
服部珈琲舎とSPPSの間の路地を入ってすぐの角にある靴屋さん、
「レディースキッド」サイズが実に豊富。店員さんも親切。
20cm〜 からの、婦人靴がたくさん。
http://www.kid-k.jp/user_data/info.php


先日、ここで
私のフォーマルシンプルな黒い靴(21cm)を、実家の母に一緒に見てもらってゲット。
サイズにゼンゼン悩まない靴売り場って嬉しい〜。
服部珈琲舎にも寄って、美味しいカプチーノを頂いて、ほっとひといき。

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母と話していて
私自身のことを、時々褒めてもらえるときなど
たいしたことじゃなくても。内心、すごく嬉しい。

私はやはり、まだまだヨワイので
荒波に揉まれるよりも、褒められて伸びるタイプ?かな?
(伸びるのか?)
叱られたりするのはやっぱり嫌い。はい。
40過ぎても。幾つになっても。
親には、特に母には、このまま、ユルユルと褒められていたい。
言葉で、それで良いよーって包んでてもらいたい。
それでなきゃ元気が出ない。
もしお母さんに幻滅されたりしたら、顔が濡れたアンパンマンみたいに使いものにならなくなりそう。
・・・というタチだ。(まだコドモ?)

そんな、おーるおっけーな安心気分を、
今度は私が、なるべく頻繁に、
思春期の息子や娘にあげたいので
(まず私があげなきゃ、誰がくれる?)

褒められて嬉しかったとき
安心して話していられるなと思ったとき
また頑張ろうと前向きになれたとき
それが生じたのは
どうしてなんだろうと、
母との会話の中で、改めて思いだすと。

☆誰かと比べられてどうだからということじゃなくて
自分だからこそ認めてもらえてるとき。
自分が「ここは結構、得意なんだよね」と思ってたところを気づいて褒めてもらえて
自分が「これは苦手な分野だ」と思ってるところはアッサリと流してもらえたとき。
現状を、それで(というか、それだから)良いんだと
言ってもらえたとき。
「それでは甘い」という言葉は、自分で薄っすら気が付いているから、
もう、あえて親からは指摘されたくないものかもしれない。

☆たとえば、最初に高い合格点を設定されての減点法、じゃなくて
そんなレベルに到達してなくっても
以前の自分より、ちょっとでも僅かでも、何か進歩がみられれば、
そこに気がついてまた褒めてもらえたとき。加点法。
獲得した分に注目してもらえていれば、
あとはこちらで「じゃあ、もうちょっと欲を出してみよかな」と思えることが多い。

☆「自分の言動を、いちいち批評され、課題を突き付けられる」
・・・って、そういう雰囲気からは遠くに居られるという安心感。
その居心地の良さを感じたとき。
厳しい愛のムチ的な言葉でも、他人が言ってくれるのでさえ、受けとめに苦労するような私が
他の誰あろう、親に言われると、きっと、へこむだろうな。

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息子や娘に向かって、つい、
出来てないこと、弱点、苦手、そこをなんとかすべく助言しようとしてしまいがちだけど、
そこにはあえて突っ込まず、
まず、以前よりも少しでも、出来たこと、頑張ったこと、長所、得意なこと、
そこに拍手称賛してあげたほうが
やっぱり、気持ち的にも効果があるみたい。

息子や娘が、何を考え思っているのか、窺い知れないとき、つい、
刑事のように医師のように、質問したくなってしまいがちだけど、
そんなときはあえて黙って
質問より、気長に笑顔で待ってた方が
いつか、ふっと、喋りやすい気分になってくれるみたい。

と考えると、私は、子どもに対して今まで、かーなーり、
間違ってやっちゃったこと多々あり。

どしたの?どしたの?と、質問攻めにしたりね。

テスト見せられたら真っ先に、バツだったところをチェックしたりね。
マルだったところをまず褒めて欲しかったろうにね。

勉強、もう他のみんなは、既にもっと、やってるんじゃないの?
なんて、言ったりね。

せっかく良いことも言ってたのに、ちょっとまずいこと言ったらそっちに突っ込み入れたりね。


こんなんじゃ、私に対しては、そのうち、何ーんにも喋りたくなくなっちゃうだろう。

このPCを閉じた瞬間から早速、悔い改めることにしよう。
そしてこの宣言を日記に残して、未来にわたり、自分に
「あっ、そーだった」と、気付かせることにします。




2009年11月01日(日) お土産

日曜日の、子どもたちからのお土産:


全国中学センター模試会場から出てきたなんとも言えない表情、
その帰りの渋谷での親子ランチの時間(cocotiの3F、chef's V 有機野菜が美味しい)と、ウィンドウショッピング、
そして帰宅後の、テスト見直しの結果、うっかりミスの豊富なサンプルを沢山(溜息)。

息子
友人との栃木日光周辺日帰り旅に、朝5時に出て夜10時に帰宅してきた満足そうな笑顔、
家族への、とちおとめ苺チョコ一箱、温泉に寄った際の濡れたタオル、体から発する餃子の香り。

(翌朝記す)


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