気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年08月30日(日) 先の日記への補足(外国人参政権)

マスコミでほとんど触れられていない法案として
外国人への参政権付与。

外国人参政権に反対する会・全国協議会 公式サイト


ここで作成のチラシ「ねこでも分かる外国人参政権」より。
これが最も私には分かりやすかった。ねこでも分かるの文言通り。










つまり参政権を要求するのであれば帰化して国籍を得てからが筋であると。
帰化しないままで日本に住んでいるほうがお得だという状況がもしあるなら
それはなぜなのか。

そしてこの問題は、やはりというか当然というか、歴史認識と深くかかわってくる。
人々は政府によってどのような歴史をどのような意図で教育されたのか。


※例えば、
先日、紹介した「近現代史の必須知識」(渡部昇一監修・水野靖夫著)では
東京裁判史観を覆す日本史知識が述べられているけれど
それによれば、
・日本が外国人を「強制連行して強制労働させた」こと(まるで常識のように教えられてきたが)は
史実に反しており、実際は「徴用」でしかなく、
また、在日朝鮮人は、その「徴用」によって来た人はごく少数であり(昭和34年外務省発表)、
大半は職を求めて自主的に日本に移り住んだ人々であるというのが真相、
・・・だという。
・「従軍」慰安婦、なるものも、捏造であって、実際は存在しない、という立場で書かれている。
(吉田清治という詐話師や、慰安婦裁判の原告探しの活動家、そして某新聞が作り上げた、と主張している)



2009年08月21日(金) 近現代史の必須知識(ワクチンの一例)

この夏、衆院解散選挙をきっかけに、
→某党や、そこと連立予定の某党の、外交・教育政策やバックグラウンドに対する、不安の声を、ネット等で知り
→戦後のGHQはじめ戦勝国による、刷り込み---自虐史観だとか、反日教育だとか、マスコミの情報操作の実態だとか---我々が長年刷り込まれてきた様々を知るようになり
→再占領化とも言われる日本抑え込みが密かに進行していることを知り
→新聞の見出しやテレビの論調に、どうしようもなく危機感を感じ
→報道された選挙意識調査の結果に、また溜息、落胆しつつ
→40年以上も私は何を学んできたのかと恥じながら、やっと政治関心のハイハイからつかまり立ちになりつつ
→WEB日記に延々と、出口の見えない旅の記録を羅列し
→途中で、この本をも知り、アマゾンで注文した。↓


日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識


これはきっと、子どもたちの世代にとっても、有益かつ希少価値のある情報を含んでいるはず。
政治信条を超えて広く読まれて欲しいので、宣伝・紹介しておきます。
これから読むところだけど、あえて感想は書かないことにします。
たぶん、読む人のスタンスによって&ネット弱者かそうでないかによって、大きく賛否が分かれる本。
でも、そのそれぞれの考え方の拠り所とするものが違うのだから、
書評を議論しても平行線かと思われます。

ただ、きっと埋もれさせてはいけない本だ!と脳内の誰かが叫ぶので、その存在をアピールしました。
娘の中学受験塾の日本史テキストは学校教科書よりも東京裁判史観に偏っているので
(いまだに、南京で日本軍による大虐殺が在ったことにされていたりするので)
この本がバランスを取ってくれることを期待し、子どもらにも、いつか読ませたいと思っています。
偏向教育に対するワクチンの一つになってくれたら。



2009年08月17日(月) 辿り着くと綿矢りさ「蹴りたい背中」的なもの(without自分の体)

娘の塾の休みの日々(正味5日間)は貴重だから、
ここでも絶対風邪を引かせられなかった。
その週に浮かんだ諸々の思い、覚え、
例によって長くなるけど、一〜十:

一、まずは、
いつも店の前を通るたびに娘が興味を示していた「足湯」サロンに。
講習前半最終日の帰り道で連れてった。
看板からはよく分からなかったけれど、
足湯(湯の中に、何とかっていう、微量な放射性物質を放つ貴重な石入り)はいわば前菜で
メインはフットマッサージだった。
いい匂いのエッセンシャルオイルで。
生まれて初めてこんな場所に来た娘が選んだのは
グレープフルーツの香り、
タダ同然の足湯だと思って暖簾をくぐったら全然違ったことに内心焦った、のを隠してた私が選んだのは
ゼラニウムの香り。
二人とも途中ホンキで眠る。計7300円は惜しくなかった。

二、先々週は息子がお泊りだったけど
先週は娘を、私の実家へ一晩だけ送り出し、
祖母や両親や叔母や従弟(以上の続柄は私から見て)との交流。
「可愛がってもらっている」という自覚と経験とが、いい感じに子どもに与えられ、育てられてくれる、
それが期待できる。

三、謎のお出かけから帰った息子と一緒に、娘のいない夜、
BTTFのパート2と3を英語字幕で観ることを頑張ってみた。(いつも1なので、たまには。)
ホントは相当量のセリフが分かんない。けど、
2を観ていて私は、ここへきてビフも悪くない(いや悪いんだけど)なと気づいた。
3を観ていて、今度はエメット=ブラウン博士もとんでもなくカッコイイことに気づいた。
まずい。リスト50におさまらないのが色々来る。

四、夫の一日だけの平日休み(それしか夏休みは取れないらしい。)
恵比寿ガーデンプレイスに足を延ばして
ジョルジュ=ビゴー展に家族で。
ビゴーと言えば歴史教科書に取り上げられている、日清戦争だとかの風刺画。
でもそれだけじゃなかった。
日本が好きじゃなきゃ、あんなに沢山あんなの描かないだろう。

五、で、そのビゴー展の帰りに麦酒記念館で、昔の工場設備だとか広告だとかを見て喜び合う。
観ているうちに飲みたいような気がしてきた。
私はホントはビールなんて嫌いなのに、ひょっとしたらそれは誤解で、実はビールというのは美味しいものなのかもしれない。うん、そうかも。
それを確かめるために、テイスティングコーナーでわざわざ500円払ってビールを飲んでみた。
やっぱり、・・・ビールはビールだった。苦いし、冷たいし、炭酸だし、しかもアルコールだし。
これの何を、みんな美味しいと思って飲むのか。(でも昔食べたビールキャラメルは美味しいと思った)
でも小さくないグラスいっぱいに注がれて、まさか一口しか飲まずに返すわけにもいかないし、困った。

ついてきた小さなおつまみに縋って
壁にもたれて頑張ってグラスの半分までを胃に流したら
やっぱり笑いたくなってくるし、たぶん声上げて笑ってたし、その後はまっすぐ歩いてなかっただろうし。
子どもの手前、これ以上、馬鹿っぽい姿を見せていることが恥ずかしい。そう思いながらも、楽しいし、どうでもいい。

夫はたいして酔ってもいない様子なのに、彼の顔は私より赤くなってた。傍から見ればまるで、私のほうが飲んでいない人のようだ。

少量の酒でも酔えるのは、大人として、恥ずかしいことなのかどうなのか、自分でもわからないけど。
気がついたら、ビールチョコレートも買っていた。

六、マイケル=ジャクソンの作品に、
今だから、親子して惹かれている。
歌と踊りと映像、セクシーさも程良くって、癖になる。
娘など、スムーズ・クリミナルの曲をヒアリングして歌詞を覚えようとしてるし。

知ってるようで知らないマイケルの歴史、
でもここに表現されているものだけを信じてていいんじゃないかと思った。
この十数年、何かに騙されたかのようにマイケルの芸術から目が逸れていたことを悔やむ。

七、目が逸らされてたと言えば、
ところで、とうとう民主党は外国人参政権導入を明言したそうな。マニフェストには書かれないまま。
日本って国にフツーに善意を持ってくれる国、の人にだったらなにも、別にいいんだけども。
目に入るものを疑う気、も匙加減。
だからテレビが
「詰め込み教育の弊害」を今更みたいに特集してたのも
「食料自給率の数字の虚構」を暴いて?みせたのも
なるほどー。マスコミは、やっぱり、操作やってるなあ。
これ↑例えば。牛乳は国産なのに牛の飼料が輸入だから、
カロリーベースだと自給率が低く出てるじゃないか、
それは政府の企みだよっ、っていうんだけど、
いいんじゃないかい。そのカロリーベースで考えてた方が。
エサが外国産なものは結局外国依存度が高いことには違いないんだし。
日教組への批判をゆるめよう・農産物貿易自由化への批判をゆるめよう・と
やっぱりどうも、微妙に民主党への批判をかわそうとしてる下心がある気がした番組。

※フルフォードさんのサイトはお薦めなのか分からなくなってきた。
北朝鮮の脅威はアメリカが煽ってるだけと書いてあること等には、ちと賛同しかねた。
だって、ミサイルが飛んできたことも、反日教育政策も、現に、存在するわけだし。
だから一旦、リンクを外してみました。
でもなあー、だからってアメリカ万歳ってわけじゃないしー、9.11への疑問が解けたわけでもないし。

どっちかに白黒つけられる問題なんてない。
それで最近、半ば正気で、
政治系に関してまだ赤ん坊な私の、今後の勉強のために
櫻井よしこ氏の「国家基本問題研究所」の会員になってみようかとまで思ったり。
ああ、そのうち、「東京裁判」の戦争犯罪証拠とされた史実の真偽研究、にまでも私は首を突っ込むんだろうか。
心身が持つんだろうか。そこは来年までお預けにしようかな。

八、子どもらの、読書宿題用の本を借りて読むのが、
先日の「きみの友だち」(涙腺崩壊)以来の
マイブームで
それから同じく重松清の「きよしこ」(私も転校生だったし発音コンプが僅かにあるよ)
角田光代の「キッドナップ・ツアー」(娘もクラスで一番背が低いのよ)
辺見庸の「自動起床装置」(ウチの息子も聡に起こして欲しい)
綿矢りさの「蹴りたい背中」(感想後述)
を、
次々と脳に流し込む。

話題の本や、受賞作品っていうのは、それはやっぱりそうなった理由があるんだなと今更気づいた。
やはり、とにかく、読みやすくて面白いんだった。
ベストセラーと言われるものにちゃんと興味を持った方がいいのかな。

九、で、私はすぐ何でもかんでも「纏める」癖がある。友人にも薄々ばれていると思うけれど
いろんなこと(眼に映る事象や経験や垣間見た思想や誰かのキャラとか)をキレイに?無難に?まとめようとジタバタするタチで。

それを自分でもイヤだなーと時々思う、程だから、
他人様はさぞかし辟易してるだろうと想像できる。

十、で、「蹴りたい背中」の主人公・ハツのそばに、
もしも私がいたら、まず真っ先に私は彼女に嫌われるだろう。
それくらい、マトメルってことの無意味さを目の前に突き付けられた。

でもあえて、まとめても許されることは、まとめてみる。
この本からの今回の収穫は実はそこじゃなくて。
「にな川に対するハツの思いって、もしかすると、いや絶対、すごく分かるような気がする!」という発見だった。

スーパーモデルのオリチャンに、危ないほど憧れる、
オタクというよりも一歩間違えばストーカー?の、
にな川。
「オリチャンを好きな、にな川」を好き?になったらしい、ハツ。
恋なんて単純な説明では不充分。

けど、にな川の鈍感さ。オリチャン以外の世界に対して、鈍感。私は、そこが大好き。

オリチャンを見つめるにな川の横顔を穴のあくほど見つめる、ハツ。
にな川が困ったり、苦痛に眉をひそませたり、痛そうな様子をしたり、すればそれを愛しいと思い、
もっとその顔を見たいと思い、
背中をそっと蹴るハツ。

解る、そこだけ特に、異常に、とても分かる!

そう思いながら、いつしかまた、カジモドを思い出していた。
私がカジモドのことを、ふと思ってしまうのは、「見かけからは想像できない彼の心が綺麗だから」・・・だけではない気がする。
誰かA・を恋してみっともなくなっている、誰かB。
その姿を観るとやっぱりその、誰かB・に惚れてしまう。
Aに片思いするBこそを、好き。
いつまでもそれを、こちらも片思いのままで、見続けたい。

そして、にな川には、オリチャンを見るための「目」
ハツには、にな川を見るための「目」
それだけが体の全てになる瞬間がある。

私もいつも観るだけ。観るだけが、最高。
昔、日記に「恋にカラダは要らない」と書いたことを覚えてるけど
正確には「恋に自分のカラダは(ただし耳と目は除く)要らない」だった。
相手のカラダはすごく好き。というかそのカラダ、無きゃダメ。
餡としての心、との組み合わせの絶妙な芸術を作る皮、
という要素でもあるし、
私が想像の中で彼の腕や背中を撫で、叩き、溜息をつく為
でもある。
片思いだからこそ、より深く、より損得抜きで、
それを讃えられる。

だからやっぱり、所謂、好きな人とは、
結婚なんかしなくていいとも思う。
(束の間の同居は、してみたい気もするけど)


・・・以上、八月中旬の生活の一部の記録。





2009年08月07日(金) 「きみの友だち」

息子は八月初めの土日、大学のオープンキャンパス(一応、第一志望)に、
去年に引き続き、今年も行ってきた様子、
土曜日に同じ高校の友達と一緒に回って、あらかた見たのに
また日曜日に同じ大学を、今度は別の友達(今は違う高校の)と一緒に見て回ったという。
※もう、ここまでモチベーションを高めたら、
そろそろ、合格する為の勉強も始めたらいいんじゃないかな?

娘は今週の火〜木、修学旅行で日光に行った。
夏休みに入ってからそれまで必要以上にこの行事を楽しみにしており、
火曜の朝は、無事に送りだせた安堵感でイッパイになった私。
その夜は保護者の懇親会(という名の飲み会)で祝杯。
一次会で帰ったから夫の機嫌も損ねずに済み、
笑い上戸の時間を過ごしてホヤホヤと帰還。
その間、息子は私の実家で過ごさせてもらった。

そして娘は二泊して満足し切って帰ってきた。
仲良しのあの子とお揃いのキーホルダーだかストラップ、をお土産に買ったらしい。
家族にはホワイトチョコを買ってきてくれた。
ひとしきり面白い話を報告する娘に、お兄ちゃんも懐かしがる。


このように現在、友達関連を平和に楽しく過ごせていられる子どもら&親の私の今の状況は
とんでもなく稀有な幸せであることが、
ある本を読んだことで改めて判明し
昨夜は滂沱の涙(大袈裟じゃなく)を流していた。

というのも
書店で何の気なしに立ち読みかけた「きみの友だち」(重松清・著、新潮文庫)を買って置いて、
娘が日光に行ってる間に読み進めて読了したのだ。

※万人にお薦めしたい。

きみの友だち (新潮文庫)

表面だけはみんなの中で浮かないでいること。
そんなことに、腐心する女の子たちが多い中で、
主人公の潔い友情観に、うたれた。

一部引用:

「『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対に」
「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」
「一生忘れたくないから、たくさん思い出、ほしい」
「だから・・・・・『みんな』に付き合ってる暇なんてない」

特に小学校高学年あたりから中学生前後の時代に
いや今も、考えさせられる、
集団の中での自分。友達って一体どういうのか。

それぞれの形があっていいと、私は思ってる、何も、こうでなければならないと捉われる必要もない、と。
誰か特定の人と深く何もかもさらけ出し合って・・・というよりも、
表面から深さ50センチくらいのところでお互いに何か種を蒔いてあげたり蒔いてもらったりしながら
旅は道連れ世は情け(人生は旅とすると)、
袖擦りあうも他生の縁、
で、いいんじゃないかと、思ってた。

普段独りでいることにも私は、なんとか平気。グループは、やや苦手。
ヒトの好き嫌いを厳密に判断することに意味を見い出せない。
どっちかというと好きな人とより多くの時間を過ごす。
その結果、傍目からは八方美人だろうと自覚する。

全てをさらけ出して理解し合うことは所詮難しいし、おこがましい。それより、
お互い、幸せに向かう旅仲間には違いないんだから
相手が歩くときに一助となれそうな部分にしぼって、
半ば押し付け承知&断られ承知で「こんなん、どう?」と提示し合うに留めたい。
それで誰かが離れていくならしかたない・どうぞ離れていいよ・でも好きだよ、
全部まるごと好きじゃなくても、それ込みで好きだよ、
そういう心理が友達に対して私は働くようだ。

それ故、多くのひとは私から離れて行くのかも知れないけれど。
いっとき私を通過してくれただけでも、有り難い。

・・・そう思ってても、少し自信が無いところがあった。
この本に「それはそれで、いいんだよ」と強く肩を叩いてもらった気分だ。

だから、
趣味が合わないけど友達。思想は違うけど親友。迷惑なときもあるんだけど大事なひと。どこで何してるのか知らないけど好きなひと。
などなど、そういう形が在ったとしても構わない。互いに信用できれば。
親子だって夫婦だって、それでいい。

同時に、私が選んでこなかったほうの、もっと濃く深く結びあうほうの友情の形、
「みんな」なんかよりも心から大事に思える一人の歴史と一人の歴史を、いわば互いに全て独占しあい捧げあうかのような
結婚したかのような、一心同体の友情の形・・・。
そんな独り同士の、心尽くしの信と愛、
そのモデルを。この本で垣間見て
泣けて
その深さを羨む心と、いや・私は私でいいんだと納得する心と、が
自分の中に同居していたことも分かり、
羨ましさが素直な賛美にどんどん昇華していく途中経過を
ひしひしと感じた。

また、同時に、我が子らを振り返り、
子ども達の様子が、たとえ、一見して
複数のひとびとと仲良くやっているorあまり群れに入ってない、という場面が、もし今後あっても
どちらにせよ、親はその表面を見て一喜一憂する必要は
無いんだなー。そう感じた。
一緒にお弁当を食べる友達がいるかな?とか、いないのかな?とか
そんなことは友情の本質とは別問題だった、やっぱり。
孤独の道を通ることがあってもその通る道は全部必要な道。

だから息子も娘も今は、
こんなそんな平和な社交の道を歩かせてもらってるようだけれど、
いやに歩きにくい道を通るはめになる、その日もいつか来るかもしれない、
そのときこそ
子どもらにとって何かのビッグチャンスなんだろうな。
本物の友達って何、を会得するチャンスかもしれないな。そう、思えた。






2009年08月01日(土) 追記。民主党内でも色々あるらしい、綱引きの先(ニュース見る意味あるのかな)

先の日記で、○○党員ならみんなダメとかイイとか言おうとしてるわけじゃなく。党員個々人の主義では色々だと思う。

たとえば土屋敬之っていう民主党の人は、
民主党の政策をもっと包み隠さず外に出すべきだと
痛烈に内部批判している。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/cgi-bin/sf2_diary/sf2_diary/


ところで、以前、私が、
9.11テロは再調査をすべきだろうなと思ったキッカケになった本にて
民主党の藤田幸久議員がこの件を訴えていると知り
頼もしく思ったのに、
その人は外国人参政権を推す側だというので
ああ、残念。
アメリカに反発する道と自虐史観を進める道とは本当は繋がらないはずなのに、矛盾を感じる。
(だって自虐史観はモトモトはアメリカ側の意向なんだから)

つまり、誰の・どの団体の言うことなら全部賛同できる
とかは、結局、無い。
どの派の後ろに回ってみても結局は。
日本という国の精神の本来の無欲さ・寛大さ・清潔さを
面白く思わない勢力にうまく静かに弱体化させられかねない
危なさを見る。
「愛国心は国が強制するものではないっ」と言いながら、
強制と気付かせずに自尊心を損なわせる作戦を
60年以上も着々と。

勝った者が歴史を作ってしまうってやはり、本当なのねー。

だけど今、綱引きの右側に、アメリカに頼る派、
綱の左側に、中・韓にオモネる派、があるとすると
(え、その二択しかないの?)
今、どっちが僅かにマシなの?っていうことでは
今回私は、仕方なく、ちょっと
右を引っ張る側に加わろうかと思う。

それにしても民主党(&マスコミ)が、その左の綱の先にあるものを、
ひた隠しにしているのが、とても困る。

しかも結局は右の綱も左の綱もその先が
同じ目的の企みとつるんでいたとしたならば
もう、
どっちを選ぶかの迷い自体、めっちゃ無駄になるじゃない。

というわけで最近はテレビニュースを見ることに虚しさを感じる。
そっか、だから、ニュース番組を見るなって言ってる人は言ってるのね。分かってきた。




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