気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年03月31日(火) なるほど、赤ちゃんだった彼(彼女)を想うのか

常日頃から助けられている師匠のブログの中の記事

「苦しいときのテク」

※サイト主さんの都合により、リンクを外しました。

本文抜粋を紹介します。以下、引用:

苦しみ発生!まずは対象から距離をおきます。
感情的な反応をさけるためです。
次に、
「今この瞬間」の、自分が置かれた状態を見回します。
一時、許すとか つらいとか このたび何かあったことを、
一時でいいから記憶から消してみます。一時健忘症になって、
「今この瞬間の自分」と「自分のまわりの景色だけ」凝視します。
呼吸、からだ、さっき食べた消化中の食物、イス、机、着ている服、一輪挿し、窓の外、聞こえる音、などなど。
5分だけ、それらだけを大切に愛してみて。
マンガ読んだり、お菓子食べたり、歌ったりして、あやしてあげて。
その間、このたびのことを忘れたように振る舞います。

さて、
自分だけの平和を充分に堪能したら、
相手の赤ちゃんの頃を想像してみよう。
子供の頃や、大きくなっても泣いてるところや、笑ってるところを想像してみて。
自分とおんなじ、情けない、弱い、愛おしい人を、観察します。
そして愛を思い出したら、さっき自分をあやしてあげたように、
想像の中でなでたりだっこしたりしてあげます。
(この時も、された仕打ちは棚上げね)

もっともっと「普通ネガティブな時にこれはしないだろう」
っていう事をやってみる。
自分にごほうびあげたり、お笑い見たり。
鏡の自分にほほえんでみて。自分愛を思い出します。
(この時も、された仕打ちは忘れたフリね)
そうこうしていると、自分の心は平和。
問題は棚上げだし相手は何も変わらないけれど、
相手に何も理解してもらえなくても、
10分前の自分とは違う自分。
心の平穏を感じるまで、やってみましょう。

ポイントは、「今この瞬間」「今与えられているもの」のことだけ考えることです。
「過去」はもちろん「昨日」や「明日」や「どうなってくれるか」や「痛いのはなぜか」「わるいのはだれか」は、一切考えない。

これをやってると、触れずに、話し合いせずに、相手が変わります。
相手から何らかの提案があるか、相手の状況が何か変わる。
今すぐじゃないかもしれないけれど、近いうちに何か変わる。

・・・・


※以上、引用でした。
イヤなこと を、有難いこと に変換するのは、
なかなか難しいことだけれど、
まずはこれをやってみようと私も。
というか少しやってみた。

歳をとることで許容範囲が大きくなってきたように思う。
このテクが今この歳だからこそ昔よりうまく出来るように思う。





2009年03月30日(月) コーラスのお陰で

先日、友達からメールで誘われたのは、
本格的に声楽家の先生に指導してもらえるのに参加費が一回500円という、
近所で活動しているコーラスグループ。
今のところ、素人っぽい主婦メンバー5名しか在籍せず
存続の危機だという。ので
どしてそんなに人が集まらないの?お買い得じゃん!やりたい!と思ったけど、
練習は隔週土曜日の夜7時〜8時半と聞いてちょっと考え込んだ。

夜って出にくい。特にウチは。
早めのご飯を作って夕方6時位から家族に食べさせ自分も食べてから出る時間か。
ちょうど娘が塾から帰ってくる時間で、彼女はお弁当で夕食は済んでるけど、お迎えが。
夫が娘を迎えに行ってくれると確約してくれるなら、参加できなくはないな。

ただでさえ「中受フォローに専念して」とか言ってる夫にそんなこと頼めるだろうか。
ダメもとで話してみた。私が以前から「ゆくゆくは合唱やりたい」と言ってたのを知ってるかと。
そしたら案外、予想外、とりあえずお試し見学は許可された。
いやー、びっくりした。

それで先の土曜日、
自転車で20分、閉校になった中学校の音楽室。
その夜集まれたのは4人、と見学の私。
ほとんどボランティア同然で教えてくれる先生は、とんでもなく美声で、なかなかカッコいい中肉中背の老紳士。
いきなり楽しいストレッチから始まり、カンタンそうな発声練習から、だんだん難しくなっていく。
欠伸をしながら声をだすつもりで。
おへその下13センチの丹田というあたりに湖の水面があるつもりで。
しかもその水面に浮かぶ風船のひもを下にひっぱって下げてるつもりで。
声を響かせるときのイメージは、餃子を食べた後のニンニクの香りを周囲にまき散らすつもりで(?)。
そんな喩えかたがチャーミングではあった。
メンバーの雰囲気も和やかな。
歌はなじみのある「翼をください」から始まって、ちょっと難しい「藍、しぼり染め」
これの音取りが難しい。楽譜の読み方を忘れてる。
それから息が続かない。一小節ごとに酸欠状態。
30年近いブランクで、腹式呼吸から遠ざかっていたら、とってもヘタクソになっていた。
高い音が出せない。
ソプラノのほうが、主旋律だから、アルトよりはメロディを把握しやすいけど、
ト音譜表の第五線に差し掛かる音はことごとく出せない。超音波に変わったのかと思うくらいムリ。
だから多分、私はアルトで行くしかないと思う。楽譜さえ読めれば。
訓練すれば若いころの、合唱部のころの声を取り戻せるのかなあ。

なので次回も参加したいのだけれど
夫の機嫌が急変しないように祈らなければ。

意外と彼は「そんなことやってる場合じゃないよ」等とは言いそうで言わないでいてくれてる。
その代わり?翌日、彼は新しい素敵なノートを三冊買ってきて、新たな宿題が我々親に課された。
娘が新6年になってからのカリキュラムテスト(通称カリテ)第一回〜第五回、を見直させるにあたり、
各回で出来なかったor重要な問題と解答解説をその新しいノートに写すか切り貼りして集めておくのだ。
こういうことを本来は子ども自身がやるべきなのは理想だけど、実際は時間がない、だからいまは親が出来る限りのフォローをしてゴールまで伴走するのが務め、と言うのだ。
えーメンドクサイと思ったけど、まあそのポリシーに文句がつけようがないし、ここで真面目にやる様子を見せないと隔週土曜の自由が確保できないかと思い、素直に乗ることにした。
彼が算数担当、私は理科と社会担当。
そのブッキング作業で半日かかった。

しかも算数の教え方が誠に上手く
最初は分からなかった問題が彼の手にかかってコツをおさえられ解説されると娘の目は活き活きしてくる、笑顔さえ出てくる。
私にはそれができない。
そんな風に娘に二親掛かりでやってるので、息子には、どうする、てことは
パパも一応考えていたらしく
いま話題の白州次郎のことを特集した本や新しい電子辞書を息子に買ってきていて、結構喜ばれた。

私は彼のこの父親としての姿勢の一生懸命さは認める。
とにかくコーラスに文句言われてない限りはとりあえず認めて尊重する気持に今はなってきた。
彼が子どもより気持ちが先走りそうになっていたら、そのバランスをうまく取る役を、あくまでも陰ながら、
私がやればいいだけなんだ。
とにかく、コーラス様様だ。



2009年03月23日(月) 束の間の羽伸ばし、正味5時間。試験に出ない必須栄養、素敵な無駄

最近ね、一か月経ってもまだカジモドの狭い左目に悩殺されるとか切ないとか言って恋していられる自分が、
大昔は面喰いだったことを思うと可笑しく、
もう、人間の美醜や善悪の基準なんて、なんだか分からないというか
何でも在りかも、と。

「モッキンポット氏の後始末」(著・井上ひさし)を友人からの薦めで読み終わったとき、
寛容とは諸刃の剣ではあるけれど使いようによっては素晴らしいなと思った。

「このひとには、こんなことを打ち明けても、わかってもらえないな」と夫に感じた時から、
どんどん秘密が増えてゆき、
PCで、わかる人にだけわかればいいようなことを発信して繋がって、
昔ながらの典型的な主婦像からハミ出すような
微妙な価値に価値を見出す心の働きなど、
集めてもムダなコレクションと看做されるだろうと思えば、
例えば夕食のときに、子どもが学校であったことを喋りまくる場で
(私も、好きなこととか好きなヒトとか興味のあることや出会いや出来事を喋りまくりたいな)と思っても
上手い言葉が出てこない。
その妻からの沈黙を不審だとも思わない彼。

思春期に無口になる子ってこうなのかも。気持ち分かる。

遺言として誤解のないように書いておくと
私はパパがキライなわけじゃないんです。決して。
むしろ、なぜか、嫌われたくはないから、
その分、苦心してるんです。
彼の思想のお陰で衣食足りて礼節を知ることができている
という恩も忘れていないつもり、
認めているつもり。
けど、それとこれとは別。

夫の休日が実は嬉しくもない、っていう夫婦関係って
どうなの。嬉しいと思えない私が未熟者か。コドモか。

金曜からの三連休。
明日からの七連休(夫が今まで取りきれてなかった休暇をここにまとめたそうだ)。
どう過ごそう。
「黒部の太陽」の録画をチェックするなら今日しかない。
間違ってもユースケ氏に見とれてるところなんて隠し通さなければならないなあ。

彼の求める妻像、求める母親像、が私のニーズと噛み合っていないけれど
私の求める夫像、求める父親像、が彼のニーズと噛み合っていないけれど
矯正されたくもないし矯正したくもないし
最大公約数が大事なもんだから壊したくないし
ウソも方便なの。

こういう結婚を招いたのは、それは誰かのせいにしようと思えばできるけど、結局自分自身の在り様だったのだから
自分で引き受けるしかない。
こういう結婚を、子どもがもし見つめたら、それは不純だと言うかもしれないけど
価値観の合わない二人がなぜ一緒にいるのか訳がわからないと言うかもしれないけど
最大公約数だけじゃなく、たぶん、何かの修行か勉強に繋がってるの。敢えてこの組み合わせでいることで。
彼にとっても私にとっても。
食わず嫌いなものを無理やり味見させ、味見することで。

ただ、私が今、その勉強をさぼり、ラクに流れてる。
極力波風立たないようにと。
そのほうが精神衛生を保っていられ、子どもに対して機嫌よくしていられるから。

で、現状、
ここ一年は何よりも娘の中受のフォローが最優先だと、
「娘への家庭教師、その下準備、勉強のみならず精神的なフォロー」
それ以外、この一年は優先すべきものは皆無だと、
そこに寸暇を惜しめ、と、
彼は私に希望する。
理屈は分かるが。
それ以外の趣味娯楽にウツツを抜かすことを自らにも許してないし妻にも許してない。
その思想のアソビのなさを私は内心、評価できないし
彼がそうならば一層私は娘の息抜きでいなきゃならないと密かに決意しているが
それはあくまでも陰ながら息抜きになってやりたい。
美味しいところ取りじゃなく、勉強意欲も削ぐこともなく前向きな息抜きになれるように
アソビの部分も含めてこその自己肯定を外さないように、且つ
パパとは違うやり方で、「合格したい」という彼女の願を支える道はあるはずだ。

で、今、
妹からもらった「火の鳥」(著・手塚治虫)に
今更ながら傾倒し
パパに眉を顰められても、子どもにどんどん読ませてる。
これが子どもの魂をより一層磨き
一皮も二皮も剥かせるカギになるのは
間違いないから。

夫がこの漫画を手に取る日も無いとは言えないけど
遠いだろう。
遠くても目に見えるところに置いておく。

この日記が目にとまった人に必ず覚えておいて貰いたいのは、
「火の鳥」は教育上も大変有益なので
一家に一揃い置くなどして、一生に一度は1巻から13巻まであまねく漏らさず読んでよ。ということ。




2009年03月17日(火) 娘11歳BD/どこで遭ったのかは覚えてなくても/蒲郡風太郎の為に

「ねえ聞いて聞いてー!十人集まったのー!」と小躍りしていたっけ。

ウチの子の小学校のクラブ活動は、既存のクラブの他に児童が新規に何か立ち上げてもよく、
友達と娘は二人で「文芸クラブ」を春から発足させることにしたという。
企画書も通り、存続条件の部員十人以上も何とか集めることに成功し、晴れて成立確定らしい。
小説なんかを書いたり読んだりするクラブらしいが、何をどうするつもりなんだろう。謎だ。
好きってだけで、大丈夫か?
なぜか区で選ばれた彼女の作文にも小説書きたいとか書いてあるし。てことは、上手いかはさておき、それが好きなんだ。やっぱり。

現在執筆中のは異世界から来た少女の話らしく、
クラスメイトに読んでもらい、男の子の読者も僅かながらついてくれたそうな。
オチをどうするか決まってないらしい(笑)。
でもその作品自体を親の私には見せてくれてない。
見せてって言っても見せてくれてない。

見てみたい。あ、でも
全部見せてくれないからって私はそれほど寂しくない。
(いや、むしろそのほうが嬉しい。)

息子も娘もそうだけど子ども達の、
頭の中に何か妙なものやすごい色彩が多分あるらしく
それは私には見たことのない何かで、私にも予測しきれない方向性で、
それを何かの拍子(思い出し笑いなど)、チラッと私にも見せてくれる。そういう瞬間が好きだ。

息子の頭の中にあるものは暗号じみていて解読不可能だけど
行動パターンはある程度推測しやすく
何か思いついたときの活き活きし加減は、甚だしくかわいい。
幼稚園の頃に、彼はよく「昔はアメリカに居て、建築家だった」と語っていたのに、今そのことを訊くと、「あれは多分作り話だ」とか誤魔化す。
もー、大人になっちゃって。全く。
今じゃ試験明け休みに友達とボーリングに朝9時から出かけて夜7時まで帰ってこない(つい昨日の話)というような
順調極まる成長を遂げているが。

そして娘の頭の中には透きとおった天使とかスイートな悪魔とか聖なる精神だとか紫とか水晶とかなんとかがあるらしく
「メガネっこがハニカむところなんかが堪らなく好み」だとか喋り、
妄想のその極く一部を、お風呂の中で私に対して、見せたい範囲の概要で見せてくれる。

ヒトの頭の中ってすごいね。
映像とか音声とか概念とかの記憶が、炭素や水素の反応の上手いことでそこに在り、もー、
よく出来過ぎたその仕組み。

子どもが、親と深く係わりながらも、親とはゼンゼン違う世界を、色々携えて、何処かからか、やってくる。
そしていつか、親を未知の世界へ連れて行く。
偶然か、それとも予めの約束か、それはどこでそんな手はずになってたのか、
彼とも彼女ともどこかで逢ってたのか、そして、あとでまた遭うのか。

今は照れくさくて親に見せてくれない作品を、
いつか見せてもらえる日が来る、そのとき彼女は
いつのどこの誰の世の記憶から何色を繰り出してくるのか。
楽しみー。

むしろ私のほうが、最近、訊かれてもいない夢想妄想を子どもとかに諸々告白してばかりだ。

つい先日も、私が孫と慕う山羊座の友達に対して告白。
母や妹に対して告白。
そしてだんだん我が子に相対しても、
私の中にある何かヘンな、ヒトが聞けば張っ倒したくなるような妄想を、告白しては、すっきりするこの頃。
例えば
B・Jがもしも女で私という天才外科医と同窓同期の親友だったらの夢とかね。
例えば
カジモド(inディスニー)に姫抱っこされて屋根から屋根へ飛んで貰いたい夢とかね。
例えば
千秋真一の背中を平手でバンバン叩いて圧しかかれる毎日とかね。
例えば
先日最終回を迎えた日テレのドラマ「銭ゲバ」で
「もしも風太郎が、そこそこまともで平凡でシアワセな人生を送っていたら」のパラレルワールドがあまりにも哀しく
(その想像だけで放送時間枠いっぱいにするとは意表を突く展開だったけど。いや、ある意味、原作に忠実だったけど。)
風太郎は、そんなパラレルワールドを思いつつ、とうとう「幸せ」とは無縁だったのを自覚しつつ、土壇場では
自らが自らに固定したダイナマイトの導火線の火を
唾で消そうとまで足掻きながら、泣きながら、見苦しく自爆するけれど
私は液晶画面(ブラウン管ではない)の風太郎に向かって心で叫んで見てた:
「大丈夫だよ!大丈夫だから!次の人生ではきっと大丈夫だから!頑張って諦めてごらん!私(誰?)がついてるよ!」

それを思ってその夜、湯船で嗚咽していたら隣にそっと寄り添う娘、
彼女がいたから辛うじて私は安定し、風呂水で溺死しなくて済んだのかもしれない。

お風呂で微笑んで聞いてくれるんだよ、そういう詮無いあれこれを、娘が。仲間のように。何でも。安心する。
しかもそこから彼女も妄想を返して話を繰り広げてくれるし。
私は娘の胸を借りたり心を預けたりしながら、
彼女の水晶世界に少し追いつける気分になる。

で、そうそう、パラレルワールドと言えば
だから、つまり、観る全てのドラマやアニメや小説の世界は
誰かの(私のか?)過去世(のパラレル)だったと翻訳して
観る癖が今頃ついている。

原作からヒントを得て作られたドラマや映画は
それもあれもすべて誰かのタマシイにいつだか起こった(起こる)出来事の進化形パラレルなんだわ。
皆の共通経験の一部としてね。

1959年にニューヨークでダニエル・キイスが描いたチャーリイ・ゴードン&そのアルジャーノン達の姿は、
その後の2002年に日本で岡田惠和が描いた藤島ハル&そのアルジャーノン達の前世だと、私は信じてる。
(ハル君達のほうが、一歩前に進んだかもしれない。)
だから、
ジョージ秋山の描いた蒲郡風太郎と岡田惠和の描いた蒲郡風太郎は共にパラレルで
一緒にあの、茜ちゃんと赤ちゃんに見送られながら今日も会社に行ってきますの笑顔の風太郎に、いつか成る。

※妹からもらう手塚治虫の「火の鳥」これから読み進める予定。これも一種のアレ。

私の中の記憶と現世の交点に、今ちょうど今の家族と出会って、
夫と会い息子と会い、で、
1998年3月17日の凡そトツキトオカ前に遡った箱根温泉旅行をきっかけに、娘にも出会っているけれど
娘の中の世界は誰のどの時代のどのパラレルで、そこにも私は如何なる形かで関わっていたのか、謎を想像すると嬉しい。&奇遇過ぎる。

それで娘の誕生日に私からは
小説を書くヒントになりそうな本を贈ってみることにした。
今はあんまり読む暇がなくても何かの折に何かのきっかけになればと。

2009.3.17 早朝 (ちょうど今頃の時間だった。)
今日はこれからちょっと、もう一人の魚座のソウルメイトと二子玉川でデートする予定。








2009年03月11日(水) ホントに覚えておきたい、保護者会の覚書

フィンランドでは近所の図書館(至る所にある)で一度に借りられる本は30冊までOKだそうだ。
つまりそれほど子どもが本を読むそうだ。
教育水準が高いというその国では、子どもたちは
「テストが近いから、本を読まなきゃ」という意識らしい。

その話を昨日の保護者会(娘のクラス)で担任の先生から聞いた。

担任の先生は、私が今まで出会った学校の先生の中でもベスト3に入る素晴らしいひとだと思う。

そんなに若くはないけど元気で且つキメ細かい女性で、
ご自身にも結構大きいお子さんがいて
まず生徒に対して、およそ、決めつけてかかるということが決して無い。
子ども同士で何かトラブルがあっても、その経緯を良く見ていて知っていて、
誠実な、且つ子どもの解決力を引き出すような声掛けをしてくれているようだ。
いま何がクラスで起こっているかをよく把握してくださっている。
それに何といっても子ども達が、先生のことを家で話題にすることが増えた。
「今日は先生がこんな面白いことを言ってた」
「来年も先生が担任だといいな」
ウチのクラス、娘も含めてみんな、そういう子ばかりだ。

5年生最後の会ということで、保護者達が一年間の感想をそれぞれコメントしたあと
先生からこのクラスの「あえて厳しく見た、来年への課題」を抜粋。

1、ある特定の人物の落ち度を、特に厳しく追及する子たちがいる
2、仲良しの子をとられたくないばかりに、ライバル?の蔭口をいう女子がいる
3、不真面目な態度で真面目に授業を受けている子の妨害をする子がいる

以上、個人名は全く出てこないから、それが誰かはわからない。
が、救いなのは、そういう行為をきちんと正せる正義感のある子たちが、いまクラスの中心になっているということだそうだ。

夜、塾からの帰り道に、娘に早速この話をしてみたら、
子どもにも先生から既に、もっと分かりやすい形で話されていたという。
じゃあ、先生が昔、フィンランドの教育現場を見学した時に、むこうの子どもたちがとにかく本を沢山読むことに驚いたことについては?それも、
娘は既に知っていた。
娘が私に語ってきた、先生からの話、は、氷山の一角だったようだ。

ところで保護者会のあとに引き続き行われた、
PTAの次年度委員決めのほうは長時間だった。
(それを見越して、実家の母に娘の塾のこと等を頼んでおいて良かった。ありがたい)
「PTA活動ポイント制」は強制のものじゃないから、
たとえ目標点数に足りてない人がいても
それは足りない事情があって足りないのだから、
実際問題としてその人に無理にやってもらうわけにはいかない。

決定したのは、「卒業対策委員」「お手伝いコーディネーター」「運動会実行委員」「運動会係」「ドッジボール大会実行委員」「ベルマーク係」
未決定なのは、「学級代表委員」「文化委員(家庭教育学級)」「広報委員」大物3つ。
現学代さんが、保護者会に欠席した人などに片っ端から電話をかけて、
それでも決まらなければ、4月の保護者会に持ち越し。

いつもながら悩ましい。現学代さんがトモダチならなおのこと心苦しい。
私個人は、卒対と学代と文化、以外なら、できなくはないと内心思っていたけども。
(6年生の広報委員は年度の区切り上、委員長にならないときまってるらしいので、案外ラクかも?)
まあ、こういうのは、
それぞれが無理のない範囲でできれば理想。
実際は誰かがどこかで無理してる。
無理を輪番制にしてしまえば。
活動報酬は、もちろんお金じゃなく、
その立場にならなければ見えなかった全ての経験、あるいは、
我が子を含めた子どもたち&自分を含めた親たちの意識向上、
ってことでしょうか。
その目的を果たせる活動内容に自分たちで変えてしまえば。
いつかそれを職務経歴書に書いてみたって
カイシャ人事は一笑に付すだろうけど。




2009年03月01日(日) Excel2007 合格

昨夜テレビを観ながら、ある有名芸能人の名前が出てこなかったことを
ぼやいたら、
隣で夫が
「じゃあやっぱり打ってつけじゃない?日能研の算数のテキストの隅々まで勉強しといて子どもに教えられるようになっておくのって脳に良いよねえ」
勘弁してほしい。
そりゃ今、家に居る時間が一番長い私に一番期待されてるのが
その役なのは分かるけども。
だから高校時代の数学の赤点履歴を何度も言ってるの。
無茶なんだって。何度言えば・・・。

一見無駄なこと、非効率なこと、それも意味があるんだということを
いつか彼に分かってもらう日がくるかもしれないけど
彼の歴史を考えると、無碍に反発してもいられない。

だから今日のMCAS・Excel再試験も、彼の眼から見れば、とんでもなく贅沢な主婦の遊びに過ぎないのは知っている。
試験費用が幾らかかるかつい口を滑らせてからは余計だ。
でも
私は彼にその費用を追加で下さいなんて一切言って無いし
なるべく家族に迷惑かけないように受験勉強したつもりだ。
今日だってお昼に肉まん程度だけど置いてきたし。

が、何にせよ
日曜日にイヤな顔せず出してくれたことは感謝。

昨日の模擬練習では正答率98%だったんだから
人事は尽くしてあった。
これでまた不合格だなんて有ってはならないので
本番に弱いなんて言ってられず、精神統一して
さっさと合格取った。
878点だったけど、前回の561点よりはまし。
そして少しでも早く会場を出て、

ネットカフェに寄る時間を作った。
家では息子がPC断ちしているので(学年末テストが終わる来週末まで)
その隣でPCを開けるわけにいかないし
かといって忘れないうちに気持ちを残しておきたいしで。

こんなささやかな一歩を残すまでに至った自分の来し方を
忘れないようにしたい。
合格したらそれで終わり・・・にならないように
時々は使いながら、勉強は続けていきたい。
2009年3月の時点でそう思っていたと書けば
ここまでの半年のことを、どうしたって未来の自分も無視出来ない筈。

前回の不合格にも感謝。
永い人生をカリキュラム1学年分と見立てれば、
この再挑戦一ヶ月のレッスンなんて1時限の授業中の数分にも充たらないけど。
在ると無いとでは大違いだ。

そして
資格を取ろうという気持ちを遠くで支えてくれた
A氏や、母や、友人の存在に感謝してる。




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