2008年02月23日(土) |
若くして逝ったひととその娘さんに、間接的に教わった事項、それを踏まえた今年の目標 |
先日の息子の中学の合唱コンクールでは、朝も放課後も練習を重ね、結果はともかく充実感が伝わるステージで 私も最近プレゼントでもらった小さく軽いムービーカメラを片手に参観して、ここ数日、寝てもさめても課題曲自由曲が脳裏を流れている状態になっていた。ていうか朝目覚めたら真っ先に脳裏に「旅立ちの日に」が流れてる。SMAPの声じゃなく、声変わり混じりの中学生の微妙な混声のハモリで流れてくるのだ。 そしてそんな私自身も、小学校の娘たちの前で披露する「ごんぎつね」の合唱劇に参加するので練習にも熱が入って、喉を守ったりしていたんだけれど、 本番まであと5日という一昨日の夜、悲しい知らせと伴にそのイベントの延期を告げられた。
娘の同級生のママが癌で亡くなった。
確かにこの歌詞を、その子の前で今は歌えない。
あまり親しくしていなかったので詳細は存じなかったのだけど 二年ほど前から患っていたとのこと、 まだ若くてきれいな奥さんなのに、小学生の女の子二人を残して逝った心中を察するとたまらないので お通夜に参列している間、辛くて仕方なかったのだけれど、
そのお通夜に行く直前の日中、自由が丘で急遽冬物の喪服的黒スーツ(ある程度カッコいいもの)を、店を梯子しつつ二時間くらいかけて選んでいた間、 その他の余計な浮ついた消費行動(普段着だとかスイーツだとか)が心に浮かんでは消え、 はっと我に返り、あのママはそんなこともできずにただ残してゆく子どもたちや夫のことなどを胸に、真剣に生死と向き合っていたこの頃だったのに比べて私は何なんだと思い、
記憶のなかで、つい先日の参観日などで見ていたその女の子の様子を改めて思い出すと、 いつも積極的、意欲的で、母親の闘病生活など感じさせないような明るさを見せていたと思う。 子どもなりに、どれほど気を張っていたのか。
一つすごく後悔していることがある。 二年前ぐらいになるだろうか、そのママは確かに妊婦さんだったと思う、 それから一〜二ヶ月ぐらいして、 時期的には多分もう赤ちゃん産まれたんだろうなー・・・きっとママに似てすっごく可愛いんだろうな・・・保護者会で見せてもらえるかな・・・と思っていたころ、 娘と遊ぶ約束をしてそのお嬢さんがウチに来た。 夕方、近くの公園まで送って行く途中で私は迂闊にも 「そういえば赤ちゃん産まれたんでしょう?」と訊いてしまった。
まだ低学年だったその女の子は落ちついて答えた。「夢の中で産まれたの。」 それで私は無神経さを悔やみ、同時に、自分の周りに起きていることを知らないでいたことが怖いと思い、 人の事情をある程度分かっててあげて気持ちを寄せるor分かってない恐れがあるということを忘れない、 そいういうことが全然できてない自分にへこんだ。
また、その子の家庭の躾の確かさや情緒の温かさも、その一言に垣間見た気がした。 苦労を乗り越え、しっかりとつながっていたご家族なんだと思う。 奥様はまさに今日このお昼、今頃空に旅立っている。祈りつつ、ずっと忘れずにいます。
今年最初の日記なので、だから目標として
一、「きちんと自分のカラダの検診を受ける」 (いろいろなことで頭がいっぱいだとか忙しいとかの良い訳して、好きな映画は十数回も観られるくせに、人間ドックにも三年も入ってなかったから。以前、義妹が教えてくれた、胃カメラを全身麻酔でやってくれるっていう病院がいいな。今とくに心配なのは消化器、とくに腸。)
二、「人と付き合う」 (もうPTAの大役は極力辞退するからランチに出られる回数も今年は増やせるかもしれないし。噂話の輪の中に入っていくのは嫌いですぐ逃げていたのだけれど、人を傷つけないための最低限の近況情報は仕入れておかなければならないことが分かった。他人のプライベートに興味ない・触らないでいたい、という気持ちは、裏を返せば、突っ込んで嫌われたり責任を負ったりしたくないという臆病だったのだろう。世の流行にも疎く特技も趣味も無く空気も読めない自分について、自信もないし、and 私の好きな人間ほど、色々お忙しいので、時間を割いてもらうということが気が引ける。相手にとって、そこまで会う価値のある自分なのかということが。でも、そんなふうに考える必要はないのかもしれない。会いたい人に会いたい時に会って私が貰うばかりでも、それでもいいじゃないでしょうか。人付き合いが下手なのを少しは改善したい。誘うという行為にもっと慣れなければなるまい。)
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