気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2007年07月22日(日) 醒めたくない状態

どうにかこうにかだけど、
夕方から夜にかけて、家族とは隔離された、個人的な
夢のよーな、時間を確保した。


ずっと笑わされて全身が痙攣状態で、
私はなんの発言チャンスもなかったけど、発言する人と回答する人の会話にこれだけ笑わされてたら、
免疫系統がハイになり過ぎて、向こう27年間は病気ひとつしないだろう。


て、今まだ帰宅途中の某所で。
これ以上は言葉を尽くしても表現しきれない。


わーーーーー、
まだ頭の中がふわーって浮かんでるような状況。



2007年07月19日(木) 頑張ってお節介できるようになりたいものだ。

うちの小学校のPTAのひとで、当番でもなく誰に言われたわけでもないのに、毎朝通学路を見てくれてるお母さんがいる。
決して暇なわけじゃないのに、お仕事に行く前に必ず、毎日、お子さんと一緒に家を出て、見てくれてる。
まだ児童の登校時間なのに工事車両が道路に駐車してて危なかったよ、と気づいてくれたり、
神社や公園の中を通って学校に行く子がいるのが心配、と教えてくれたり。

それじゃあ私もちゃんとやらないわけに行かないと思い、工事業者に電話したり、神社とか公園の周りを見たりするようにしたけど、
何だかどうしても、毎朝間に合うようには行けない。根性がないせいか。子供らをあと10分、いや5分早く起こして仕度させればいいだけの話なのに。
恥ずかしいことだ。

でも行ける時は、朝でも帰りでも、できるだけ多くの日に行って、要所に立って見ようと思うし、
歩いてる子供達に挨拶したりしてるんだけど、
毎朝会うのに、しかもこちらは腕章もしてるし、もう顔も覚えてもらったと思うのに、絶対に挨拶を返してくれない子が数人いる。
子供相手でも、よその子に、おはようございますって声を掛けるのは、結構勇気がいるのだ。
まして、公園を突っ切っていこうとする子達に「ちゃんと通学路を通ってね、この中を通るのは止めてね。危ないから」って言ってるのを、
鼻で笑って無視して私のそばをすり抜けて構わず公園に入って行く子供達(何人かは言う事を聞いてくれたけど)に遭うと、
すごく凹む。泣きたくなる。子供相手なのに、こっちの存在全否定されたような気になってしまう。オオゲサじゃなく。私の何が悪いんだろうって。なるべく優しく言ってるつもりだけど。

で、ここで強く叱るべきなのか考えあぐねて、結局見逃してしまった。
その公園は割と見通しがよく、危険な感じはしないから、杓子定規に「公園内通行禁止っ」って強い態度に出る根拠が薄いような気がしたのと、
その子供らにとって、その公園を歩くことが、何かの息抜きになっているかもしれないと思うと。
けど、こういう揺れは、他の子にもシメシがつかないよね。

全校の保護者宛に出したプリントで、神社・公園内を通っての登下校はやめさせて欲しいと書いたんだけど、それを果たしてちゃんと読んでくれてるのかどうか。

先日、町会の代表の方々を招いた会を委員主催でやったけど、そこで出た町会長さんの意見で
「子供達に声を掛けたいけれど、不審者と思われたら・等と考えると声も掛けにくい。子供の顔を覚えたいし、子供にも覚えて欲しい。地域活動にもっと参加して欲しい」
町内会の人々が子供達を見てくれるおかげで辛うじて保たれている安全。当の我々保護者は、現実問題として、子供の行き帰りを見ている余裕がない(時間的&気持ち的に)ことが多い。皆、忙しい。忙しくせざるを得ない。

立場上、色々な研修会や会議に出る機会がある。その度に、タメになる話をいっぱい持ち帰る、それをPTAだより等に載せたりしてチョットでも一般保護者に還元しようとする。だけど、
本当の本当に「この親の耳に届かせたい」対象の親御さんは、そのプリントをきちんとじっくり読めるのだろうか。
いつも思う。「この会合に来られる人は、もうこの話を聞く必要もないんじゃないか。このプリントを読む余裕のある人は、もうこの文を読まずとも大丈夫なんじゃないか」

夜遅くまでコンビニに集う子供達の、親達が、子供の持ち帰るプリント類をきちんとチェックしているのか疑問だ。
そこにいくら「5時を過ぎたら帰るように言いましょう」って書いても、それは多分、間違いなく、届いてない。
7時8時に外で遊んでる子は、家にいても面白くないから外に居場所を見つけている。その子を見かけた時だけ、早く帰るように言って、誰もいない部屋の鍵を開けて家に入っていなさいと言って、帰すだけでは、根本解決になってない気がする。ただ、防犯上はそれが必要だろう。

こないだの台風のさなか、都庁都議会議事堂に行った。「万引きをさせないシンポジウム」というものだった。
そこでも一抹の虚しさを感じた。この話を、本当に届かせたい対象に届かせることが可能なのかって。
でも全く無駄ではなかったけど。
軽いゲーム感覚で万引きをやっている子も、「誰かに見つかる」「叱られる」ことをきっかけとしてやめることがとても多い。
逆に言えば、見つからなければ・叱られなければやり続ける。
案外に、親の前ではイイコな子が、お金もあるのにも関わらず、あまり罪の意識もなくて万引きを続け、親に見つかる前にやめている。
そんな子たちは、親からの評価だけが行動の基準になってる。万引きという盗みをすることで、お店の人や商品を作った人にどれだけ迷惑がかかるか・・・という、公共道徳が植えつけられていない。

じゃあ、周りは何ができるか。
やっぱり、しつこく、見つけたら叱る、悪い事だよと教える。親に教わっていないことを周りがヒトコト教える。うるさいオジサンオバサンになる。嫌われてもしかたない。よそのヒトに叱られ慣れてないよその子を叱れるよそのお節介なオバサンになる。
けど、結構、心の垣根が邪魔してる私はまだまだ修行中の身だけど。ていうか我が子は本当に大丈夫だろうか、も気になるわけだけど。

※そんな今の私の極ささやかな楽しみは、三軒茶屋ナチュラルローソンに立ち寄ると必ず買ってしまう「ゆずのまんま」(柚子の皮の砂糖漬け九州産)と、ドライココナッツ(セフ” ト”ライト” ココナッツという商品名表示がツボなフィリピン産)と、入手できた7月22日キサラギのティーチインのチケット※ 


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