2007年06月21日(木) |
お玉はどこへ行った? |
今週は、校外委員の仕事のほかに、ユースケ・サンタマリアを買い支える福祉の仕事が立て込んでいて、かなり自分の身分を見失いそうな感じ。 そんなか一つの悩みが。
先の漢検で無謀にも一級に挑戦してみたが、何せ準備が思うように行かなかったこともあるけど、それ以上に私の記憶力がもう危ないっぽくて、 自己採点の結果、70点。(200点満点中)それでも、むしろ驚いたのは70点も取れるとは思ってなかったこと。
というのが悩みなわけじゃなく、「お玉」のことだ。 台所にあった二つのお玉。古いのと新しいの。それを使いまわしている。が、ここ10日ほど、古いほうのお玉が、行方不明なのだ。
一番最後に自分が持っていたシーンは、なんとなく覚えてる。何かをよそろうとして、息子に宿題かなんかのことで声をかけているシーン。 そのあとの記憶が曖昧。
いったい、そのお玉、どこにしまったのか。洗ったのか洗ってないのか。自分の行動範囲を全て探したが、忽然と消えてしまった。 私の記憶力の衰退に底知れない不安と恐怖を感じる。病院に行ったほうがいいだろうか? 「お玉が見つからないんです」って?
先日、夢を見た。校外副委員長で優しくしっかりもののYさんが、私の探していたあの幻のお玉を、探し出して「はい!」と手渡してくれるというストーリーだった。 ああ、正夢なら良いのに。
さて。これから娘も帰ってくることだし、しっかり地に足をつけて今夜のご飯のことも考えなきゃー。
2007年06月03日(日) |
子供の目前で夫婦喧嘩したのって始めてじゃないかな |
パパの誕生日月だったから、焼きたてパンの美味しいサンマルクからバースデイ特別クーポンが送られてきてて その期限がこの週末に迫っていて、 パパに出させるのはカワイソウだからと子供達と私でお小遣いを出し合って封筒に入れておいて すごく楽しみにしていたのを、 もう予約の電話入れていいかどうかずっとパパに訊いていたがなぜか「ちょっと考えたいから」と言われてて なかなかOKを出さなかった夫の心を読みかねていた土曜日の午後、
しびれを切らしたので「今夜のご飯はうちで食べるの、どうするの」と口火を切ってみたら なぜ彼がサンマルクの予約を許可してなかったのかわかった。
外食したときに夫がいつも壁側のソファとかを当然のように取って座るので、 「レストランに来たら、男は出口に近いほうに座ってオーダーや会計を担当し、女を上座に座らせる、という図」が正しいと 常日頃から思い込んでいた私が、 春休みの外食の際に、つい、この際だから子供たちに、将来のために教えておこうとか思って、そんな話をしたのを、彼は相当気にしてたらしい。
というかすごくイヤだったらしい。
なんだそれ、私はまた、仕事が入りそうなのかとか、向こうのお父さんの用事ができそうなのかとか、何かもっとすごく事情があるのかもと心配して、予約入れるタイミングをすごーく子供達と心配していたのに、引っ張って引っ張って、理由がそれなんだ。
それで怒鳴り合うような喧嘩になったわけ。 レディーファーストなんて嘘なんだから。そもそも男女よりなにより年長者が上座って当然決まってんだ、僕は社会に出て常識を知ってるんだから。
社会の常識知らないくせに言うな。とおっしゃるので 売り言葉に買い言葉で、 そういう男尊女卑的な言動がものすごくヤなんだ、自分は確かに私より五歳年上だから年長者でしょうけど、それを自分で言わないでよ。 って言った。 私なんか会社勤めはちょっとしかしてないけども(それだって、結婚したら仕事やめてくれっていうからやめたんだけども)、 おばあちゃんにいろんなこと教わってきたんだから。おばあちゃんのお父さんなんてすっごく立派な人だったんだからあー。とかなんとか 苦し紛れに抵抗してみた。 そしたら娘は縮こまるし、息子は「喧嘩しないでよっ!」と耳を押さえるし、ひどい親だと我ながら思ったけどあとに引けない。引けないけど、 クールダウンの為に、使わなくて済んだお金を持ってダイエーに買い物に行った、 ついでにその書籍売り場でエチケットだとかマナーだとかの本を6冊ほど速攻で立ち読みした。 自分に自信がなくなってたから。 で、6冊が6冊とも、共通の事が書いてあったのは、まず席次で上座に座るのは、接待の場合は勿論接待される側。それから年長者。 そして男女の優先順位は、ここで和食のお店と洋食のお店で違う。和食では上座に男性。洋食では上座に女性。
それで私は自分が半分間違って思い込んでいたことを42歳にして知った。 そうですか和食の席では男性が上座ですか。 帰宅して夕食を速攻で作りテーブルに皆が座ったら、開口一番、そのことを夫と子ども達に伝えて、 私は(半分)間違って覚えてました。ごめんなさい。と、強引に喧嘩を形の上では終わらせてしまったので、 夫はまだ不完全燃焼な表情をして黙っていたけど、彼から「ごめん」という言葉を聞くのは期待しないことにした。
けど私は内心忘れてない。あのときの子供達の、身の置き所のないような辛そうな顔、それが私達のせいだったということを。 それに、その晩、子供の背が伸びるのを、何センチか邪魔してしまったということも。
で、土曜日の、犬も喰わないような話が夢だったかのように、 日曜日朝を迎えてみると爽やかな普通の家族の風景。(と思わされてるのかもしれない、お互い一応大人だから)
区の合唱祭に出る娘の為に、前日ダイエーで買ったキュロットスカート(前から見るとスカートにしか見えない)が 気に入って気に入って、何度も鏡に映してみせる娘。そんな娘を抱きしめて笑っている夫。 息子もなんだかんだ言っても妹の晴れ舞台を見についてくる。 会場で客席も一緒に歌った「千の風になって」を、これだけ世間で流行っているのに夫は初めて聴いたらしい。 (夜、テレビで丁度、加藤登紀子が歌うのを聴いて、興味深そうに「ほら、千の風になってをやってる」と私に声をかけてきた) 昨日の激しい夫婦ドラマが嘘みたいだ。なんだこの幸せそうな普通の感じは。いいのだろうか。 私は一応言葉として謝ったことで、もう免罪された気になっているけど、夫はまだ我慢しているんだろうか。 私は妻としてこれでいいのだろうか。 というかもう、仕方ないってば仕方ない。全ての溝を埋めるなんて不可能なんだから。違うものを見て育った他人が同じ家で暮らす以上。 譲れない考え方がお互いにあって、触られたくないんなら触らない。 子供には、夫婦ってそういうもんかもなあ、という、いい見本になってしまっただろう。
私だって、ネットに日記を書いていること自体が裏切り行為だと思う。 そういうの、彼は大嫌いだから。その理由は、理解できるけど賛同はできない。 私は自分がこれは別に悪いことではないと思っていることを、夫に理解され賛同されることは最初から諦め、 夫に隠れてやっている。 でも子供には将来理解され賛同されたい、と思ってやっている。 ある意味、遺書だからこれは。夫じゃなくて子供に向けての。
娘の合唱は、概ね無事に終わったと言いたいけど、昨日まで体調の悪かった友達が、舞台の上で突然、バタリと倒れて、 どうやら貧血だったようだけど、倒れた時に顎を怪我して病院に運ばれていったという、アクシデントが。 ずっと本番に向けて練習していたのに、そのお嬢さんが可哀想だったと同時に、そこまで頑張っていたんだなあと、感心。 風邪って、治ったように見えて案外治っていないことがある。我慢強い子供だと不調を強く訴えないかもしれない。 けなげだ。 そういう根性が娘にはあるだろうか。それ以前に、前日に調子が悪い時点でアッサリ私が休ませてしまうかもしれない。
(ああ、それにしてもサンマルクのお代わり自由の焼きたてパンが食べたかった)
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