2006年06月09日(金) |
「こんなことが気がかりです」というのも恥ずかしい、という話 |
そういえば私は小学4年生ぐらいの頃、日直の仕事がイヤだった。 班ごとの日直で、授業中にウルサイ児童に「静かにしてください」と注意しなければならないのがイヤだった。 どの程度ウルサイ子に、どのタイミングで、どんな声で注意するのか悩んだ。声を発すること自体が、苦痛で、しかも躊躇していると、同じ班の子から「あなただけ日直の仕事をちゃんとしていない」と非難されるのも、致し方なかったけれど苦痛だった。そのせいで学校に行くのがイヤだった。 今から思えば、ホントたいしたことではなかった。適当に声を出しておけば良かったのに。
で、今、大人になった私は、またしょうもない悩みを悩みとしている。 よその人から見れば、たいしたことではないけれど、自分の中では一大イベントとなるPTAの行事が、来月初旬に予定されていて、その責任者としての仕事が、よその人から見ればホントたいしたことではないのに、寝てもさめても自分の頭の中を占めている。
まあ極端に言えば、 そのイベントが無事に済むまでは、どんな娯楽にも心から浸れないし、 テレビを見ていても頭のどこかでその行事のことがあるし、 家の掃除にも本腰入れて取り組んだりできないし、 ふと気を抜くと迫り来るイベントのことを考えてしまって思いつめるし、 そのイベントが済めばとことん開放されて下手すると事故ったり病気になるかもしれないがそれも構わないような気になってしまうのだ。
一方、その行事企画が私の頭の中だけにあるうちは、もっと圧迫感があったけれど、だんだん他の委員さんを巻き込んでいくうちに、少しずつ気が楽になっていっているのも、確かだ。案ずるよりも産むが易しなんだろう、けど。
自分がやったことの無いこと。それがたとえ、知らない人々とコンタクトをとって接待したり説明したり発表したりなんだりかんだり、という、 普通の人がごく普通にやっていることとはいえ、私個人にとっては、なんだかすごく気が重く不安なことだ。 それを、いい歳して「気が重い、不安」と思ってしまう自分のふがいなさも気に入らないし、そんなことで悩んでいるのかってことも恥ずかしいけど、 うちの長男が、やっぱり、そんなことをいちいち気にしそうな気質の傾向にあることも、気になる。 いつだか、「学校を休んだクラスメイトに宿題の連絡をするので、初めてその子の家に電話する」って場面で、とてもとても構えていたっけ。 大人から見れば、ホントそんなのたいしたことじゃないのに、本人には一大事だ。 私を半分受け継いでしまっているのではないだろうか。私の育て方のせいだろうか。
ああ、つくづく、 もっと、ぱあああっと、明るく、「なるようになるんじゃない?」って前向きに思える人間になりたいものだ。
|