気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2005年07月27日(水) お芝居を観る人として

今日は観劇の日。Piper「姫が愛したダニ小僧」。子供は実家に頼み、台風は夕べ関東地方を去って好天。

・・・ところで最近借りたDVDで気に入っているのが、ディズニーの「ノートルダムの鐘」、
(これはユゴーの原作とは別物として味わうべき。ディズニーらしくハッピーエンドだし、フロロは徹底的悪役、フィーバスはなぜか良い奴に。でもこんなノートルダムもいいかも)
大聖堂の最上階からパリの街を見下ろして切々と歌われるカジモドの台詞にこんなふうな主旨のがある。

いつも人々の暮らしを、憧れつつ眺めているだけ。僕は彼らを良く知っているけれど、彼らは僕を知らない。
もし願いが叶うなら。たった一日でもここから外の光のもとへ出て、皆と触れ合って暮らせるなら、もう他に何も要らない。

幸せそうな恋人たちを僕はずっと見てきた。こんなに醜い僕の身の上には決して起こりえないことだけれど、
思いがけず彼女が僕に微笑をくれたから、今夜は彼女の夢を見よう。この思いをこめて鐘を鳴らそう。

・・・・そんなような歌だった。「神の悪戯」と名づけられたカジモドの、そのすごいルックスとはうらはらに、そのエスメラルダへ寄せる真心は、純粋そのもの。実を結ぶことはないけれど、ずっと「見守っているだけ」って思いも、人としてそれも幸せなんじゃないかなあーって、

さて、観劇に話を戻すと。そんな気分で今日は思う存分、観客人生としての半日を過ごした。
席は前から2列目。オペラグラスも持って準備万端。でもオペラグラスなんて要らなかった。かなり近い。ほら、すぐそこに。やっぱりテレビとは別格。

どのキャストも、みんな惚れ惚れするほどカラーがあった。全部きれいに発色してた感じ。これほどすべての役者さんに笑わされるとは意外。

彼は、自分もちゃんと発光しながら、更に他のキャラを上手に引き立てる役でもあった。巻き込まれて困ったような苦笑いが素晴しい。
つまり、「デンジャラスじーさん」における「孫」、「ボボボーボ・ボーボボ」における「ビュティ」、それがいなければ、お芝居は面白くない、そんな役。

届きそうで届かない距離だけど、なんか近かった。客席から一人、中年の男の人が舞台に引っ張り上げられ、重要な役どころを演じさせられたり。
腹筋善之助の一人芝居的シーンでは、ほかの役者さんもそれを遠巻きに見ながら、水飲みながら休んでいて、観客と化したり。
掛け値なしのハッピーエンド、スタンディングオベーション。何度も何度もアンコール、彼らは何度も舞台に戻ってくれてそれはそれは楽しい。
もういよいよこれで終わりとわかっても、私はアイスクリームのふたの裏まで舐めるように、舞台袖を見ていたけど、もう出てこない。

今日はDVDの撮影日でもあったらしい。もちろんそのDVDは帰りに予約していったけど。時間とお金があったら、もう一度観に来たいところだ。



2005年07月21日(木) 生まれて初めて取り調べ室に入った日

真夏の暑さな此の頃。
子供たちの成績表は予想を上回る好成績がめでたく、
娘はたまごっち2個のうち1個は液晶画面が見えなくて手探りで育てて進化してもそれが何のキャラか確かめようがないけど
この夏休みの目標は5メートル泳げるようになることだし、
息子は相変わらず東京の古い河川をテーマに調査にいそしみつつなぜか「メリー・ポピンズ」の砂糖一匙の歌にはまってるし、
PCはとうとう壊れてバックアップとるひまもなく東芝に買い換え半日かかって無線LANの設定も済んで、「ぱらちゃん」ていうデスクトップのマスコットで遊べてよかったし。

そんなこんなで夏休み初日の今日午前9時25分ごろのこと。
息子は夏期講習(学校の。)で娘はプール(学校の。)の間、私はいろんな用事をすませようと自転車で。
バス通りに差し掛かる角で、減速してたしブレーキかけてたし足もついてたのに、出会いがしらの主婦の人の自転車とぶつかった。
前輪が接触して、相手の人は自転車ごとパッターンと倒れて、後頭部から地面に墜落。しかも頭は車道に。そのまま起きない。うわー、今ここに丁度トラックとか来なくてよかったけど!
「泡食った」というのはこういうことなのか。私はおろおろしながらその人を歩道の奥に、向きを変えて必死に呼びかけ。
幸い意識はあるんだけど、頭おさえて辛いらしい。私は全く落ち着きを失っていた。
早く病院・・・。救急車か?タクシーか?それとも家族の方への連絡?どのレベルなんだか、どうしよう、とうろたえているうちに、
通りがかりの男の人が救急車と警察に電話してくれ、声をかけてくれた。なんとか平常心をとりもどしかけた私。ところが救急車は混んでいるという。
やっぱりタクシーが早いのか?交差点へ出て行ってタクシーを拾おうとするんだけどだめでまたパニックにはまりそう。
そこへ生協トラックの配達の女性が数人通りかかっていろいろ助けてくれて、また改めて救急車を呼べて、だけど来るまでが長くて、
その間に、その倒れた人は私に連絡先を教えてくれたのでメモして(私よりよほど冷静な方だった)今度は無事に搬送。
そして警察の人が実況検分。どの位置でぶつかりましたか、どの時点で相手の方が見えましたか、どんな速度で走ってましたか。二人のどちらが速かったようですか。いやあ・・・もう頭まっしろで思い出すのが大変な感じ。
警察の人から名刺渡されて、後で来てくださいと言われつつ、さっきの人が運ばれていった病院に自転車で急ぐ。
その前に、プールから帰ってくるはずの娘のことを、友達のお母さんに電話して、お願いする。
病院に駆けつけたはいいもののどこに行ったらいいのかわからない。受付で聞いて、脳外科へ。今、検査中と言われ、待合室で佇む。
あの人は携帯電話くらいしか持ってなかった。バッグもお財布も持ってなかったな。
そうでなくても私は無傷だし、あっちは優先道路だったし、とにかく治療費は私が払わなくちゃなあ、ああ今日お財布に少しは持っていてよかった。昨日が給料日で助かった。
ふと思い立って、そういえば生協の共済保険に入っていたんだった。ちょうど今月の生協の引き落とし明細書がバッグに入ってた。そこに電話してみる。「自転車でけがさせてしまった場合でも保険使えますか?」詳しいことは明日返事がもらえるようだ。保険が降りなかったらしょうがない、自腹覚悟。
そこに、検査が終わった相手の人が現れて、「異常なしでした。念のため今日は安静にということでしたが。本当に、すみません」とおっしゃった。
私はどれほど安堵したことか。打ち所悪かったらこの人の残りの人生、私が償うことになっちゃうんだし。でもせっかくのお天気のいい日の半日の予定を、私がぶつかったせいでだめにしたんだから、申し訳ないとしか。家族の方が保険証を持ってきてくれたので、それとカルテと診察券を預かって会計へ。そして連絡先を伝えて、そこで失礼して、ふと現実に戻って、娘を迎えに行く。
すごく気がせいたけど、さっきの一幕が脳裏をよぎるので、角ではいちいち自転車を止めて、慎重に慎重をかさねながら走った。

帰宅した子供たちにお昼を食べさせてから警察へ出頭。なんだかものすごく緊張する。だけど警察の人の対応は優しかった。
事故証明の申請の仕方を教わって、釈放?される。

それから、息子の携帯を買いに行く。実は紛失してもう1ヶ月くらいになるんだけど、やっぱりいざというときに無ければだめだと思って。
今度のは、検索でPCからも位置情報がわかる。登録に手間取ったけど。そんなこんなで夕食が8時頃になってしまった。胃がおかしくなったー。



2005年07月11日(月) 我が子ファンとして在るべき姿とは

こないだ娘のクラスの保護者会で担任の先生が、ある「水の話」を紹介してくれた。

コップに水を入れたものが2つ。
ひとつには、バカとか死ねとか汚い否定的な言葉を聞かせる。
もうひとつには、素敵とかありがとうとか美しい肯定的な言葉を聞かせる。
すると悪い言葉かけをされた水よりも、良い言葉かけをされた水のほうが、傷まないし、結晶もきれい。
なんだそうだ。

さて人間の70%は水でできていて、当然回りの言葉に影響を受けている。
だから、きれいな言葉をかけ合うほうがいい。

科学的にも、ありえない話ではないなあと思う。聞いていて快い言葉には、快い何かが含まれている。サボテンだって味噌だって、モーツアルトを聞いていると、きれいに美味しくなるらしい。

この先生のクラスで、良かった。

また先日、学校で催された、カウンセラーの先生の講演会でのこと、
集まったお母さんがたに、先生は「自転車」と「一円玉」の絵を、何も見ずに描かせていた。

いつも見ていても、意外と、ぼんやりした記憶しかなくて、描けない。
一円玉は、実際よりも小さく描いてしまう人、多数。私もそうだ。

見てるつもりでも、見ていない。子供に対しても、同じこと。わかってるつもりでも、心を見てない。本当は大きいのに、小さいと、思い込んでいる。

この先生のお話のエッセンスは、いつも次のことに集約される。
思い込みを捨てて、子供をよくよく見て、話をきいてやり、受け入れて、結果じゃなくプロセスを誉め、自己肯定感を与える。
与えられたものしか人に返せないのが子供。自分が好きになれれば人を好きになれる。何かあったときに自分で解決できる勇気になる。
いつもそういうテーマなんだけど、聞くたびに新鮮で、はっとするお話だった。

去年までPTA活動に関わりまくってスケジュール表の書き込みが多くって、いつも落ち着かない私生活だった反動で、今は家にいる時間を味わいたくて子供と過ごしていることが多い割に、案外子供のことを見ていないのかもしれない。
まあ、TVドラマもいいけど、やっぱり子供がいる以上、子供のファンでいたいってことで。


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