気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2004年09月24日(金) あれから2年になるのね

自由が丘でRちゃんと会った。
津川雅彦のお店が「チルドレンミュージアム」だと知っていたら、あのとき近くだったから足のばしてご案内できたのに。
貴女はあの可愛い雑貨店から、直径1mはありそうなバケツ(大)みたいなのを買ってって電車に乗って帰ったんだよね。
私はなんだかずーっと、ジュケンとシシュンキの話ばかりしてしまったような。

そういえば、ふと気付いたら、青山のランチからもうすぐ2年になるんだなあ、と。
あの、息子の色覚の話を聞いてもらってたあたり。
(詳細)http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23448&pg=20021004
で、ふと気付いたら、私はもうこのことで悩んでいなかった。忘れたわけじゃないけど。
2年の歳月のせいもあるし、それより差し迫った問題のせいもあるし、
男子20人に1人という、実は珍しくもない事象だということもあるし、

で、多分本人も、自分の感覚が少数派の感覚だってことは
うすうす気が付いていて、気が付きつつもそれと折り合いをつけていっているようだし、
私はそれを横から見守っていればいいだけ。
でも「この色は世間一般にはこんな名前で呼ばれている」ことは伝えるほうが
見分け方を上手にするのに役立つと聞いたので、そこだけ意識してるけど、
私の見てる色も、彼の見てる色も、きっとどっちもキレイ、どっちもアリなのは変わらないし。
このことを考える時にもう心が痛くはなくなって、
むしろ「そんな世界を持っている人が結構いるんだ」と気付いたのを良かったと思えるようになったこと。

でも、そんなふうに考えられるようになったのに、こと彼の「アタマ」について・・・算数と理科のニガテなところは
「もっとなんとかならないか」と思ってしまう。
「お母さんは子供のDO(できること)じゃなくてBE(存在そのもの)を愛してください」とは
ウチの学校のカウンセラーさんがこないだおっしゃってたことだけど、
ちょっと私は今、特に今は、そこからはとってもとっても、遠いところに。(だから息子から反発されちゃうんだよね)



2004年09月11日(土) 正体不明なものはコワイ

3年前のNY同時多発テロ事件にからんだ「9.11ブッシュ謀略説」のテレビを、息子は食い入るように見る。
この夏、塾の合間に見たマイケル・ムーア監督の映画の記憶も新しく、「アメリカにだまされないぞー」とか言う。
ほんとうは私利私欲なのに世界の平和の為だとごまかした、と。
テロへの恐怖が煽られて、でも結局石油利権と軍需利権の為に、
イラクはもとよりアメリカ人の自由や命まで削られていった、許すまじ、と。
(でもその映画やテレビのことはどこまで信じていいのか?)

「テロリスト」とか「敵国」とか「悪の中枢」とか、見えないもの・よくわからないもの・はコワイ。
恐がらせておいて、それをうまーく利用してみんなを操ろうとする別の誰かはもっと怖い。
それが誰かもよくわからないので、何を信じてればいいのか見極めるのに緊張しなきゃいけないから、めんどくさい。
けど、分かりやすい話だけ鵜呑みにしていたら、みんな危ない。

経験則から推測するしかない。いかにも良さげな話には、たいてい裏があるってことを。

20年前の夏に、人生勉強のサークルと称した某宗教団体の合宿から、一人脱出して、拝島駅から寂しく帰途についたころから、
私はちょっとは疑い深くなったかな。
これは良いことだと思い込んでいた自分が今は不思議だ。あの合宿の一日目に気付くべきだった。
やたら「世界の終末」の恐さを強調した話が夜遅くまであって、そこで「おかしい」って気付かなかったほかの数十人の若者は、あの後どうしたのか。

追伸 恐がらせられると冷静な判断ができなくなるのは本当だ。
こないだウチに隕石が(いや実はコンクリートの欠片らしい)ぶつかったとき、ちょうど私が座っていたソファのすぐ横の窓ガラスにすごい衝撃があった。このときも私はとてもうろたえてた。
外に落ちていた石をすっかり隕石かもしれないと思ったけど、もしこれがもう少しひとまわり大きかったら、窓は突き破られて私は死んでたよ、とか
これが隕石じゃないとしたら、じゃあ誰かがウチを狙った?誰がどこから?見えない犯人、もしも子供に当たっていたら?
この石はもしかしたら、どこかに届け出しなきゃならない?区役所?研究所?それとも警察?これは家宝?それとも証拠物?
とりあえずその後お隣さんに見せても、近所のスーパーのおばちゃんに言っても、帰宅した夫に見せても、答えは全て「コンクリートでしょ。カラスが投げた?」
と言われれば、もうそれはコンクリートにしか見えなくなってしまった。もうどこからどう見ても、コンクリートだ。そして犯人はカラス、ってことでいいや。



2004年09月04日(土) 迷う匙加減

一年生にもなる娘の、妙に赤ちゃんっぽいところを見つけると、焦る。なんとかしなきゃっていう気になる。でもまだ子供だから大目に見ようとも思う。
私の気分次第で、娘の幼児性を早く消そうと躍起になったり、揺れてる。

眠い時や退屈な時や心細い時の、ライナスの毛布のようなもので、
下唇を噛みながら手では誰かの耳たぶor二の腕を触って、人肌の感触で安心を得ようとする癖。

触る手のほうはべつに見逃しているけれど、下唇噛みは、そろそろやめたほうが、と
パパは見つけ次第「噛んでるよ」と教えている。
私は3回に1回くらい「出っ歯になっちゃうからね」と唇を治してやる。でも2回くらい見逃している。
娘は、治したほうがいいと自覚はある一方、実家の母に言われている「こういう癖は無理に治そうとするより、自立していつのまにかなくなるのを
見守ったほうがいい」という言葉を覚えていて(夏休みなどに遊びに行ったとき記憶したらしい)
「おばあちゃんが、むりになおさなくていいといっていたよ」などと言う。その趣旨には私も概ね賛成なんだけど。
(おかあさん・・・その話は私だけにしてくれればいいのになんで孫の耳にいれてしまうのか)

「もとにある不安や退屈を取り除いてあげないと」っていう正論を、実際実行するのは、すごくしんどい。けど、
ここのところ確かに娘にはきつい環境を作ってしまったかも。
お兄ちゃんの勉強に付き合わせてしまって、家に友達も呼ばず、大騒ぎもできない日が続いたし、私もイライラしてたし・・・。

娘は泣き虫。何かあると、ちゃんと喋れば良いのにただ泣いてるだけで、用件を聞き出すのにしぶとく待って15〜30分くらいかかる。
そんな話をこないだ知人に愚痴ったら「喋ってくれるまでママが構ってあげてることが驚きだ」という意見が出た。
そうかなあ。泣きっぱなしで放っておいて、勝手に喋るのを待ったほうが、しっかりするのかなあ。
うちの子の場合、もし放っておいたら益々、構って欲しくて泣き続けたあげくに、親への恨み(逆恨み?)を募らせて終わるのでは。
自分の言葉足らずは勿論棚に上げて、「親は私をキライなんだ」とかだけ脳裏に刻むのでは。
でも・・・ちゃんと喋るまでつきあってやる親の根気を良いことに図に乗っているのかもなあ。いやこれはどうしたものかしら。

育児はやっぱり匙加減が難しいなあ・・・。
こないだ公園で友達が、「子供についくどくどと叱ってしまう」話をしていた。
頭ごなしに怒っても分かってもらえないから、理詰めで説明っぽく、つい口数多くなって、却ってうるさくなってしまう、って。私もそうかも。

温度計とかあればいいのに。ここまでは甘えていい、ここからはさあがんばれ、っていう線。
構い過ぎず放し過ぎない、適正体温な線が見えれば。


 < 過去  INDEX  未来 >


n-k [MAIL]