2004年08月19日(木) |
定期的におっぱいを見張るべし |
自分で胸を触っても、いまひとつよく分からない。しこりがあると言えばあるような気がする。痛いといえば痛いような気もしてくる。
息子の合宿に合わせて娘も実家に預け、その間に、 以前から母や妹に強く勧められていた乳癌検診に行った。 区の無料検診は問診と触診だけなので、どうせやるなら有料でもX線と超音波、 その設備のある中央病院に、妹もついてきてくれたので、心強かった。
妹も半年に一度、ここで超音波で乳腺炎を見張っている。 「うちのお母さんの乳癌だって、あの日、自発的に検診に行かなければ、今ごろ死んじゃっていたよ」 偶然の早期発見が母の命を助けた。それでも左胸は失くすことになった。
マンモグラフィ(X線)の挟み板は痛い。ヒトのおっぱいはここまで平べったくなるのねと感心する。 それでも私のはもともとボリューム無いから簡単なほうかもしれない。
なんとなく気になっていた左は何事も無く、むしろ、特に自覚症状の無かった右に、影があり。 まあ多分乳腺炎だろう。「乳腺炎なんですね?」念をおすと「はっきりとは言い切れないんですよ」 先生の、正直で曖昧な言葉のひとつひとつに、前神経を集中して、聞いていたけれど、 結局私のできることは、半年後に再検査に来ることだけ。
改めて、母のことを考えながら、自分のことを考えた。 癌体質を受け継いでいるにもかかわらず、どこかでタカをくくっていたけれど、 これに関しては楽観主義をやめよう。やることやるまえに死なないように自分を監督する。 おっぱい自体は、もう役目を終えてるし未練はないけれど、でも命に責任持たなきゃと思った。
それにしても初診だし、待たされた。8時半から4時近くまでかかった。 合間に食べに出たスパゲティランチのデザートの蜂蜜レモンソフトと、帰りに寄ったケーキ屋のパイナップルムースと、 妹とのおしゃべりは、嬉しかった。
>妹へ ありがとーね。だんなさんが望むなら、チンジャオロースーのピーマンは3ミリ以下に細切りもしてあげて、夫婦仲良く暮らしてください。
息子が楽しい修学旅行を終えてまもない今日、 学校の宿題として出てるその旅行レポート、忘れないうち早く書いてしまいなさい、と 私はうるさく言った。 そしたら案の定「親に言われるとやりたくなくなる」と言って頑として聞かない。 じゃあ、とほおっておくと、やっぱり、やろうとしない。 こっちはやきもきしている。来週からはまた塾の合宿と、夏期講習後半、が控えている。なにせ天王山。 だから学校のは、私の目の前で、軽くサッサと片付けてしまって欲しい。そうしないとこっちが落ち着いてイベントを持ち出せない。 今週は、ほかに「お出かけ」(場所未定)や「自由研究」(簡単な制作の予定)も、こなさなきゃならないんだから。 で、やっと一枚、半日もかかって重い腰をあげて仕上げ、その完成したB5の紙を小さく小さく畳んで、おもちゃの飛行機に載せて、 私に飛ばして、見せに来た。なに可愛いこと、してるのか。 知らずに開いてみると、なんとその宿題で、なんで学校に出すものをこんなに畳むかと思いつつ、出来はなかなか良かったから、スゴイと誉めた。 ところが。 そのあとも引き続き、その提出物を飛行機で遊んだらしい。挙句、どこかに置き忘れたらしい。「なくなった・・・。」 散々探して、見つかったけど、苦労して仕上げた提出物を、遊んで紛失するなんて、 ばかじゃないの!と出掛かったのは我慢して、でも怒ったさ、そりゃもう呆れるほど連続射撃のように。 親の心、子知らずとはよく言うけど、ホントそうだね、と。 この夏休み中に、子供の宿題・受験勉強・遊び・諸々うまくこなせるか、こんなにこんなにこっちは気を揉んでるのに本人が真剣味が足りない。 (しかし、因果は巡るというか、私も中学の頃、親を巻き込んでやっとやっと仕上げた折角の宿題を、提出日に持参するのを忘れて、母に激しく叱られた。なぜあそこまで母が怒ったのか今ならよくわかる)
でも私が大人げ無くふてくさっていた夜になって、息子が涙で訴えた。「僕は自分に自信が持てなくなっちゃった、受験のせいで」 あ、いよいよ何か来たのか、と思って聞き出した。 つまりこういうことらしい。受験勉強が始まる前の時代は、学校の授業では成績も結構良くて、自分って頭良いんじゃん、と自信があったのに ひとたび塾の受験の世界の中で、習ってないことが急に出てきて、全国模試の結果なんかも、自分の偏差値低いし、 公立中に行けばラクなのに、その公立に不安があるばかりに、やりたくもない受験勉強して国私立受ける、もし受からなかったらどうなるのか、 落ちたら、まともに評価してもらえないのか。心配だ。しんどい。
そりゃあそうだよ辛いはずだよ。子供のほうがずっとずっとしんどいよ。というか、 そんな心配・そんな辛さを、子供に強いていることが「ホントにこれでいいの?この先どうなる?」と親は心配で辛かったけど、 それよりもずっとずっと子供の気持ちのほうが重いのよ。これ、あぶなく忘れかけてた重要事項。 しかも、親はある程度先を見越して「これがだめなら、あっちの道があるさ」とどこかで切り替えて考えていられるけど 子供は「今」しか見えてないから、だめだったときのことをイメージできないんだった。ああ、そこが盲点、不覚だった。
最近の息子のイヤに反抗的な態度や妹とのケンカのわけが、ちょっと見えた気がした。 ぐらぐらしている自尊心を立て直したくって必死だったんじゃないか。 気が付かなくて、ホントに、悪かったと思う。そんなふうに自信を無くさせて、済まなかったと思う。
それでせめて私と夫は息子に話した。 努力した結果、たとえ中学受験が失敗したとしても、その過程で得た学力とか人生経験は無駄にならないよと。 今の学校の現状は個人がどうこういってもすぐには変わらないのでこっちは良かれと思う努力を尽くすだけ。 でも、受かった学校でヒトの価値が決まっちゃうわけでもないし、将来が決まっちゃうわけでもない。大事なのは努力した事実。 ただ、2月6日までは、とりあえず、公立中は無いものとして考えていたほうが勉強に身が入るし、苦労を先取りできる、ってだけのこと。 落ちたときバージョンの考え方もちゃんと別途用意しておけるんだし、それは2月6日以降、落ちてからいくらでも発動できるし、 どっちみち親にとっての子供の大切さはどうでも変わらないんだよ。今はあんまり信じられないかもしれないけど。
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