気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2004年04月27日(火) 役員の仕事&きれいなトイレっていいな&いじめっ子&母の板挟み状態&元幼稚園の先生の結婚式

(何が書きたいのか一つに絞れないのかしら。↑ じゃあひとつに絞ることにしよう)

もー、いろいろあって、今月は、追われるようだ。
どこの組織も年度変りの頃は忙しいものだけど、・・・娘の入学のときに役員やってるのは失敗かも。

あまりに幼稚園生活&ママ友が楽しかったせいか、役員の集まりにいても、心のどこかで、
「ここは私の居場所じゃないんじゃないか」とか、ふと思っちゃう。帰りたくなっちゃう。けど、
そんなこと言っててもしょうがないし、またそんな暇もない。

会計って肩書きでも、結局は8人の役員のひとりだから、お金以外のお仕事いっぱいあるのね。
でも会長副会長の、まるでPTA正社員なのかというくらいの毎日の多忙さに比べたら、ましだけど。
今回の会長、すごく前向き、新しい試みに挑んでる。役員メールが飛び交うから、毎晩PC開けなきゃ。
そのメールは、直接の担当者宛てじゃない内容でも「全員に返信」
そうやって担当以外の役員が今何をかかえているか、常に分かるのは画期的だけど、脳が忙しい。

「なぜこんなことまでやんなきゃいけないの、きいてないよ、こんなはずでは」って落ち込んでも逃げられないなら、
そーいうもんだと諦めつつ、ま、これも修行だ勉強だ。
かといって子供の話もろくに聞いてやれないような疲れた状態に陥るんでは、なんのためのPTA活動だかわかんないから、
かなり自分の基礎体力を徐々に上げていかなくてはならない。

離れて住んでいる(祖母と伯母のそれぞれの言い分を聞いて板挟みでつぶれそうな)
母の電話の愚痴くらいいっぱい聞いてあげたいのに、心身ともにこちらに余裕がない。

そんな状態なのは夫にはちょっと言えないからぐっと私の中で高速消化しているのに、
「平日にちゃんと息子に塾の算数、そばについて教えてやりなさい」など無茶なことを夫は言う。
よりによってこの私に、よりによって算数などを強いて勉強させようとする者は、なんびとたりとも、ただでは済まされないというのを、
貴方はご存知であろうか。命を捨てる覚悟はあろうか。

息子は、意地悪な子が塾の教室にいるのを、悩んでいるんだけど、それはまた次回に書くことにします、
これから役員会を兼ねたランチに行ってきます。(4・27 10:00)



2004年04月07日(水) で、その夕方、息子のこと

娘の入学式の日の夕方は、もらってきた教科書やら工作板やらに名前を付けたり、提出書類を仕上げたり、こまごました用事がごっちゃりあって、
でも息子の仕度は、クラス替えもないので、数字の5を6に書き換えるだけでいい・・・はずだったのに
「実はボクも学校で使ってる道具箱がなくなってるんだよね」って今更いうもんだから、「自分で買っておいで」と言おうと思ったけど
私も用事があったからついでに近所の文房具屋さんに行って「お道具箱ください」って言ったら、おねえさんが組み立て式のを出してきた。
なんの疑問も無くそれをもらって帰宅して息子に組み立てをやらせたらうまくできない。
止め具がうまくパッチンとはまらないのだ。
これは・・・考えられることは 1、部品が間違ってる 2、もっとなにかコツがある 3、金槌など、ほかの用具が必要
どうなんだろ。もう一回さっきのお店に行って、「これってどうやって作るのか」訊いてみなきゃ。
でももうすぐ夕食準備だし忙しいしメンドクサイしー。
それで、だいたい元はといえばこんなものを息子が紛失するからいけないんであって、息子が自分で現物を持参して訊いて来るべきなんだと気付いた。

そしたら彼は「なにをきいていいか、わかんない」とのたまうし。どうもこうも、ききたいことをきけばいいのさ。
今自分が知りたいことをきけばいいんだし、何を知ればこのお道具箱が完成するのかわかるでしょう。
そしたら彼は「いやだー、行きたくないー!自信ないんだよおー!」って、赤ん坊の如く、わーわー泣き出すに至る。
そこで私は優しく「じゃあ一緒にいってあげる」等とは言わなくって、ますます意地になってというか、ここぞとばかりに
「6年生にもなって、お店の人に聞きたいことも訊けないんでは、この先人生どうするのよー!絶対大丈夫だからとにかく行ってきいてみなさい」
もう、情けない。
「なんてきけばいいのか、メモする」っていうからますます腹がたって「スミマセン、この箱の作り方教えて」でいいじゃん!ってちょっと怒った。
ここまで意気地無し、ここまで応用力無し、なんだったの私の11年間のしつけは。一時間以上すったもんだして、心を鬼にして玄関の外に追い出す。
とにかく、向こうに行ってしまえばなんとかなるって!「渡る世間に鬼は無し」なんだから。

と言いながら、帰ってくるまでのおよそ30分、ながーく感じて、いろんな悪いパターンを思い浮かべては胃が痛んだ。
店でただ泣きじゃくって何も言えないでいるとか。または、そこまで行くことさえ出来ずにどこかへ放浪しているとか。泣きながら車にはねられてるとか。いろいろ嫌な想像。

そしたらケロッと帰ってきた息子、「なんか簡単だったよ。めいっぱい力入れたらいいって聞いて、できたよ」
・・・・なんともいえない、脱力の瞬間だー。「案ずるより産むが易し」を学んで欲しかったとはいえ。
「可愛い子には旅させよ」なんだよ。でも最初の動機は自分が面倒だったからなんだけど。
嬉しくてお小遣いをやってしまったのは私にしては、かなり甘かったと思う。ていうかこの道具箱事件で貴重な夕方の時間を足掛け二時間も使っちゃったわ。



2004年04月06日(火) 入学式

娘の入学にあたって、いっちばん気がかりだったのは、どういう先生が担任になる運命なのかということ。
子供にとって「学校」「先生」への第一印象が、安心信頼できなかったら、
この先六年間だけじゃなくて中学高校とずっと長年の学生生活にかなりの悪影響出るから。

「幼稚園では、ただ泣いていても、誰かがきて面倒みてくれてたけど、学校では、困ったら自分ではっきりものを言わなくちゃ解決しないよ」
ってことあるごとに娘に伝えてはあるんだけど。
だけど初めての環境に、我が子も、友達も、子供なりに神経張り詰めてるだろうから、
ちょっとしたことで多分泣きたくなったり、あるいは友達に優しく出来なかったり、いい子になりすぎて萎縮したり、逆に我儘放題になったり、
そんな子が続出するに違いない4月5月。
そういう気持ちをきめ細かくよーく分かってくれて・子供を安心させつつ・しかもうまく軌道修正しながら叱るべきときには叱れる、上手な先生っ
ていうのが、
一年生担任の理想なんだけどな。勿論親にもそんな気構えが必要だと思うけど。
授業内容とか授業日数とかへの不満は、公立なんだからある程度しょうがない。とくに注文はない。
授業が難しいor簡単すぎるなら、うちで補って教えるか塾を考えればいいだけのことだし。

あとは、この先長い学校生活で、未熟で自己中である意味残酷な、うちの子や友達同士が、
誰も追い詰めたり追い詰められたりせず、誰も死んだり殺されたりせず、無事にクルマにも轢かれず、変質者にさらわれたりせずに、
生きて帰って来いって感じ。
子供の頃はちょっとのことでも、それが世界の全てになっちゃうから、「そんなのたいしたことじゃないんだよ」っていつも教えていなきゃならな
い。
給食が全部食べられないだけで人生真っ暗になっていつも泣いてた私の小学4年生のあの頃を思い出す。
大きな声が出せなくて、人知れず日直の仕事が辛かった小学5年生の自分、今なら笑って思い出せる。
何かの本に書いてあった、いじめに負けない心得かなんかで「世界地図を眺めよ」っていうのがあったわ。
いじめてる誰かさんは、この広い世界の何十億人の中のたった2〜3人なんだよって、
ちょっと俯瞰で気楽に自分を見直せるアタマ、が小学生にはきっと足りない。親はそれを時々教えなきゃいけないなあと思うし。
そして機会があれば学校に顔を出して、なにかと様子を見ていられたらいいなと思う。

・・・・・・そんなような心積もりで今日の式。発表された担任の先生、前に受け持ってもらった人にきくと
「若いけど、すんごい良い先生よ。子供の気持ちをよく分かってくれるし」それが一人じゃなく何人もの人がそう教えてくれたので、
まずはラッキー。懸念の80%がこれで払拭された感じ。
思いのほかお行儀の良い娘、新入生の受付の手伝いをするけなげな新6年の息子、ひたすら親ばかな表情の夫(半日休暇)、そして保護者に配った
PTAの名札のことやら広報用の新役員の記念撮影のことやらで気もそぞろながら、どこか気楽な私。
もらった教科書類を持参したランドセルにいれて背負わせて帰宅、でも途中で娘はネをあげて、
じゃあ荷物を半分持ってやる、でもまだしんどくて歩けない、じゃあ更に半分に減らしてやる、って10分の道のりを30分かけて帰る。
行き帰りだけでこんなにへろへろでは先が思いやられる。
午後は、他の学校に行った子も幼稚園に集って、園の先生にランドセル姿を見せ、久しぶりに園庭で遊ぶ子たちに、時間が遡ったように錯覚した。
お天気もよく、桜もまだ残ってて、なかなか今日は良い日だった・・・・・・、が、夕方、息子がらみでひと悶着あったのでした。
それはまた長くなるので日付を替えて書きます。



2004年04月01日(木) 歌った(自己満足全開)

子供の頃、祖母の家で面倒を見てもらっていたころはよく、自分の見た夢の話ばかりするのは良くないと言われていた。
ということを以前書いたと思うけれど、
母には許容されていたことで祖母とか伯母にはとがめられたことはもうひとつあり、
ハナ歌を歌うことだった。厳密には「誰かが傍に居るのに一人でハナ歌を歌うこと」が失礼とされた。
至極、筋の通ったしつけだったと思う。

傍らに人無きがごとし(傍若無人)を地で行く行為なわけだからね。
傍に誰か居るのにそれを無視して自分だけの世界に入ってしまう私はよく叱られた。
信号待ちでふと無意識状態になると、軽く歌ったり踊ったりしてしまう私は、よく妹にもたしなめられていた。

今日は子供達が実家に遊びに行ってしまい、平日にただひとり無駄に自由だった。
ママ友達は子連れ生活なときに、私ひとりで平日に身軽でも、たいして面白い社交の場にはでられない。

午前中ダイエーでポケットファイルアルバムを買った時点では、「子供のいない間にいよいよ写真を整理する」気でいたけど、
お昼ご飯を残り物で済ませたあと何かやる気が萎えてしまい、急に一人カラオケ屋さんに行って見た。
平日昼間は安いと聞いていたので、この際カラオケ屋さんの使い方をマスターしてやろうと思い。

最初は、個室の外にまで自分の馬鹿な歌声が聞こえるかもしれないとかって控えめにしていたけれど、
だんだんずうずうしくなって、どんどん自分の世界に入っていって、アニメソングなどをどんどん歌いまくり、
腹筋を鍛えた。
一人で歌うというのはとても勝手な事ができる。サビだけ知っててそこだけ歌って中断したり、気に入った同じ曲を何度も繰り返してみたり、
かけておいてあえて歌わず飲み物を飲んだり、そうかと思えば歌いながら上の空で曲集を繰りながら立て続けに谷山浩子のばかり入れたり、忙しい。
さすがに2時間も歌うと自分の歌に飽きてくるし、誰か他の人の歌声がないことの寂しさに気付いてちょっと虚しくなるし、
会計で、夜よりは安いんだろうけれど、全く自分だけの満足の為に払うお金に何だか悪いことをしたみたいな気分もあるし、
でもちょっと嬉しかった。

大声を出して気分は良かったので、かなり免疫力も高めたと思う。明日も行こうかどうしようか・・・。(夫には言えないことがまた増えてしまった)


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