2004年03月27日(土) |
それ以来。(でも結構会えるんだよね) |
お別れ・・・っていっても会おうと思えば会える。ただちょっと今までよりもお互いに会おうとするエネルギーが要るだけで。 自分はそんなに変わってないし、皆もきっと変わってない。「会おうっ」と頑張って会えばいいし、会えない時間が積もっていってもいつか会えばここに戻ってこられる、多分そういうことだと思う。
6年前のゴールデンウィークに社宅を出る時に、私はあえてRちゃんなんかには改まった挨拶とかしなかった気がする。 「またくるから。またね」という気分を保ちたかったので無理無理にも涙をはぐらかそうとしていて、でも一人になるとガーってティッシュを浪費してぼろぼろ泣いて、 でもあれから時々潮干狩りとかお花見とかランチとかでお会いできていて、 そのたびぎゅーんと気分が6年前に戻りつつも、いつのまにか子供は随分大きくなってしまっていて、 こないだの水曜日息子の友達関連同窓会(葛西臨海公園の水族館が水曜日定休日だって知らなかったけどそれはそれでカフェテリアのケーキも持ち寄りのおやつタイムも楽しいし海老おかきを食べながら「しょっぱい」と「塩辛い」の違いを力説する会話がおかしかったし) 記憶のなかではいつまでもぽよぽよした赤ちゃんな社宅友達の子供達が 小学生なんだし妙にでっかくてよく考えるとびっくりするけど、でも大人しいのは最初だけ、すぐ大騒ぎして、何にもない場所でも汗いっぱいかいて遊べて、 あの頃とほとんど同じみたい。 幼稚園のかえりに「さと」なんかで食べさせながら、「ちゃんと座ってたべなさーい」とかいいながら、でもいっぱいおしゃべりしたあの頃と。
昨日何してた、今どうしてた、をお互い全部は知らない生活になっても、だからこそ・の楽しい会話も別途生じるわけで。
こないだの金曜日娘の友達関連同窓会(KさんとKちゃんが企画してくれてまた葛西臨海公園で今度は水族館にも入れて外でも遊べたし水上バスではタイタニックの映画みたいだと子供もはしゃいで私も波をみながらすこし脳みそ洗ったし) つい10日前にあんなに別れを惜しんだ先生や園児たちやママ達が、そんなのベツにウソだったようにあいかわらずな姿を見せてくれて、 本当に卒園したのかさえ疑わしい。 きっと6年後には、妙にでっかくなった子供達と記憶の中の子供達とを見比べながら、でも会えばぎゅーんと今日あたりの気分にワープして戻っておしゃべりできるのかもしれない。 いや、その間にもなんかかんか結構お互いに会えていて、別に違和感もないのかもしれない。
謝恩会の様子をビデオ撮影してくれた人からマスターテープを借りてきて、憑かれたように夜中までダビングしまくりの日々だった。 135分を120分テープに収めるべくちょこちょことカットするのにずっと見つづける間に、 固定カメラがとらえていた、いろんな懐かしい仲間達の、無意識な横顔や背中をいっぱい眺めてはまた泣いたりしていたのに、 そのダビングしたビデオを配ったり交換したりとか、上映会に呼んでもらったりとか、なんだか普段と変わらないくらいママ達と会えて、 でもまた夜になるとビデオ観て卒園気分に浸って、・・・それはそれは不思議な春休みを過ごすうちに 傾いて回ってたコマがだんだんまた垂直に戻るみたいに、普段どおりに戻れそうな感じもした。
3年前の娘は、本当に小さかった。 髪の毛もほとんど無いに等しかった。 ちょっと歩くと疲れた、抱っこ、と泣いていたし、 ちょっと押された力が強いと泣いていたし、 トイレの便座にお尻がすっぽりはまって泣いていたし、 困ったことがあっても何なのか言えずにただ泣いていたし、 そのくせ妙に自分があって、頑固で、でも言えずに周りを悩ませたし、
いまでも小さいけれどとりあえず、身長1mはやっと超えた。 頑固ながら、意思を疎通するのがちょっとはうまくなった。 パンツを膝でとめたままで用をたせるようになった。 お弁当をめったに残さなくなった。 我儘ほうだいは少し直って、後輩をかわいがることも覚えた。 ちょっと遠いところまでは歩いても根をあげなくなった。 そして地肌が見えないだけの量の髪が生えた。
卒園証書の貰い方を練習中、一番上手と誉められた。 どんなふうな式次第なのかを親にまともに説明できるアタマをいつのまにかもっていた。 たった3年の間になんだかいろいろ育ってくれていた。
家で、親だけでもしも育てたら、面倒でor心配で、多分そこまでさせられなかっただろうな、ということも、いっぱいさせてもらえて、 予期せぬハプニングや、友達の思いがけない反応、そういうものに触れられて、 ちゃんと親離れ子離れさせてもらえて、 本当に良かった、3年保育。 へんなものさしではなくて、その子その子をまずは受け入れてくれる安心感がこの園にはあった。 子供達にもその姿勢は伝染り親にも伝染り、だから一層、 クラスの子全部の3年間の成長に感涙しちゃうような卒園式になる。
去年よりも今年、昨日よりも今日、子供はさりげなく前に進んでるからすごい。
私はどう。何も進んでないけど、自分がそして友達が、もともと学生、いや「子供」だったことは再認識できた。 貰ったものはたくさんある。 いろんな行事の準備や係りの仕事やサークル活動を通して、私と同年代−10+10くらいの範囲の仲間が見せてくれる、 隠れた特技とか、意外な一面とか、ちょっとした好もしい気持ちとか、キップのよさとか、 そんなの見ちゃうと、得した気分。 誰かの言葉の行き違いとか、ひとの思惑の難しさとか、そんなことでたまには悩んだりもするけど、 ほとんどの友達は、それをがんばってクリアできる力をくれようとするし、結局もらえるし、 だからこそ見られる、誰かの心のキレイなところ、 そんなの見られるのってラッキーで期間限定なお買い得な時代だった。 いつまでもいつまでもそこにはまっていたかった。まだお腹いっぱいになってない。
別れたくない人との別れはいつもいやだ。 会えば多分たくさんおしゃべりするだろうし、それはまた別な楽しみだろうけれど、 でも今この状態の自分が今この状態の仲間とこの心理状態でいられるのは今だけ。 そーゆー、かけがえがない時間の集まりなんだね寿命って。なんてことをすぐ考えてしまうのも、30代最後の歳だからかなとか。 会う人ごとに言ってるけど、月に帰る前に記憶を消してくれる薬を飲み干すかぐや姫を見守るじいやばあやみたいな気持ち・・・。
2004年03月11日(木) |
熱いモノ恐怖症そのほか |
今日は本当は謝恩会の出し物の練習に行きたかったのに、学校の役員の仕事があったのでした。 あの8年に一度の常任理事校のお仕事の、次の学校への引継ぎの会ってやつなので。
そこでのお茶出しの仕事が、どうも苦手なんだ・・・。 お茶を出す、そんなのワケない仕事。普通の人には。だけど私は人知れず、そのことに ものすごーく緊張する。 ポットから急須に熱湯を注ぐことが神経をすり減らす。
熱いものが触れる(かもしれない)ことがこんなに怖いのは、主婦にとっていかほどにマイナス要因であることか。 たとえばめったにないことだけれど、姑の家で嫁たちが集まって、台所を手伝うとする。 鍋つかみがない、ろくに布巾もない。そんなことがストレスになるのは私だけだろう。 茹でた麺をあっちからこっちへ移すのも、熱いお湯が撥ねるから勘弁してもらいたい。 主婦のくせに大声で言うけど、揚げ物なんて大嫌い(食べるのは大好き)、料理は大の苦手。 家庭科の成績がいつも2なのは、おしゃべりしていたからでも先生を嫌いだったからでもありません。真面目にやっても掛け値なしの2でした。
一般の人が平気なことが平気じゃないことって、よく考えると不思議というか、なんでそういう差が出るのか、
他にも、有毒化学物質恐怖症とか、黒い液体恐怖症とか、いろいろとあったけど、それはなぜか成長に伴い緩和されていった。 (だけど今でもタバコはちょっとした人類の敵だと思ってる) 吠える(かもしれない)犬、ついてくる(かもしれない)大きい犬、も相当苦手。なぜか全ての大型犬は私に吠えて、私についてくる。
同い年の従兄弟はそういえば、粘着モノ恐怖症だったっけ。 べたべたするもの、例えばガム、ガムテープ、セロテープ、糊とか。幼少の頃から、それらを必要以上に避けて生きていた気がする。 何が彼をそのように育てたのか。謎だ。個性なんだろうけど謎。
息子と夫は、家族が食べかけたものを口にしない。お箸もジカバシは喜ばない。 「これ一口あげる」とか言っても遠慮されると家族なのに寂しいじゃないか。 息子にいたっては、私はあんたのぐちゃぐちゃな食べかけを食べるのはまるっきり平気だし、よだれもハナミズも拭いたり吸ったりしてきたのに、 ちょっとでも私の食べかけだと「いらない」っていうのね。まあいいけど。そのほうがミュータンス菌がうつらなくていいけど。 もともとは彼も私の体の一部だったっていうのにねえ。まあそんな意識は子供には迷惑だろうねえ。 その感覚は私の好みじゃないけど、息子の個性ということで黙認してあげます。
2004年03月01日(月) |
目下、欲しくてしかたないもの |
ひさしぶりに書いてる。この1ヶ月近く、いろいろあったのに。
(息子は、視力の悪化を防ぐ為に禁止になっていたゲームボーイを、どうしてもやりたくて、 また無断で買って来て隠れてやって、またパパに見つかって、 とうとう一日30分だけ、宿題やった後のみ、許された。 全面禁止よりは、かえって早く卒業してくれるかもしれないし。 娘は、入学お祝い金で机とともに買ってもらったランドセル、色も気に入っていたけど、 実はいっとき、売り場で心ひかれたサンリオキャラのランドセルを諦めさせた。んだけど、 すごく仲のいいお友達のうちでそれと同じのがあるのをみて、夜忍び泣きしたりしたし。)
欲しいものを諦めたり、妥協したりしなきゃいけないことは多々あるものよのー。がまんがまん。なんてこともあった、最近。
忙しい・・・。自分がとろいだけなんだけど、何かをするのに時間がかかりすぎ。 だから今欲しいものは時間。 PTAの会計の仮決算のことは、もう一人の会計の人が優しいから助かったけど、 謝恩会の余興の練習・準備が・・・今頭の中、そればっかり。 だけど楽しい。恥も忘れて、「楽しい」と叫んで回りたい気分だ。 だって主婦生活には普通でてこない動きを練習するんだし、普通でてこない分野のことを考えるのって、 まるで自分が主婦でもなんでもない人って感じで、そんな自分が出せるのって、なんか嬉しい。 そんな主婦達が集まって相乗効果で盛り上がってる。
でもその一方で、刻一刻と去っていく幼稚園ママ生活。 娘がこころから楽しそうに遊んでる相手が、4月からは隣町の学校にいってしまう子だったりすると、 別れが辛いだろうなーと、切なくなるし、 今あたりまえのように朝に昼におしゃべりしたりしてるママ達と、こうしていられるのも、あとわずか、 時の流れをおしとどめたいし、
なんだか、すべてのことは行ったっきり戻らないんだと思うと、そうか今だけなんだと思うと、 あわててじたばたと大事さに気付くなんて。なくなると思うと急に惜しくなる。
余興でちょっとお腹のみえる服を着る予定なんだけど、自分でそれを決めておきながら、 自分のお腹を改めて見ると、ものすごく「これはまずい」。 ここのところ、食費を浮かそうと思って、ちょっと食べてないでいたら、ぽっこりお腹は少しへっこんだ。のはいいが、 皮は伸びたままであることが判明。さっき入浴中に気付いた。そうか、ただ痩せればいいってもんじゃないんだ! だって、アイロンかけるまえのレーヨンのシャツのしわみたいに、ゆるゆるへろへろギャザーよせみたいに、 あー、もー、すごいショック。今から腹筋きたえても、まにあわないじゃないのか。 ぴっちり張りつめた若い皮と肉が欲しい。欲しても、手の届かないものへの、満たされることの決してない渇望っ。
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