2004年01月31日(土) |
そろそろホントにオトナになりたい! |
片思い体質。「貴方が私を思うよりも私が貴方を思うほうがおおきい」ていう状態が大好き。 振り向いてくれない人のことを思っている時間がたのしい。でも虚しい。 自分が思うよりもおおきい、愛という名の愛着が、誰かから来そうになると、怖くて押し戻したくなる。あるいは、最初からよけて通りたい。 両思いには期待が持てない。緊張感がなくなってつまらない。 ていうか、私をホントにまるごと理解して受け入れてくれるなんてあるのか?思ってくれるならそこまで思って欲しいとか思っちゃう。 (ていうかモテない言い訳みたい)だから虚しい。
乳児の頃から、血の滲むほど愛されまくってきた。その、こっちに向かってくる強烈な「思い」のうち、 ほぼホンモノだと思えたのは、(子供の頃は)母からの愛だけ。無条件で、まるごとで、疑いようもない。 おばあちゃんとかおばさんとかのは、すごく強いんだけど、条件付だし、好みに合わないワタシ像を矯正しようとするし、自己満足だし、自己実現の手段だし、拒むと激しく非難され泣かれるし、要するにホンモノじゃあないな、って感じてて、逃げたかった。でも、
昨日、私のために来た皆さん。伯母は来るなり家の中を拭いてまわってくれる。姪のために一生懸命役に立っていることが幸せそうで生き生きしていた。 皆で苦労して選んで買って来てくれた洋服は素敵で、祖母が「私が最初に見つけたの」というと、すぐさま伯母が打ち消して「いや違うわよ。私が選んだんだから!」と、大人げない発言。 それで祖母はちょっとへこんで、そのあとも「私はなんの役にも立てなくって・・・。」と落ち込んでるので、なだめる言葉を選ぶのに苦労した。 「役に立てない自分・感謝されない自分」をすごく恐怖しているような二人を、昔は避けたかった。でも、 たとえちょっとくらいホンモノじゃないところがあっても、思ってくれるんだから、もう、それはそれでいいか。
私自身が親になってみてわかってきた。私が彼女達に求める理想は高すぎるような気がしてきた。 自分も完璧じゃないくせに、彼女達に完璧を求めるのは酷な話。ここらで赦してあげないとバチがあたりそう。
産んでみると、我が子達はこんなに可愛い。 好きになろうとして好きになってるんじゃなくて、愛してることが当たり前。自分の一部。それ以上。 子供のことを無条件に大事に思っているのに、そんなこと言わずもがなでしょうって、当然伝わっているでしょうって、当たり前すぎて、緊張感がなくて、 愛情表現をサボってしまう。優しい言葉もかけそこなってしまう。 だけど子供はそんな事情を知らない。 「ホントに?それはホントにホントの愛なの?ボクはただいるだけでホントにいいの?」って、ともすると疑ってる。 親の感心を得るためにどんなことでもするし、無条件で愛されてる安心感をいつも確認していたい。それが子供。 そんなことを忘れて最近、とくにお兄ちゃんのほうには優しい言葉をかけてなかったかも。 今年もハイソフトキャラメルを忘れずにプレゼントしてくれた時、もっとはっきり素直にありがとうって表現するべきだった。いまからでも言わなきゃ。
だから30代最後の誕生日の抱負は「オトナになって、ホンモノの両思いを素直に目指すこと」 自分の冷たさを、幼少のころからの過干渉のせいにばかりしてた時代は、卒業したい。 向かってくる思いを、太っ腹で受けとめて、さらに倍返しできるような、そんなホントのオトナになりたい、いい加減。
2004年01月12日(月) |
彼の言うこときいてりゃ間違いない(こともある) |
彼はよく言えば地に足のついた手堅い人。 悪く言えば(※伏せます)。 無駄も寄り道もその価値をほとんど認めていない。 私はどちらかというと、その無駄と寄り道こそが、人生の楽しみだと思うんだけど。 主婦に遊びや交友を認めないとまでは言わないけど、いい顔しない人。 じゃあプロポーズのときの「幸せにする」って言葉はどういう意味? 子供を育てたり家事をする役をきっちり与えてあげるよ、ということなのかな?
給与は彼が管理し、一部を生活費として妻に渡す。 その使いみちの要る要らないは、彼にお伺いを立てていたら、ほとんど「要らない」になってしまう。 そんな彼に妻は正面切って議論することをいつか諦め、だけど自分のやりたいことはやりたいし、 そうかといって嫌われたくはないし、いい顔していたいし、 ずるい妻。 だからだいたい懇願・なし崩しor事後承諾orナイショで対応。 結婚してしばらくは家にエアコンはなかった。彼曰く「エアコンは贅沢品だ。役付きまで出世したら買うかもしれない」 そんな彼に妻は、女の生理的な事情がいかに寒暖の厳しさに弱いかを身をもって訴えて、妊娠をきっかけに買わせた。 子供が生まれる前に、どうしてもビデオカメラが欲しかったので買ってというと彼は要らないという。 これは話にならないと思い、実家からプレゼントしてもらったことにして必死で買いました。 ところが今では彼はビデオがなくちゃ生きていけないほど喜んで活用しているではないの。 インターネットも、最初は必要ないって言った彼。ADSLも、ダイヤルアップで充分と言った彼。 それをどれほど妻ががんばってその気にさせ、ヤフーは事後承諾で入会し、今では常時接続の便利さをこんなに享受し、 仕事で使うからともう一台PCを考えるまでになってしまった。ほら、ヤフー入っておいてよかったでしょう?
でも彼の言う事はほとんど正しかったのかもしれない。
訪問販売から買うのはダメだと言う彼にはこの商品の価値はわからないんだからと契約したら、 それはよそではもっと安く買えるものだった。 インターネットの掲示板に入れ込むなんてダメだと言った彼の目を盗んで友達を作ったら、 それなりにネット人間関係を濃く経験したのち、それなりに痛い目にあった。 クレジットカードなんか使ってはいけないと言った彼の言葉にうなずいた振りをして実は結構使っていたら、 積もり積もってやっぱり人知れずやりくりが苦しいことになった。
これらの失敗?について、私は「高い授業料を払ったけど、いい経験だった」と思う。 半ば本心、半ば負け惜しみ。 人は転んでみなければ、起き方もわからない。彼の言うことをきいていなかったからこそ今の私がある。 でも。
じゃあどうしてそれを胸を張って彼に言えないのか?どこまでイイ振りしていたいのか? 彼の私への信頼はもともと、あぶら取り紙よりも薄いと思う。 「信用できない人間と一緒に暮らすことのイヤさ加減」について、はっと思い至るようなことを、友達に教えてもらえたこの1月。 結局彼の判断は大筋で正しい。その堅実さを見習い、信頼されるに足る妻を、今年はちょっとは目指してみようか。 卒園を機に、基本に立ち返って、つましく生きてみようかな。 できるかなあ。この浮いた足を、つま先だけでも地面につけていられるかなあ。
※お正月には私にもお年玉をくれた夫・・・。ケチなんていって悪かったわ。私の好きな生き方ではないけれど、家族に良かれと思って地道にストイックに真面目に生きている夫に私も恩返ししたいと思う。生きてるうちにはね。何年先になるかわかんないけどね。
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