気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2003年04月29日(火) 息子の塾通い

5年生になった息子は今学期から、ほのぼのとした算数教室に別れを告げ、いわゆる(受験用の)塾に通いはじめた。
といっても、受験する気は本人にも無いし、親にも私立中に通わせる気はない(今のところ)。

私自身、小学時代を札幌で過ごしたこともあり、私立中に通うという発想自体が特別なものだ。
普通に子供らしく生活していれば公立に入れるんだし、公立ならば家から近いし、友達も近いし、何より安い。
わざわざ高いお金を払ってまで、受験期を含めて子供の貴重な時間と体力を消費しては、
今しかできない「遊び」「友達付き合い」「実体験」という「勉強」に差し支えるんじゃないか・・・それが私の抱いていたイメージだった。
机の上の勉強なんか、大きくなってイヤでもできる。今しか味わえないことのほうが、将来にわたってその子の幸福を左右するんだ、
という理想だけが頭にあった。

んだけど。やっぱり私立組と公立組の学力の差は、どんどん開いていってるらしい。どんどんどんどん。
クラスのかなりの子(の保護者)が、受験を視野に入れた会話をするようになって、それはいやでも悟らされる。
夫がわりと心配して、
「この子はあまりに遊びすぎている(笑)。中学受験をしないまでも、将来の高校・大学受験のことを考えると、私立中の子たちにまけない実力はつけておかなきゃなあ」
そんなこんなで子供とも話し合って、その塾の、あえて受験コースに週二回。
算数は火曜日の17時から、だいたい20時半まで。国語は土曜日の午前中いっぱい。

しかしその教室のほとんどの子は、4年生からやってる子たちだ。使ってるテキストの進度は、既に学校のそれと比べて、半年ないし一年以上先を行っている。
その格差たるや愕然とする。私立を目指してる子たちは、ここまで解るんだね?中学生で習うんじゃなかったかな、こんなのは。
おまけにみんな頭の回転が速く、計算慣れしているらしく、そういうレベルのなかで今から追いつこうという息子は、そうとう頑張らないとならない。
それで、まだ習っていないことを含め、テキストの予習復習・宿題を、親が家庭教師よろしく毎日びっちり見てやるはめになった。
パパはいいよ。算数得意だから。
でも私は、これは自慢になるかもしれないが、高校の数学のテストは毎回欠かさず赤点・再追試の生徒だった。
三角定規の角って、直角じゃない二つは、60度と30度だっていうことも、大人になってから気付いて、妹に嬉々として報告したら、
そんなの常識だといわれた女である。
だからまずはその5年生用のテキストを私自身が解ってから教えなきゃと思うと、時間がかかるかかる。
娘のマネージャー業もあるのにそんな暇がない。てことでパパ頼み。土日がすっかり潰れてしまう。こんなんでいいのか?
でも意外と息子はやる気になっていて、しんどいよーとか、わー難しいといいながら、できたときには嬉しそうだ。
おまけに、子供は今までいかにうっかりヘナチョコミスが多かったか判明。
自分で計算した字がヘナヘナしてるから、書いた0と6を間違えたり、7と9とを読み違えたりして、もったいないのだ。
そんなこんなで計算の態度や式のたてかたなんかを反省する良い機会になったみたいだ。
だけど宿題がそれなりの量で、他の子はたぶんさらさらとこなす量なのかもしれないが、うちの子はまだまだ、一日1ページが限界、
それが15ページくらいあるのを一週間でやるのに、けっこう後回しにして遊びまくってしまうから、週末が缶詰になる。
学校の宿題をやる暇がわずかしかない。
受験しないのに受験コースなんて、立場が微妙すぎて・・・。

だけど子供って、そんな環境の変化にも、意外と適応してしまう。
宿題をちゃんとやると、ポイントシールがもらえる。それを集めることに夢中になりつつある。
夜遅いから、中休みに食べるお弁当を持たせるわけだけど、そのときに塾の自動販売機で、すきな飲み物を自分で買うのが、今なによりも楽しみらしい。
クラスの子の名前も早々と覚えてきた。
帰宅が9時近いのが、親としてもどきどきするが、こっちも幼児がいるからいつも迎えに行けるわけじゃないので、
とうとう携帯を買って持たせることになった。使い方もすぐ覚えて、まだ可愛い声で「これから帰るよ!」と電話してくる。
徒歩10分も無いんだけれど、玄関で顔を見るまでは落ち着かない。
カメラつき携帯なので、さっそくくだらないものを写しては遊んでいる子供。
こんなんじゃ、そのうち友達に影響されて面白がって「○○中学受けたいー」なんて言い出したらどうしよう。
お金ないのに!



2003年04月24日(木) 合同委員会

各クラスから選出されたいろんな委員サン達が一堂に会したのが今日。
委員会活動がはじめての人もいるけれど、わりと毎年良く見かける顔が多い。
「貴女は今年は何?」「去年は学級委員だったけど」「今年は広報なんだー。」
っていう会話がひとしきり。
役員としては、各委員のなかにひとりずつ入って、正副委員長を決めるべく、仕切らなければならない。
私の担当は文化委員の長決めだった。去年まで文化だったからというのが主たる理由。
でもこれ、わりと、やなんだよ。
私はだいたい、仕切ったりセールストークしたり駆け引きしたりというのは決して得意じゃない。
やんなくていいならやりたくない仕事のひとつだ。
で、今年度・新・文化委員の方々。
文化って、こまごまとやることいっぱいあって、行事を考えつかなきゃいけなくて、区と学校とPTA役員とのやりとりも何かと面倒で、
ただでさえ敬遠されるのに、ましてやその委員長になんて、できればやりたくないって誰もが思ってる。
立候補をつのったって、「はい、じゃあやります」って手が上がるわけもなし。
そこでP連担当の人にも概要を説明してもらい、前年度の委員長さんからも「意外とらくでしたよ」とか言ってもらい、
いかに初心者でもなんとかなるのかを力説しつつ。
赤ちゃんが居る人と、昼夜勤めている人を除外すると
(それ以前に、なぜそのような忙しい人が委員を引き受けざるをえないのか。いかにクラス保護者会が、「沈黙に耐え切れなくて受けたもの負け」かわかる)
わずか3〜4名に絞られてくるのだが、
その方々に「決して委員長一人が忙しくなるものじゃないですよ!皆でする仕事の、単なる窓口、ただの代表ですから。マニュアル見たり、前任の方や役員と相談してくれれば、だれでもつとまるんだから!」とふってみても
「いやいや、私のような新参者は」「私なんかそんな器では」・・・ってしり込みする。
気持ちはすんごくよくわかるんだけど、はっきりいって「器」とか「経験を積んでる」とかまで要求すると、誰もなり手がいなくなる。
ちょっとでも暇があったらやれるって。初めてでもいいの、赤ちゃんや介護要者もなくフルタイムのお勤めもないなら、それだけで充分適任。
(いや、去年の人は、親の介護しながらやってたよ。)
阿弥陀くじだけは避けたい一心で、「お仕事は一応持っているけれども各種委員の経験者で、なにかとやってくれそうな人」に最後の一押し。
なんとか首を縦に振ってくれたのですかさず「有難うございます!」と、有無を言わさずに拍手責め・・・。
正が決まったから副はらくに出るかというとまたそうでもなく。
去年まで同じ幼稚園だった、顔なじみの一年生のママに、哀願モードまじえながら目で「お願い光線」を送りつづけていたら、引き受けてくれたので助かった。
私がつくった「一年間の活動の流れ」みたいなプリントを見て、今ごろ後悔してしまっているだろうか。気の毒だけどしかたない。

そんなドラマが繰り広げられている間、あの無断欠席した人は、どこにいたのだろうか。
休む時は担当役員の私に連絡を入れてもらうことになっていた。休んでいても、阿弥陀くじに参加してもらうこともありえますよと、承諾をしてもらうことになってるんだけど。
夕方電話しても留守だった。ああ、こういうこと(人)が、まかりとおるんだったら、真面目に出席した私たちはいったいなんなんだーという気にさせられる。

けれど、保護者会やら委員会やらにバカ正直に出てしまっては何か引き受けてしまう人が、損しているだけかというと、それも違う気がする。
きっといいことあるんだよ。引き受けてしまった分、なにか勉強になったとか、交友関係が広がったとか、子供を見る目が大きくなったとか何とか。
委員・役員をやれる余裕があるだけまだ恵まれているってことかも。
そうでも思わないとやってられない。




2003年04月16日(水) 私は忙しさに酔うパフォーマー主婦

幼稚園のサークル紹介の日。
およそ一週間で、企画・練習を仕上げた成果を発表した。
今回の卓球部の出し物のアウトラインはAさんがほとんど考えてくれていた。
ダンスの選曲から、おおまかな振り付けや、衣装など。
そこに私が細かく肉付けしていって、先週の火曜日には案が固まり、金曜日には部員の方々に伝授し、練習延べ3日。それと並行して小道具の制作。
黒一色の上下に、白い腰みのをつけて、頭には風船、そこにさらにピンポン球。
それを可愛らしく揺らしながら、バレエ音楽に合わせて楽しく踊る様は、それほど笑いをとりにいってるわけじゃない。
眉毛とくちびるを、ぶっとく装っている、ということを除いては。
恥ずかしさは捨て去っているんだけど、ちょっと踊りを間違えたところが、悔しい。ほんのちょっとだけど。
もう、とにかく、自分たちの身分を見失うほどに、忙しい思いをした。
当日は、あっという間に終わり、よその部の出し物をろくに見られなかったが、あらかじめ頼んでおいたビデオ撮りの人に、あとでダビングしてもらうのが楽しみだ。
既に本来の目的は忘れられている。
「新入園児の母たちに、サークルの紹介・勧誘をするため」という目的からかなり逸脱している。
テニス部はバカ殿様のアイ−ンダンスが素晴らしかった。
昔のジュリアナ東京の「ギャル」みたいなママにも釘付けで、
「今のはなんの部だったっけ」と呆気にとられるほどだった。
無駄になってもいいから余剰エネルギーを発散しとけ、とばかりに全力投球する主婦仲間たちを見ていると、このうえなく幸せな気分になる。


これが昨日・水曜日の出来事で、しかし4月はこれだけじゃない。
卓球部の会計、園の機関誌発行サークルの会計、そして学校PTAの「会計」役員。
この最後のPTAの仕事は、ついこないだまでたかをくくっていたけれど、予想していたよりも遥かに忙しく、頭の中の引出しをいつもひっかきまわしながら生きるはめになった。
単に会計だけじゃなくて、役員という立場での無償の仕事が、思ったよりも煩雑と言うか、なんだかしょっちゅう学校に行かなきゃなんない。
今日木曜日は9時半に学校に集まって、そのままお昼までミーティング、途中で娘を園にお迎えに行って、まだ引き続き話し合って、コンビニで買ったおにぎりを食べながら、一旦娘を友達の家に預けにいき、
また学校に戻って14時からのクラス保護者会に出て、
(しかしクラス委員決めは、今年は気楽だ。既に役員に決まってるんだから、手を上げるべきか否かと迷うこともないし、見えないプレッシャーにも悩まされない)16時過ぎに終わって友達の家に娘を迎えに行き、帰宅は17時半。
8時間も家を空けてた。やー、布団は敷きっぱなしだし、朝食の食器はしまってないしで。
けれどなんだか妙にハイな自分。来る用事、来る用事、すべて来るなら来て見なさいというへんな自信と期待と不安がないまぜの。ま、酔ってるんだと思う。






2003年04月02日(水) たくさんの偶然の重なりの中での今です

今日は雨でしたが、その中を、Tさんが来てくれて、いろいろパソコンのことを教わった。
昨日あれほど苦労した、「メモリを拡張用スロットに入れる」という作業も、魔法のようにあっけなく済んだし。
私に何からどのように教えるか、彼女はとても苦労なさったことだろう。

マイドキュメントとか、メールとか、お気に入りとか、いつもCドライブに入っているものを、
定期的にDドライブのバックアップファイルにコピーしておく、という作業を、
わざわざしなくても、最初からDに保存するように変更できるためのソフト、それがTWeakUIで、
ダウンロードして使えるようにしてもらった。
これで保存先を替えたものは、Cドライブに何かあっても、いつでも最新の情報が、Dに取ってある状態に。

フォルダやファイルの場所へたどり着くための道をあらわしたのが、パスだそうな。
例えば、
C:\WINDOWS\Application Data\Identities ←こんなふうに書いたもの。
意味は「まずCのなかを開いて、そこのWINDOWSに着いたら、こんどはApplication Dataを探しましょう、そのなかにIdentitiesがあるよ」

そんなふうにいろんなところに入れ子のように入っているファイル達を、整理するのに便利な「ファイラー」のひとつ、WinFD 
これも使えるようになった。
あっちからこっちへ移動したりするのが速い。

本当は、DriveImageなるソフト(バックアップの為のもの)が手に入ると、
こんなふうに苦労した設定ごと、ハードディスクの中身まるごと保存しておけるらしい。
バックアップと復元が簡単になるそうな。
でもちょっと高いから、もう少しお金を貯めていつか使おう。

というようなことで(それらはまだまだ家族に内緒なのだけれど)昨日より少しだけパソコンについて詳しくなった。
ありがたや・・・。

ネットの掲示板で誰かと出会うなんてことは、数年前までは自分にはありえないことだと思っていたけど、
ありえた。
何事にも、絶妙のタイミングというのがある。
一年早くても、一年遅くても、出会う人や出会い方も違い、今とは違う自分ができあがる。
どこにいくか、誰と会うか、何を見るか、何を触るか、で、違う自分ができあがって、誰かに与える影響もまたかわる。
めまいがしそうなくらいに膨大な「もし何々だったら」の中でここにいるんだなー。

ところでやっぱり私は雨女のおそれがある上、季節によっては雪女かもしれない。
大学入試のときも、大雪に降られたときの試験日に受かった学校に、結局入ったのだった。
Tさんにはいつも傘をもたせる羽目になってしまっているので、今度は頑張ろう。(どうがんばる?)




2003年04月01日(火) 夫婦喧嘩の原因は何、誰、髪の毛?

夫の休暇のせいで、この一週間以上、まともにPCを使えなかったけれど、2年位前の自分と比較してみると、さほどいらいらしていない。
ネットのことが胸中のほとんどを占めていた時代がいかに過去になったかの証拠でもある。
昨日の夜から子供が実家に泊まりに行って以来、「今やらなきゃ」ってことで忙しい。でも家事はできていない。子供服をちょっとだけ整理したけれど。
今日は映画の日なので渋谷で一人で(暗い?)ピノッキオを吹替の2回に字幕1回ぶっ続けで観たら後頭部が痛くなった。
そのあと、ネットの大先輩から譲り受けた拡張用のメモリをつけてみようと、家族の居ない隙に、おっかなびっくりパソコンの底のネジをドライバーではずしてみたけれど、
ガイドに載っているのとあまりに勝手が違うので、またそおっと蓋をしめたりとか、なんだかんだで昼食と夕食を食べ損ねて、今9時半過ぎ、
おなかが空いたけど、夫が外で食べてくるって言うので、もう自分一人のために料理する気もなくなった。牛乳に大麦若葉エキスを溶いて飲む。

今日書きたいことはこれじゃなくて、ついこの間の、夫婦げんかもどきと、その仲直りのことで。
夜、子供らが寝た後、旅行で娘がねだって夫が買った、キティちゃんのおまもりをネタに、せっかく和やかにおしゃべりしていた。
娘は神社でお願い事を何かしたらしいが、私には内緒で、夫にだけ話したらしい。
それを夫が私に打ち明けたのだが、それは「髪の毛が真っ直ぐに、長くなりたい」というものだそうな。
それをママには言えなかったのはなんとなく分かる気がするよ、と彼は言う。
私は日頃から、娘のくるんくるんしたくせっ毛を心底可愛いと思い、ことあるごとに賞賛していた。
本人も結構気に入っていると思っていたのに、彼女はクラスメートの豊かなストレートヘアに憧れていたらしい。
ちょっとがっくり。
夫はいつも娘の髪をとかしては、「ほら、ちょっとまとまったと思わないかい?」って自慢げに私に見せる。ボリュームダウンして、整ったと言えば整ったりしているが、
そのかわり可愛いカールが半減して、中途半端に貧相になった気がしてしょうがない。娘は髪の密度が小さい。つまり薄い。
夫は、私があまりとかしてやっていないのが気に食わない。荒れ放題だ、爆発している、とかいう。
娘は夫に髪をとかしてもらうのが好きみたいだから、あえてその仕事を取っちゃいけないと思って、遠慮してたんだよ。
「さっきだって、お風呂から上がった後、寝る前にとかしてやったらいいだろー」
そうかもね?でもさ、この子のくせ毛は簡単に直るもんじゃないでしょう、だったらこの個性を認めようよ。
「だけど本人がイヤだと思ってるのは事実なんだから、少しでも手入れしてちゃんとしてやろうよ」
ちゃんとって何?その言い方、もうほら、くせ毛を否定的に見てるっしょ。
子供が自分のよさをよさとして認識するのを助けるのが親じゃないのー。その親が長所を欠点みたいに見てどうすんのさ。
「でもとにかく僕は、あの子が、まっすぐな髪になりたいってことを、僕にだけ言った、それだけ伝えたかったんだよ。言わなきゃよかったね」

なんかすごく気まずい・ぎすぎすした空気になって、おやすみも言わずに寝て、布団の中でちょっとクールダウンしてから、
私は結構、反省したのだ。翌朝まで涙出るほど、自分がイヤな妻だってことを反省したのだ。
次の日夫は怒った様子もみせず、普通に出勤していった。私も普通に送り出した。でも依然、落ち着かない。
玄関の鍵を締めて台所に戻ってから、おもむろに携帯にメールを打った。
「私は多分、娘がくせ毛に不満を持ってることにショックで、八つ当たりしたんだと思う。パパには何の落ち度もない、いつも子供のことを考えてくれてるのに、不愉快なことを言ってごめんなさい」
それから夜まで、およそ12時間、常に携帯を見ていたけれど、なんの音沙汰もない、仕事が忙しいんだから仕方ない。
でも夜「これから帰るよ」と絵文字つきのメールが来た。いつもは電話でくるのにメールとは珍しい。
ただしその絵文字も機種が違うので表示されてなかったのが、まったく間が抜けてるというか、でも嬉しかったという、
結局そういうお話です。



 < 過去  INDEX  未来 >


n-k [MAIL]