気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2003年03月23日(日) 日記をつける私

イラク問題やら北朝鮮問題をみるにつけ、自分の無力さを思い知らされるこのごろ、

ところで、どうして自分はWEB日記をつけているのかな、と思う。
ネットで日記を書く人は、既に沢山いる。
大量のアクセス数を誇る日記作家として名を馳せている人もいる。こじんまりとお友達同士でつけて読み合う人もいる。
ほんとにほんとに沢山の言葉がネットにあふれている。

私の場合は自己満足プラス、ごく限られた方々への近況報告公開といったところだろうか。
いや、自己満足の部分が相当大きい。
でも、未来の自分にだけ向けて書きたいのなら、鍵つきの日記帳に書いていればいいのに、ここに書くのは、
最小でも一人以上の他人の目を意識しているわけだ。
そのメリットは何で、その役割は何だろう。意味あるのかどうか。それを考えるとけっこう後ろめたい。
だって少なくとも通信料を払ってここを読んでくれてる人に対し、それに見合う何かを差し上げているかと言うと、無いわけだから。
むしろ、自分のしょうもない考えや、好きだと思ったものへの勝手な宣伝のために、私のほうが広告費を払って文を載せるべきかもしれないと思うと。

自分にとってのメリットならば、いくらでも数えられる。
読み手を意識することで、書きなぐりを一度冷静に推敲しようという気にさせられる。
どこかに読み手がいてくれると思うことで、ゆっくりだけれど更新を続けられる。
自分と他人の両方の目で、自分の中に起こった事を見つめるきっかけになる。

つまらないことを羅列しただけの、シロウトな私の駄文とは比較にするのもおこがましいけれど、
日本の中世に、日記文学なんていうのが流行ってたのも、
こんなふうに自分のことをひとごとのように見つめることに救いを探したのかな。
大変なことも、文章にして眺めてしまえば、たいしたことじゃなくなる。
諸行無常。短い短い、限られた人生だし。すっかり欲にとらわれていても、書き出してしまえば、結局何が大事なのか見えてきそうな。
仏教とか哲学とか、隠遁生活も流行った時代。ひぐらし硯に向かひて・・・とかいって。
そんな他人の日記を見る意味は、
「ああこの人、自分を見てるな。」「自分を見るってことは他人を見るってこと」「他人と自分を見るってことは、世界に3人以上はいるという、
もうひとりの人に代表される、人間を見てるってことだなー」
星の中に自分を見つけるような気分になるってことかも。かろうじて。
じゃあせめて、見るに堪えないものは書かないように気をつけて、続けてみようかなって思う。




2003年03月17日(月) 今は、いましか味わえないし

幼稚園の終業式、先生ありがとう。この園にお世話になってよかった。

自由遊びの中で女の子同士おしゃべりする娘の、ある日の一言を、先生はクラス便りでとりあげてくれたっけ。
「あたし、自分だいすき!」
ただうぬぼれが強いってだけなんだよ娘は。その根拠のわからない妙な自信はどこからくる?
私に似て、おめでたい子だよなー、まあ私も、意味無く自分が好きだけどね。
って私は思うわけだけれど、
先生がお便りと連絡帳に書いてくれたのは、(以下引用)

「・・・そのことばにひきつけられてしまいました。なぜって、
自分大好き ってことばは 
自分のいいところも悪いところもひっくるめて自分をまるごと受け止めているっていうことだと
思うからです。(中略)
大人になっても 自分のことを 好き!といえる人になってほしいなーと思います」
「なわとびができるよとか、いっぱいごはんをたべられるよ、という自慢・自信の言葉はたくさん聞いていましたが、
教師という仕事をしていて、自分が大好きという発言をした子供にはじめて出会ったので、衝撃的でした。
その子自身がそこに居るということがすごく価値のあることなんだと、その言葉に教えられました」

・・・って、非常にこそばゆい感じだけれど、そんな良いほうに良いほうに我が子を見てもらえて、なんか、
親の私も、間接的には誉めてもらえたような気が。
大人になってからも誉められることの快感で、やっぱり今日も明日もやっていけるって気がする。
誉められるって、思いのほか、すごい力を生むってことが、よくわかる。
誉めたい。誉めるって、実は、かなり高度な、心の技だ。

さて、今日、娘は5歳になって、実家の両親と妹がお祝いにきてくれた。
で、さっき貰った母からのメール、(以下引用)

「久し振りに楽しい時を過ごせました、
HちゃんもTくんも(子供達)会うたびに大きくなっていくのね、
一日一日が過ぎていくのがいとおしいような、とても貴重な気がしています。
それだけこちらの年をとるのが速くなったということかしらね。
でも子供たちはあっという間に大きくなってしまうんだね。
おかあさんはもう一回、*ちゃんとmちゃん(私たち姉妹)をもっともっと大事に育てたいと思っても
無理なんだよね。
どうか*ちゃんはお母さんみたいに悔いのないように、
一日が無事に過ごせるのを感謝しながら、くよくよせずに明るく暮らそうね。・・・」

時間を逆に戻せないってことがね。だからこそ良いんだけど、それがこんなに涙腺を刺激するなんて、うーん。



2003年03月07日(金) 友達

転校してあるいた小中学時代。私はいつでも新参者だった。だから新参者を受け入れてくれる人が天使に見えた。
みんなが当然のように知っていることも、私は知らない。既に出来あがっているグループの輪に入るのは、大きなエネルギーを必要とする。
中一のとき、初雪舞う札幌から、銀杏並木かがやく東京に来たときの、そこのクラスの女子たちは、特に閉鎖的な社会を作っていた。
今の私を知る人にはイメージできるか分かんないけれど、ほんっとに私は、言いたいことの100分の1も言えない、おとなしーい子だったのだ。
(外では)
ぽつんと残される休み時間がいたたまれなくて、いつもトイレで時間をつぶしてた。
だからって、自分からそれを打開する気力はなかった。

やっと自分を出せたのは、クラス替え後の中ニから。みんなが同じスタートに立っている。既存のグループは目立たない。
だけどこんどは、仲良くなった子たちがそれぞれ別のグループを作ったことから、その板ばさみに立たされて悩むことになった。
恋人ならわかる、あたしが好きならあの子とは付き合わないでっていうのも。でも友達となると、押し付け合い独占し合う必要性がわからない。
反目しあっている根拠は、じつにしょうもない表面的なことばかり。他人に対して、ちゃんとした評価をしようとしない。
あることないことの噂とか、横並びの追従とか、なんのためにするのか、腹立たしいことが多い中学時代だった。

そんな自分の過去をふまえてかどうか。私は「新しく入って来た人」に対して、なんか放っておけない気持ちになる。
その人がここの集団になじみ、ここの生活に慣れるように、知る限りのいろんな情報を提供してあげたくなる。
引っ越してきたなら、周辺のお店のガイドとか、学校の新人なら、行事やサークルの案内とか。
そして彼女(たいてい女性だから)が、信用できる集団の、フェアな精神の中心人物とうまくやっていけそうな段階になるまで、その輪に入るまで、橋渡ししたい。
比較的仲の良い人同士の会話に、彼女のことを紹介し、誘い誘われるようにさりげなくアピールする。
もう大丈夫、もう不自由ない、そんな彼女を見届けたら、私は一旦引く。つまり「ただ、ここに来て初めて出会った人」としての私を、それ以上は押し付けないようにしたいのだ。
一旦は私も、その他おおぜいの人と同じスタートラインに立ってから、自由な選択の中で、改めて彼女に私のことも選んでもらえたら、それが嬉しいという、ヘンな心理が働くらしい。

そこどまりの関係の人もいれば、そこから非常に仲良しになれる人もいる。
それは一緒にいる時間の長さとは関係ない。ほんとに友達になると、転居で物理的距離が離れても、つながっていられる。
たとえ嗜好も趣味もちょっと違ってても、「人を好き」な程度がだいたい合っていれば、話をしたくなる。
そういう友達に出会えた今は、たとえ夫とラブラブじゃなくっても、恋する?人が手の届かないところにいても、まあ良しとしなきゃね?

お誕生日おめでとう>R子様 貴女とおしゃべりすると、心の古い角質がすっかりとれていきます。人生これからやね。


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