2002年12月30日(月) |
ぬるくてもいいから、濃くしたい、かな |
今年はなんだか速く過ぎた。もとい、今年も、だった。 (ついこないだまで、午のイラストの年賀状を売っていたような気がする。) (その割には、一月に観ていたドラマが「人にやさしく」だったことを忘れていた。) (その割には、幼稚園のクラスに六月までいたお友達のことが遠い昔の人のように思える。)
世の中いろんなニュースがあった。それをみて哀しかったりやりきれなかったりしているんだけれど、 そのときそのときでいろんなことを考えたりしてるんだけど、 でも結局私のやっていることはいつもと同じだった。 いつもいつも朝起きてまずは子供らの着替えを整え、洗濯、ごはん、お弁当作り、 娘を園に送り、一人の間にやれることはたかがしれていて、 片付け、布団干し、買い物、ビラ配り、委員会、ママ友つきあい、ビデオ鑑賞、メールチェック、ぐらい。 園に迎えに行き、娘のマネージャーと化し、呼ぶか、呼ばれるか、のどちらか。 その合間に、息子のことも見てるといえば見てるけど。「五時までに帰ってくるんだよ」「宿題あるの」「片付けなさい」などなど。 なんだかすぐに晩御飯の時間になる。なんだかすぐにお風呂に入れて寝かせる時間になる。 自分だけは子供よりもずっと遅くまで起きていようとする。でもすぐ眠くなる。 夫が帰ってくるタイミングが都合悪いと胸の中で文句を言う。そんな自分の薄情さがつまらない。 夫に「もっと家事に専念したら」と言われた日には、言い返せないと思いつつ、悔しい。 ちょっとは手の込んだおかずにしてみようとする。ちょっとは念入りに掃除しようとする。しかし長続きしない。
そんな毎日で果たしてこの世に何か業績を残しているとか言えるのだろうか?
ただ、ときたま、自分の存在意義があるような気がするのは、子供と無駄話をしている時かもしれない。 ほんっとに当たり前な家族愛の土台の上に、この無駄話の積み重ねで、なんとか何かを得てもらいたい、私を通じて。
ちょっと言い訳じみてるけど、 こういうフツーっぽい親が、フツーっぽく子供と過ごして、過剰な期待はぜずに、でも結構親ばかで、だけど自分のこともかわいい。 このくらいのスタンスで一緒に居てフツーに大事にし合っていたら、 子供も、この先たいていの人々とは、フツーに怖がらずにやっていけるようになる、 んじゃないかと。
いろんな条件付の飾りとかが削ぎ落ちた状態の自分や誰か同士で、肯定し合える、というのを大前提のベースにして、 その上でちょっとは上を目指してみようかなあって気楽に思ってくれたらいいんだ。 という、ぬるい眼で、親の私くらいは、せめてこの厳しい世の中で、親ぐらいは、ぬるく、見ててやれたらいいって、今は思ったりする。 人にやさしく、自分にもやさしく、・・・自分には、やさしすぎてるかもしれない。私。
こんなことをネットでぬるく書いていられる環境に、感謝しておかないと、ばちがあたりそう。 来年もあっというまに過ぎてしまうんだろうか。もっと濃く味わう必要があるなー。
2002年12月23日(月) |
せーちょーしたなあ、子供。 |
(忙しかったので休日のことを後日記す) 息子と娘が、私たち親にナイショで、家庭内お楽しみクリスマス会の企画を練っていた。 といっても10歳の息子が主に考えて4歳の娘がそれを楽しく手伝わされる形。
折り紙をリボン状に切って繋いでいる二人、「ママにナイショだもんね」と、よく聞こえるひそひそ声で話し合っている。 聞こえない振りをするのが困難だ。 「道具の要らないゲーム集」という本(以前私が、何かに使うかと思って買っておいたもの)を見ながら、何やら紙に書き出している。 これも見ない振りをするのが難しい。
日曜日、気が付けばいつのまにか、居間のガラス窓に、さっき二人してこしらえていた折り紙のチェーンや、その他いろいろ飾られている。 壁にぶら下がっている画用紙には「お楽しみ会プログラム」と銘打った箇条書きが掲示されている。 「へえー、これ、考えたの?いつやるの?」 ・・・息子は得意そうに、「明日やるからね。家族みんなでやるんだからね」と答えた。
だから天皇誕生日の月曜は、早めに朝食を片付けて洗濯して、夫とともにテーブルについて、待っていた。 すると息子は、妹を従えて、「ぼく、司会者だから」と開会を宣言した。
真面目にプログラムどおりにまずは犬棒かるたから。自ら読み人となり、娘と夫と私は、微妙に手加減しながらかつ本気で取り合った。 無事に娘を勝たせられた。 二回戦は、娘が読み人。けっこう上手に読めるようになっていた。今度はあまり手加減しなくても自然に息子が勝った。
そのあと「人間ボウリング」「うずまきジャンケン」「じゃんけん回し」と続いてお楽しみ会は終了、お昼ご飯の時間となりました。 ふーむ。親バカかもしれないけど、あれほど自分中心な生活をしてきた我が子が、人を喜ばせる何かを計画して実行するようになったんだものなあーということが。 このくらいのことでも、結構、感動。
企画・会場準備・司会進行を務め上げた子供らに惜しみない拍手をして、 内心すごくほっとして(というのは、この式次第が何かのアクシデントによって台無しになってしまわないかとヒヤヒヤしていたから。たとえば兄妹げんかとか) そのあとゆっくり、ラーメンを食べたのが、 今年のクリスマスの一番の思い出となりました。
2002年12月17日(火) |
幸せを知ってる彼が、幸せにする(また会いたい) |
ここまですっきりカンペキにファンタジーだとは天晴な・・・。ホントに突っ込み所満載だけれど。 でも今は納得できる。彼らは前世では辛すぎた。だから今世では報われたのかも・・・。 幸せになってしかるべき心の持ち主が、幸せになる世界を、垣間見られた。疲れた目には優しい。 こういうのも、うん、いいじゃない。
それよりも重要なのは、彼の知能が高まろうが退化しようが変わらないひとつのこと。 彼の奇跡的なほどの慈悲。どこからあの優しさはくるのか。
彼は幸せになりたかったんじゃなくて、すでに幸せを持っていた。生きてること自体が幸せだと思える技を。
だからあんなに笑顔でいられるんだ。だからあんなに周りの人々の気持ちを劇的に浄化できるんだ。 自分の・他人の・ありのままの「存在自体」に感謝できる彼だから、みんなも彼のありのままな「存在自体」に感謝できるようになった。 そんな180度な奇跡の変化を産んだのは彼の魂。きっと「ありえない偶然」でも「予定調和」でもないんだわ、実は。 これは起こるべくして起こった、もうひとつの世界の奇跡なんだ。今はそう思える。
だけど私の恋心はどう納めてくれるんだ?
あの心もとなさげにママを恋い慕うあかんぼみたいな顔。 あの無邪気な万能感あふれる子供みたいな顔。 知ることの喜びに目覚めた得意そうな眼。 知るほどにひねくれてきて、自虐的で、誰も信じきれなかったときの哀しい顔。 せっかく手に入れたものが消えると知ったときの絶望の表情。 叶わない切ない恋なのにいっぱい愛のある恋のしぐさ。 あきらめから転換して、全てを惜しみ、許し、慈しむような眼。 いろんな苦しみも忘れてしまって夢の中にいるような、再び子供な笑顔。
あんなマペットショウの人形みたいな口元にあんな癒される笑みをたたえて、 猫みたいだけどちいさな眼にあらゆる感情を映して見せてくれて。 全部が同一人物だった。これらの彼のすべてを、どーして忘れられよーか。
彼は私にとっては絶対に架空の人物なんかじゃない。 生きてたし、ずっと生きてる。 もうひとつの「アルジャーノン・・・」の物語の中から、とうとうこっちに来てしまったんだ。 あなたは忘れちゃっても、私は忘れないからっ。藤島ハル君、一日一度はビデオで会おう!
2002年12月10日(火) |
アルジャーノンに花束を |
人はみんな、最初は赤ちゃんで。だんだん知恵がつき。歳に応じて頭も心も発達していき。 世の中を信用できたら、自分を実感し、その延長で、他人のことも考える。 うんと鍛えた脳みそと、積んだ経験を、フルに使って、世のためにひと働き。 そしていずれは老いてゆき。子供に戻り。無理をせず、蓄えた知恵は子孫の代に譲り。 そして身体は無くなっていく。いつかは必ず。 始まりと終わりは誰にも例外なく訪れる。そんな人生のタイムテーブル。
でも時間の進み方がもし、極端に周りと違ったら?彼は、周囲は、何を感じ、何を与え、何をもらうだろう。
「アルジャーノンに花束を」の主人公は、そんなふうに、他人とは全く違うスピードで、人生を進む。 始めは、ゆっくりゆっくり歩いていた。それからあるとき、一気にみんなを追い越した。 そうして得たものを、こんどは誰よりも早く、急速に手放す運命に対峙する。
だから普通の人なら気づかないことに、沢山気づいてしまう。 普通の人なら見落とすようなこと。生きる幸せって何。愛するって何。受け入れられて、受け入れるって、どんなこと。 頭が良くなれば見えるもの、失うもの。与えられたものを生かせるかは、まず、心ひとつ。
急に増大した知能と知識についていけなかったのは、かつての自分を肯定する心、自分が愛されているという実感や、人間への信頼感。 それを回復するのにどれほどもがき苦しんだか。 だけどその知能をまた失うと知るころに、一番辛い自分を抑えて、人を思いやるまでに成熟した。 そんな自分の生きていた証を残したい、自分の中に、誰かの中に。残せたら、それだけで幸せ。 幸せの意味、愛する意味、それを考える機会を与えられたことへの感謝。それを忘れてしまうかもしれない恐怖と哀しみ。 逆らえない流れの中で、ああ、彼は今、すんごい状態だ。
この原作のテーマは、一見、「知的障害」、だけどそれは方便かもしれない。 「SF」と括ってしまうにはあまりにも考えさせられる小説。
その舞台を現代の日本に置き換えて、いっぱい詰まったものの中から思い切って抽出・アレンジして見せてくれているのが、 フジテレビの火曜日22時からのこのドラマ。
原作と比べて不満だとか、ストーリィ設定にリアリティがないとか、菅野美穂のキャラが身勝手で泣き過ぎでとか、視聴率が悪いとか、 いろんな批判もあるが、それもユースケサンタマリアの演技を観てると、ふっとぶ。 誰が何と言おうと彼の演じる主人公は、生き生きと実在する人のように、私を釘付けにしている。 決してハンサムではないのに、だからこそ、細い目の奥、その表情にやられる。欲しくなってしまう。 今、その「藤島ハル」に、いとし・恋しである。 画面の向こうに飛び込んで、彼の傍に行って、励まして、なでてやらなくちゃいけない。いますぐに。
(最終回は17日か・・・・早く観たいような、いつまでも終わって欲しくないような・・・。)
子供達を先にお風呂場へ送ったら夫から「これから帰る」という電話。 私もお風呂に入ろうとしていたのに、それを聞いちゃったら入れない。 30分後には食卓にご飯を並べるべく準備していなきゃ。 (夫は一人でご飯を電子レンジであっためるとか、お鍋に火を入れるとか、一切しない)
ちょっと中途半端なこの空き時間、 ふと「よし踊ろう」って取り出だしたるは、学生時代に先輩にもらった、 ブルガリアの民族舞踊曲のテープ。
その頃所属していたサークル活動では。 ひとつの曲にはひとつのフィギュア(振り付け)があって、それを16年前には覚えていた。 だけどそのコプチェト#2って曲が気に入っているのに、 覚えているフィギュアはショプスカラチェニッツァ#1のもの。
じゃあそれで踊ってみよう。 日本でいえば、ソーラン節にあわせて佐渡おけさを踊るようなものか?
しかも自分の体力と記憶にあわせて、踊りやすいように勝手にアレンジした。 日本でいえば、佐渡おけさを、花笠音頭風に、ってことか?
8分の7拍子のスピード感のあるリズムで短調なメロディ。わくわくする。 本来何人かでベルトを使ってチェーンになってラインに並んで踊るものを、独りで。 踊る。 疲れる。ふらふらする。昔は重心が揺れずに今よりはかっこよく踊れたのに。 足が。ふくらはぎ、が。腰が。喉もカラッカラ。 息が切れる。
でもやっぱりこれからは、こうして空き時間には、 踊りだなー。
夫が鍵を開ける音がしてもまだラジカセを止める気がしなくて、「お帰りー」と叫びながら飛び跳ねつづける、 妻の姿。 それを横目で見ながら無言で着替えに立ち去る夫って、なんか怖いよ。
息子10歳。(平成4年11月30日生まれ)この感動に浸りたいのだけれど、どうも落ち着かなかった。息子のいろいろは、後日ゆっくりと書くとして。
11月29日 前回の木曜日の日記に書いたような心配は、それほど的中せず、子供達のいる場では、子供達を喜ばせてくれることがメインとなり、 やはりさすがに誰も地雷を撒いたり踏んだりはしなかった。 妹の結婚問題などこれっぽっちも触れられず、みんな和気藹々としていてくれた。 それどころか、伯母たちは、なんかどんどん庭を掃いてくれたり、キッチンを使いやすく整理してくれたり、あんまり何でもしてくれてる様子に、 「何だかんだと言ってもありがたいことだ」と、前日の日記に罪の意識を感じてしまった。
11月30日 この日は、今度は夫の母がお祝いに来て、私も、前日よりもはるかに気楽にもてなしていた。 母方の身内よりも姑のほうに気楽に接していられるというのは不思議だけれど。 そのかわり姑は台所を一切手伝ったりはせず、完全にお客様然としてくださっている。 そして和やかに孫と触れ合っていただいて帰ってもらって、よかった。 不思議だけれど、実の親ならばなにかいやでも娘の手助けをしようとするのが、娘にはありがたい反面気が疲れるのだ。このへんのことは昭和一桁生まれぐらいの世代の人にはなかなか想像つかない事態だろうと思う。
12月1日 前から予約していた登録制のアルバイトの日、 仕事が初めての人は最初は朝7時から事務所待機。 9時までに欠員が出れば午後5時くらいまで働き、 欠員が出なければ2時間の待機代1500円がもらえる。 で、早朝5時に起きて洗濯を済ませ、 テーブルにパンとゆで卵と枝豆とミカンを並べ、牛乳の温め方をメモして、 まだ夫子供らが寝ている間に家を出て、頑張って時間厳守で事務所に行ったのに、 オフィスには誰もいない。留守電の音だけが頻繁に響く。 同じく待機で来た学生さんと一緒に、鍵が開いていたので勝手に中に入り、待っていた。 なんと担当者が来たのは8時。朝の貴重な一時間を返してくれと言いたい。 結局その日は仕事は無く、往復の時間も入れておよそ3時間費やして手に入るのは1500円(交通費含まれる)。 これだったらチラシポスティングの方が割がいい。でもお金が足りない12月を乗り切るために、来週にも予約を入れたけどね。
12月2日 9時半から幼稚園の機関誌の印刷、途中で抜けて学校の文化活動委員会に出る。 それから一度お昼過ぎに帰宅して、 娘を迎えに行ってからその足で、学校で担任の先生と個人面談。 事前にアンケートというか親への宿題として、息子の「良いところ」を挙げて書く、というものが出ていた。 それを読みながら先生、学校で息子が見せる姿からすると意外なほどの感情の豊かさを家では発揮しているらしいと、推測したみたいですね。 あの子は内弁慶、猫かぶりなので。 ちなみに、挙げていった「良いところ」は ※常に人を笑わせようとくだらないジョークや替え歌を考えるのがうまい ※茶道教室でみた掛け軸の、白地に黒丸の紋様に、「生まれ変わるって感じだね」とコメントするような哲学的なところ ※妹と同じレベルにまで降りて一緒に遊んでやるのが上手 ※アルジャーノンに花束をのドラマで大泣きする素直さというか優しさ ※学校の宿題は忘れても進研ゼミの提出課題だけは言われなくても真面目にやる
書きたりなかった長所は ※頭が丸くて、髪がつやつやして、睫毛がしっとりと風情があり、えくぼが可愛い ※日本の都道府県の場所と形をすっかり覚えているあたり ※方向音痴ではない ※友達が好き ※本を読むのが好き ※納豆が好き
(だけどこれらは、私が息子を好きである理由、ではない。息子を好きなのは、息子だから。娘を好きなのは、娘だから。としか言えないし。)
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