気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2002年10月17日(木) 自業自得だけどさー、歯が痛いです

今日は9時から17時まで家にはいなかった。(専業主婦なんだけど。)
学校の委員会のあと、日本橋にすっとんでって、友達とお昼を食べながら勉強した。何を。人生について。かな?中華食べてケーキ食べて。黄色いブーツについてとか、親の愛とはどうあるべきかとか、金城くんは志村けんが好きとか、中学受験をどうとらえるかとか。この時間までが、今日はホントに幸せだった。

午後4時。子供はお隣さんに預かってもらっている。いよいよ虫歯の本格的治療を受けに行った。
はっきり穴が開いてしかも痛み出していたのに、今までほっておいたのは。暇とお金がなかったから、とか言って自分をだましだまし、かれこれ一ヶ月、もうさすがに限界、年貢の納め時と思い。
もう虫歯は深くて、「神経も見えちゃってるし、そうとう麻酔を打ってからやらないと。」と言われ、自分が馬鹿だったとはいえ、やーだーよー!
と逃げ出したいのを必死でこらえる。麻酔を打つための塗り薬タイプの麻酔を塗られる。それから5〜6本麻酔を打ったのかな。けっこうしびれてきたから大丈夫だろうと削りにとりかかった時点で、もう、びっっっくりするほど痛い。それでまた追加で麻酔。そして10分後にまたつつかれたときも、まだまだ信じられないほど痛い。
だけど、これ以上はもう麻酔を打てない、と聞いて、ああ、もうほんとに逃れられないんだな、この痛みからは。泣きたいけどねー、泣いてもしょうがないから。子供じゃないから。たかが虫歯治療じゃないの。なにをされているのか極力見ないようにして、気にしないようにして、無理だ。

あとは精神力、気の持ちようでしか乗り切れない。
こんなものよりももっとすごい逃れられない痛み、についてしみじみ思いをはせてみたりした。
不慮の事故や事件に巻き込まれた人、撃たれたり切られたり轢かれたり、どんなにこれよりも痛いんだろう。集団でいじめられたりした子は体も心もどんなに痛くて悲しいんだろう。重い病に倒れた人は長期にわたって痛い思いに耐えてるのか。
はああ、そんな人々に顔向けできない私。
そうだ子供を産んだ時の痛みを思い出してみよう。あれはすごかった。あれに比べればどう、なーんも、ちょろいもんさ。だけど痛みの種類が全然別だし、気分的には出産のほうが前向きで、明るい出口が見えてる感じだから耐えられてたなー。量より質の問題なんだ。

そしてこの痛みを、もっとなにか意味のあるものに置き換えて耐えてみる。虫歯治療じゃなくて、たとえば愛するもののために犠牲になっている痛みっ、とかさー。そうなんだ私はそのためなら命を捨てても惜しくないんだ!って無理に思ってみる。けど、思うそばから、あごが、逃げ腰。もっと口を開いてって言われる。

それから次に、あえて気に入ったテレビドラマの中の素敵なシーンを思い浮かべたりしてみる。どんどん陶酔してみる。なるべく現実から遠いところに意識を送る。あのキスシーンはよかったよかった。だれか私を天国に連れて行ってください。こんな痛みなんか感じません。だって夢の世界に飛ぶんだから。無理無理にリラックスしようとしすぎて、つばが、大量に出てしまって、お医者が慌てて対処している。

一時間びっちり緊張と緩和の繰り返しに疲れはてた。なのに結局、「神経を取るのは血管も取ることになって、歯をぼろぼろにするから、神経は残したまま詰めます」という終わり方で、痛みは残った。というか、寝た子を起こした状態で、まえよりずっと今、痛い。頭のてっぺんまで痛い。もらった鎮痛剤を飲んでもまだ痛い。この痛みはいつまで続くのか、出口が見えてこないと、よけい痛い。誰をも恨めない、自分を恨むしかない。
今日の日を忘れまい、「虫歯は早く治すべし」絶対です。



2002年10月10日(木) 表参道でとんかつ&お茶

これまでしつこく、気がかりな色覚異常のことばっかり書いてたけど、今日は親友にそれを打ち明けた。もんのすごく心が軽くなった。
ほんと、たいしたことないじゃんって、思えた。
彼女の為に携帯でコンテンツを読めるように日記を書こうと思った。

で、今日は表参道でランチ(わーーーーーい)。私にとっては近くて遠い異次元のエリアであった。
彼女ったらさー、交通安全の黄色い旗を青山に持参して来るんだもん。
直前まで学校の校外授業のつきそいボランティアをやっていたらしい。
振って歩こうか、とか。まさかこんなお洒落な街を黄色い旗振りかざして怪しい主婦が歩いちゃまずいっしょ。
お昼は、とんかつの「まい泉」そのあと紀ノ国屋、締めはオープンテラスのカフェ(名前忘れた)
子供のお迎えさえなかったらもっとゆっくりしたかったけど。
今日の発見 
紀ノ国屋ってスーパーのくせにエレベーター嬢がいる。
紀ノ国屋のオリジナルバッグってあんなにいろんなバリエーションがあるんだ。
紀ノ国屋の建物って全然スーパーっぽくない。
以上です。
ウソ。もっといろいろある。

彼女とひさしぶりに逢うとき、それはたぶん恋人に逢うときよりも嬉しいんじゃないかと。
生きていく上でなにが大事か確認できるからだ。
そんなに大げさじゃなくて、ただ彼女の大阪しゃべりに酔いたいだけかもしれないけど。ほんと可愛いしゃべりだよ。録音して目ざましがわりに使いたいくらいです。(そうかなー)



2002年10月09日(水) とりあえずしまっておく思い

このことを息子には当面のあいだ、やはり耳に入れたくない。そして息子を差し置いてその友達に先に知られるようなことも、親としては防ぎたい、
そのことは夫と同様、私もそう思っている。
そして夫婦お互いの親・親戚にも。
遺伝子がからむだけに、
それをネガティブに受け取る昔の人が多い身内は、
余計なストレスを抱え込むだろう。

もう少しタイミングを計りたい。もっと親の私自身が勉強して考察を深めて気持ちを安定させて、大きく構えることが必要だと思うし。

WEB日記は、今のところ、家族には内緒。
息子や娘を良く知る人々にも、やはり今は伏せておいたほうがいいかも。
それでレンタルサイトを変える必要が生じた訳。
子供に関するプラーバシーは保ちながら、
でもこのまとまらない思いは、吐き出しておいて、
気づいていなかったけど知らない世界がこんなに身近にありましたよと、書きたかっただけな自分。




2002年10月08日(火) 傲慢で余計なお節介?

だけど私の胸を支配していたのは、日常の不便さのことよりも、就職差別や結婚差別のことよりも、マイナーな特性をどう捉えるかという考え方のことよりも、何よりも、

ひとつのないものねだりな思いが、どーんと大きく迫っていた。
息子は目も見えるし耳も聞こえるし、話せるし、歌えるし、持てるし、書けるし、歩けるし、走れるし、味わえるし、匂いも感じることができる。
いろいろさまざまなことを考えることも感じることもできる。優しくて可愛い、これ以上なにか不満があるかっていうと、ほんとに、無い。
しいていうなら一度注意されたことは一度で聞いて欲しいとか、もうすこしスポーツに積極的に取り組んで欲しいとか、気配りと落ち着きが欲しいとか、まあいろいろあるけれど。
それでも。
贅沢だと思うけど、私が見えてる、きれいだと思う色の世界と同じものを、一生に一度くらい、見て知って欲しいな、なんて。考えちゃって。
私は小さい頃から緑色が大好きなんだ。
ペパーミントグリーンのあの爽やかさ、
「オズの魔法使い」に出てくる神秘的なエメラルドの国、ライムジュースの酸っぱそうな美味しそうな色、
青々とした夏の木の葉、
それは茶色やオレンジやカーキ色とは全然違う鮮やかなものなんだと、感じてもらう方法は、無いのだろうか。
体を流れる真っ赤な血、苺ミルクの可愛らしい色、それは茶色っぽい色でもないグレーでもない、もっとはっとする色なんだと、知らせる方法は、
あったらいいのに。
あなたが緑と呼んでいる色は、赤と呼んでいる色は、私にはこんな風に見えている・・・それを知らせる手段はない、と同時に、彼の見分けている微妙な微妙な色合いの世界を、私がそのまま見ることも、やっぱり不可能なんだ。
彼がきれいだと思っている景色を、彼と同じようにきれいだと感じるのは難しい。
それがほんとに寂しい。

でもそれは色だけじゃなくて、好きな音楽とか、味とか、感覚の違いの極端な範囲なんだと解釈すれば、べつに気にすることでもないといえば言える。

息子の好きな色は、だんぜん青だという。
男の子だからという理由だけじゃなかったんだ。
青は、私の見ている青とかなり同じようだ。
青と黄色と、それから茶系・グレー系の世界で生きていれば、
やっぱり青に一番惹かれるのも、なんかよくわかる。

だけどその茶やグレーの、微妙な色合いを、ちゃんと「赤」「ベージュ」「オレンジ」「黄緑」「緑」「ピンク」「ばら色」「ねずみ色」・・・と呼べると言う事は、虹はやっぱり虹色だと感じているのかも。
あの子だけの大事な綺麗な世界があるんだ、と思えてくる。
こんな色が見えなくてさぞかし残念だとか可哀想だなんて、こっちの余計なお世話、傲慢なお節介なのかもしれない。

だから私も、
「ああ、この景色は息子にどんな風に見えているんだろう」と思い煩っては泣くなんてことは、
もう止めよう。
考えなきゃいけないことはもっと他にある、から・・・。
(続く)



2002年10月07日(月) ひた隠し?

色覚異常は伴性劣性遺伝なんだそうだ。
染色体にはXとYがあり、XXだと女に、XYだと男になるけれど、そのXに色覚異常の情報が載る。
女は、ふたつあるXのうち、ひとつだけ異常なら、もうひとつの正常なXが抑えて、症状は出ない。保因者になるだけ。自覚もない。
男は、Xが異常であれば、それをYは抑えられないから、症状として出る。
だから色覚異常は圧倒的に男性に多く、しかもそれは母(保因者)から受け継いだXによることが多い。

息子が色覚異常だと知ったと同時に、自分がその遺伝子の保因者だと私は知った。さらに同時に、娘も五分五分の確率で保因者かもしれないということも。
我が子らの子供(将来の私の孫)はかなりの確率で、色覚異常が出るか、または保因者になるか。

そのことを息子は、そして娘は、いずれ知る。知る必要があるだろうか。知って悩むなら知らないほうがいい?いや、知らないでいてもあとで知るだろう。
結婚相手が保因者だと、子供に出る確率はさらに上がる。だからといって保因者を避けようとする努力なんて意味がない。そういう差別はとりもなおさず自分のマイナー性を一切否定してるのと同じ、人間を否定してるのと同じ。ある意味自殺行為だ。
というか、避けることなんて不可能じゃないか。女子の10人に1人は保因者なのに。
しかも自分では気づいていないのに。
逆に我が子も、この遺伝子を理由に、結婚差別されるシーンがあるだろう。自分自身が結婚とか子孫を残すことにネガティブになってしまうかもしれない。
でもそんなこと言うんだったら、
私は太る体質だからとか、花粉症だからとか、食べ物の好き嫌いが多いからとか、下戸だから、音痴だからとか、猫はいいけど犬は苦手だからとか、ブランド物に興味もてないからとか、どっちかというとガンコな性格だからとか・・・言い出したらキリないけど、
だから結婚しないとか子孫を残さないほうがいいなんて考える?

マイナーな遺伝子だからって隠すことなのか?隠すよりも、こういう特性だと言って互いに理解し合うほうがいいのでは。
でも、隠させているとしたらそれは誰?
隠さなくちゃいけないような世の中があるとしたら、それを崩していくのは、
マイナーな感覚を受け入れるメジャーの感覚を促すには、
マイナー自身がマイナーを恥じてはいけないし、メジャー側が恥じさせてもいけないし。

だけどこの件を、息子にも他人にも、「隠し通そう」と言う考えもある。なにもわざわざ自覚させることもないし、周囲に言うこともない、就職・結婚、不利になるようなことは極力隠す。・・・・と。
?だけど、それで済むのだろうか。

自分の見え方がほかの多数の人とは違うことを自覚し、それを周りにも理解してもらうことは、必要なんじゃないだろうか。

色覚異常は、人の価値評価に全く関係ない数ある特性のひとつでしかない。
「あってはいけないこと」なんかじゃない。
このことを、自分も周囲も肯定し受け入れる、ことを勧めるほうが、幸せにつながるのでは?
子供に何時、どのように、このことを認識させるか、どういう考え方でこの色覚異常というものと付き合っていくのか。

人として大事なセンター部分をただ覆っている単なる皮のところに目を奪われて、みんなと同じじゃないものを恥じたり排除したりするような感覚を、廃していかなきゃならない気がする。
(続く)



2002年10月06日(日) マイナーゆえの不便

この色覚異常というのはどのくらいの頻度で起こるものなのか。なんと男性では20人に1人ほどだそうだ。結構たくさんいるんじゃないの、と驚かされる。
それなのにこの世の中は、そういう色の見え方の人を無視したつくりがあまりにも多い。
色だけをたよりに分別せざるをえない情報が無神経に氾濫しているのは、色の見え方が違う人が存在することすら知らない人が多いからだ。
私も、そんな認識があまりにも足りなかったことを、反省させられる。
うちのテレビは電源オンのときに緑のライト、オフのときに赤のライトがつく。それもかなり小さい。これは息子には見分けがついていなかったかもしれない。
電車の路線図なんかも、都営新宿線と銀座線、ぱっと見には区別がつきにくいらしい。都営三田線と半蔵門線の色分けも。「どっちが半蔵門線?」「紫のほうだよ」「どっちがむらさきなの?」という会話を私は息子と、かつてしていた。知らなかったから・・・。
緑色の黒板に赤チョークというのはかなり見えにくいということは、最近でこそ教育業界に知られて配慮されているけれど。私の子供のころはそんなこと先生も生徒もしらなかった。人知れず不便を強いられていた子が少なからずいたのだろう。

そんな世の中だから色覚異常の人にとって進路選択は、ジャンルによっては、ある程度狭まってしまうこともあるだろう。けれど就職の際の色覚検査を廃止したり色覚を評価に取り入れないところが今は多いらしい。
色覚異常でも日常生活や仕事に何ら不自由を感じない人がほとんどで、運転免許も大体の人が取れるようだ。

もっと望まれるのは、全男性の5%も存在する色覚の人に不便を感じさせないで済むようなデザイン(ユニバーサルデザインのひとつ)がさらに普及することだろう。だけど色覚異常の人の存在は、何故かあまり表に現れない。だからいつまでたってもその不便さに人は気づきもしない、私もこないだまでそうだったように。
なぜか。なぜその人々は表に現れないのか、その答えは。色覚異常は先天性で治らないからか、自分では気づきにくいからか、それとも、
それが遺伝性のものだから・・・か。
(続く)



2002年10月05日(土) 正しい色って何

色ってなんなんだろう。
人の目が色彩を感じるしくみは、波長の異なる光に反応する3種の錐体細胞によって主に成り立つらしい。
赤の光を中心に反応するものを赤錐体、ほかに緑錐体、青錐体。
これらがどれか欠けたり、働きが異常だったりすると、色覚異常となるらしい。
ここで「異常」というのは、「正常」とされている色の見え方の人々が、大多数を占めることからそう呼ばれているのだろう。
色には、実体が無い。物質が反射する光を、どのように受け止めるのかという問題だから。他の生物と人間の見え方も違うし、色覚正常とされる人同士でも、まったく同じ感じ方を色に対してしているのかといえば違う。
「これがこの物質の、固有で正しい色です」ってものがあるわけでは、ない。見る目によって変わるものなのだ。

だけど息子のみている色の世界が、これほどまで私たちと違う(らしい。あくまで推測の域を出ない。)ものとは。
彼は第二色覚異常なので緑錐体が足りない。
緑は茶色や黄土色っぽく、黄緑はオレンジ色っぽく、見えるらしい。緑系統だけじゃなくて、赤も茶系に見えている(推測)。ピンクはグレーや水色に近い色になり、紫と紺も見分けがつきにくくなる。
それを息子自身に聞いたところで多分認識できない。
彼はその目にみえた茶色っぽい色を「緑」とよび、そのチョコレートみたいな色のことを「赤」だと思っている。生まれたときからその見え方なんだから。

(続く)



2002年10月04日(金) 何の気なしに知った事実

最近息子が遠くのものを見えにくそうにしていた。
狭い部屋の中でばかり遊びたがるし、ゲームボーイや漫画描きなど、目に悪いことに集中する子なので、これはまずいだろうと。
夫が休みを利用して、彼を眼科に連れて行った。
0.1まで落ちていた。いくらなんでも急に悪くなり過ぎ。
焦点あわせの筋肉を柔らかくする目薬をもらってきた。
それから熟慮の末、視力回復のトレーニングセンターに通わせ始める。それでどこまで良くなるかは、賭けなのだけれど。自宅での訓練もあわせて、気長に継続して、良くなっている人も結構いるようだ。

ところで、夫は眼科で、息子の目のことで以前から私たちの気がかりだったことを、調べてもらったのだ。
それは半ば「たいしたことはないですよ」と言われたくて調べてもらったのだと思う。
息子はそれをたんなる視力検査だと思っている。

息子が小さい頃から、あの子は色の見分けが苦手もしくはちょっと独特かもしれない、と推測していた。
友達の顔を黄緑色のクレヨンで描いたことも多多あり、
カレーライスの絵を深緑で描いたり、
「ピンクってどれか分かる?」の質問にグレーのクレヨンを指したり。

テストの結果は親にだけ知らされた。半分は「やっぱり」という思い、半分は衝撃。
「第二色覚異常」というものだった。
緑色の光に反応する網膜の細胞が欠けていると起こる色覚らしい。
最初はそれを聞いて「ああ、ちょっと緑色が変わって見える程度なんだ」と思い込んだ。
けれどこの件を知れば知るほどに、ことはそう簡単ではないことを思い知らされた。
私の意識も、その後驚きから、知らなかったことへの悲しみ、それから、さらに変化していって。
この件、続く。



2002年10月01日(火) 掲示板を置いてないわけ

「ここには掲示板をおいてないの?」と尋ねてくれた人が何人かいて。


「自分のホームページって作ってみたい」と相当興味があった頃。
ただ日記を借りて好き勝手なことを書くのは今と一緒だけど、その頃は掲示板(BBS)も設置していた。
よそ様のサイトの掲示板にも、何も考えずにお邪魔していた。
今つくづく思うのは、
掲示板を置くと、いろんな人の言葉が読めて楽しいし良いんだけど、とたんにサイト管理がひとつの仕事になるなあ、ということ。
いつでもいつでもパソコンを開いて見ていられれば満足のいく管理ができるだろうとは思う。
今は一応?子育て中の身、パソコン遊びの優先順位は低い。(一応。建前。)だから責任持ってサイト管理するのは厳しい。

掲示板を置くというのは誰かの言葉を預かることでもある。それはなかなか意外とデリケートなことだと、だんだん悟った。
アバウトな私にはちょっと勤まりきれない部分がある。
掲示板って誰でも匿名で自由な意見を言えることに良さがあるし、また困ったこともある。
インターネット上に掲示板がある限り、あらゆる人が訪問可能。
たとえ善意の書き込みだったとしても、人の感受性や思想が様々な限り、言葉はときに、予測のできない受け取り方をされる。
にこにこしてタイプした文字だったのに、向こうで読んでる人はその文字の裏に怒った顔を予測するなんてこともあって。

掲示板には、メールには無い、良さがある。
メールだと、話し掛けてる相手を限定してしまうから、そのお相手は、それに対して返事しなきゃいけないような気にさせられることもあるわけで。
いや、返信不要の用件には、ほんと、返信不要なんだけど。なんか「読んでおいて無視してる」みたいでわるいなあ、なんていう気遣いをする人も出てくるわけで。
そんな気遣いをさせるのがいやで、いちいち「返信不要です」なんて書くのも、「あなたの返事なんか別に要らんよ」とは聞こえないだろうね、なんて心配したりして。

その点、掲示板だと、一応特定発言に対してのレスとして書かれていても、それは同時に他のメンバーへ向けてのメッセージ。
見た人は必ず返信しなきゃ、という気分には、ならなくてもいい。(ほんとはね。だけどあまり誰も書かないと、どうしてよいか。)
誰が見てるか分からないから、やっかいでもあり、楽しくもある。
見知らぬ誰かの役に立てる、見知らぬ誰かの気持ちを逆なでする、見知らぬ誰かの気分をラクにする。
覗いてもらってなんぼ。広い世界に発信したものが、どこか誰かにヒットして幸せを生むかもしれない。
けれどもし。いいかげんな書き込みのせいで混乱迷惑させられる被害も、どこまで広がるか分からない。それこそ世界に。

アクセスできる頻度も環境も人さまざまだし、ネット慣れしている度合いも人それぞれだし、話題についていってる度合いも人さまざまだし。
読んだら必ずそれに対してコメントをするかしないか、も、気分だし。
言葉にし難いことをあえて言葉にするか、いっそしないでおくか、も時による。
書かないからといって失礼でもないし、書いたからといって失礼でもない。
書かれている意見だけが全てじゃないし、書かれないことはだれにも分からないし。
それを自分の尺度で推し量りながら交わるのも、人間の限界がある。
書いていいのかな、書かなくていいのかな、書かれないけどいいのかな、書かれてるけどいいのかな、
・・・などと気にしすぎる人にとっては掲示板は時にはストレスの元にさえなる。
それを皆が踏まえた上で、
あらゆる可能性を想定しながら、良いほうに解釈しながら、言葉の中からただメリットだけをすくいとって参加できるんなら、
そこからは得るものがある。そこは楽しい。

・・・・。だから、何だろ・・・。
変わりやすく、移ろいやすく、何でも有りで、何も知らない、全て許せるかもしれないし、全て許せないかもしれない、人の心。
その心を「言葉」で切り取ったパズルのピースが沢山ある場所。しかもまだまだ欠けている。どの箇所が欠けているはわからない。
特に大きなコミュニティの掲示板は、そういう場所だった。
ちゃんとワケが分かった状態でそういう場所の運営に関わるには、今の私には心の基礎体力がちょっと衰えてる。
だから、お招きする自室はないくせに、どこかに時々お邪魔する、今の私は、そんな私。


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