気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2002年08月31日(土) 伯父の他界

母の姉の連れ合いである伯父が、まだ70にもならないけど、闘病の末に逝った。
仕事上、お酒もタバコもよく飲む人で、もうずっと以前から糖尿で、肝臓も胃も食道も患い、入退院を繰り返していた。
28日、何度目かの入院の準備をしている夜、具合が悪くなって、救急車に乗り込むときには、しっかりしていたけれど、運ばれる間に意識がなくなり、そのまま、あっという間にとのことだった。安らかな顔だった。
最後まで気力で頑張っていた伯父はもう覚悟ができていたのだろうか、立派だと言える。

伯父は私のことも可愛がってくれたと思うが、知らせを聞いて私はむしろ、看病生活が続いていた伯母のことや、まだ独身のひとり息子である従弟のことが悲しかった。正直、伯父との別れが悲しいというわけではなかった、告別式までは。

けれどやはりお葬式というのはたまらない。
人は体がこの世で死んでも、人のたましいというものが続くと、・・・体も地位も財産も借り物だし仮のもので、たましいがどうだったかが全てだと、
そういう仏教テイストで日頃私は自分にも言い聞かせているし、
自分や家族や友人の死に際してもそれで乗り切ろうとしているし、
だけど・・・。

遺影を見てしまうと、元気だったころの笑顔・声・思い出してしまう。
棺に献花するのだって、穏やかな表情なのにまったく生気のない顔を見てどうそれを受け入れたらいいのか。見られない。
斎場でのすべての場面で現実を信じられない思いだった。
帰りは小さな壷に納められて、これはいったいどういうことなんだろうと震えがきてしかたない。その時点でもう、ここにはいないんだと分かっていながら、でも。

伯父のことですらこんなんだから、絶対に絶対に、
子供より早くは勿論のこと、夫より一日でも早く、あっちに行きたい。
そして、そんな願いが叶わなかった人びとの心情をあらためて想像し、
夕べはなんともいえない気持ちだった。
今、私が、この体で、家族の肉声が聞けて、あったかいほっぺが触れていることが、いつまで続くのかと。



2002年08月07日(水) 大阪3日目

(昨日の続き)
前夜11時過ぎまで起きていたので、8時近くまで布団の中。
朝ご飯(ブッフェ形式)に冬瓜の煮物を見つけてよろこぶ。
お昼までに、難波から関西空港に向かう特急に乗る前に、花月をちょっと見る。といっても売店だけ眺めていた。
売れ筋商品第三位というのが、吉本のだれだっけ、お笑いの人の人形で、ぎゅっと押すとハナミズが出るしかけ。これが妙につぼにはまった(夫・談)。
ばかばかしさもここまでくると崇高なものを感じる。
すべてを受け入れる海のような宇宙のようなあたたかさを感じる←ホントかねー。

今日の発見
1、立ち寄ったゲームセンターで見かけたサーキットゲームで、「事故を起こすたびに損害賠償額が上がっていく」ものを見つけた。これってここだけ?それとも東京にもあるのかなあ。
珍しいものを見ると「さすが大阪」と思ってしまうが、それが「大阪ならでは」なのか、「単にそのものの個性」なのか、もう既に判別できない頭になっている私。あれも大阪、これもやっぱり大阪、大阪ならありえる、うんうん、と納得していく自分は正しいのだろうか。
2、関西地区限定の、小倉抹茶ポッキーというものの存在。いいなあ。箱がもう少し小さかったら買いだったわ。せめて片手サイズならよかった。
惜しい。

帰宅後待っていたのは4人×3日分の洗濯・・・でも昨日会った友達から「お帰り」FAXが来ていて、疲れも忘れて幸せでした。
いつか子供が大きくなって私が独りで旅することが可能になったらあらためて、思う存分行きたい場所、それが大阪かな。まだ甲子園も阪神ファンも鱧の造りも、肉眼で見てないことだし・・・。



2002年08月06日(火) 大阪2日目

(昨日の続き)
ごはんを食べたら例のテーマパークへ向かってみた。(それにしても暑い。暑すぎる。)
ゲート前のショップにはまりそうになったけれど「先は長い」と思い直して後回し。ほとんど予備知識もなく行き当たりばったり行ってみた。
ターミネーターの3−D映画は迫力ありすぎて娘は悲鳴を上げた。私は幸い先端恐怖症ではないので楽しめた。
家族で無難に面白がることができたのはウッドペッカーのアトラクション。「吉川さん」に惚れそうになった。
スヌーピーのお部屋は、なごんだ。
水のうえのアクションショーは、もう少し前のほうに座ればたくさん水をかけてもらえただろう。
夕方から二手に分かれて別行動。もう4歳の娘には手におえない広さと内容の場所なので、お兄ちゃんとパパを残して早めに出口に向かう途中、パレードに遭遇、ちょっと得した。
その後息子はパパと、デロリアンのタイムマシンに乗るアトラクションでスリルを味わった後、宿に帰りがてら奈良に足をのばした。

私と娘と言えば、大阪に帰省中の友達となんばで会ったのだけれど、
せっかく南海難波ゆきのバスを教えてもらったのに、南海難波の手前のJR難波で早まって降りてしまい、友達に苦労をかけちゃってさー。
いやー。
彼女のおしゃべりを聴いているだけで、どんな大阪名所めぐりよりも、おなかいっぱい大阪が味わえるのだった。
今日の発見
1、串カツ・串揚げのお店というのは大阪では昔から当たり前のように存在していたらしい。しかもそこでタダで食べられる「きゃべつ」も当たり前の存在らしい。だけど関西を知らない私には驚愕のきゃべつである。
きゃべつ有りと聞いて「千切りしたものが盛ってあって取り分けてソースで食べる」とイメージしたら全く違う。一口大にちぎってあるものを手でつまんで、うさぎさんのようにかりかりと、でも塩をつけて食す。これが(こんな食べ方は生まれて初めてだけど)すんごく、美味しい。
串カツを友達にご馳走になっちゃった。うーんありがたや。
2、ミックスジュースなるものは大阪のどの喫茶店にいっても普通にあるメニューである。ベースは牛乳で、そこにフルーツがミキサーで入ってるわけだけど、それは桃、ミカン、バナナなどで、しかも缶詰のフルーツが主原料。どこか懐かしい味だった。友達はそれを幼少のころから当たり前のように飲んでいたけれど、全国的にどこの店にもあるメニューだろうと思っていたらしい。
そういう、きわめてローカルなものについて、全国どこでもそうだろうと思い込むということは、例えて言うなら道産子が上着をバーバリーと呼ばわってナイチのひとに分からせようとする事例に相通じるものがあるねと説明したのだった。
3、グリコの看板は私が想像していたよりも、はるかに巨大だった。
4、「動く歩道」(エスカレーターの平面バージョン)は大阪が発祥らしい。

娘はミックスジュースを結構気に入ったみたい。
旅館のお風呂の時間さえ決まっていなかったらもう少しおしゃべりしていたかったけれど。



2002年08月05日(月) 大阪フリーツアー初日

家族で大阪。石切温泉に2泊。
今日は伊丹空港から難波へ出て、「くいだおれ」「夫婦善哉」そして大阪城、宿到着後はたこ焼き体験付き夕食。

今日の発見
1、エスカレーターの立ち位置が東京とは逆。大阪では右に立って、左を空けておく。
2、街行くひとびとや、列車内のひとびとの、おしゃべりの声の調子が、第三者にはっきり聞き取れる有声音で構成されている率が高い。
3、食事どころでお店の人は伝票を値段の記載されている面を上にしてテーブルに置く。
4、きつねそばとは言わず、たぬきそばと言う。うどんがきつねで、そばがたぬき。
5、ぜんざいには塩昆布がついてくる。
6、サービス業の人がつっけんどんではなく、たいがい親切。
7、たこ焼きは鍋を熱し生地を6分目まで入れたら具を入れてあまりぼーっとしてないで早めに生地追加してひっくり返すべし。

子供達は殊にたこ焼きに大喜びで、旅館のテーブルクロスはすっかりわやになってしまった。「およそ旅館の食事らしからぬ騒動だね」と笑ってしまった。



2002年08月02日(金) アイスクリームの覚書、他

(何味のアイスクリームが好きか、または食べてみたいか)
バニラ 抹茶 キャラメル バナナ さくらんぼ パイナップル ラムレーズン 黒ごま パパイア カボチャ 紅茶 ゴルゴンゾーラチーズ オレンジ ココナッツ 黒糖 メープルシロップ 桜 梅 柚子 サツマイモ コーヒー チョコレート 栗 へーゼルナッツ 苺 ぶどう すだち 生姜 小豆 トマト ラ・フランス梨 桃 マンゴー 夕張メロン ラズベリー ブルーベリー 黒すぐり クッキー 青リンゴ グレープフルーツ 紫蘇 胡桃 あんず ヨーグルト パッションフルーツ ペパーミント 赤ワイン 枝豆 ライチ キャロット 夏みかん アーモンド ピーナツクリーム  豆腐 甘みそ 胡椒 ラムネ すいか キウィ すもも きなこ 蜂蜜 甘酒 シナモン 柿 玄米 ジャガイモ  とうもろこし ほうれんそう 枇杷 レモン スウィーティ ピスタチオ わさび(思いつき)  

※今日八月二日は午後激しい雷雨あり。
※明日八月三日はパワーパフガールズの映画が公開される。




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