最近、いや前から、息子は持ち帰るべき配布物や教科書を、学校の机に入れっぱなしだったり、 園から娘を連れて帰ると先に帰っていた息子が鍵を開けたあとその鍵をドアに挿しっぱなしだったり、 非常にポカが多いので、私もつい口うるさく念を押すようになってしまっていた。 こんなこと今更言っておかなくても、というようなことまで先回りして注意するので、我ながらうるさい。 だって言わないでいたら、ほんっとに忘れてくるし。 まあ、忘れたら忘れたで少し自分で困って身にしみるのもいいが、 あんまり無用心だったり、プリントを読めなくて私が困ってしまうのもヤダからねえ。
そんな中、月曜の朝も、万が一忘れちゃいけないと思うあまり、登校前の子供に 「今日は月曜だから算数教室の日だよね。忘れて誰かと約束して来ないようにね。 それから、うちに見当たらないジャケット、きっと学校だから忘れず探して持ってきてよね。 こないだ国語の教科書学校に置いてきちゃって宿題できなかったでしょ。今日は持って帰りなさいね。」 等等、くどく注意したら、「わかってるよ!赤ちゃん扱いしないでよ」といい残して出て行った。
帰宅してからも彼はとても不機嫌だった。「あっ、先に手洗いとうがいをしてよ」返事がない。 算数に行って帰ってからもふてくされている。 娘は熱を出して寝ている。あまりうるさくされてもイヤだと思い、 「一休みしたら、今のうちに宿題やってカバン揃えてしまうといいよ」と言うと「わかってるって!」 ちょっとくどかったかなーと思ったけど、静かに宿題の日記を書き出したようだ。 (毎日、その日の日記を宿題として提出することになっている) ところがしきりに鼻をすすっているので寒いのかと思ってみると、泣きながら書いている。 慌ててどうしたのかと聞いた。また何か学校の友達とうまくいかなかったとか? じゃなくて、日記に私への恨みつらみが書いてある。 「ママはぼくをあかちゃんあつかいしてすごくいやだ。ころしたいくらいきらいだ。ママが消えてしまえばいいとおもう」
「ふーん・・・。」私は絶句して台所へ向かった。本当ならここで「ママが悪かったよ、許してね」とか言うべきなのだろう。 そういう気分にとてもなれなかった。 私はおとなげない。虚しさと悲しさに胸がいっぱいになりながら煮込みうどんを作った。 風邪予防には、あったかい汁物がいいから。 つとめて平静を装って「ご飯できたよ」席についた子供達。 「熱いから、上のほうから少しずつとって、ふーふーって冷ましながら食べるんだよ」2人が返事した。 「ううん、お兄ちゃんにいったんじゃないよ。だってお兄ちゃんだから分かってるでしょ。あかちゃんじゃないんだもんね。」 すごく意地悪な私。これで追い討ちをかけたせいで息子がまたうるうるし始めた。私もこみ上げてきた。 「今日は風邪にいいと思っておうどんにしたよ。みんなが健康でいてくれたらいいと思ってごはんをつくってるんだよ。 でも明日からはひとりでごはん作って食べてね。ママなんかいなくても大丈夫だよね、もう大きいんだもんね。寂しいけど。」 と言いながら自分の意地悪さに悲しくてなにも喉をとおらない。 子供はこらえきれなくて号泣した。「ちがうよー、ほんとは好きなんだよー!」 単にこのセリフを聞きたかっただけなんじゃないか、と私も泣いた。「ごめん、ごめんね。分かってるから。もういいから。もういいよ」
こんなふうに子供に憎まれ、子供を困らせ、泣かせ、言うことをきかせ、それって私が子供の頃、親や親族に対して一番、止めて欲しかったことなんだ。 でも「こんなに子供のことを考えて頑張ってるのに!」という感情ってやっぱりある。ぶつけちゃいけないのにぶつけてる。 迷惑千万なのを承知でやってしまうのは、どうしてだろう。 子供を信用できないのは、自分を信用できないのとほとんど同じなのに。 翌日の火曜午後、学校の保護者個人面談。 「実はこんな内容の日記を提出したようですけど・・・」と先生に切り出した。 でも先生が奥から出してきた、うちの子が出した日記を見たら、昨日書いていたのと微妙に違う。 前の晩、子供が自ら内容を修正して、提出したのだった。 「あんまりぼくのことを赤ちゃんあつかいするので、ママがいなくなればいいと言ってけんかしたけど、仲直りしました。」 と書いてある。 先生と15分ほどいろいろとお話して、学校の様子もわかったし、先生も気持ちをきめ細かく見てくださる人なので、安心した。 息子の「・・・仲直り・・・」の字が、いつまでも脳裏に浮かんでた。
おとといの晩、息子が歯を痛がったので、とりあえず冷やし、昨日と今日、歯医者さんに行った。 娘は幼稚園の友達に預かってもらった。
その歯科は、虫歯をすぐ抜いたり削ったり詰めたり被せたりはしない主義で、とくに子供の歯は、薬をつけて、あとよく歯磨きを徹底的にやって、再石灰化を待つということで治療する方 針。 なのでそう痛いことはされない。 今日はちょっとだけ虫歯の部分を削りとってあと薬をつけてもらったけど、それをやる前の、歯磨き指導がもう長いこと。 昨日今日の診療時間の90%は歯磨きだった。
ブラシの持ち方、磨く順番、磨き方、それは丁寧に教えてくれる。下の奥歯左・右・上の奥歯左・右、で4コース。 それぞれのコースの、真ん中(噛む面)・内側・真中・外側と磨いたら、次のコース。 そうやって奥歯を終えたら前歯、ブラシを縦に持って一本につき10回、歯茎から先へ向かってマッサージ。 そして歯と歯の間もつんつんと磨く。表が終われば、歯の裏も同様。
その指導を、先生や助手のお姉さん(美人)も実演して見せてくれながら子供と親(私)に教えてくれるのだけど、 他人様が歯を磨くところなんて見るのに慣れていない私はちょっと目のやり場に困った。 まじまじと見るのはなんだか悪いような気がして、あんまり先生たちの口に焦点を合わさないように見ていたけど。 でも「この磨きにくいところはこのように唇をひょっと広げてやってブラッシングひまふ。見へまふか?こうでふ。」 と、一生懸命見せて下さるので、だんだんこっちも、腰を据えて見るようになった。 あんまりためらいながら見ているのも却って悪いかなーという気もしてきた。 まあね、歯医者さんというのは、人の口の中なんて見慣れているからもう、自分のも見せることにも抵抗はないのだろう。
ということは?産婦人科や肛門科の先生や看護婦さんたちって、見るのも慣れっこと同時に見せるのもおっけーなのか? 口とは違ってさすがにはずかしいかな・・・。 そんなことを考えてしまうような、ちょっとびっくりした日でしたね。
バザー当日 焼きそばコーナーの場合。 前日のうちにカセットコンロやら調理用品などを運び込んでおき、野菜や麺も手分けして自宅に持って帰り、切り分けておいた。 それを当日朝、ひとりあたり26〜39食分の材料(キャベツとちくわとモヤシと麺。この麺がけっこう重い)を持って8時半集合。 雨なので歩いて運び込むのがちょっとしんどかった。車は夫があとで子供2にんを連れてくるのに使うから今は一人で抜け出してくるしかない。
10時開店までに、カセットコンロにしかけた無水鍋5台を少しずつ時間をずらして作り始める。 ひとつのなべに入れるのはキャベツ(大)半たまザク切り、豚肉細切れ1パック、ちくわ5本輪切り、モヤシ一袋、やきそば麺9たま、ソース(粉)も9袋。 まずうすく油をひき、麺とソース以外の材料をさっと炒めてから、麺をのせてソースも振りかけてふたをして、 中の弱火で20分くらい、タイマーかけておく。 しゅんしゅんと蒸気が上がったら、一度軽く混ぜ、中の火の通り具合をみて、大丈夫だったら大きなボウルにあける。 そこでソースが均一に混ざるようによくかき混ぜてバットに移し、ホイルをかけて保温器に入れておく。 その一回で13食分。あとで保温器からだしてプラスチックパック13枚にわけて輪ゴムを掛け、出来た順に並べ、 まちがいなく早い時間にできたものからチケットと引き換えに売るようにして、 割り箸を渡し、青海苔と紅しょうがはセルフサービスで勧め、チケットをもらったら売上チェックをメモする。
年中さんで去年も焼きそば担当だったリーダーさんのお蔭で、とても手際よくぬかりなく運営できた。 ちょっと足をひっぱったのは私が切ってきたキャベツがおおまか過ぎたことかな。「やだー、いくらザク切りといっても!これじゃおなべに入らないって」 前売り分の4パックが閉店時になっても残っていて、「きっとなかなか引き換えに来られない子供コーナーのひとかも」と言って配りにいってもらったらやはりそうだった。 子供コーナーは非常に忙しく、まだ昼食を食べていないひともいた。 私はお昼にはきっと忙しくて食べる暇がないと思って、10時台にまとめ食い。 焼きそば、おにぎり、豚汁、チーズケーキ、クレープ、コーヒー。 いろんな人がつくったものをなるべくいっぱい食べてあげたいという思いと、単なる食いしん坊で、11時から店番に入ったときはすでに満腹していた。 買い物もしたかったけど、前日にざっと見てあるし、売れ残ったものは月曜にミニバザーと称して園内で売られることをみこして様子見にとどめた。
今回雨のため、事前準備のときに園児を預かってもらう先を確保するのが大変だったことと、 園庭が使えない為室内が手狭になり、かつゲストのお子さん方が庭で遊ばない分とても混雑したことなどがちょっと困った点。 でも全般的にはみんな協力的にことを運んでいき、充実感が残りましたー。
そしてバザーによって得た新知識。 ひとつ、いまどきの「リアカー」というのはおしゃれなものがあるんだな、ってこと。 (前日に地区会館からテーブルを園に運び込む手伝いのときにリアカーが登場。) それと、焼きそばをつくるのに無水鍋で蒸し焼きにすると一度にたくさん、しかも上手に作れるのだな、ってこと。
非常にためになる経験ではあったけど、来年は委員じゃなくてヒラ(笑)で楽したいな、という本音もあり・・・。 (前日・当日の実質的な忙しさはヒラでもそうとう忙しいけど、気分の問題がちょっと違うかと。) でも夫もそれなりにしわ寄せきてる。朝子供を起こして食べさせバザーに連れ出し遊ばせて買って食べさせて連れ帰る・・・。 それくらいはみんなやってくれてるけど、まあ「どうもお疲れ様でした」とはいってあげたわ。 さあ、頭はもう反省会よりも打ち上げ会に向けて始動し始めたっ。
2001年11月05日(月) |
七五三とか、靭帯とか |
4日のスケジュール(七五三お祝い) 午前10時に写真やさんで娘の撮影、その足で近所の神社にちょっとお参り。 行きか帰りに、家族写真を自分ちのカメラに収める。(だれかに撮ってもらう)それは年賀状用。 そしてお昼に夫と私の親を招いて、食事は和食の仕出し。
なので、夕べからまず「片付け」を親子で頑張る。そしてちょっとお掃除。 着るものの確認。娘は着物(お祝いでもらった)、息子はブレザースーツにネクタイ(入学式に着たものがまだ着れる)、 パパは背広でいい、私は・・・。どれにしよう。 夜中にこっそり試着、あれかこれか。結局いつかのお正月に着たことのあるニットアンサンブル。 そして早朝から洗濯。さくさくと家族を起こして片付け。 したく、まずは自分がメイクしてから、おちついて娘に着付け。(そのまえにトイレに行かせる。) どさくさにまぎれてパンツのうえから紙のおむつをさっとはかせてしまう。これも衣装のうち、みたいに。 だって万が一トイレが間に合わなかったらこの着物の替えはないんだから。万全を期す。 娘は着物に袖を通したり、紙にリボンをつけてもらったりするのが、嬉しいようだ。 「指輪は?」「マニキュアは?」とか聞いてくる娘。そういうのはもうすこし大きくなったらね。 今は口紅だけなんだよ。 お兄ちゃんのスーツ姿に「男らしいね」なんて言って喜んでいる。どこでそういう言葉を覚えるのか。
夕べまで降っていた雨が今日はすっかりあがって、よかった。写真もお参りも無事に終了。 (ただ、スタジオではちょっと緊張して固まっていた。) 帰宅してまもなく、お昼のお料理も滞りなく届いて、私は飲み物と食器を用意するだけ。ラクだ。 それでも「どのグラスにしよう?」「ビールは何本くらい?」なんて考える余地はある。
お客が到着、まず着崩れないうちに家の前で家族写真のシャッターを切ってもらう。 娘が少し疲れた顔になってきた。しゃがみ込もうとするので手をつないでよいしょっと引っ張り上げるも、これ以上は立っている気力無し。 おばあちゃん達に愛想を振りまく元気がちょっとなかった娘。つまりお腹が空いていた。 じゃあとにかく、お食事としよう。
食べ終わったあと、娘が「ここが痛い」って、左のひじを示している。曲げたり動かしたりするたびに痛むようす。 急遽、おばあちゃん達に息子を見てもらっているうちにパパと車で病院に連れて行く。 大学病院の救急。
診察。「ちょっとこうやって、こうして、・・・はい。」と、魔法のように治してもらった。 あっけない。「靭帯がちょっとはずれてましたね。今、はまりました。」ほんとに娘はケロッとしてる。 あの写真の時、ちょっとひっぱったのが原因か。・・・以後、気をつけよう。
撮影あり、診察ありの、なんだかちょっといつもよりよけいに動いていたなあ、 そういう印象で今日の日が子供心に記憶されるんだろうな。 私は、すべて無事終了してその後片付けをしながら、やっとしみじみ、「もう七五三なんだなあ」と今ごろ感慨。 ということで、子供の腕をひっぱりすぎないように注意すべし。
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