25日夕方、英語教室に長男を迎えにいくと、ちょっと元気がなかった。いつもは覚えたての単語を叫びながら、跳ねるようにはしゃいで出てくるのに、今日はどうしたんだろうと思って聞くと 「ちょっとそこで転んだの」 膝を打ったと言うその箇所を見ても、痛みの度合いを聞いても、そんなに落ち込むほどのものとは思えなかった。 「ただ自分で転んだだけだよ」と言い張るのでそれ以上聞き出せなかった。
その後、食事が済んだ頃、教室の先生から電話がかかってきた。 同じクラスの男の子がふざけて息子の名札を隠したりして、それで息子が泣くという出来事があったらしい。 「どんなご様子ですか?」「またなにかありましたら、ご連絡ください」と先生。 そんなこと一言も言わなかった子供、どんな気持ちだったのか、でも今は兄妹で遊びが盛り上がっているからあとで話そう。
寝る前、枕もとで、「ほんとはこういうわけだったのね?」と話し掛けてみた。 息子の目がどんどん濡れてくる。 「なんでもしゃべっていいんだからね、先生にもママにも」
「けんかが強いけど、他人に嫌なことをする人と、けんかは弱いけど、他人には嫌な思いをさせない人と、 どっちが偉いと思う?・・・どっちが立派な人だと思う? 意地悪する子よりも、意地悪できないあなたのほうが、心の立派なことでは勝ちなんだよ。意地悪する子のほうが恥ずかしいんだよ。」
しばらく添い寝していたら鼻をたらしながら眠ってしまった。 帰宅した夫にそのことを話したら、 「やっぱり、もうすこし、相手に対して強く出られるように訓練してやったほうがいいね。 強く出るやつには誰も悪さをしなくなるわけだから。」 そうなのかなあ。 「普段はいい人だけど怒ると結構怖いんだぞ、というふうに成らないとね」 そういう気の強さ、というのはどうやったら身に付けさせてやれるのか・・・。
2001年10月17日(水) |
お布団のような母のようなエンヤのうた |
「PAINT THE SKY WITH STARS‐THE BEST OF ENYA」 娘を出産する頃、妹にもらったエンヤのCD。 今も、体や心が疲れたら、引っ張り出してくる、お布団みたいな存在。
またこの音・この声の重なりに身をまかせて目をつぶって聴く。 なんでこのシンセや弦楽器が規則正しくある音階を奏でているというだけで、 なんでこの女声が高く低く強く静かに重なり合って響いているというだけで、 それが空気を震わせて耳まで届いているだけで、この涙腺が影響をうけるのか。 この脳にこんなに景色がうつっては消えてくのか。 自分がはるかかなた上空にいる小さな元素の風になって新月のようなまるい地平線をみているような。 栄養ゆたかな土のなかから小さな虫になってたくさんの暗い木々をみあげているような。
いろんなことを思い出して思いをはせる。 期待。ときめき。陣痛。恐怖。達成感。疲労。搾乳。やわらかい子供の肌。腰痛。
優しくしてもらったこととか。幸せだったこと。緊張したり安心したりしたこと。 言葉に出来ない不安。とどかなかった思い。誤解された悔しさ。こだわり苦しむ心。 満たしたり満たされたりした嬉しさ。遠くから静かに送られた念。送った念。 矛盾・・・・自分の、家族の、友達の間の、世界の、ヒトの、いろんな矛盾。 残酷な出来事。奇跡のような出来事。 美しいこと、醜いこと、高く飛べる意識、低く沈む意識。この体、この胸、自分、他人。
昔のこと、これからのこと。 子供だった頃のこと。母のこと。 我が子への思い。よその子への思い。
なんでも思い出させてくれて、それを全部つつんでくれて、母のような音楽。 この音楽のように成れたらいいのに。
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