気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

1987年04月01日(水) パラレルワールド

パラレルワールド

某年4月23日、

「デトックス的なネガティブの記録(毒出し。前を向くための)(長文)(スルー推奨)」

(大切な人も時々は見てくれている日記なので、書いておくと、以下は刻々と過去の記録になっていっています。時間が経てばたつほどに、きっと、大丈夫になっています。だから心配しないでくださいね)

PTA役員時代も遠くなり、
受験生が家に居た緊張の三年間も終わり、
気がかりだった義母や祖母のことも今は少し落ち着いているみたいだし(ヘルパーさんや母や叔母や従兄弟のお蔭だけれど)
本来ならば、ここらへんで何かスキルアップだとか仕事だとか始める好機だろうとは思うけども
なんだろうね、
延ばし延ばしにしてきたこと全てがもうホントにどうでも良くなっていて
というか、いま、
何もかもに興味が持てなくやる気も全くといっていいほど枯渇していて
子どもが家を出たあと、布団をかぶってただただ理由のわからない涙を流し
へたするとそれで目も腫らす感じだけどそれは家族が帰ってくる前に収められる程度にとどまっており
ただiPodのイヤホンを耳に差し込んで目を瞑ってじっとしていたく
誰にも来て欲しくなくどこにも出かけたくなく学びたくも働きたくも装いたくもなく
キレイになりたくもないし服も欲しくないし
お風呂も毎日は入りたくなく顔もできれば洗いたくなく
ただ辛うじて、家族の健康を害しないように毎日の食事の用意と洗濯くらいをやっと継続できてはいるし
家族が遅刻しないように段取り、帰宅後に子らの表情を確認し、おしゃべりを聴くのは喜びではあるのだけれど
要するに子どもの頬に出現する笑窪だけ見ていれば嬉しいのでもうそれでよく
夫は生きてさえ入ればもうホントにどうでもよく
自分で建設的なことを何一つしたくないんだけど、それをもし心配されて鼓舞しようとされるのはほんとうに辛い。
特に、私を心配してくれる母がきっと、なんとか私を助けて現状を改善しようと心を遣ってくれそうでそれが困る。有難いのに困る。
五十近くにもなる娘が、もっと手助けが必要なはずの七十近くの親に心配かけてしまったりお金を使わせてしまったり手伝わせてしまったりしたら、そんな絵図が、途方もなく恥ずかしいし、情けない。
それを知る叔母や従兄弟にそういうふうに見られるのも自分の中の見栄も、恥ずかしい。
恥ずかしいくらいならばしっかりすればいいのに、しっかりはできない。

まあ、こんな心理状態は、明らかにおかしいので、でも治療法はじっとして休んで時間が経つのを待つしかないということを確信している。
なぜこうなのか、なんなのか、今日はそれを分析しようと思う。

☆感謝しなければいけない人を、まだ好きになれない。

・夫のこと。
夫がいなければこの生活は成り立たない。
いまこうして可愛い子どもたちを穏やかな気持ちで見ていられるのも
穏やかで真面目な夫が毎日きちんと以上に働いてくれているお蔭だし
彼は子どものことも真面目に考えてて将来のことも考えて
決して暴力もふるわず、馬鹿で無謀なこともしないし
タバコも吸わずお酒も適量、歩く正しさと言って良く、鐘太鼓で探してもいないような夫だ。
この人お蔭で、こんなに可愛い子どもに恵まれ、子育ても不自由なく穏やかにできる環境が得られている。
だのに
好きじゃない。私は。この人のものの考え方や感覚のほとんどを、好きになれないし、愛したいと思えない。この人を心からかわいいと思えない。
この人をもっと喜ばせたいとは思えない。この人の為にもっと美味しいものを用意してあげたいとは思えない。興味が湧かない。
この人が在宅の時に、楽しい嬉しいもっともっと一緒にいたいから早く帰ってきて欲しいし休みもとって欲しい、とは思えない。
私はそこそこ博愛主義なのでこの人の老後の世話は割り切ってできるだろうと思うし
好きじゃないからこそ気兼ねなく私は気楽に過ごせて、二人の子も為せて、その後は十五年ずっと男女関係もなくとも全く平気というかむしろそれが助かるのだけれど
このあと更に何十年かを、この別に好きじゃない人と一緒に過ごす心の体力があるのだろうか。
だけど、好きじゃないけど、大切な子どもとのいまの生活水準を維持するためには、好きなのだという仮想で過ごす必要があるのだ。
彼は私の内面の価値を別に認めてはいないけれども、子どもの母親の役目を務めてもらうためには支配していたいというわけだし、
私は彼のことを子どもの父親として利用しているだけかもしれないけどいろんな意味で恩人だから生きていて欲しい。
これって、あと何十年かの同居生活を続けるモチベーションとしては、かなり弱いんじゃないか。考えてもしょうがないことではあるけれど。

・祖母のこと。
もう、赦してあげたい。感謝だけが湧くようになりたい。でもなかなかそう思えない。この件に関しては私の中の複数の人々が勝手に脳内に意見を言ってくる。
母が一生懸命に赦して優しく接しているっていうのに、私はまだ、というか、ぶりかえすように、憎く思う。恨みに思う。
だけどもうひとりの私は、祖母の中の優しさに感謝し、
祖母の並々ならぬ必死の努力のお蔭で形作られた自分の成長の歴史を有難いと思い、
祖母の善かれと思う努力のお蔭で引き合わされた「申し分のない」夫との家庭を有難いと思っている。
でも私の中の誰だかは、それでも文句を言い続けている。
祖母が彼女自身の承認欲求のために娘たちをマインドコントロールしなかったらば、
もっとどれほどみんなが幸せになっていただろうか?と、いまさら彼女に責任転嫁してしまう。
考えたってどうしようもない過去なのに、こだわってしまう。
祖母の理想とする孫でいることが暗黙のうちに決定づけられていたように思う、その際に大好きな母を人質にとられているような気分になっていたし
職業選択、恋愛、結婚相手、全て祖母の許可が降りるかどうかをまず想像し諮って、許可が降りなさそうと自分で察知したものは無用なトラブルを避けるためにあらかじめ遠ざけた。
安心させてあげられない自分=無価値で害悪、そう判断されるのが何より怖かった。
もうむしろ、安心させる装置としての自分だけを無事に生きればそれである種の自由が手に入るだろう、
結婚さえしてしまえばもっとラクになれてもっと自由になれるだろう、そう目論んでいた。
でもそれは甘かった。
あの仕事がしたかったわけじゃなかったし、あの人と結婚したかったわけじゃなかった、でもじゃあ他に何ができたか、誰と結婚できたか、問われれば、わからないし
それは自分が選んだことであって本当は祖母のせいなどではないのに
いま、祖母のせいにして怠慢を正当化しようとする相当きたない考えの自分がいる。
本当に好きなことを目指し好きな人と結婚する動きに乗り出して実行していたなら、きっと私はもっと頑張れていたはずだという、根拠の乏しい正当化。
この考え方は夫のことも裏切って傷つけているので、決して彼には言えないことだし、墓場まで持っていく気持ち。

・伯母のこと。
厳しい親から自己防衛するために身に付けざるを得なかったに違いない先制攻撃体質を、私に向けることはもう今後は無いだろうし、もうあまり怖くはない。彼女に感謝すべきことも多々ある。
けれど、だけど、いつまでも好きになれないし少しは怖い。
母や叔母を悩ませたりする存在なのが困るけれど、もう、関わらないで済むのならば関わらなければいいとも思う。
で、最近、そんな伯母と私は実はものすごく似ている部分があるということに気づいて
がっかりしている。
彼女の気持ちがいまとても良くわかってしまうのが悔しい。

要するに、もう、建設的なことに全く興味が持てないし、
家の中をちまちま片付ける暇があったら、ただ自分の好きなことをして残りの人生を消費したいのだ。
我慢するということをもうしたくないし
子どもは子どもの人生を頑張って生きていってもらいたいし
私は極力そこに介入したくない。
将来、介入しなくて済むための準備としてのお節介をいま、子どもたちに対して提供しているだけ。
家族が生命維持できる程度の義務だけ果たしたら、残り時間とお金は、
伯母ならばお洒落関係に使うだろうし、私ならドラマや映画や漫画や音楽だけ鑑賞して過ごしたい。
子離れしたあとの人生は、身体は、誰かの作った素敵な物語を味わうためだけに使いたい。自分の人生をドラマにすることはもう諦めている代わりに。

☆ネットでのやりとり、特にツイッターでの疲れ

ツイッターは、色々な刺激をくれたし、勉強になったし、楽しかったし、心の修行にもなったけれど、
いまは休んでいる。頑張って休むことにした。
あれはある意味、ジレンマを生み出す魔のような仕組みだから。

・夫に禁じられている行為であるところの、ネット上での気持ち発信、それが夫の稼ぎを元に可能になるという背信行為。夫のお蔭で暇とお金があるからできることなのに。

・風評被害やデマに傷ついている声をみると、見捨てておけない。だけどそれを是正したいなどと一生懸命になれば、無難なことを書けなくなる。
すると、気楽に読みたい人は離れていく。心優しい人も、スルーできない辛さに離れていく。
そうすると、私の発言内容などいちいち気にしていないか、あんまり読んでくれていない人か、寛容にしてスルーの技を身に付けた人が、残る。
すると、読まれている手応えは薄くなり、孤独感が募り、不安になってくる。

・多くの人に分かってもらうためには多くのフォロワー獲得が必要となる。そのためにまず多くの人をフォローする。するともうタイムラインの流れが追いきれなくなる。やっぱりフォロー数を絞る。すると相互フォローを望む人は離れていく。

・フォローしている人の、心に触れて感動する、共感する、助けたいと思う。
でもそんな対象に限って、たいてい、私なんかではどうにも助けられない。
かえって負担に思われてしまうことがもうわかってしまう。だから声をかけられないでストレスがたまる。

届かせたいところに届かせたい声を届けることが、ツイッターでは土台、無理なのだ。
そこに気づくと、モチベーションは下がる。虚しい仕組みだ。

☆結局、私はどこで何がしたいのか

色々と突き詰めると、これから私がすべきことと、これから私が本当にやりたいことが、ほとんど一致しない。
僅かに一致するのは、布団の中にいて静かに音楽を聴いているか、モニターの前にいて、観たいコンテンツを観て、私が成し得なかった素敵な物語を噛み締めて楽しむことぐらい。
子どもが喜ぶことをもしてあげたい。心地よい時間を過ごさせたい。だけど、将来のコース指定まではする自信もないししたくもないしできない。
こういう道を選べば幸せになるよ、なんていう答えも知らないし、教える資格もないから。

そんなあれこれを頭の中でぐるぐると考えていると、もう、日常の家事に勤しむ(ことが有意義なのはわかっているのに)気持ちがなくなってくる。
素敵でいたいという気持ちが湧いてこない。素敵なものをこっちは見るだけでいいのであって私が素敵でいる努力をしたいと思えない。

ただ、休めたい。人間て素晴らしいなあと気づくことが可能になるための感知装置を、休めることで復旧する作業。ぬるま湯に漬けて戻したい。その時間のために何か色々と犠牲になりそうだけどもう構っていられない。
ここをいつか抜ければ、この経験は、たぶん、多分だけど、家族が同じような心的状態になったときに、共感するのに役立つと思う。
ここをいつか抜ければ、自分がこれまで心の中で軽蔑してきたあらゆるものを、自分も同じじゃんと言いながら受け入れたうえで、それでもなお、やっぱり生きているのは面白いって、捨てたもんじゃないねって、笑えると思う。
必要最低限のことだけを今はしていたい。無理に拡げない。

・・・・この日記を後日、読んだ時に、「ああ、こんな日々もあったのね」と懐かしく思い出すことを自分に期待しています。
まずは、ずっとPCの前にいるので、何かきちんと栄養のあるものを、食べます。
目から水分も随分と排出したので、目を冷やし、温かい汁物も、作って食べます。
食べて自分を養うことに興味を失っていないうちは、まあ、多分、大丈夫。



某年4月24日、
好きなのかもしれない(どっちですか。)(揺れすぎでしょ。)

昨日、

「どんなに恩があってもどんなに優秀でまともな人でも、彼のことをどうしても好きになれないから生きるモチベーションが上がらないから、これってそもそも誰のせいだろうか、やっぱり元を辿ればあの人のせいだろう、あの人がどんなに大変な歴史を生きてきてどんなに恩があってもやっぱりあの人のせいだー、だからやる気が出ないんだよどうにも、ぶうぶう」みたいな
責任転嫁みたいな我儘日記を書いては消しては復活し書いては削り、を
やって

でも
今朝こうも思った、彼が「今日も普通通りに帰ってくるよ」とかいつも通りの時間にいつも通りの笑顔で出勤するのを見て
やはりちょっとその顔を見れば、ときめきは全く感じないけれど
安心するんだ、
好きなのかもしれない。全部じゃなくても。

絶望したり希望を持ったり、どっちつかずだ。
化粧水だけでもつけよう。週末には人中に出るので、まぶたの幅を半分くらいに戻せるように。


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