(仮)耽奇館主人の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年03月31日(木) 国府台怪談のこと。

契約更新をしに来た新聞屋のおじさんと談笑していると、最近、国府台の区域を配達している若いバイトの子が、顔面蒼白、股間をびしょびしょに濡らして帰ってきたことがあったということを聞いて、私は思わず、ニヤッと笑った。
「あのへん、すっかり新しく建て直したんですけどねえ。やっぱり、何か見たんですかね?」と私。
「うん、附属聾学校も、和洋学園も、国府台高校も、みんなヤバイですよ、昔からね。真っ昼間でも、薄気味悪いですもん。犬神さんは、聾学校の出身?」とおじさん。
「そうです。と言っても、三年くらいしかいませんでしたけどね。幼稚園の頃ね」
「それでも、三年もあすこにいたわけでしょう?何か体験されてます?」
そこで、私は、矯正器具をはめた歯を大きくむき出して、ニヤリと笑ってみせた。
「ええ、これでもかっていうくらいにね」
そして、おじさんに以下のような話を語って聞かせた。

聾学校には全国から学生が集まる寄宿舎がありましてね、知ってます?
あの病院を改造したの。そうそう、見ただけでうわって思うくらい、ボロイところだったですよね。
今じゃ、ホームページ見ても、すっかり見違えてますけどね。
昔は、国府台の中でも、一番「出る」ところだったんですよ。
元病院だっただけに。
私の同窓生が、母親と一緒にあそこに住んでたんですけど、たった一日で飛び出しちゃったんです。
理由は当時、私はまだちっちゃかったから、分からなかったんですけどね、大きくなってから聞いたところ、血まみれの兵隊が廊下を歩いてるのを見たっていうんですよ。
ええ、兵隊の幽霊はもう有名です。お隣の和洋学園でも出ましたしね。
あのへん一帯が旧日本陸軍の駐屯地でしたからね。
私?
ああ、私が見たやつですか?
私はねぇ、悪友たちと肝試しをやってた時に、寄宿舎の、病院時代に受付窓口だった部分に、全然見たことない女の人の顔を見ました。
その時は、新しく入居した人かなって思ったんですが、世代が一回り離れた後輩に聞いた話だと、寄宿舎のメンバー総出でキャンプファイヤーをやってたら、やっぱり受付のところから女の人がじーっと見つめていたんだそうです。
看護婦さんの幽霊なんだそうですが。
その若いバイトの子は、その寄宿舎も配ってるんですか?
配ってる?
じゃあ、やっぱり何か見たんですよ。
大体、国府台は古墳時代からよくない土地柄でしてねぇ、うん、里見公園の中にあるでしょう、古墳の遺跡が。
「妖怪の碑」なんてのもあるしね、あそこ。
戦国時代は戦場でしたし、古い記録だと、馬に乗った武者の幽霊とか出たそうですよ。
とにかく、どんなに霊感のない鈍感な人間でも、必ず何かを体験するという剣呑なところですよ、国府台ってのは。
おかげで、地元のタクシーは、真夜中に国府台までって言うと、ものすごく嫌がります。乗車拒否ものです。
おじさんは国府台の区域を回ったことあるんですか?
ない?
ああ、地元だから、あえて担当しないと。
担当を任せるのは、千葉県以外の人?
なるほどー。

私とおじさんは、お互い、感慨深げに、微笑を浮かべ合った。
もうすぐ花見である。
国府台のようなところでも、一年を通して、剣呑さを忘れられる時が二回あるのだが、そのうちの一つだ。
もう一つは、夏の花火大会である。
幽霊たちはいつもは私たちを陰から見つめるが、その時ばかりは、私たちと一緒に桜や花火を見つめているのだ。

それにしても、あのへんを担当して、夜中から早朝にかけて、新聞や牛乳を配り歩くなんて、私はほんとうに心の底から尊敬してしまう。
もっとも。
おじさんの話だと、どこの人も、長く担当を続けられないと言うのだが。
今日はここまで。



2005年03月29日(火) 今の時期に読むミステリのこと。

弱り目に祟り目というやつで、花粉症、風邪に苦しんでいるこの頃は、食欲もなく、性欲もなく、自分でも驚くくらい、げっそりとやつれてしまった。
気分もさながら、重く垂れ込めた、今にも降り出しそうな雨雲という塩梅である。
そんな私を癒してくれるのは、専ら、恋人の紋とのメッセなのだが、彼女と話していて、ほんとうに盛り上がる話題がある。
私たちを強く、深く、結びつけるもの、即ち、読書だ。
読者諸兄もご存知の通り、私の読書量は異常といってもいい。しかし、紋の読書量もまた、私が舌を巻くくらいなのだ。
さて。
最近は、「アメリ」のジュネ監督と主演のオドレイ・トトゥのコンビが再び組んだ、「ロング・エンゲージメント」の原作、セバスチアン・ジャプリゾの「長い日曜日」(創元推理文庫刊)を読んだ。
なかなか面白かった。
でも、はっきり言って、物足りないので、過去に読んだなかでパンチのきいたものを読み返して、やっと満足した。
トマス・ハリスの一連の、ハンニバル・レクター博士ものは、余計花粉症が悪化しそうなので、そういう重いものより、気楽に、かつ、楽しく笑えるものを選んだ。
最近、WOWOWでタイミングよく、チャップリンものをやっているが、ああいう普遍的な笑いを眺めるだけで、辛さを忘れられる。
そういう本とは。
私のセレクトでは、何といっても、アラン・グリーンの「くたばれ健康法!」(創元推理文庫)にトドメを刺す。
見出しをここに引用しよう。

ブロードストンが殺されたと聞いて、世間の人は笑い死にしそうだった。彼は全米に五千万人の信者をもつ健康法の教祖様。鍵のかかった部屋のなかで背中を撃たれ、それからパジャマを着せられたらしい。この風変わりな密室殺人の謎をキリキリ舞いしながら捜査するのは、頭はあまりよくないが、正直で強情な警部殿!アメリカ探偵作家クラブ賞に輝く、ユーモア本格ミステリの傑作。

結末はマナーというやつで、沈黙を守るが、本当に辛さを忘れられるくらい、ニヤッとさせられるので、是非一読を。
ちなみに私の頭のなかでは、この殺された教祖様のイメージは、アーノルド・シュワルツェネッガー、そして我らが警部殿は、ティム・ロビンズの配役で読み進められた。
あくまでもイメージだから、この通りの配役でなくてもいいから、この作品は是非ハリウッドで映画化して欲しい。
ほんとうにそう思うくらい、これは普遍的な笑い、気持ちよく笑える清涼剤であった。

最近、心の底から笑えるメディアがないだけに、こういう笑いを自らセレクトするというのは、なかなか大切なことだ。

心の健康のためにも。

今日はここまで。


2005年03月27日(日) 近況報告其の弐、漂流する神仏のこと。




今日で、大体、私の役目は終わった。
実にしんどかった。花粉症、風邪に加えて、喋りっぱなしとお経の唱えすぎで喉をすっかり痛めてしまった。
住職の従弟の具合はまだよくない。
気長に鍼で治療を続けるというが、せめて、盆前には治して欲しい。
寝たきりの従弟と副住職について話し合う。
私は代理を務められても、得度していないのだから、やはり色々と問題がある。檀家たちがよくても、お寺の体面上、そうはいかないのだ。
それに、私だって、今回ははっきり言って無理をしすぎた。
副住職を迎え入れることについては、けっこう前々から論じ合っていた。
普通なら、当然、国内の若い僧侶だが、私はインドか中国から招くべきだと主張した。
冗談などではない。大真面目である。
「別に国際何とかを気取ろうってわけじゃねえ。もっと、もっと、お経の中身を分かりやすくしようってだけさ。それで、食材にこだわるように、坊さんにもこだわるべきだよ」と私。
「それがインドと中国?いつもながら、とんでもないことを言うね、兄貴は」と従弟。
「天竺のピュアな坊さんにとって、うちのお寺がどういう風に映るか・・・そいつをとっくりと眺めて、我と我が身を見つめ直すいい機会になるよ」
「なるほど・・・たいしたカンフル剤になるかもしれないね。最近、はっきり言って、日本の宗教はあやふやになっちまってるから・・・」
「その通り。ひでえもんだぜ、精神的土壌がすっかり荒れ果てちまってな。もうお経を読んだぐれえじゃ、成仏にゃおっつかねえぜ。原始仏教の真髄まで遡らねえとな・・・」
「あれは確か、タブーなんじゃなかったかい」
「今さら、タブーなんてもんはねえよ。ていうか、よく考えてみれば、誰でも気づくこったね。原始仏教の真髄とは。極楽も地獄もないんだよな。従って、死後の世界なんてねえ。そんなもんは全然認めてやしないんだ。じゃあ、何があるのか。自分自身だけなんだよな。でも、生死にとらわれない、究極の自分自身というものもある。ま、難しいことはおいといて、俺たちがこうして、やれお彼岸だ、お盆だって檀家たちを集めて、くっちゃべったりなんかして、お布施をもらったりしているのは、仏教とは関係ないんだよな。生活の手段さ。墓の番人としてのね」
「そんなこと言って。じゃあ、俺たちのやってることってまやかしだって言いたいのかい」
「そう、まやかしさ。だけど、まやかしで安心させるわけだよ。そもそも、安心感というのは、気休めだからな。気休めってえのは、その気にさせなくっちゃあな」
「まさか、檀家たちに言ってやしないだろうね?」
「言っちゃ悪いか?すでに何人かに話したよ、その上で、おのれとおのれ自身が崇めてるものを見つめ直して、あらためて、心を耕せばいいんだ」
「それで、向こうから副住職を呼ぼうって考え付いたのか」
「そう、もう、お経は読んだり、聞いたりするだけじゃあ、ダメなんだ。生身そのものを味わうべきだよ。インドと中国の坊さんたちは、我が国のそれと比べて、ピュアだからな。まさしくお経そのものだ。彼らを眺めるだけで、精神修養になる。実に分かりやすいだろ」
そうして、四角四面の従弟は、へその緒切って生まれて初めて、私の意見に賛同してくれた。
インドと中国のどちらにするかも決めた。
インドである。
現在、長期滞在の件などで煮詰めているところだが、うまくいけば近々、ブッダの国の副住職が誕生するだろう。

そのくだりを聞いた恋人の紋は、呆れたのか、それとも他に理由があるのか、深く微笑を浮かべた。

私にとって、宗教とは何か。
ビジュアルなら、冒頭に掲げた、長崎土産の写真につきるだろう。
言葉で表すなら、「畏敬」である。
それが実際にいたのか、いなかったのかは問題ではない。
まやかしと考えてしまうより、心の問題について考え詰めるべきだ。
心のなかには、確かに、神仏は存在するのだから。

神仏のように、強く、逞しく、豊かに生きる。
そう願うことで、人は事実、神仏のように生きられる。

そのことを私は知ってるし、長崎の人々もよく知ってる。
そして、昔、大昔の人々は、当然、もっとよく知っていた。
今日はここまで。


2005年03月12日(土) 近況報告其の壱、不老不死の妙薬のこと。




まずは近況報告。
ただ今、花粉症と風邪のダブルパンチで悶絶中です。
おまけに、生家のお寺の現住職の従弟が、座骨神経痛でリタイアしたため、急遽、住職代理を務めなければならなくなりました。
よりによって、お彼岸のあるこの忙しい三月に。
しかも、本業も季節の変わり目だから、何かと大変です。

しかし。

楽あれば苦ありというやつで、二月後半は、上にアップした写真の通り、ランタンフェスティバル開催中の長崎へ行ってきて、恋人の紋と濃密な五日間を過ごしたので、その代償と思って、忍の一文字で何とか乗り切ります。
長崎については、また詳しく報告するつもりです。

肝心のホームページ制作ですが、「耽奇館主人の日記」を象徴するのに、バッチリのイメージが、近所の真間という町にあるんですが、なかなか撮影の許可が下りなくて撮れてないので、遅れっぱなしです。
元々は西洋館だったところで、館そのものは現存していませんが、真ちゅう製の門扉はそのままの形で残っていて、毎日のようにそれを眺めていた子供の頃の私は心の中で「魔王の扉」と呼んでいました。
とにかく、雰囲気たっぷりな上に、個人的にも思い出深いところなので、絶対撮影してホームページに使うと決めています。

もう、そろそろ鐘をつく時間ですが、昨晩からお寺に詰めて、これを書いています。
金曜の夜は、浅草の料亭で、お寺仲間たちと食事をしていましたが、その中で面白い話題で盛り上がったので、その話をしましょう。
檀家たちは色々相談をしにくるものですが、そのうちでも、一番奇怪な相談の内容は、「まだ死にたくない、どうやったら死なずにすむか」というものです。
誰でも一度は思うことですが、本気まるだしで、しかもある種の期待感を込めて、坊主に相談しにくるのは、ちょっと、唇がつりあがってしまいます。
面白いことに、宗派がそれぞれ違っても、どこのお寺でも、必ず一件か二件はあります。
当然、うちもありました。
たいていは、「誰でも死ぬんだから、あきらめて、気持ちよく死ぬために、ちゃんと生きなさい」と諭すのですが、私の場合は、「死なない方法」を教えました。
即ち、不老不死の妙薬です。
まず。
第一に、鯉の生き血。
第二に、子供か処女の生き肝。
第三に、絶対死なないという強烈な意志。
この三つが揃って、初めて、不老不死が成り立つと言われてるんだよと申し上げましたら、相手は奇妙な薄笑いを浮かべて、うんうんと頷いていました。
「二番目までは怪しいけど、三番目は確かだよねぇ」と檀家。
「そうですね、やっぱり、気持ちの持ちようなんですよ。もうダメだ、死ぬなんてぇお人は、早くくたばりますが、まだまだ生きてやるってぇお人はなかなかくたばりませんやね」と私。
「そういう人っていたかい?」
「いましたよ、何人も。最近じゃ、毎日のように中山競馬場に通ってるギャンブラーの方がいましてね、肝臓がんなんですけど、頬がこんなにげっそりこけちゃって、皮膚なんかなめし皮のようになっちゃっても、まだ生きてて、馬券を買ってますぜ」
「生きがいか・・・」
「ええ、賭博こそがその人にとっちゃあ、生きてるってことなんですねぇ。もし、中山競馬場がなかったら、とっくにうちのお寺の下で眠ってるはずでさぁね」
「あたしの生きがいは、さしずめ、吉原通いかな?あんたは何ですい?」
「私ですか、そうねぇ・・・いっぱいありますよ。両手両足じゃあ、とても数え切れませんや」
「それじゃあ、死ねないねぇ。例え、死んでも、すぐ起き上がってきそうだよ」
「そのつもりでござんすよ」

最近、「Xファイル」のDVDが隔週刊で販売されているのですが、リアルタイムで観ていなかった若い世代が、この番組を観て、私の携帯の着メロがなにゆえにずーっと「Xファイル」のテーマなのか、ようやく理解出来たと言ってきました。
特に、「スクィーズ」に登場したユジーン・トゥームズは、ダイレクトに私を思い起こさせたとか。
五個の肝臓を食べて、三十年冬眠して、不老不死を保つ男。
そんな怪人と同じ扱いをされることには、思わず苦笑してしまいますが、本当にそれで不老不死が得られるなら、私は躊躇しません。
お寺育ちのくせに何事かと思われそうですが、今の私は気持ちよく死ぬより、苦しんででも生き続けたいです。
その最大の理由は。
まだ読みたい本を読み切っていないし、色々やることがいっぱいあるからです。
そういうこと、
人生はまさしく苦しんでまで、生きるに値します。
今日はここまで。


犬神博士 |MAILHomePage

My追加