すばらしい日々
2004年10月20日(水)  20歳の私はやっぱりため息をつく

20歳になりました。
小さい頃は20歳は完璧に大人だと思ってました。
そもそも20歳まで生きていられると思ってなかったけど。
1999年に世界は滅亡するとか信じてたんだよなぁ…

今から半年くらい前に、ため息ばっかりつく私に対して
「ため息しか出ないのは後悔してるからだ」
と言った人がいました。
それを聞いて「何か違う」と思いました。
どう違うんだって自分でも思うのですが
後悔しているからため息が出る訳じゃないんです。
そもそも私はしょっちゅうため息ばっかりついていて
友達から注意されるぐらいなので、ため息が癖になっているのです。
癖になるくらいついている、というのもどうかと思うのですが
とにかく後悔してるからため息をついていた訳じゃないです。
半年前のその時は、これから先の事を考えて「大変だなぁ。」と
思ってため息をついていました。
どっちにしろポジティブな思いではないですが
私にとって、ため息をつく事は『これから先にある事に対しての準備』
の役割を持っているんだと気づきました。

そして、絶望という事に関しても、最近気づいた事があります。
「絶望は新しい未来が見えてきた時に感じるものじゃないのか」
という事です。
その時の自分の目標や目的について、ある程度の到達が分かったから
それまでやってきた事が目標に達する程のレベルじゃなかった、とか
実はまだまだ先は長かったとか、気づくんじゃないでしょうか。
絶望を感じた時、一つ何かの区切りにたどり着けたんだろう。
そう分かりました。
でもって、絶望は未来の始まりなんだって事も。

まだ、先は長い。
とりあえず今は、周りの全ての人に感謝して
日々頑張って生活していきたいです。


2004年10月16日(土)  なかないで

水曜日。
あの人は悪くないとは言えなかった。
けど、なぐさめてあげたかった。
私に出来ることはやっぱり、いつでも、
話を聞くことだけだ。
それ以上はやっちゃいけないと思う。
でも、ホントは「大丈夫だよ」ってなでなでしてあげたかった。


2004年10月10日(日)  三階、渡り廊下隣の教室左端前から四列目

どこにも見えないのに金木犀の香りがした。
ちょっと嬉しかった。
前にもこんな事あったなぁ、なんて思ってたら
高校二年生の時の事だったのを思い出した。
三階の教室だったのに、中庭の端に植わってる
金木犀の香りが漂ってきて感動したんだった。
あの頃の私は今より色んな事考えてた。
昔・・・というか前の事を忘れていくのが
すごく情けない。
大人になりたくない。嫌な大人になりたくない。
そう思ってきたけれど、それは無理そうだ。
子供の気持ちを分かってくれる、
自分が子供だった頃の気持ちを忘れていない大人になろう。
そう決めていたけれど、既に大分忘れている。
それに覚えている部分についても、もう共感できない事も多い。
辛いけどしょうがない。
私は、昔の私が求めているような大人にはなれない。


2004年10月05日(火)  二人もそんな事言うなんて

哀れんでいるというか蔑んでいるというか。
とにかく「自分は違うけど」みたいな空気がある言葉って
すごく嫌だ。
自分に言われた事だったら、落ち込むだけで済むかもしれない。
でも自分の好きな人達の事だから、
悔しいような悲しいような
どうしようも出来ない気持ちがずっと残ってる。
そして、その言葉について訂正や否定もしなかった
自分も嫌だ。


<< menu >>