日記

2000年08月01日(火) 【愛のカケラ 言葉のチカラ】

 【愛のカケラ 言葉のチカラ】
7月も終わりのある夏の夜。
それは店を貸しきってやっていた、暑気払いプチパーティーの真っ最中のこと
だった。

暑い夜で、クーラーをがんがん効かせて、ビールやワインを飲んでいた。
見知った人たちの談笑する声、BGMに低く流れているピアノやサックスの
音色。
食器やグラスの触れ合う音。ふと外に視線を流すと、すっかり夜になっていて、
世界は群青色に包まれている。風にゆれる木々に、ぼんやり輝く街灯。
・・・と。
がしゃん、と大きな音がした。
はっと振り返ると、テーブルひとつ向こうで直人が、ビールのピッチャーを
ひっくりかえしたところだった。

・・・そのテーブル一帯がしんとしていた。
20人くらいしか入らない小さな店だから、その音がした瞬間、店中が静まり
返ったと言ってもいい。
めずらしく、怒りを含んだ直人の視線に、これはわざとやったんだってことが
わかる。

加藤直人は、ふいに笑いかけられると、思わず「ぴかぴかの笑顔だ」なんて
思ってしまうほどいい笑顔の持ち主で、基本的に、いつもにこにこと笑って
いる。
実際、私・北原笑美子は、直人と知り合ってもう1年以上になるが、めったに
彼が怒ったりするところを見たことがない。
直人のことを思い出すと、その笑顔のイメージが強烈に心に浮かぶってほどだ。
でも私は、たまに彼が、「もういい」と愛想をつかしたようなとき、その相手に
どんなに冷たい言い方をするかも知っているので、ああ、久しぶりに直人の
怒ったところを見る。なんて、心の片隅で思ってもいた。(そんな場合じゃない
と重々わかっていたけれど。)

「・・・そんなこと言ってたってしょうがないじゃん」
しばらくの沈黙の後、怒りを隠そうともしないで、強い口調で直人が言った。
大きな目で、じっと目の前の女の子のことを、強い視線で見ている。
彼の目の前には鈴川真由という名前の、やはりこの店“小さな家”の常連の
20歳くらいの女の子が、あっけにとられた様子で座っていた。
色が白くて、線が細い。
まっすぐな黒髪を、肩のラインで切りそろえていて、凛とした感じに見える。
細い眉と切れ長の眼が、少しきついかな?という印象もあるけど、ハタから
見てもその女の子は、かなり綺麗な子だった。

「・・・なにが起こったんでしょう?」
ひそひそと私にささやきかける、この店のアルバイト・りょうちゃん。
別に下世話な感じじゃなく、ショートカットの髪をさらっとゆらして、
爽やかな調子でそう聞いてくる。私は肩をすくめて、こう囁いた。
「わかんない。でも、めずらしいよね。直人があんな風に言うのって。
 そしてあたし達、様子見てアレ片付けに行かなきゃいけないよね・・・」
私がうんざりした調子で言うと、りょうちゃんもがくっと肩を落として。
「そうですね・・・気まずいですけど。
 たぶんそろそろチーフが出て行くと思うんで、その後で行きましょうか・・・」
「うん。藤井くん立ち上がったわ」
チーフというのは、この店の店長・藤井和弘くんのことだ。
ちょうど、隣のテーブルにいた藤井くんが立ち上がり、直人たちの方に行こうと
していた。

7月に入ってから、“いつもありがとうという感謝の意味と、毎日暑いから
暑気払いということも兼ねて”ということで、常連さんで来たい人だけを呼んで、
会費制でちょっとしたパーティーを開こう、と言い出したのは、他でもない
このパン屋兼喫茶店“小さな家”の店長・藤井くんだった。

藤井くんと従業員の直人、アルバイトのりょうちゃん、そして常連中の常連で、
ここ8ヶ月くらい直人とお付き合いしている私・北原笑美子は、かなり浮かれ
気分でその準備をした。(私は基本的にはお客だけど、その企画から関わって
いたこともあり、ボランティアでお手伝いをすることにしたのだ。)
定員20名ということで、来てくれる人も大体決まり、楽しい気持ちのまま
パーティーになだれこんだ。
藤井くんも直人もりょうちゃんも、内輪だからということで席について、
生ビールやワインを用意して乾杯をして、この店の美味しいサンドイッチや
フランスパン、そしてチーズやソーセージを楽しみつつ、ほろ酔いで顔見知り
のメンバーで、楽しく笑ったり喋ったり飲んだり食べたり、空いたグラスを
片付けたりしながら、1時間が経過した頃のことだった。

「どうかした?」
しんとした空気の中で、お得意の、誰もを落ち着かせるような温和そうな
笑顔をして、店長・藤井くんが、直人の隣・そして鈴川さんの斜め前に
するりと座りながらそう訊いた。
私とりょうちゃんは早速、直人が倒したピッチャーを片付け、テーブルの
ぬれた部分を拭いたり、周りの人に服が汚れなかったか聞いたりしながら、
その場がどうなるかをドキドキしながら見守っている・・・と。
「どうもしない。・・・ごめんなさい。私帰るわ」
かたんと、鈴川さんが席を立った。
「逃げんのかよ」
と直人。そんなこと言ってる場合じゃないと重ねて思いつつ言うけど、
まったくここまで強い調子でなにか言う直人って、本当に珍しいと思う。

その直人の言葉に、かっとしたように鈴川さんが言った。
「別に逃げやしないわよ」
ぬれたテーブルにかまわず頬杖ついて、立っている鈴川さんを見上げて
直人が続ける。
「逃げてるのと一緒じゃん。そんなキレイな顔してるのに、昔誰かから
 言われた一言ずっと気にしてたってしょうがないじゃんってオレは言ってんの!
 勿体ないよそんなの。人生ソンしてるよすごく」
「・・・・・・」
黙って直人を見る鈴川さん。
と、ごつんと直人の頭を突然隣から軽い調子で(でもかなり鈍い音がした・・・)
殴り、藤井くんが笑顔で言った。
「いって〜〜」などとうめく直人には目もくれずに、鈴川さんに向かって、
笑顔で。
「直人。オマエ言い過ぎ。席オレと変わって。
 鈴川さんもごめんね。なんかこいつ、たまに言い過ぎることあって」
「・・・別にいいです。けど」と鈴川さん。
「席変わる必要なんかないよ」と直人。
「いいから」と藤井くん。
「直ちゃん、こっちに直ちゃんの好きなアスパラとポテトのサラダ、いっぱい
 余ってるよ? こっちおいでよ」
と、カウンターの方に汚れた食器なんかを持って戻っていたりょうちゃんの
神の声にも似た言葉に、「・・・じゃあそっち行く」と言って、しぶしぶ、
直人はもともと藤井くんがいた席の方に移動した。
その後、藤井くんの話術の効果か(?)見事パーティーは和やかなムードを
取り戻し、1時間半後、無事にお開きの時間になった。

帰り際、出口のところに、皆様お見送りということで藤井くん・直人・りょう
ちゃん・そして僭越ながらお手伝いの私、という順番で立っていたら。
鈴川さんが出口で足を止め、藤井くんに会釈をしてから、直人をまっすぐ
見てこう言った。
「・・・さっきはありがとう」
直人、少し驚いた瞳をして。でも冷静に、そしてやさしい口調で言葉を返す。
「どういたしまして。オレはさっき言ったことは後悔してないけど、
 もし傷つけたんだったらごめんなさい」
「わかってるわ。・・・不満だけど・・・アナタ正しいと思う。
 だから私もちょっとは前を向こうと思ったから。だからありがとう。」
「不満なんだ?」
少し笑顔で直人が言った。
「不満よ!くやしいじゃない。よく知らない人から諭されるのって」
鈴川さんも、笑顔でそう言った。
「プライド高いよね」
「それも私よ」
「カッコいいね」
直人の言葉に、初めてふわりと笑った。その笑顔は横で見ていた私ですら、
とてもキレイだと思った。
魔法を使うよね。と思う。
こんなときいつも、直人は魔法を使う。
言葉の魔法。
きつい言葉を投げかけても、最後には相手が立ち直っている。
そういう場面に出会う度に、この子なんだろう?と思う気持ちが強くなる。
ああ好きだわ私。この子。なんて。
それは恋の魔法、恋の視点かもしれないけれど。
私ばっかり好きな気がして、それこそ悔しい気分になる一瞬だ。

後片付けもすべて終わり、「送っていくー」と直人が言って、二人で私の家まで、
ゆっくり歩いて帰る道で。
「夜になっても暑いねー」
呟く私に、ふいに不思議そうに直人が言ってくる。
「でもセミとかって夜は鳴かないよね」
「夕方まではうるさいけどね」
「どこ行ってるんだろう」
「寝てるの?」
「さあ?よくわかんない。夜は寝てるのかもしれないよね」
「さっき、何て言われたの?」
さりげなさを装って聞いてみると、直人は少し沈黙した後で、こう言った。
「なんか、簡単に言うと、高校のときに、クラスのやつに日誌かなんかに、
 すげーひどい落書きされたんだって。なんかブスとかそういう。
 で、それ以来自分の外見にすごくコンプレックスあるんだって言うからさあ。
 なんかオレ、めちゃめちゃ腹立って。そんなこと気にするの馬鹿ってくらい
 綺麗な人じゃん?あの人? で、気がついたらピッチャー倒しちゃってたん
 だよね」
「藤井くんに怒られたねー」
さっき、皆が帰ったあとで、直人は藤井くんからこっぴどく叱られていたのだ。
あの人はお客さんでオマエは店員! その辺よく考えろ!と。
「あーもー言わないでよそれ! オレ、今夜ひとつ屋根の下であの人と
 寝ないといけないんだからさあ」
直人は“小さな家”の二階に、藤井くんと二人で住んでいる。
子供みたいにむくれて、直人は言った。
私は笑う。
「でも、まあ、よかったね。あの子も“ありがとう”って言ってたじゃない?
 その不毛さに気付いたんじゃない?」
「うん。よかった。たまに怒らせてそれで終わりってときあるからね。
 チーフはたぶん、そうなったら困るって言いたいんだと思うんだよね。
 今回はたまたま良い結果に終わったけど次回はわかんない。って」
「でも、わからなくもないのよね」
「なにが?」
不思議そうに聞いてくる直人に、私はさっきから考えていたことを、ゆっくり
言葉にしてみる。
「その日誌の話。やっぱりブスとかなんとか書かれたりしたら、それがウソでも
 ほんとにその人が美人だったとしても、すごく心の傷になると思う。
 まあ本人に原因があったとしてもね。
 それ忘れるのって、ほんとに長い時間がいるような気がする」
「笑美子さんもそんなことある?」
「えー内緒」
「なにそれ」
不満げにそう言った後で。
今度は直人が、少しの沈黙の後で、こう言った。歩きながら。
「でもさ。・・・でも、ひとつの考えに取り付かれちゃったら、なかなかそれを
 覆すことって、自分ではできないよね? だから・・・もしかしてその傷みたい
 なのをさ、誰かが言葉とか、行動とかで、消えちゃうことはないにしても、
 うすくすることができたら・・・そういうの、できたらいいなあって。
 オレはそんな風に思うな。
 そんなの、めちゃめちゃ傲慢かもしれないし、逆にそんな風にできないこと
 の方が多いけどさ。理想論だとか、夢見てるとかって言われるかもしれない
 けど、そんなことが起こったらいいなあって」
その台詞を聞いていて、つくづく思ったことがあった。
そして思ったままを私は口にした。
「直人って・・・ほんとにいい子っていうか、やさしいよね。気持ちが。すごく」
「・・・はあ? 何言ってんのいきなり!」
照れて、「そんなことないって」なんて大声で言って、
「て言うか、いい子って誉め言葉なの? それ。もしかして嫌味?」
なんて笑いながら言う。
「嫌味な訳ないでしょ」と私は言って、でもまあいいか。と思いながら、横目で
直人を見ながらこう続けた。
「・・・あたしは正直言うと、「綺麗な人」「綺麗な人」って連発されて、
 そっちの方がちょっと妬けたわ」
すねたようにそう言うと、直人は目を見開いて私のことを覗き込んで、でも
次の瞬間にはぷっと笑って。
「なっなに笑ってんのよー!」
「あ、ごめんごめん。いや、エミコさんってほんっとかわいいよね。
 そういうとこ」
とてもオレより5つも上とは思えない・・・と言いながら、くっくと笑っている。
「バカにして!」
「してないよ」
「してるわよ」
「してないって」
そんなこと言いながら、うまくキスされて、まったく直人はご機嫌取りにも
慣れてるなあと思う。
今までどういう恋愛してきたの。なーんて聞きたくなるけど不毛だから聞かない。
聞かない代わりに、私がコイツのことがすごく好きだって気持ち伝われ!なんて
思ったりしている。そして、手をつないで歩きながら、さっき直人が照れて
受け流していた、私の「やさしいよね」という一言、そういう私のさりげない
言葉のひとつひとつも、直人にとっての何かになっていたらいいなあなんて、
本気で思った。

言葉は不思議な魔法だと思う。
人の心を立ち直れないくらいに傷つけることもできる。
深い暗闇から、助けるようなことだってできる。
傷ついたりショックを受けたりすることが、その人生において、避けることが
できないことなら。
ちょっとした愛みたいな、気持ちみたいなもので、本当に、それを少しでも、
緩和できたらいいなあと。
それができるんだったら、とても素敵なことだなあと。
直人の考えが伝播したのか、素直な気持ちで、笑いながら歩きながら、そんな
ことを考えていた。


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dona-chan