『日々の映像』

1997年03月10日(月) 平等に訪れる死 

現代は、死を見つめない文化と言われていたが、そうでもないようである。 3月9日、毎日新聞の“ゆらゆら心めぐり”で、「前世を信じることは、末世の旅にも繋がる。いま『生まれ変わ利』の思想は、宗教の枠を超え、暮らしの中に『癒しの哲学』として広がり始めている。

 福島大学で、経営学を専攻する飯田助教授の『生きがいの創造』(php研究所)が、現在30万部を越えるベストセラーになっている。
『死』は決して恐ろしいものではなく、むしろ、この世を終えて帰郷する安らぎの瞬間です。・・・患者が、死への恐怖を持たず、家族同士の絆を強めながら、自分自身を見失わずに最期の時を迎えるには、どうすればよいか・・・・・ターミナルケアの在り方を探していた船戸院長が出会ったのが、『生まれ変わり』の思想だった。・・・・前世、来世を論じているのではない。・・・・生まれ変わりを信じることが、時間を越えた旅の中で、全てを受容する手掛かりが、あるのかも知れない。」と。(以上 趣旨)
 
 パスカル(フランスの哲学者p1623〜p1662)の有名な言葉に「人間は、1本の葦にすぎない。自然のうちで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」と。 誰にでも平等に訪れる死について考えるのが、人として自然の姿だと考えている。

 ・死があると 思うところに 今日ありき 残るいのちで 何をか残さん

1997年03月07日(金) 読書は数十倍の脳の働き

 ヒラリー婦人の提案                         19
 クリントン米大統領のヒラリー夫人が、米音楽会の最高の賞であるグラミー賞を受賞した。といっても、歌ではなく子育てを扱った自署「村中みんなで」を婦人が朗読したカセットテープに対してのものでした。 「子どもは自分一人の力では生きていくことは出来ません。村中皆の力が必要です。」このことが、自署でヒラリー婦人が訴えたい点でした。

 今、村は変わった。隣人とのおしゃべりは、姿を消し、銘銘が、テレビを見ている。 ヒラリー婦人の訴えは「一晩でもテレビを付けなかったらその静けさが、別の活動を生むかも知れません。」「テレビは、子どもたちに注意力と忍耐力を低下させてしまった。」と、この本の中で訴えている。(3/6 毎日)
 私も余暇の大半をテレビを見ていると、思考が衰え、脳が働かなくなって来るのを感じる。
 
ヒラリー婦人の「時によっては、テレビを止めよう」の呼びかけるには、大いに賛成である。一方的な受身のテレビと異なり、読書をすることは、すなわち、活字を追って、時には立ち止まり読み返し考えることが出来のである。テレビを見るより、読書をすることで数十倍頭の働きがあるのではないか。

 ・活字老い 立ち止まりつつ 考える 心に広がる 確かな映像

1997年03月03日(月) 地殻は動く

2日、イラン西部で、M5・5(?)の地震があった。
死者554人、負傷者2400人、家を失った人35000人、現地は雪崩などで道路が寸断され、犠牲者は更に増える見通し(2/3 日報他)とのことである。 この日より、伊豆半島に群発地震が続いているが、日本では、2年前の阪神淡路大震災より大きな地震は起こっていない。

1月17日の短歌で、「地球の方に未知多し」と綴ったが、多少地質学の本に芽を通す機会があったので、母なる大地である地球の神秘に心惹かれることがある。
地球の表面は、平均30キロメートルの地殻(主に岩石)に覆われているが、内部は、マントルであることが広く知られている。

この地殻30キロメートルは、厚いようであるが、地球直径の0.0024%の深度であり、地球を仮に1メートルの球形とすると、地殻の厚みは2.4ミリしかないのである。 地球の直径12600キロメートルからすると地殻の厚みは、わずか0,0024しか当らない。 地殻は、卵の殻みたいに薄いのである。
(参考文献 日本の地質と地理)

・ 知り行くと 詩情を誘う この地球 宇宙に浮かぶ 青きいのちよ

 大地を見て「動かざること 大地の如く」というわけにはいかないのである。プレートの力で、絶えず移動と隆起等が続いている。 隆起一つとっても千年に10センチの単位であり、おおよそ80年単位しか生きない人類にとっては、地球は常に優しく変動するという感じである。 この移動の過程で、エネルギーが余れば地震となって現れるのは止むを得ない。優しい地球も時には怒る(地震)時もある。
  
・ 優しくも 母なる地球に 怒りあり 

 「地震は忘れた頃にやって来る」と言う言葉があるが、地球の直径からすれば、卵の殻のような厚みの所で、私たちは住んでいるのであるから、必ず、“動く”と言う前提でいるべきである。 「備えあれば憂いなし」という諺があるが、この地震に対しては、人生のトータルのリスクとして、明確に位置づける必要がある。

1997年03月01日(土) 心の青春

                                    三月、いよいよ春である。
私は、春になると主に地質調査で、雑木山へ足を踏み入れる。 冬は静、春の山はまさに動で躍動感に溢れる時である。 雪が解け始めると、その隙間から顔を出す鮮やかな福寿草。 3月は、日照時間が飛躍的に伸び、冬に耐えた草木が萌えるような新緑へと変化していく。 この自然の変化にどれだけの人たちが、心惹かれたことだろう。 人生には、冬もあれば春もある。 普通、人生の春といえば、短き青春であるが、この青春を歌った歌は数限りなくある。

今日は、久しぶりにレコードを聞く。
「美しき世界のうた」15曲の中で、ゴンドラの唄があったが、この唄は、乙女の短き青春を歌っている。

いのち短し 恋せよ乙女 朱(あか)き唇 褪せぬ間に 
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日のないものを 
(2番は省略)
 いのち短し 恋せよ乙女 黒髪の色 褪せぬ間に
 心の炎 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを

肉体的な青春の時があることは確かである。しかし、青春は心が未熟で、悩み多き時でもある。 心の青春があることも確かである。
 
・ 人生は 心の炎 消えぬなら 明日も再び 青春の日々

 < 過去  INDEX  未来 >


石田ふたみ