MOTOYANの日々題
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2003年05月21日(水) 教師とお笑い芸人とのちがい

埼玉の小学校の校長先生が、担任のピンチヒッターで教室に行き、「ドレミのうた」の替え歌を披露して、教育委員会に叱られたそうだ。
「ドはドラキュラのド、レは霊柩車のレ、ミはミイラのミ、ファはふぁかば(墓場)のファ、ソは葬式のソ、ラはドラキュラのラ、シは死人のシ、さぁ、死にましょう♪」という歌詞で鳥になりそうな私でも一回で覚えてしまった。

「この歌を歌ったことを家に帰って言うなよ!」と念を入れたものだから子供たちは、家で話してスキャンダル化したようである。考えようによっては、実に楽しい校長先生となるが、現代の風潮では、許されないことだろう。

以前、ある中学校で体育の先生が、体育服の忘れが多いものだから、「今度から忘れたら、1回につき50円ね」と言ったら次の日に「○○先生は、生徒からお金をふんだくっている」という苦情が来たそうだ。

お笑い芸人が、おもしろおかしく言えば笑いで済むことが、教師が同じ事を言うと冗談では済まされなくなる。高校3年くらいになると理解してもらえるが、それ以下は無理である。同じ事を表現したいときに相手の年齢を考えて言わないと誤解が生じる。大人の会話ができるようになるのが、高3くらいだろう。高校より中学校、中学校より小学校、小学校より幼稚園の方が、教え方は難しい所以である。大学なんかは、何も考えずに普通に話せばいいから楽なものだろう。


2003年05月19日(月) 鳥になる

体育館で全校朝礼があった。体育館に入ると1匹のツバメが迷い込んでいて出口がわからずに室内を飛び回っていた。生徒も気になるらしく講話などそっちのけで目で追っていた。

ツバメといえば初夏に南の国から数千キロを飛んでくる渡り鳥で夏の訪れを感じさせてくれる馴染み深い鳥である。飛ぶことはとても得意らしく休む事もしないで猛スピードで飛び回っていた。「小次郎をよんでこい!」と思ったが、NHKのドラマに出演中で忙しそうだからあきらめた。

冬には、ヒヨドリが迷い込む。さんざん飛び回って、疲れ果てて休んでいるとそこの窓が開いたりしていて外に出て行く。しかし、ヒヨドリは目が悪いのか、窓ガラスに突っ込んで首を折って死んでしまうことも多い。年間に10匹ほどの死骸を土に埋めてやる。ツバメも窓にぶつかりはしないかと心配していたが、全くその気配はなかった。

数千キロも離れたところから、毎年、同じ巣に帰ってくる能力を持ちながら、今しがた、入ってしまった場所を忘れてしまうなんてやはり「鳥」である。

最近、度忘れが多くなった。「お年頃」と言われればそうかもしれないが、特に最近のことが思い出せなくなっている。人の名前が著しく度忘れしてしまう。顔はしっかりと浮かんでいるのに苗字が思い出せない。しかし、昔の古い事はしっかりと覚えているのに情けないことだ。50前にして脳の衰えを感じるこのごろ、人生の午後を歩いていることを実感し、鳥に近づいている自分を自覚している。


2003年05月13日(火) 肥え死に

教室にあるもの、黒板・机・いす・掃除箱・教卓などがあげられる。なかでも教卓は、一般の家庭には不要で絶対にないと思う。教室にこれがないと落ち着かない。授業に行くとまず、持ち物(教科書・閻魔帳・チョークなど)を教卓の上におく。両手で教卓のふちを持ち、生徒を見渡して「礼」をする。1対40の戦場の中で唯一、身を守ってくれる盾になる。

1.机上面は生徒には見えないので授業のカンニングペーパーを堂々と開くことができる。
2.立っていると疲れるので時々「杖」にもなる。
3.ズボンのベルトから下は、教卓の壁で生徒には見えない。(変な意味でなく、ズボンをしっかりはいているという安堵感がある)
4.教卓の下の棚の中にいろんなものが入っていて、生徒に作業をさせているときの暇つぶしにはよい。教室での落し物、他の教科の配布物のあまり物など。

教卓の上に花瓶を置いてあるクラスがある。何度も倒しそうになったことがあるから必ず、別の場所に動かすことにしている。座席表は、心強い。生徒の名前を間違わないですむ。

今日、国語の漢字小テスト(採点済)が置いてあった。何気なくめくると目が点になった。「うえじに」で「飢え死に」でなく「肥え死に」と書いてあったものがあった。高校生として恥ずかしいと言うより、今の世の中、飢え死によりもはるかに肥え死にの方が多い。この子の珍回答には、妙に納得させられた。



2003年05月10日(土) 乾杯、初体験

酒の席やパーティーの始まりは「乾杯」である。「誠に僭越ながら、ご指名により・・・」と一言述べて大声で「乾杯!」と叫ぶ。
人生ではじめての指名があり、120人の前でやってきた。

結婚披露宴のスピーチ文例集をさがしても出ていない。インターネットで検索しても出ていない。グラスを持たせたまま長いスピーチはご法度だろう。しかし、「乾杯」の一言では済まされないだろう。と2,3日前から気にはしていたけれど「なんとかなるだろう」と思っていた。

職業上、人前で話すことには慣らされているが、初めてとなると少々緊張した。わずか1分足らずのスピーチにあんちょこもなんだろうから、ぶっつけ本番となった。できばえは???

ありきたりではつまらないから、秘策を練っていた。ただ、結婚披露宴という席だからおふざけはまずいかな?と思いつつもお祝いの席に免じてということでやってしまった。

その秘策とは「お二人とご両家、およびこの席にご臨席の皆様だけのご多幸とご発展を祈念して、乾杯!」


2003年05月08日(木) 地の利と地の不利益

2年ぶりに「吹上浜、砂の祭典」が、開催された。以前は夏休みに行われていたが、今回はGWにこじんまりと?計画された。3日間で15万人の人出があり、にぎわったようだ。中日の4日に昼前に出かけてみた。混雑は予想されていたので、いつもと違うルートで加世田に帰った。案の定、本線は渋滞で車が進んでいない。横目にしながらスイスイと「麦秋」の起源である黄金色に実った麦畑の道を気持ちよいドライブで45分でいつも通りに着いた。

実家で昼食をとり、会場まで出かけようとしていると会場への道はどこも大渋滞で進んでいない。いつもなら5分もあれば着く道のりである。このままなら1時間もかかりそうに見えた。

しかし、「地の利」である。小学校のころ毎年、お別れ遠足で歩いたり暇さえあれば出かけたところである。自分の庭のようにあらゆる道を知っている。何の苦労もなく5分で到着した。おそらく300台ほどの渋滞した車を追い抜いたことだろう。なんともいえない優越感を味わった。ずるいこともやっていないし、法に触れることもしないで得られた結果だから満足だった。

会場には、多くの砂像が作られて、会場中、人・人・人でごったがえしていた。多くの出店があり、地元の特産品が売られていたが、行列のできている店は、地元の加世田とは全く関係ない店ばかりだった。

地元は砂像作成や準備に追われて大変だったようであるが、お金が落ちたのは、その日だけ店を開いた別の地方の業者だけだったという皮肉な結果だったようだ。特に鹿屋から来ていた「黒豚の串焼き」屋さんは終日行列が絶えなかった。

後日談として友人は鹿児島から会場まで4時間半かかったそうだ。


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