MOTOYANの日々題
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2002年10月29日(火) 日本シリーズ

メジャーリーグのワールドチャンピオンをアナハイムエンゼルスが創設以来はじめて獲得した。アナハイムは、ディズニーランドで有名な町でロスから40分ほどの所にある。エンゼルスの持ち会社もディズニーランドであり、ミッキーマウスも優勝を祝福していた。

今年のワールドシリーズは両リーグの2位で最も勝率のよかったチーム、いわゆるワイルドカード同士の対戦となり、しかも西海岸のチームだけの争いとなった。3勝3敗となり優勝決定戦は最終戦まで持ち込まれて熱戦が繰り広げられて海外の日本で見ている限り、とても面白かった。

ところが、アメリカではTVの視聴率は過去最低で11%ほどだったという。広い国土を持つアメリカでは東海岸から西海岸を見るともう別の国での出来事のように思えるのでもあるまいが盛り上がりに欠けたようだ。

日本でも第3戦まで終わって読売ジャイアンツの3勝で明日にでも決まりそうな感じがする。東京と所沢の関東同士の対戦で、試合も一方的で面白くないのに視聴率はそこそこ高い。これは、ジャイアンツの日本における圧倒的な人気の高さによるものであり、ジャイアンツが勝ったほうが人々の機嫌がいいし、世の中が平和である。4試合で終わるよりも7試合やったほうが入場料収入など多くなるし、興行的には大成功である。明日からライオンズが3勝して最終戦まで持ち込まれて白熱した戦いを期待する。プロの世界は強いだけが能じゃない。ファンを楽しませてくれるほうが先決だ。ビッグ・リトルの松井が来シーズンからメジャーにでもいくものなら見納めになってしまうので西武の奮起を期待したい。


2002年10月28日(月) はしご車の有効利用

防火防災訓練が行われる時期になった。今年は、はしご車を使って逃げ遅れた者を救助する訓練を実施する。その下準備のためにはしご車がやってきた。5連のはしごを伸ばすと6階の屋上まで簡単に届いた。風が強くてはしごは少し揺れていたが、レスキュー隊員は慣れた動作で屋上からロープを使って下まで降りてきた。「クモ男」のことが話題になったことが、まるでクモのように平面の壁を降りてきた。

はしご車は1台数千万円すると聞くが、実際に火災で使わずに耐用年数を過ぎてしまうことも多いだろう。火災のための施設設備は「マイナス投資」で事が起きないと役に立たない。火災報知器・スプリンクラーなど使わずに終わってしまうことがベストであろう。

はしご車も消防署の車庫でひっそりと眠っているほうがいいのだが、有効活用を考えてみたくなるのが納税者のケチな考えで「何かに使えないか?」と考えてみた。真っ先に思いつくのが、「ビルの窓掃除」桜島の降灰で汚れた窓の外側を拭く作業。内側はいつでもできるが外側は業者に依頼して大々的に足場を組むか、屋上からゴンドラを吊り下げるかしないとできない。経費もかさむので簡単にはいかず、常に見通しの悪い窓の外の景色になってしまっている。サービス料をとって消防署が副業にすれば税金も少し軽減する。

逆の発想でいくと窓拭き業者がはしご車で仕事をして火災発生時に消火・救助活動に出向し、手数料をもらうことのほうが理にかなうかもしれない。建物が高層化する中で設備の共有としていい考えだと思う。しかし、はしご車の限界は10階くらいまででそれ以上は無理かもしれない。


2002年10月18日(金) 最近のままごとごっこ

近所に小学生の低学年の女の子達が多い。毎日のように自転車やままごと等をして遊んでいる。小2の文香の日記にその様子が書かれていた。
「きょうは、近所のいつものお友達と家族ごっこをしました。トモちゃんがお母さん、ツグちゃんがお姉さん、シホちゃんが妹、そしてわたしがイヌになりました。・・中略・・とても楽しかったです。」読んで思わず吹き出してしまった。「お前は、犬か?」と。

犬がいつから家族の一員となったのかは定かでないが、「犬畜生」から「家族の一員」へ昇格したお犬様もたいしたものである。毎日、ご主人に散歩に連れて行ってもらい、豪華な家に住み、ドッグフードなる栄養食品を食べ、うんこも後ろ足で砂をかけて埋めなくってもビニール袋にとってもらい、やり放題である。昔のようにたたかれることもなく、リビングにも入れて、ソファーでお昼寝もできる。

小5の頃、友達から子犬をもらって半年ほど飼ったことがあるが、それ以来、犬を家族の一員としたことはない。子供にときどきせがまれるが、犬を飼うことの代償や犠牲を考えるとその気にはなれない。家族以上に時間的に拘束される点が最も大きい。子供たちが独り立ちしてからは、新しい家族の一員にすることはあるかもしれないが、どうだろうか?

「だれが、イヌに決めたの?」と聞くと「自分で決めた」と答えた。
近所のガキどもをしきっているのは、間違いなく史佳だからほんとに自分で望んでイヌになったのかもしれない。


2002年10月17日(木) なつかしの降灰

空から何か降ってきた。濡れないから雨ではない、さらさらしている。思い出した。桜島の降灰だった。久しぶりの降灰に防御法を忘れてしまい、髪の毛がゴワゴワ、車は真っ白、机の上や部屋はザラザラになってしまった。

最近の桜島は、穏やかで噴火も爆発も少なかった。報道によると今日は3回の爆発が発生したという。その時の風向きが問題で北東の風が吹いていると鹿児島市を直撃する。校庭の土の色が灰色に変わり、風によって舞い上がり、降灰のあとまでも二次降灰に見舞われる。からだの穴やへこんだ部分には、確実に灰がたまってお風呂に入らざるをえない。面倒なことだ。雨が降って流されるまでは、灰まみれの毎日である。

夜のTVで過去に起きた航空機事故の番組があった。インドネシア上空を飛行中のイギリスのジャンボ機が、突然に4基のエンジンがすべて停止してグライダー状態で飛んだ(落ちた)というものだった。快晴の空で何が起きたのかクルーには想像がつかなかったらしいが、原因は火山の爆発によって噴出された火山灰がエンジンに吸い込まれて高温で融けて、エンジンの壁やタービンにこびりついたためだった。

火山灰は、ガラス粒と成分が似ていて、1200℃で融けるらしい。冬になると北国では降雪があり、大変なようだが雪は常温でとける。それに比べて桜島の灰は簡単には解けないから、厄介だ。雨に流されて、側溝に溜まるのがやっとだ。そうなると側溝の清掃をしない限り、洪水をも引き起こす。

冬は、北よりの風が吹くから大隅半島に流れるのが常であるが、風向きによって360度、可能性はある。「どうか、桜島よ。静かにしておくれ」また、「雨よ、早く降れ」と願う。


2002年10月15日(火) ラジオの力とヘッドライト

秋分の日を過ぎて、日の入りが早くなり夕方はものが見えにくくなってきた。
仕事を終えて家路へ向かう通勤用の車が、渋滞を起こしている。
用があってその渋滞していない車線を走行していたら、ラジオから「早めのヘッドライト点灯キャンペーン」のCMが流れてきた。

「あなたの車は、今、点灯していますか?」のキャッチコピーで始まるものだった。時刻は、17時30分ごろでまだ明るくてスモールランプの点灯も必要のないころだった。すると対向車線の車が次々とヘッドライトを点灯し始めた。メディアの「発言力」の大きさに感心しながら自分も点灯した。

最近は、タクシーや運送業者のトラックなどは昼間も点灯しているのを多く見かけるが、自家用車が昼間に点灯していると「消し忘れ?」と思われる。パッシングして教えてあげたものだ。

特にまぶしくない限り、昼間に点灯していても影響はないし、相手の存在がわかってより安全と思われる。二輪車は点灯が義務付けられているほどだ。弊害を上げるなら、まず、緊急用の車両が目立たなくなることがあげられる。救急車や消防車のサイレンが聞こえにくくなっているのに加えて頼みとする光さえも危うくなってくる。次にライトを点灯しているから相手にはしっかりと認識されているだろうという思い込みだろう。10人中一人が髪の毛が薄いとよく目立つが、7,8人がそうであれば目立たなくなる。次に「消し忘れ」によるバッテリーのあがりと電球の消耗だろうか。

自動車・二輪車はまだいいが、自転車の無灯火は困ったものだ。車を運転したことがないのでわからないのだろうが、今頃の夕刻の自転車なんて車からは見えていないということを知っているのだろうか。


2002年10月14日(月) モッテコーイ

「モッテコーイ」の意味がよくわかった。長崎くんちで使われる観客からのかけ声だということはわかっていたが、今回、長崎に行って「長崎くんちモッテコーイ」を見物して「アンコール」のことと理解した。何かを「持って来い」よりも、ここに「戻って来い」のことらしい。

観客の「モッテコーイ」のかけ声の大きさや迫力にすんなりと戻ってきて車のついた船をかたどった山車を荒海で航海しているかのように前後左右に男たちが引き回すわけである。3回目以降になるとすんなりとは出てこない。4〜6トンのものを動かすから力をかなり必要とし疲れる。終わったかと思うと「モッテコーイ」の声、息を整えてまた出て行く。
コンサートのアンコールはせいぜい1回か2回であるが、くんちは、少なくとも5回以上にのぼる。長崎の人たちはこんなに「しつこいの?」と思わせるほど繰り返される。本番よりアンコールが時間的に長い。「モーウイイヨー」と声をかけたくなるほどだった。

やはり、メインイベントは「龍踊り」で3頭の龍が男たちの頭上で生きているかのように踊りまくる様子は圧巻だった。これには何度も「モッテコーイ」と声をかけたくなるほどだった。

念願のくんちを見物したから満足だった。次は「博多どんたく」「土佐よさこい」「青森ねぶた」などと日本の祭りシリーズへの夢は広がっていく。


2002年10月07日(月) 小学校の先生は、大きい!

昨日、小学校の運動会が行われた。天気予報が「昼前から雨」ということでプログラムを短縮して急ぎ足で進んでいった。「かけっこ」と「ダンス」「クラス対抗リレー」が中心で11時頃までは何とか天気も大丈夫だったが、昼前からほんとに降りだした雨は、本降りとなった。

昼食を食べて、午後の部をはじめる頃はグラウンドにも水溜りができていたが、3種目を消化して2時前に閉会式を行った。泥んこだらけの足とびしょぬれになった体操服が、わんぱく小学生に似合っていた。先生たちも雨に濡れて大変だったことだろう。

閉会式をみていて、「小学校の先生は、大きいなぁ」と感じた。児童から先生へ目を向けるとそのからだの大きさが際立っている。男の先生だけでなく女の先生もとてもたくましく見える。大人と子供の差がはっきりしている。中学や高校ではそうはいかない。全校朝礼が今朝開かれたが、生徒と先生の大きさがほとんど変わらない。生徒の中に入ると見えなくなってしまう。多少、横幅は大きい気がするが。

動物の世界では、からだの大きさは「権力」上、とても重要な要素をしめる。小さいものは大きいものには、攻撃しにくい。日本人が、背の高い欧米人に対してある種のコンプレックスを持っているように人間の世界でも自分より大きい人にはすべてにおいて「二の足」を踏んでしまう。

小学校の先生の言うことは、子供たちがよく聞く。中高ではなかなか聞いてくれない部分があるのは、このからだつきの違いにも理由があるような気がする。子供が親の体格を越えるころ、だいたい中学校2年生くらいであるが、急に親に反抗したり、言うことを聞かなくなる。

親や先生はもっとごはんをたくさん食べて、牛乳をいっぱい飲んでからだを大きくする必要がありそうだ。といっても「今さら」だから、せめて世間の常識や生きる姿勢は子供よりはるかに広く大きく強いことをアピールしながら子供に接すべきだろう。


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