MOTOYANの日々題
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2001年10月31日(水) 大画面テレビを購入

 10月が終わった。テレビが故障して3週間になった。新聞の広告チラシが正月のように入ってくる。それに刺激されて、テレビを買いに行った。現在のテレビは以下のように分けられる。
1.21インチ以下のステレオテレビ
2.25インチ程のフラット画面テレビ
3.28インチ程のワイドテレビ
4.上記のものにBS内蔵テレビ
5.32インチ以上のワイドBS内蔵テレビ
6.ハイビジョンテレビ
7.液晶テレビ
8.プラズマテレビ
プラズマテレビが、最高の品で80万ほどする。こんなものを買える訳がないのでBS内蔵で25インチ程度のフラットテレビを目安にして電気屋さんへ出かけた。

 店内いっぱいに多くのテレビが並び、選びようがないほどだった。画面の色を見るとそれぞれのメーカーで微妙に色が違う。高いテレビは、色がきれい。サッカーの放送をやっていて芝生の色でそのテレビの性能がわかった。

 店の人にも勧められて、結局、36インチワイドBS内蔵テレビを買ってしまった。テレビ台が42,000円もするので本体もそこそこ高かった。やはり、私はカタログ販売かインターネットショッピングが合っているかもしれない。ついつい、財布の紐を緩めてしまう。家に入るか心配だ。


2001年10月30日(火) 笑顔は宝物

 「先生の 笑顔は僕らの 宝物」今日付けの新聞に中学校3年生が、投稿していた俳句?だ。「教師の資質」という特集で先生の笑顔でとても気持ちがなごんで、心がいやされる。という内容だった。

 人と人のコミュニケーションで大切なことはいっぱいあるだろうが、私のように内気で内向的で思っていることの半分も言えないような人間にとっては、初対面のときに限らず、相手の顔色はその後の会話に大きな影響を与える。笑顔でいてくれたら、自分のほとんどの部分を相手にさらけ出してもいいと判断して、会話も弾む。ところが、むずかしい顔や起こったような、機嫌の悪そうな顔をみてしまうとついつい、警戒心を抱いてします。

 まだ、ひとり前の大人として成長しきれていない中高校生にとっては、「先生」が怖い人として存在しなくなった現代においては、友達や近所の知り合いと同等で自分に都合のいい先生は受け入れて、そうでない先生は無視する傾向が出てきている。とても残念なことだ。権威で生徒を動かせる時代ではないので数歩譲って、人と人との付き合いで大切な「笑顔」が大きな武器になるだろう。笑顔で怒ることのできる先生をめざしていくことにしよう。私たちが中学生の頃は、先生の機嫌をとらないとまずい時代であったが、今は、先生が生徒の機嫌をとる時代になりつつある。世の中にひとつやふたつくらいは、怖い人が存在していてもいいように思うのだが。


2001年10月29日(月) 1点に泣く

 九州高校野球秋季大会で鹿児島県代表の川内高校は、準々決勝で長崎南山高校に2−3で惜敗した。勝てば来春の選抜で甲子園の土を踏めたのに1点差に泣いた。監督さんが大学の後輩で18年前、教員採用試験が同時合格で鹿屋の中学校に共に赴任した仲でそれ以来、家族ぐるみの付き合いをしている。だからわがことのように期待していたのに誠に残念だった。

 「1点に泣く」人生においてよく使われる言葉でとても惜しい様を表す言葉だ。入試でもボーダーライン上は、同点か1点の違いだけである。逆の言い方をすると1点に笑った者がいるという事実も成り立つ。運なのか実力なのか、もう1度やればどうなるかわからない。

 来年度の中等部入試から自己推薦入試を導入する。ペーパーテストを一切やらずに実績と情熱と経験をもとに簡単な適性検査と面接で入学者を決めようとする試みで大学での「AO入試」とにている。その試験の仕掛け人としてここ1ヶ月ほど多忙な毎日だったが、学校説明会が終わって一段落ついた。何人が受験するか不安な面もあるが、点数を見て1点に泣き笑いする試験ではなく、人間を見て合否を決めることのできる分だけ選考する教師の力量が問われる。

 


2001年10月27日(土) れんげとトイレットペーパー

 久しぶりにラーメン屋に行った。野菜たっぷりの野菜ラーメンを食べた。鹿児島のラーメンは、ラーメンとごはんと漬物が3点セットとなっている。ラーメンだけでは落ち着かない。小ライスでもいいから付いていればうれしい。スープが鶏がらスープが基本という点が、ごはんの必要性を演じているのだろう。漬物は、注文してからラーメンが出てくるまでのお茶請けに最高だ。

 しかし、栄養学的にみると炭水化物と塩分の過剰摂取になり、血圧・肥満を考えると自殺行為に等しい食べ物である。麺と具のみ食べてスープは残すのが、得策だろう。しかし、落ち着かない。ラーメンを食べた気がしない。

 さて、ラーメンに「れんげ」なるスプーンがついてくる。スープを飲むためのものか、麺をはしでつまんで(すくって)のせるためのものか、よくわからない。スープの中の小さな具をすくうためのものなら網状のものがいい。具だけをすくうのはとてもむずかしい。食べているうちにスープの中に落ち込んだりしたら最悪だから、私はほとんど使わない。

 れんげと似たようなものが、ウォシュレットトイレのトイレットペーパーだ。この使い方を誰も教えてくれない。いつ、何のために使うのかわからないので試行錯誤中だ。ウォシュレットトイレは、手を使わないのが原則ならば必要ないような気がする。


2001年10月26日(金) 「コジマ」進出

 大型家電量販店の「コジマ」が鹿児島に進出して、あすオープンする。日本で家電製品の安売りといえば秋葉原が有名だが、鹿児島がとても安いという説がある。数年前に、K's電気とヤマダ電機が進出してから安売り戦争がはじまった。昔からあるベスト電器やダイエーなどとの顧客争奪合戦が、ますます激化すると思われる。

 消費者にとっては、得な話で大歓迎だが、業者は大変なようだ。まず、地域をターゲットに販売していた街の電気屋さんは、閑古鳥が鳴き倒産が余儀なくされる。チェ−ン店でも業績の悪い支店は、整理される。すると失業者が出て、結局、経済が沈滞してしまうのである。

 最近の電化製品はめったに故障しない。故障しても保障期間が5年とか長いので無償修理や無償交換がきく。故障を修理してもらう際に見積もりをしてもらうと「修理するより買った方が、お得ですよ」と電話がかかってくる。部品代は、たいしたことはないが、技術料が法外な気がするほど高い。車の故障時も同様だ。技術を持った人間の手が入るとほんのわずかな時間でも万単位の修理代を請求される。

 家電安売り店が増えると直すより買うという行動がやりやすくなるので製品の短命化が進むことは明らかだ。このコジマ開店セールに合わせて他の量販店も大型の新聞広告をチラシ入れてきて、虫眼鏡が必要な思いだ。


2001年10月25日(木) プロ野球終了

 ヤクルトの優勝で今年のプロ野球が終わった。ヤ−ヤの日米ワールドシリーズでもあれば楽しみだけど実現まで後何年かかることだろう。いよいよストーブリーグが始まる。ドラフトの目玉は、寺原投手で日本8、メジャー2球団が名乗りをあげているらしい。眉毛をそり、甲子園に出場したところ、最初から「メジャーには行かない」と宣言するあたりもいかにも田舎の素朴な少年という感がある。そんな野球少年が1ヵ月後に億単位の契約金でいずれかの球団へ進むのである。

 もうひとり、目玉選手がいる。三菱重工長崎の杉内投手、かつて鹿児島実業のエースとして甲子園優勝を経験した左腕である。意中の球団はダイエーらしく指名されなければ社会人を続けるらしい。ダイエーは当初から杉内を第1位指名の予定だったが、寺原の出現で2位指名の可能性が出てきた。つまり、他の球団が杉内を1位指名したらどちらも取れない可能性があるわけで、杉内サイドから「指名されなければ社会人」という牽制球が投げられているわけだ。

 新人を育てることのうまいチームとそうでないチームがあるので最初は育ててくれるチームに所属し、FAで注目されるチームに移籍というのがいいかもしれない。またはメジャーリーグへの道もあり、選ばれた若者達は昔に比べて幸せである。


2001年10月24日(水) 灯りが欲しい

 今日の鹿児島の日の入りが17時38分で日が暮れるのが早くなったと感じる。1日のうちで夕方は最も人々が活動する時間で交通事故もこの時間帯が多い。

 学校でも生徒達が部活動に取り組んでいる時間で、インドアのスポーツには関係ないが、グラウンドでのスポーツには夕暮れの時間は、ボールを使うスポーツが多いのでとても気になる。17時を過ぎた頃から薄暗くなり、徐々にボールが見えにくくなる。使うボールが小さいスポーツほど不利な条件になり、時にはボールを当ててしまうこともある。極めつけは、硬式野球だろう。硬さはほとんど石と変わらない物体が当たると「痛い」だけでは終わらない。目に当たると即刻、眼科へ直行となる。ところが、病院はだいたい18時に終わってしまい、病院探しに苦労することが多い。

 グラウンドに照明が欲しいとこの時期になると毎年思う。照明が付いたからといって夜遅くまで練習するわけではないが、安全を考え、もしものことを思うと設置費・維持費には変えられないと思う。


2001年10月23日(火) 球磨川下り

 一日遠足の季節で毎日のように学校名を書いたバスが走っている。昔は遠足といえば歩いていくのが原則だったが、交通事情の変化でバスのほうが安全なこともあり、バスの利用が多い。昔も年に1回はバス遠足があって遠出できる楽しみがあったが、今では家族のドライブでほとんどの場所に行っているので、場所探しが大変だ。また、昔の子どもは車酔いがひどく、バスの中がパニックになる状態があったが今ではめったにない。

 車酔いは、加速度病とか動揺病といわれます。脳の中にある前庭という部分(からだのバランスをとる気管)があり、その前庭が混乱を起こしてしまうためです。
実験その1  新聞や書物を読んでいるとき、手にもった本を左右に動かして目でその本の文字を読む。 結果:文字が読みにくい。気分が悪くなる。
実験その2  同じように本を固定し、顔を左右に動かして文字を読んでみる。 結果:顔が動いていてもしっかりと文字を読める。
 つまり、動いているものを目で追うのではなく、自分がゆれとともに動いてものを見ると車酔いは起こらない。運転手が車酔いをしないのは、動きの予測ができるからだ。

 さて、場所の選定であるが1日の貸切バス代は、走行距離にはあまり関係ない。だから、思い切って遠出をするとほとんどの者が行った事のない場所に行ける。今年は6年ぶりに熊本県の人吉まで足を伸ばして球磨川下りと球泉洞探検を企画した。ネックになるのは、川下りの料金が高いことだ。(2800円)6年前は約半数が体験したが、今年は何割が下ってくれるだろうか?世の中の景気が冷え込んでいるから多くは期待しないが、せっかくだから多くの参加を望んでいる。


2001年10月22日(月) りんごの木

 実りの秋になるとみかん狩り、なし狩り、りんご狩りなどと「○○狩り」が盛んになる。農家の人手不足解消と観光を兼ねたレジャーのひとつとして定着している。ほとんど商売として成り立っていて、入場料を払い、収穫したものを市価よりも安い値段で買って持ち帰るという方式が主流であろう。農園内では、食べ放題という条件がついていたりする。

 休みの日に家族で郊外に出かけて美味しい空気を吸いながら、作物を収穫する楽しさは人間の原点に帰ったようで気持ちがいいことだろう。東京の知人が「しいたけ狩り」に行ったという知らせをくれた。果物だけでなく、きのこまでもという感じだが、園内食べ放題は無理だし、持って帰るにしても多量には使い道がない。それでも成り立っているから不思議に思う。

 南国に生活しているとりんごの木とは、全く縁がない。「♪りんごの花びらが・・♪」歌は知っているけどりんごの花も実がなっている木も知らない。北国の方々が「♪みかんの花が咲いている・・・♪」は知っていてもみかんの花やみかんが実っている木を見たことがないように。

 いつか、時間を作ってりんごのたわわに実っている木を見ないことには、わが人生に悔いを残しそうな気がする。姫りんごは見たことがあるけど「本物」を見てみたい。


2001年10月20日(土) うとくなる

 いつに間にか、プロ野球の日本シリーズが始まっていた。来年はメジャーで投げると噂される石井一の1安打好投でヤクルトが先勝した。今まで40数年間、日本シリーズは必ず興味を持ってみてきたが、うかつにも今年は気がつかなかった。子どもの頃から野球に携わってきて世の中に野球のルールを知らなかったり、野球にうとい人をみると信じられない感じで軽蔑までもいかないまでも、ある意味の情けなさを感じていた。そんな方々に心からお詫びしたい。

 人は、興味がないものには「うとくなる」法則があり、私もうとい部分が多い。インターネットが普及し、この2,3年で学校にも急速に入り込んできた。教育現場の状況が変わったのだから、教師も研修を重ねてある程度の技術は必要であるので火付け役としていろいろ企ててみるが、なかなか興味を示さない教師が多い。もう2年経っている。メールの出し方、ネットサーフィン、検索だけでもよいと思う。キーボードを触っただけで「苦手だ」といって逃げてしまうのである。この件は、「野球にうとい」ということとは別で職務上の義務のような気がする。やってみると簡単で車の運転ができない人でもすぐできると思うのだが・・・。啓蒙のしかたが悪いのだろうか。

 愚痴になってしまったが、学校の事務仕事もパソコンを使った作業が多くなり、パソコンを扱える人に仕事が回ってきて超多忙な毎日で睡眠を削り、在宅勤務までも余儀なくされる。先駆者のK氏も体調を崩すほど頑張ってきたのだと今になってその苦労がよく理解できる。あさってまでの大仕事をかかえて憂鬱な週末だ。


2001年10月19日(金) どんぐりころころ

 小学校の遠足があり、吉野公園に行って遊んできた史佳が、どんぐりを袋一杯おみやげに持ってきた。まず、どんぐりの背くらべが始まった。テーブルの上に背の高そうなどんぐりを並べた。背くらべだから立たせないと意味がない。見た目に大きいものは、全く立たないのである。すわりが悪いというか、底の部分が平面になっていない。小さなものは、どっしりと立つ。「どんぐりのせいくらべ」とは、低いレベルでの争いであることがよくわかった。

 次に、「どんぐりころころ」の歌を歌い始めた。「♪どんぐりころころ どんぐりこ・・・・・どじょうをこまらせた♪」そして、予想通りに「3番はどんな歌?どじょうは困ってしまってどうしたの?」の質問。幼い頃の記憶をたどってみても3番が出てこない。確かに2番の歌詞で終わるのは不自然だ。

 いろいろ調べてみるが、未だに3番の歌詞は見つからない。童謡の歌詞は物語風になっていて必ず結末があると思うのだが、池に落ちたどんぐりが山に帰れるはずがない。土にもぐりこんで次の年の春に新しい芽を出すという方向が予想されるが・・・。トトロなら一晩で芽を出させるかもしれないが。

 どんぐりを並べてトトロの顔を作って遊びながら、疲れたのか眠ってしまいました。メイのようにトトロの夢でもみているのでしょう。


2001年10月18日(木) ルース台風も10月

 季節はずれの台風が九州をかすめて去っていった。今年も上陸する台風はなかった。(今年の台風終息宣言?)

 季節はずれといっても、1951(昭和26)年10月14日夕、鹿児島を襲ったルース台風は県内だけで死者・行方不明209人、4万戸を超す住家が全半壊・流失するという甚大な被害をもたらした。中でも高潮の不意打ちをくらった枕崎市では28人もの命が奪われた。つまり10月でも台風はしっかり上陸して大きな被害をもたらすわけだ。

 秋の台風の特徴として足が速いことだ。夏は時速10km程度であるが、秋は40kmくらいが普通だ。沖縄の北にあったのがあっという間に鹿児島までやってくる。そしてあっという間に通り過ぎる。備えが追いつかないから、被害も大きくなる。

 人生の秋も実に速足である。もう10月の下旬になろうとしている。来年は人生5回目の年男、年賀状の馬のデザインが気になる頃になった。郵便局も昨年の失敗をもとにインクジェット紙のはがきを多く発売するらしい。しかし、インターネットが普及すればするほど年賀状の発売枚数は減ってくる。郵便局もインターネットプロバイダをやればいいのに。


2001年10月17日(水) 牛肉、食べますか?

 「えひめ丸」が引き上げられ、船内から遺体が発見されたというニュースが入ってきた。私にとって「えひめ丸事件」は、絶対に忘れることのできない出来事であり、2月9日にハワイの現場にとても近いところいたことと出港前のえひめ丸を見たような記憶は今年の十大ニュースのひとつである。

 深海の船の中に閉じ込められて9ヶ月もの間、さぞや寂しかったことだろう。全員の遺体が発見されることを願いたい。

 アフガニスタンの戦争でも民間人や誤爆による犠牲が多く出ている。人間がすることには必ずミスがつきまとう。故意にミスをすることはないはずだから、偶然や不注意によるものがほとんどで常に人間の行動に付きまとう。交通事故もスポーツや試験での失敗もそうであろう。

 加齢による脳の衰えが原因ということもある。日本でも狂牛病が発生し、その症状として脳細胞の萎縮が言われていてアルツハイマー病と似たようなものらしい。学校の食堂のメニューから牛肉が消えた。家庭の食卓からも消えつつある。今時、焼肉屋へ出かけるなんて自殺行為に等しいという人もいる。家畜の健康管理のミスからこのような社会問題に発展した。

 これからの人生の長い人は、安全宣言が出されるまで牛肉を控えたほうが無難かもしれない。そんなに長くない人は、長生きのためのタンパク源として牛肉をどんどん食べたほうが得策かもしれない。

 いろんな食材の原料や調味料に牛肉エキスがかなり使われていることをみなさんご存知だろうか?牛肉を食べてなくてもしっかりと摂っていることは知らない方が多いだろう。同僚は、漢方薬として「牛骨粉」を勧められ、毎日飲んでいたらしい。今のところ症状は出ていないようだ。


2001年10月16日(火) 純な心

「あのね、ふみかのクラスのK君のお父さんが、会社の社長さんとけんかをするんだって」
「そしてね、負けたほうがお引越しをするんだって」
「だから、K君は転校するかもしれないんだ」
「みんなね、『引き分けだったらいいのにね』といってるよ」

 小学校1年生のクラスでは、休み時間にこのような話題が出ているらしい。K君の転校の件は、すでに転勤が決まっていて親の間では、周知の事実となっている。K君の親がK君にどんな話をしたのかわからないが、子どもの理解の仕方は、実に素直だ。
 
 子どもから大人になった「時」はいつだろう?と思うにうそや冗談が、それとわかるようになった頃ではないだろうか。人の言動を疑って考えるようになった時、その時こそ、子どもとのお別れのときかもしれない。成長を得るとともに純粋さや素直さを失う時かもしれない。

 小学1年生を巧みな言葉でだまして、連れ去っていく誘拐事件が起こった。無事に保護されてよかったが、大人として決して許される行為ではない。


2001年10月15日(月) 平等と運命

 久々の月曜日、毎週、月曜日はあるのだけれど9月以降、体育祭・文化祭・体育の日と月曜日が振替休日になり、1ヶ月ぶり、2学期に入って2度目だった。

 教務の仕事をしていると時間割をいじって調整をする必要が多い。土曜日と月曜日がつぶれてその日にしかない授業が極端に少なくなるからだ。つぶれない火曜日と土曜日では2:1にもなる。

 中高一貫の学校では、教員が相互に乗り入れをしているため時間割を組む作業は困難を極める。パソコンのソフトでも対応できないものを組むわけでどこかにひずみが生じる。「自分の授業は月・土以外に」という建て前と「月・土に入ってくれたら少ないのに」という本音が聞こえてきそうな中で「なるべく平等に」ということを考えるから苦労するのである。平等主義が世の中の基本かもしれないが、運命主義?もまたいい気もする。
 
 日本の給与はたくさん仕事をしたからといって必ずしも多くもらえるわけではない。年功序列になっている。生活を考えるとこれがいいのかもしれないが、全支給額を人数で割って平等に与えるのが平等主義かもしれない。それよりも現在のそれぞれの支給額を並べて毎月抽選で取り合う方法をとれば面白い気もする。ある月は、初任者の給与、ある月は定年前の方の給与が当たり、これを続けると抽選は平等という視点からして平均化されると思う。でも、世の中には「ついてる人とついてない人」がいるからたいへんだろうな。ギャンブラーはこちらがすきかも。

 さて、こんな馬鹿げたことは考えないで中間考査の試験監督割り当てを作りましょう。これがまた短期間の割振りだから平等主義に徹しないとたいへんなことになるのだ。


2001年10月13日(土) テレビのない生活

 テレビが壊れて1週間経った。妻子は手持ち無沙汰そうにしているが、家族の会話はかなり増えた。テレビを黙ってみている時間がどれほど多くて無駄な時間かがわかった。だからもうテレビは買わない、というわけにもいかないようだ。インターネットでも情報が入り、ニュースとかスポーツの結果とかは新聞もあり、不自由しないが、ドキュメントや感動する場面に欠ける。

 人間の生き様をドキュメントで知って感動したり、バラエティー番組で腹から笑ったりできないのはさびしいものだ。読書をすればいいかもしれないが、そこまで静かな環境にはない。やはり現代においてはテレビは必需品となっている。11月になったら考えよう。つかの間のテレビなしの生活を楽しもう。

 テレビがないからラジオを聞いたりもする。「今となっては、恥ずかしくて聞けないこと」というテーマでやっていた。「車の方向指示器のことをアポロというのはなぜ?」とか「高校でパソコンを生徒に教えているが、携帯電話のメールの書き方が全くわからないから教えて」とか結構面白かった。

 マスメディアが、現代の生活が人生を深くも太くもしていることに感謝するとともに時には他に影響されない生活も必要なことが大切なこともわかった。


2001年10月12日(金) 努力目標「方言をつかわない」

 また、昭和40年以前の話題。当時、中学を卒業して高校に進学するのは約5割で半分は就職していた。集団就職列車で京阪神や名古屋、東京へと「金の卵」として旅立っていった。父が中学の教員で就職の世話係をしていたこともあり、西鹿児島駅まで見送りに行ったことを記憶している。

 鹿児島から都会へ出ると、まず言葉の壁にぶつかる。鹿児島の方言しか知らない中学卒業者が関西弁や名古屋弁、東京弁についていけず、ついつい寡黙になり仕事もうまくできない状況があった。そこで鹿児島県教育委員会は、鹿児島の子ども達に標準語を話せるようにする政策を打ち出した。

 まず、学校で鹿児島弁を使わせない。つまり、方言は「悪い言葉」として位置付けられ、週の努力目標に「標準語を話そう」「方言を使わない」というものまででてきて、使うものなら、日直や生活部が名簿にチェックをして帰りの会でザンゲさせられていた。週に1回「言葉づかいの時間」という授業が組まれ、NHKのラジオから流れる、標準語のイントネーションやアクセントを繰り返し訓練させられた。まるで外国の言葉を習うように。それによって「箸」と「橋」、「雨」と「飴」、「花」と「鼻」のアクセントが逆であることを知った。

 しかし、今では学校でも地域でも家庭でもしっかりと標準語を話している鹿児島人が多い。テレビの影響で幼い頃から自然と標準語が耳から入ってきてそれが自分の言葉のように使っている。だから、鹿児島弁が通じないことも多い。私達、40年代に「言葉の時間」を経験しているものが最後の鹿児島弁という文化の伝達者になるような気がする。本家は、四国出身の妻も子ども達も鹿児島弁で話している貴重な家族かもしれない。

 http://www.minc.ne.jp/~mictky/yougo/yougo01.htm 俗説鹿児島弁辞典

 

 


2001年10月11日(木) まあるくなった

 小学校の1年生で歌集を渡される。その中に「郷土の歌」コーナーがあり、定番「茶わんむし」をはじめ20曲ほどおさめられている。「しあわせ色」と「まあるくなった」という歌が入っている。永六輔・いずみたくという著名な音楽家による作品でたしか「坂本 九」が歌った曲だったと思う。昭和41年にリリースされた。たぶん私と同年代でまじめに小学校の教育を受けてきた方しか、ご存知ないと思う。今の小学生も歌えないし、知らないだろう。

 なぜ、この歌が郷土の歌なのか?日本が高度成長期を迎え、父親が残業の毎日で帰宅が遅く、休日もないような日々の連続で家族や子ども達とのふれあいの時間がなくなりつつあったこの頃、鹿児島県が「家庭の日」を毎月第3日曜日に設定して、せめて第3日曜日だけでも仕事を休んで家族で過ごそうという企画だった。学校の行事予定にも載せられていた。制定に際して、家庭の日の歌を公募してこの2曲が選ばれ、音楽の授業で覚えさせられた。

 その後、「家庭の日」が何年続いたがわからないが、今では行事予定から消えている。学校に「道路をひろがって左側を歩いていて通行の邪魔になるから学校で指導しろ」という苦情がきた。「人が歩くのは右側ということを中学校や高校で指導することか?」と思いつつ指導は行うが、本来家庭で当然やるべき指導がなされていない現状からして、高度成長はすでにおわり、休日も多く家庭のふれあいの時間は、いっぱいあるだろうが、家庭の力がかなり弱くなっているのではないだろうか。旅行やドライブやアウトドアなどだけが家庭のふれあいではないように思う。


2001年10月10日(水) 「奇策」が「定石」に

 中学校野球の新人大会が行われて、審判にかり出された。新人大会ということでプレーにスピードがないので審判は楽だった。ただ、予想もしない珍プレーが起きるから広い目で見ていないと誤審をおこすこともある。

 無死もしくは1死3塁のケースで考えられる攻撃パターンは、スクイズがある。1点を取るために打者がバントをして犠牲になり3塁ランナーをホームインさせる攻撃で高校野球などでは頻繁に使われる。ところが、この大会では、多くのチームがヒットエンドランを多用していた。「奇策」である。

 この攻撃のメリットは、1つのアウトを犠牲にしないでチャンスを広げることができることだろう。新チームということで守備がもたついて、そうなったケースが多かったが、とても危険なプレーであることには変わりない。ピッチャーの投球が打者の打てないボールのときは3塁ランナーを犬死させることになる。また、3塁ランナーがホームに突入するところに打球が飛んだら、まさしく危険だ。硬式の野球では絶対にできない作戦ゆえに「奇策」なのだ。

 20年ほど前にこの作戦を使用するチームが好成績を残し、その流れかも知れない。若い監督さんが増えて部活動が活性化していいことだが、「奇策」を「定石」として教えることの怖さを感じる。まだ、野球を始めて間もない中学生にセオリーをしっかり教えることが、将来のイチローを作り出すのではないだろうか?バントのできない高校球児ふえているのもこのあたりが原因ではないだろうか。


2001年10月09日(火) センター試験出願

 大学センター試験の出願が始まる。全国の高校から大学入試センターに郵送で送られて来る。聞くところによると暦の「大安」の日に投函するらしい。60万人近い志願者が一斉に大安の日に投函すると縁起も何もあったものではない。自信があれば「友引」を選んで出すとお友達もみんな引かれていい結果が出せる。(ただし逆の場合は最悪)「仏滅」は、仏さんの力は頼りにならないが、受験前にほとんど神社にお参りに行くことを思えば関係ない。お寺に行くのを見たことはない。

 志學館の入試の出願も大安の日が圧倒的に多い。保護者の「思い」が伝わってくる。一般的に早めに出願したグループの合格率が高い。「思い入れ」の差であろうか。1回のペーパーテストで合否が決まるが、人の能力はそれだけでは測れない部分が多い。AO入試や自己推薦入試が増えてきて、受験生の持つ「意欲」や「実績」をみる試験が主流となる日も近いだろう。

 さて、今年のセンター試験出願期間(9日〜19日)の大安は、14日(日)と19日(金)、14日は郵便局が休み、19日では遅すぎる。したがって大安には出しづらい。志學館は10日(先勝)に出すらしいが、何が吉で何が凶と出るか楽しみでもある。仏滅がいいような。


2001年10月08日(月) 「あたり」ちがい

 今年の夏も缶入りやペットボトル入りの飲料水のお世話になった。自販機で気軽に買えることから全国でも相当数の消費がなされたことだろう。飲料後の容器の処理が大きな問題になっているし、特にマナーの低下が言われる中であちこちに放置されている現状がある。たぶん、自分が飲んだ数より、他人の放置した缶やペットボトルをゴミ箱に入れた方が多かったかもしれない。

 ところで缶やペットボトルに小さなシールがついている。集めて応募して景品をもらうものやその場で当たりはずれがわかり、景品がもらえるものなどがある。大人はほとんど興味を示さないが子供たちにとっては楽しみなことらしい。(これが販売者側のねらいかもしれないが)しかし、当たったのを見たことがない。あたりが全くないわけでもないだろうが、その確率は極めて低いだろう。

 昨日、文佳の小学校の運動会が終わり、温泉に出かけた。風呂上がりにペットボトルのジュースを買ったら、例のごとくシールが貼ってあった。文佳が「当たった」とさけんだ。シールをはがしたら、「あたり」と書いてあるらしい。「何と珍しい」と思って見てみると、たしかに「あたり」と書いてあった。ただし、「栄養成分表100mlあたり」の「あたり」だった。この部分にはシールは貼らないでほしい。


2001年10月06日(土) 史佳の運動会

 あすは小学校の運動会、3年ぶりに小学校の運動会に行く。これから6年間楽しみだ。夏輝は、幼稚園から小6まで「かけっこ」は9連勝を遂げた。わが子の足が速いと親としては運動会は楽しみのひとつである。足が遅いとどうなのかわからないが、いろんな楽しみ方があるのでしょう。

 史佳も3月生まれにしては速いのですが、今年の「かけっこ」は、足の遅い順にグループを作って走るそうで一番最後の組らしく、本人が残念がっています。背の低い順ならいちばん最初の組で1位になるらしいですが、体の大きい子にはかなわないようです。本家始まって以来のかけっこ、びりが観れそうです。

 創作ダンスで遊園地をやるようでジェットコースターやコーヒーカップの真似をからだをいっぱいに使って練習しています。午前2回。午後3回の出番があってラストが色別リレーの選手でスタートをやるそうです。日の長い一日になりそうです。


2001年10月05日(金) 快音、騒音、安眠

 たたけば、直っていたテレビがついにご臨終を迎えたようだ。今日は100叩きの刑でもダメだったらしい。朝から「バン、バーン」という音に近所は何だろうと思ったかも知れない。

 いつも聞き流している音も秋の夜長に耳を澄まして聞いているといろんな音が聞こえてくる。救急車の音がやけに多く聞こえる。季節の変わり目で体調を崩す方が多いのだろうか?秋の風物詩になっている「虫の音」はなかなか聞こえない。少し早いのだろうか。鈴虫やコオロギの鳴き声?は風流なものとされるが、聞き様によっては、騒音ともとれる。夏のせみの声さえもうるさいと感じることもある。

 その時々の状態で快い音もそうでなくなることがある。音楽もジャンルの違いによって好き好きでクラシック音楽を騒音と感じる人もいるだろう。人の声も同様で「お聞き苦しい」声もいっぱいある。私の声は催眠術に近いらしく、生徒がよく眠ってくれる。保健の授業ということで午後に置かれていることもあるが、うとうととしている生徒をみるととてもうらやましい。授業中に襲ってくる睡魔ほど気持ちいいものはないということを知っているから。

 「春眠、暁を覚えず」ということばは、現代では通用しない。生活様式の変化で「年中、暁を覚えず」状態がこの世にはびこっている。


2001年10月04日(木) 勝ち癖と負け癖

 今日もヤクルトスワローズの優勝はおあずけとなった。「産みの苦しみ」でもないだろうが、1つ勝つことの難しさを感じてしまう。事を成し遂げることは、すんなりとはいかないのが世の常だろう。

 昨日、高校野球の試合があった。予想を覆して1点先制し、8回までに3−1でリードしていた。あと2イニングを抑えると久しぶりの勝利が転がり込むと思ったら、1点返され、1点差となった。9回、先頭打者に続いて3人の走者をノーアウトで背負い、苦しい状況となった。幸運なダブルプレーがあって最小失点に抑えて延長戦に突入した。いつも5回か7回しか試合をさせてもらえないチームが、9回をこえてゲームができるのだからそれだけでも幸せだった。

 11回の裏に失点し、勝利は夢と消えた。相手チームと観客席が大喜びする姿に何かいいことをしてあげたかのような錯覚を覚えた。「負け癖」のついたチームの悲しいサガかもしれない。勝負の世界で「勝ち癖」をつけることはとても大切ということは、十分に承知している。できることならそうありたい。しかし、弱小チームにとっては、とても困難なことである。じゃんけんで「ぐー」と「ぱー」しか出せないのと同じようなものだ。となると引き分けもしくは善戦が、次への期待となる。これから5ヶ月の冬期練習の糧となれば何よりだ。

 一冬越えてたくましいチームに変身し、勝ち癖をつけられるようになれば、楽しみが増える。


2001年10月03日(水) 秋の夜長

 秋の夜長にパソコンをいじるのも2年目になった。秋の高校野球の試合があって9時ごろにうとうととしたら、眠れなくなってこんな時間(丑三つ時)まで起きている。あすがきついことはわかっていてもついつい不摂生をしてしまう。

 日本人の生活でここ20年で大きく変わった点は、平均就寝時刻だと思う。以前は夜の9時を過ぎると家々の明かりが消えて、受験生の部屋だけが明るく、受験生の存在がわかった。しかし、今ではどの家にも受験生がいるかのように夜半過ぎまで明かりがついている。

 夜の9時を過ぎてからの電話は「夜分に申し訳ありません」から会話が始まった。しかし、その感覚が2時間ほどずれているように思う。早く床に着いた日に鍵って11時過ぎにかかってくるのが電話である。(そんなに早く寝る日はめったにないが)

 問題は、朝の起床時刻だ。今も昔も仕事が始まる時刻は、変わっていないから起きなければならない時刻は同じだから、慢性の睡眠不足に陥ってしまうわけだ。昼食をとった直後にどうしようもない睡魔に襲われるのが日課になっているような気がする。

 そろそろ、体力も落ちてくる年齢だから質の高い睡眠を心がけよう。


2001年10月02日(火) トイレ考

 心配していた発芽もなく、今のところからだの変調はない。トイレの形状の変遷は、テーマ学習の研究課題になるほどの興味あるところだ。

 生まれて数年は、汲み取り式便所で不潔という言葉が似合う場所だった。また、怖い場所でもあった。幼稚園の頃、長崎に旅行に行って佐世保でコーラの味と水洗便所(正確に言うと、水洗式便所)を体験した。はじめての水洗トイレは、強烈に覚えている。使い方さえも教えられていないわけだから、人生で5本の指に入る緊迫感に襲われた。おそらく、今の子供達が田舎に行って汲み取り便所を目のあたりにする以上のことだろう。

 その後、水洗式・水洗便所が当たり前になり、ウォシュレットが当たり前になってきている。最近、見たものには自動でふたが開いて用が終われば自動で水が流れ、自動でふたが閉まるもの。便座の角度がボタンで調整できるもの。つまり、お年寄りやからだの不自由な方でも便利に利用できるようになっている。バリアフリーの最先端をいくのがトイレだと思う。

 「思考(しっこぅ)と空想(くっそぅ)の場」であったのが今では、読書も食事もできるのではないかと思われるほど快適な場になっている。ホテルの部屋でトイレとバスが同じ部屋にあることを当たり前と思うようになったのも最近の話である。


2001年10月01日(月) 柿の種

 10月に入った。実りの秋で果物が美味しい季節になった。柿を食べながらキーボードをたたいている。これを書くときは、だいたいコーヒーを飲みながらであるが今日は十五夜の月を眺めて、柿をほおばっている。

 大変なことが起きた。柿の種を果肉とともに飲み込んでしまったようだ。スイカの種とは大きな違いで何とか食道は通過したようだが、今、胃の中にある。存在感があるような気がしてならない。大丈夫だろうか?金属ではないから消化されるされるとは思うが、そのままの状態で明日の朝出てくれば幸いだ。最悪のことを想像すると、詰まる?もしくは芽が出る?そんなことにならないように祈るしかないようだ。

 子供が異物を飲み込む事故はかなり多い。私も小さい頃、異物ではないがパンをのどに詰まらせて大変だったという話を聞いている。近くの病院へ担ぎ込む途中で外れたらしく事なきをえた。親が肩に担いで走ったことが幸いした。車のない頃でよかった。お年寄りがもちをのどに詰まらせることも多いが、逆さにして背中をたたいたり、ゆすったりすれば取れることが多いと聞く。子であろうが親であろうがのどに詰まらせたら、乱暴に扱うことが望ましい。


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